決着……?

『……わかった』

 前屈みに姿勢を変える理緒に対し、テーベは余裕の構え。しかし輝矢の助言のあとではハッタリにしか見えない。

 理緒はじりじりと距離を詰め、間合いを計る。

 そのころ一階の片隅で、スピカとメティスの鍔迫り合いが開始されていた。

「彼女、やるね」

「ああ……」

 銃撃するメティスに対し、スピカの優位は格闘武器のリーチだけ。その二つで攻守に勝る相手を圧倒していた。

「ああいうのを理緒にも用意させてやれてたらな」

「無理だよ。リーダー機に冒険はさせられない。今だって防御力が十分じゃないのに」

「……」

 理緒の装甲服のスペックは、走攻守三要素のうち守を削って走――素早さに回している。

「それに、スピカの巧さは認めるけど、メティスの操縦も未熟だよ」

「たしかに。スピカの速度に振り回されてんな。追いかけるんじゃなく、カウンターを入れるぐらいの気持ちでいりゃいいのに」

「たしかに、テーベ相手ならこうはいかねえよな」

「……あのテーベに土を付けられるとしたら、理緒以外ありえないんじゃないかな」

「なんでそう思う?」

「……卑怯だとは思うけどね」

「そりゃ……ん?」

「ま、出場するって言い出したのは彼女だし……」

「……」

 輝矢は答えたくないらしい。それを察して、梓真は口をつぐんだ。

 モニターの向こうでは、運命の針が時を刻み始める。

 テーベがついに動いた。

 チェーンガンを装着した右腕を下げる。同時に左腕を後ろに回して、腰にあった自前のライフルに差し込む。

 その間、コンマ八秒。オルターの銃の交換としては異例の速さだ。

 だがそのコンマ八秒に理緒は空間を詰める。――突撃を敢行した。

(無策だろう!)

 しかし策など梓真にもありはしない。そもそも小細工が通用しない相手、体当たりで挑むほかなかった。

 初弾は、もちろん理緒。テーベが射撃姿勢を取る前に銃撃を開始した。

 狙いはその左腕だったが、テーベの回避で空振りに終わる。

 俊敏さを犠牲にしたテーベの防御性能は高く、ウィークポイントは少ない。装着した銃器はその稀少な一つだが、避けられたのはそれを読まれたからだ。

(俺もヤツの左腕に目が行った。……くそっ、全部お見通しか)

 装着を終えたライフルが理緒の回避の間を削る。対策は唯一、さらなる接近しかない。それは理緒にとっても諸刃の剣、同等以上の危険な領域へ踏み込むことなる。

 けれど理緒は臨んだ。

 その足下をテーベが撃つ。

 すると梓真は――

「とっ……」

 と、忠告を言い掛けてやめる。

(どうせ間に合わねえ。かえって惑わしちまう)

 案の定、跳んでかわした理緒にテーベが銃弾をばらまく。

 とっさに両腕でガードしたのはさすがだが、残骸に足を取られ体勢を崩した。

 格好の的となった理緒は存分に銃弾を見舞われ、脚部の装甲に甚大なダメージを負う。

 それでも理緒は横に走る。その姿に梓真がほっとしたのも束の間、テーベの銃撃が先回りして、行く手を塞ぐ。

 足を止めた理緒にまた銃弾の雨が降る。

(……!)

 神木の一連の動作のうち、三つに二つは梓真にも予測がついた。だが口で伝えていては間に合わない。思考を声に変え、理緒が聞いて理解するまでには完全に手遅れとなっているだろう。

 その時間差タイムラグをゼロにする手段は一つしかない。

 梓真はゴーグルを掴んで席に戻る。

「梓真……?」

「あっくん、どうするの?」

 震える手でマイクとイヤホンを付け替えると、頭をそれに押し込んだ。

(理緒……)

 ゴーグルが理緒の窮地を映していた。

 梓真はマルスにするように、思念を理緒へと送る。

(理緒!)

 目と耳から入力された情報が、脳で閃き思考となって言葉となる。

 その閃きから思考となる中間のもの、言い表せないナニモノかを、梓真は“念”と呼んでいた。

 言葉にするより早く、“念”のまま、梓真は理緒へと送った。

 ――だが、届いていない。立ち上がって、駆ける理緒を見れば明らかだった。

(そっちじゃない)

 言葉に変えればそうなる。

 しかしそれはあやふやだ。たとえば“そっち”とは、理緒の進んだ方角と、銃撃した箇所の両方を指した。

 だが、届いていない。理緒の銃弾をテーベはかわし、逸らして、無効にする。

 その一方で攻撃も忘れない。脚部への集中は、その素早さを危険視している証しだ。銃弾を的確に一ヶ所に集め、装甲を粉砕しようとしていた。

(駄目だ!)

