8 大切な残り香


 なんとか朝食を食べ終わり、食器を洗っていると洗濯籠を持ったルツィアが声を掛けてきた。

「グロッザ、この服をゼトアに持っていってあげて」

 そう言いながら男物のシャツとボトムを籠から手渡してくる。

「わかったよ母さん」洗い物に片をつけ、受けとる。

 サイズからしてゼトアの私物だろう。ご丁寧に軍の刺繍らしきものが入っていた。その柄が果たして本当に魔王軍のものなのかは、自分は見たことがないのでわからないが。

 柔らかい太陽の匂いがするそれらは、おそらく朝一に干した乾きたてだろう。もう時刻は昼前だ。この頃の暖かさなら生乾きはないだろう。

「昔、彼が置いていったものだけど、多分サイズも合うだろうし。お願いね」

 そう言い残して、残りの洗濯物を片付けに食堂を出て行ったルツィアを見送り、グロッザは両手で抱えた彼の私物をまじまじと見る。

 おそらく遠い昔だろうが、その頃から服装の好みは変わっていないらしい。暗い色合いのシャツに軍用のボトム。どのようにして母親の自室に隠されていたのかは知らないが、初めて見る他人の洗濯物に、なんだか奇妙な安らぎを感じた。

 そう言えばゼトアは昨日と同じ格好だった。これは早く届けてあげるべきだろう。

 布の面積が大きいそれらをもう一度感じながら、自然とにやつく表情を抑えられないまま客室へ向かう。部屋の扉をノックすると低い彼の声が「どうぞ」と返事した。

 ドアノブを握ろうとして片手がなかなか空かないことに気付いた。あたふたと大きな衣服を腕のなかでまとめようとして、優しい香りが広がり鼻腔を擽る。

 思わず強く抱き締めた。どこまでも柔らかいその感触に、母親の愛情を感じる気がして強く目を瞑る。

 違う。母さんじゃなくて――

 ガチャリとノブが回る音。そして扉がすっと開いたことに気付いた時には遅かった。

「……どうした?」

 一瞬驚いたような顔をして、その表情がだんだん優しく微笑むのを見せ付けられた。それだけでもう全てを見透かされたのがわかってしまって……

「着替えをありがとう。丁度どうするか悩んでいた」

 扉の隙間から見える彼は上裸で、下は昨日の軍人姿。鍛えられた身体からは、まだ不衛生な気配はない。

 まぁ、まだ一日だし?

 それよりも数々の傷跡の方が目を引く。

「この傷か? ……立ち話もなんだ。入れ」

 言われるがままに部屋に入る。自分の家の客室なのに、なんだかもう、ゼトアの部屋みたいに緊張する。ゼトアはベッドに腰を下ろし、穏やかな目を向けてきた。

「その服、まだ綺麗に残していたんだな」

「オレも初めて知った。まさか自分の家に、他人の男の私物があるなんて」

「だからって嗅ぐ必要はないだろう」

「……っ! いや、それは……」

 改めて蒸し返してきたから腹が立った。今のは完全にわざとだ。

「嬉しかったんだろう? 嗅いだところで今日の洗濯の香りしかしないだろうに」

「……それは、そうだけど……」

 バクバクする心臓が煩い。それすら見透かし笑うゼトアに、こうなってしまったら何も言い逃れは出来ない。

「ほら、服は置いて……俺に渡しに来たんだろう?」

 ベットに腰かけたまま差し出される手。愛しい。引き寄せられる魔力を感じる。

「……渡しに来たのに置いてけって、変……」

「俺のために、来たんだろう?」

 小さく反論してみたけれど、すぐに言い替えて組伏せられる。

 服をテーブルに置き、手を取ると、そのまま指を絡め取られる。小さく声をあげた時には、膝の上に跨がるように座らされた後だった。

 跨がってようやく顔の位置が近づいた。抱き締められながら、まるで朝の続きでも楽しむように長く長く口づけを交わす。

 息継ぎが上手く出来なくて、何度も何度も口を離すが、また追い詰められて快感に溺れる。

 ずっとこうしていたい。離れたくない。

 そんな気持ちばかりが昂って、ゼトアの背中にきつく手をまわす。そんなグロッザに彼もまた、頭と腰をがっちりと抱いて応えてくれる。

 指先が小さな凹凸に触れた。それは彼の脇腹に走った傷跡のものだった。

 意識がそちらにいったのがわかったのか、ゼトアも力を緩め抱擁を解く。

「……この傷」

「軍人に傷は付き物だ。お前やルツィアにこんな傷をつけることがないように、俺がいる」

 一瞬で濃厚な死の空気を実感し、嫌な汗が出るグロッザにゼトアが言い聞かせる。

「お前のことは俺が守る。この街を守るんだろう?」

「……あぁ」

――本当は、守られるだけじゃダメなんだ。

 それはわかっていたが、今のままでは守られるだけだろう。

「心配するな。しばらくはこの街にいるだろうから、その間に稽古はつけてやる」

 そうちゃんとフォローまでしてくれて、大きな手でガシガシと頭を撫でられた。

 少しあやされているような気もするが、嫌いじゃない。うん、嫌いじゃない、違う――

「……好き」

 自然と声に出てしまったその言葉に、恥ずかしさよりもほっとした自分がいた。

 そうだ、好きなんだ。だからこんなに、理性が効かなくなる。目の前の彼は優しい表情を崩さない。

「お前を守ると俺が先に言った」

「な、なんだよ? もしかしてそれで好きって言ったつもり!?」

 くくっと笑われて、からかわれたのだとわかった。

「早く着替えないとルツィアの準備が整ってしまうぞ。女を待たせると怖いからな」

 そう言ってもう一度キスを仕掛けるゼトアを受け入れる。

 顔が離れてからも余韻に浸り、まだ少しボーッとする頭で立ち上がろうとすると、ゼトアがボトムのベルトに手を掛けながら言った。

「これから着替えるがお前はどうするんだ?」

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