31 得物の名


 母親の体調を気遣って、グロッザとグリアスはまた昨日までお世話になっていた店に昼食をとりに行った。普段から聖職者であるルツィアのことを気にかけてくれていた店主は、天使の降臨が終わってからも通う二人から事情を聞き、寝込む母親へとなんだかんだ言いながらスープやパン等を持たせてくれる。

「あのオジサン、絶対ルツィアさんのこと好きだよ」

「あー、やっぱりそう思う?」

 先程の店でお腹も両手もいっぱいにしながら、二人は教会に向かって街を歩いている。昨日の光は見えていただろうに、街は至って普段と変わらない喧噪に満ちている。本当ならば大騒ぎになるところだが、そこは事前に許可を取っていたおかげか、それとも普段の母親の行いのおかげか、好意的に受け入れられているようだった。

「ルツィアさん、綺麗だもんね」

「グリアスもそう思う?」

 実の息子がこんなことを言うのはどうかとも思うが、母親はかなり整った容姿をしていると思う。それがエルフ特有のものなのか、彼女が優れているのかは他のエルフを見たことがないのでグロッザにはわからない。昔から人間はエルフの容姿を好む傾向が強いというのも聞いていたので、街の人の彼女に対する好意はなんとなく納得出来る。あまり良い気はしないが。

 だが魔族はまた別だ。彼等は聖なる光を操るエルフとは対極の存在である。きっと美的センスも違うだろうし、種族的なこだわりみたいな部分も違うに違いない。

「んー、ボクは半分人間だし、ルツィアさんにはよくしてもらってたから余計かもだけど。でも純粋なる魔族でも多分好意は抱くんじゃないかな?」

「……エルフと魔族でも?」

「うん、容姿もあるし、魔力に惹かれるとかもあると思う。より強い魔力に反応しちゃうのが、ボク達じゃない?」

 世間話をしていたはずなのに、何故かすでに手を握られていて、街中を歩いているというのにその邪な魔力に欲望を引き摺り出されそうになる。ついつい、早足になって、教会までの道のりを急ぎそうになる。

 強い魔力に惹かれてしまう。それは自分自身もだから、本当のことだと思う。ならば、きっと少年の言ったことはあり得ることで……

――エルフと魔族でも……

 エルフと魔族で惹かれてしまう自分は、きっとおかしくないんだ。やっぱりおかしくない。天使様よりよっぽど、邪なる魔力に惹き付けられる。

「天使様の魔力も、凄かったけど」

 隣で少年が小さく呟く。そうだ。あの天使も相当な魔力を有していて、先程の戦闘訓練では、本人は本気と言っていたが、きっとまだまだ手を抜いていた。

「槍が出てきた瞬間に、目が眩むみたいな魔力を感じたよ」

 少年がその時を思い出したのか小さな身体を自分で抱き締める。繋がれた手が離れて、グロッザも少し頭の中の靄が晴れた。

「オレからは凄く強い光に見えた。あれって、天界の武器なんだよな?」

 グロッザも遠くに目をやりながら思い出す。直視すれば目を焼かれそうな、そんな暴力的な光だった。

「天界の武器で一番有名なのは光の剣、エクスカリバーだね。魔王に仕える魔将達の武器も、多分同じ類だと思うけど」

 ぶるりと震えてから少年が話題を少し変えてきた。強大な力という点では共通する話題だが、確かにこっちの話題の方が背筋に走る悪寒はなくなる。なんだか、敵じゃない、みたいな不思議な安心感があった。

「ならゼトアの背負ってる槍も?」

「うん、お母さんが昔言ってた。魔将達が操る武器は、その個人の力を最大限に引き出すように特別に造られてるんだって。ゼトアさんの槍は“地竜の槍”って呼ばれてて、大地の力を呼び起こすって言ってた」

「なんか、そこまでいったら神話みたいでピンとこないな」

 多分嘘や冗談では済まされない本当の話だろう。彼等の魔力は本当に、隣の少年とも桁違いだ。並みの魔族ではこうもいかない。何百年もかけて魔力を高めた、きっと生物としても上位の存在になりつつあるに違いない存在だ。