 またしても理緒が横へ走る。しかしそれでは足の内側が露わとなってしまう。神木の思う壺だ。

 理緒の反撃を物ともせず、テーベのライフルが唸りを上げ、右足首の装甲を弾き飛ばした。

『!』

「理緒!」

 転倒は免れ、また走り出した。だが距離は縮まらず、むしろ遠ざかっている。

 すると新たな銃弾が頭部を掠め、荒い息づかいが聞こえた。

(理緒……)

 近づかない、近づけない。

 神木の執拗な攻撃に理緒は怯えていた。

「理緒……」

 仕方なく梓真は声に出す。――思念は届いていない。

 土台、無茶な試みだった。仮に梓真の思考が届いても、それを受信する装備が理緒にはない。

『……!』

 理緒が呼吸を止め、意を決しテーベへ飛び込む。

 その勇気を梓真は称えたかった。しかしテーベは明らかに余裕を残している。

 理緒の放った銃弾がテーベの銃口を逸らす。

 だが梓真は――

「駄目だ、罠だ!」

 有効打を与えられない理緒は、接近してパイルを打ち込むつもりだろう。しかしテーベにも備えがある。理緒はそれより早く、その懐に入ろうとしていた。

 けれど、梓真の予測では数歩及ばない。

 それを瞬時に伝える術がなかった。

「り――」

 繰り出したハルバードに、理緒が飛ばされた。床に転がって残骸で止まる。

『ふ…………あ……』

 床を映したカメラがゆっくり起き上がる。意識はまだあるようだ。

 しかし画像がテーベを捉えると、理緒は残骸を避け、仰向けのまま下がる。両腕の甲で防げはしたが、テーベは理緒の首筋を標的としていた。

 その刃が、今また彼女を狙っている。

 理緒は損傷の残る腕と足をばたつかせ、床を滑る速度を上げた。

『……あ、あああ……』

 言葉にならない小さなそれは、悲鳴でも、雄叫びでもなかった。

 初めて見せる、理緒の恐怖。しかし梓真に驚きはない。

 この大会の始めから恐怖を隠し、恐怖と戦ってきた。だが彼女を支えてくれた仲間はもういない。

(理緒、理緒。……理緒!)

 届かない。梓真は念を声に変える。

「落ち着け、威嚇だ! ヤる気ならとっくに撃ってる!」

 それでも思いは届かない。彼女の怯えるままの後退は、また残骸にぶつかって止まる。

 その邪魔者に振り向く理緒。除けようとして右手を遣った。

 けれど、それは――

『ディアナ……』

 西日に照る迷彩色の機体は、紛れもなくディアナのものだ。

 テーベの足音に視線を戻す。

 銃口が狙いを付けていた。

(理緒!!)

 それは祈りとなっていた。

『……ディアナ、助けて……』

 理緒が手をディアナの左胸に重ねた。そこはAIのある部位だ。

 すると、機体に光が宿る。

 ディアナは“生き”ていた。

 動力とAIを繋ぐケーブルは完全な切断を逃れ、手の圧迫で接続が戻ったようだ。

 首そのものは動かない。しかし、全方位カメラは理緒の姿を捉えていた。

 同じく生き残っていたセンサーが、テーベの接近も知らせる。

(起きろ! 理緒を助けてくれっ!!)

 ――祈りは叶わない。

 しかしディアナの起動は、理緒も蘇らせた。

 理緒が敵をまっすぐ見据える。怯えていたさっきまでとは雲泥の差だ。

 その変化を感じ取って――なのか、テーベが威嚇をやめ、実力を行使した。

 足を投げ出している理緒は避けられない。梓真の予想と違わずに、放たれた銃弾はむき出しの股関節に飛ぶ。

 それを理緒は左腕で防いだ。砕ける装甲と引き替えに、足の損傷を免れる。

 理緒の対処に梓真は驚愕した。その行動は彼が考え得る唯一の選択だったからだ。

 しかし同時に神木も驚いている。

 今が好機だ。

(意表を突け! おまえにしか思いつかない方法があるだろ!)

 理緒は名残惜しくディアナを見つめ直したあと、前屈みから、唐突に飛び上がる。

 梓真は意表を突かれた。おそらく神木も。照準を合わせるより早く距離が詰まる。

 近すぎる位置からはハルバードは使えない。テーベは下がり、銃を構え直した。

 そこで理緒はもう一度思惑を外す。追いすがると見せて、腕を伸ばし、そして――

 銃口に銃口を重ねた。左腕同士、飛び道具によるカウンター。互いの銃撃で二丁のライフルが暴発する。

 しかしそこから優位に持ち込めるのか――

 そんな不安を梓真は必死に打ち消し、念に乗せまいとする。

 もう確信していた。彼女は念を受け取っている、と。

 けれど理緒の強気に変化はない。今度はゼロ距離を保って、ハルバードの刃圏を逃れている。

(俺の思考が伝わっているんじゃねえ……のか?)