「実際、天変地異みたいな力を持ってるって噂だよ? 魔王アレスの“魔剣ウイユマキナ”に魔将ウィアスの“宝剣リキュアール”……どれもこれも街一つなんて簡単に吹き飛ばしちゃうらしいし」

 見たわけではない、あくまで母親からの聞き伝えだが、それでも同胞の武勇伝のような話は幼い少年の心を虜にするのだろう。

 敬愛する王とその側近達に対して、きっと少年の母親は一心にその心を捧げていたに違いない。軍の幹部が素晴らしいのだ。強い求心力も納得出来る。そしてそれはちゃんと、息子に引き継がれている。

「……あれ? そういや魔将って四大魔将だよな? 人数足りなくない?」

「それは昔のアレスが魔王じゃない時代の呼び名なんだって。一人は亡くなっちゃって、最近やっと代替わりしたらしいよ?」

「つまり魔王が抜けた席はまだ空いてるのか」

「あれだけの魔力を有した高位の魔族がもういないって噂だよ」

「なるほどなぁ……」

 そこでふとグロッザはあることに気が付いた。魔王アレスの命によりゼトアが現れたのは、グリアスの存在に気付いたからだ。それはつまり……

「もしかして、グリアスをスカウトしに来たとか?」

「……え?」

 隣を歩く少年が驚きのあまり目をまん丸くして立ち止まってしまった。グロッザは興奮したまま続ける。

「だってさ、グリアスの魔力もでかくて街を吹き飛ばすぐらいだってゼトアは言っていた。それぐらいの魔力、なかなか持ってる人いないんだろ?」

「えっと、さ……確かにゼトアさんはボクに『これだけの魔力は軍にもなかなかいない』って言ってたけど……」

「やっぱり!」

「でも、でもだよ!? それならわざわざ中和なんてさせないよね? そのまま連れて帰らないと、肝心の闇の魔力がなくなっちゃうよ」

「……それもそうか」

 これだと思ったがどうやら違うようだ。やはり彼はこの街のことが心配で、こんな辺境に現れたのだろうか?

 つまりわざわざこの街を心配して、魔王アレスに視てもらって……心配なのは、この街じゃなくて、母さんで……

「ゼトアは……母さんのこと好き、なのかな」

 思わず呟いた言葉に、少年は何も言わずにこちらを見詰めるのみ。その顔に答えを見つけたくなくて、思わず顔を背ける。

 街の中心からはだいぶ離れ、もうすぐ教会の屋根が見えてくる頃だ。まだ高い位置にある太陽の暖かみに、逃げるように視線を天に向ける。

 そこには――深く交わうエメラルドグリーンがあった。

 昼間の空の明るさに、いつもはそれは隠れている。まばゆい日差しに寄り添うように、それは、いつもうっすらと浮かび上がっているだけなのに。

 昼間の月が、今だけは『全て』を視通す存在感で、そこにただ、存在する。

 それだけだ。ただ、そこに存在るだけ。だが、それだけで地上は『全て』に支配される。

「月が……」

 グリアスもグロッザの視線を追って、それに気付いた。『全て』に視抜かれ、小さな少年の身体はそれに耐えきれずに地面に座り込む。小さな腕でその全身を守るように抱き込み、天にはもう二度と目を向けることが出来ない。

 グロッザはそんな身体を全身で護るように空から庇う。恐怖に震えるように、二人は固く抱き合い息を潜める。まるで捕食者から逃れるように。そんな二人の耳に、不気味な程に響く足音が聞こえた。

 『全て』に誘われるように、目の前に彼が現れた。

「帰りが遅いから心配したぞ。夕刻には出発だ」

 頭を上げることすら出来ない二人にゼトアは短くそう告げると、溜め息をつきながら天を仰ぎ見る。

「昼は聖なる者共の時間だろうに。いつか眼を焼かれるぞ」

 そう言って彼は薄く笑っていた。

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