 確信が揺らぐ。思いは、確かに届いたはずなのに――

 テーベの左腕は損傷があるようだ。そしてテーベといえど、片手で扱うにはハルバードはやや重い。対する理緒は自分の距離を維持しつつ、右腕のパイルを自由に振るう。

 はっ、はっ、と理緒の息遣い。

 下と上、ゼロ距離でしか刺すことのできない装甲の継ぎ目を次々に襲う。そのたびにテーベの自由は奪われていった。

 しかし往生際は悪くとも、テーベ――神木の抵抗はやまない。

 やがてそれが実を結ぶ。

 正面から近づいた理緒に、タイミングを合わせて彼も近づいた。距離はまさしくゼロとなる。

 同時に唯一の武器を手放し、両腕で組み付いた。

 そして首を圧迫する。

『!!』

 理緒はただ押しつぶされ、引き離すことも呻くことすら許されない。無言の彼女に代わって、装甲服が悲鳴を上げた。

「り……」

『……』

 マイクからかすかな空気の動きが伝わる。何かを伝えようとしていた。

 すると宙を写していたカメラがテーベへ向かう。

 続いて強烈な破砕音。パイルがテーベに突き刺さった。位置関係から左脇にしか当てられない。が、その部位めがけ繰り返し射出する。と、先端は徐々にテーベの中枢を侵していった。

 圧縮空気が解放され、精密機械を激しく砕く。密着しているため、その音は格別に荒っぽく、生々しい。

 けれど中枢を破壊されながら、テーベは理緒を放さない。

「ねえ! どうなってるの!」

「……予備回路が別にあんのか……」

「神経系が切断されても、その前の命令を継続するのかも」

 理緒は、五回、六回、と攻撃を続行する。

 だが七回目、先に音を上げたのは打突武器の方だった。打ち込んだパイルの先端が折れ飛んだ。

 限界を迎えていた彼女の心も折れる。右腕が下がり、カメラは焦点を失った。

「理緒! おいっ!!」

 風の音もない。

 彼女を締め上げるメキメキという音だけが鼓膜を揺らした。

「……」

 脳裏に“ギブアップ”の宣言が浮かぶ。

 今なら、間に合う。

 振り返る梓真に笑みを返したのは真琴。

 輝矢の渋面は反対なのだろう。

「……」

 ためらう梓真の目が何かを見つける。ピントの暈けた映像が、テーベの首に刺さる槍を捉えた。

『使って!』

 カメラが――理緒の視線がゆっくりと声の方角に向く。銃口を向けるメティスを、武器を失ったスピカが体を張って阻止していた。

『恩田さん!!』

「理緒!!」

 輝矢も声を張り上げる。

 すると理緒の右腕が持ち上がった。しかし槍には届かず、ただくうを掴んでまた画面から消える。

「……」

「輝矢! もうこれ以上は! ……ギブアップしよう」

「本当に、それでいいの?」

「……彼女と引き替えには――」

「これまでいろんなものを犠牲にしてきたのに! ここで!?」

「言ったろ! 理緒を犠牲にはできない!」

「……じゃあ、彼女の気持ちはどうなるの?」

「理緒の……気持ち……?」

「理緒はまだあきらめていない!」

「なんでおまえが――」

 梓真の言葉が詰まる。

 彼女と輝矢、そして父親である神木。彼らは、何かただならない関係にある――それをうすうす感じていた。

「理緒……」

『……そ……』

 輝矢の静かな問いに、理緒は小さく答えた。

 その手が槍を掴み、パイルでこじ開けた穴に突き刺す。だがテーベは倒れない。今の理緒はひどく非力だった。

 あきらめかける理緒と梓真たちに、ふたたびスピカが割り込んだ。

『柄にスイッチがあるでしょ! それを押して!』

『……』

 理緒の右手が強く握る。

 と、槍は長さを増してテーベを貫いた。

 それに負け理緒は槍を放すが、テーベも理緒を解放し、床に転がる。

 それを見て、輝矢が不敵に笑う。

「上出来だよ、理緒」

「輝矢……。おまえ……」

 彼の指がコンソールを這い回る。

 すると転倒したテーベにレティクルが合わさった。理緒ではない、ディアナからの映像だ。

 輝矢はテーベに立ち上がる隙を与えなかった。

 銃弾が間断なく発射され、銀の槍が開けた穴に吸い込まれていく。

「ライフルは――」

 破壊されたはず。

「ああ、その辺に落ちてたのを借りた」

「……」

 ――いつのまに。

 逃げようともがくテーベに、今度は理緒が組み付く。

 ところがそこで銃撃がやむ。

「整備が、なってないな」

 ディアナが床に伏せたまま新たな銃をまさぐる。自由になるのは腕に限られるらしい。

 それは理緒も承知のようで、テーベの右胴部をディアナに向け続けていた。柔道の押さえ込みのように全身で踏ん張っている。

 輝矢はテーベの損傷部位に連射を加える。と、瞬く間に銃身は加熱し、みるみる集弾率が落ちてゆく。狙いから逸れた弾は穴の周囲を削り取り、ついには大穴が開いた。

 それでも攻撃は続ける。弾を撃ち尽くすと、別の銃に手を伸ばした。

「おい、輝矢……」

「……」

「そこまでだ、ぼうず」

 ぱん! と強く肩を叩かれ、輝矢はようやく我に返る。

 山野目だった。

 ディアナの動作が止まるのを待って、梓真たちに宣告する。

「チームジュピターから敗退の確認が取れた。以後、彼らへの攻撃を控えるように」

 画像も、両手を上げるメティスが映していた。

 すると“優勝”の二文字ふたもじが脳にわき上がる。

「勝った……のか……」

「そりゃあ、ちっとばっかし気が早えな」

「……?」

「あっくん、スピカちゃんがいない!」

 真琴の声に二人はようやく目を覚ました。

「あいつ……」

「やっぱり……」

 旗は隠したままだ。俊足のスピカに持ち去られれば取り戻す術がない。

 そこへ、澄んだ声が舞い降りる。

『勘違いしないで』

 その姿は四階にあった。

 銀色の少女は吹き抜けの壁づたいに下りてゆき、フィニッシュにきれいな着地を決める。理緒の目の前だ。手にはフラッグがある。

『受け取って』

『……いいの?』

 渋る理緒に梓真も促す。

「いいからもらっとけ」

 おずおずと手を伸ばしながら、なかなか受け取ろうとしない。

 するとスピカは姿勢を正し、告げた。

『わたしたち夜天の機士は、ここにギブアップを宣言します』

『……!』

 梓真が席を立ち、山野目に振り返る。

「おっさん。ほかに、残ってるチームは?」

「ねえよ。……おまえたちの優勝だ」

 とたん、足から力が抜け、梓真はイスにへたり込む。

 飛び込んできたのは真琴だ。背もたれごと梓真を抱きしめる。

「おめでとう、あっくん」

「お……おう」

 照れながら答える梓真に、輝矢も微笑を向ける。

「おめでとう」

「ああ。おまえとまこのおかげだ。それから……」

 梓真はモニターに視線を移す。

 城の広間では、スピカが再度フラッグを手渡そうとしていた。

『優勝したんだから、旗がないとおかしい』

『……ええ』

 ようやくしっかりとフラッグを握る。そして物言わぬ観客たちに掲げて見せた。

 高く、雄々しく――

 マルスとうり二つの姿の手に、フラッグが握られていた。

 梓真が焦がれて已まなかった光景。夢や空想ではない、現実の――。

「……?」

 にもかかわらず、感動がまるで沸き上がってこない。

 理由は、大会本部から発信されるはずのメッセージだろうか?

 過去、全世界に配信されたSCの動画には勇壮なBGMをバックに、それがかならず感動のフィナーレの演出に使われていた。

 大仰な文言、それに華やかなファンファーレ――それが、一向に送られてくる気配がない。

 ふと、山野目の姿が目に入る。

「もしかして、あとから編集でのっけたモンだったか」

「……」

 嫌味たっぷりに話を振っても、不良軍人はいつになくノリが悪かった。体は壁に預けたまま、宙をにらんで振り向きもしない。

「おっさん、なんかねえのかよ。担当したチームが優勝したんだぜ」

「……それ自体は純粋に祝いてえんだが」

「んだ、それ?」

「……実はな、本部との連絡が取れない」

 耳ざとく輝矢が反応する。

「あの、軍用の回線を使ってるんですよね?」

「だから深刻なんだ」

「まさか、俺たちの優勝が無し、なんてこたあ……」

「ない、とは言えねえ……」

「冗談じゃねえぞ!!」

 怒鳴る梓真を、山野目が気迫だけで黙らせる。

 だが、言葉は落ち着いていた。

「審判員でもう一度討議をする。今は、おとなしく待ってろ」

「……」

 納得できるわけがない。理緒が、あそこまでして勝ち取った栄冠だ。それがすべて無効にされてしまうなど、あっていいはずがなかった。

 もう日が沈む。黄昏時の茜は薄まり、フラッグの長い影も無数の残骸に埋もれていた。

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