解答編 第1話


「――つまりこの事件は、外部犯がわざわざ積雪寒冷の度が甚だしい中やってきて、遠山君を殺害した後、雑木林に舞い戻っていったんですよ」

 安東は、微笑をたたえ爛々と眼を輝かせて言う有馬を、面食らった心境で呆然と見返していた。同様にして誰もが、時が止まったかのように物音を立てずにいた。

 暫くの後に、

「……おい待てよ。それは雪乃さん達が否定したはずだろ。この期に及んでまた同じ議論を繰り返そうってのか!」

「ならば寺田さんは部長さんの説を否定出来るんですか? 僕達には雪の足跡を作る時間は、一切無かったんですよ。足跡は少なくとも十分は掛かると結論が出ています。仮に空白時間を足し合わせても、足跡の偽装は途中で中断出来ないんですから、無意味です」

「なら、悠士君はどんな結論に行き着いたと言うの……? しっかりと聞かせて欲しい」

「勿論ですとも。しかしまずは、遠山朔椰という人物について話した方が良いでしょうね」

 有馬はそう言って滔々と語り始めた。

「今朝方、遠山君は雪山で遭難し、疲労困憊の末にこのペンションを見つけたと言っていました。酷く憔悴しきった様子でしたが、水分や食事をとると徐々に元気になって僕達は心から良かったと思いました。ただ僕は、まだ医学部の一回生とは言え、卵ではあります。違和感がありました。救急車を頑なに拒んだこともそうですし、やけに回復が早いなと、その時は感じる程度でしたけどね。

 それが確信に変わったのは、彼の登山用ザックの中身を全員で確認したときのことでした。登山に行くために、明らかに持っていなければならない物が入ってなかったんです。

 皆さんが気付かなくても無理はありません。僕も父が登山好きで幼い頃から連れ回されていなければ、思い至らなかったでしょうからね。

 話を戻しますと、それは先程も話した山行計画書と保険証のコピーです。山行計画書は万が一事故が起きた場合に備えるもので、基本的には提出は任意なんですが、この付近の自治体の山岳には条例として計画書の提出が義務付けられているはずなんですよ。けれど、彼のザックにはそれが入っていなかった……。その二つだけ風で飛ばされたか、落としてしまったんでしょうか? 遠山君を殺した犯人が持ち去ったんでしょうか? あるいは燃やしたんでしょうか? 有り得ないとは言いませんが、苦しいですね。

 それからもう一つ、遠山君が所持していたスマホに関する話です。雪山では携帯電話の電波が届かなかったとしましょう。しかしこのペンション付近では実際に警察に通報したことから、普通に電波は届きますよね。何故110や119番に掛けなかったんでしょう。遭難して死に物狂いだったはずの彼が、壊れていないスマホの電波状況を逐一確認しなかったとは思えません。電池切れを憂えていたとしても、予備電源としてモバイルバッテリーを持っていたのなら尚更です。

 これらの理由から僕が思うに、つまり彼は、雪山になど登っていなかったのです。

 ならば何故? 何のために、僕達を騙す行動を取ったのでしょうか……。

 遠山君は執筆をしていて、熱心に新人賞に応募していると言っていました。それに彼は、やけにペンションの外観や内装の写真を撮っていましたよね。それはもう、直向きに。僕達とゆっくり会話をしたのなんて、夕食時になってからでした。

 それから――先程も見せた古いガラケーです。雑貨類に忍ばせてありました。デジタル式の盗聴器ですね。もしかしたら、他の部屋にもコンセント型などが設置されているかもしれませんよ。……おっと、このいけ好かない機械を僕が置いたわけではないことは、皆さんに信じて頂くしかないんですけどね。

 これらから推測出来ること。それは、彼が人の善意につけ込んで平気で嘘を付き、自分の益とするような、利己的な人間だったということです。彼の演技に気付かなかった僕が言うのもなんですが、手慣れていました。もしかしたら初めてではないのかもしれません。取材したい建物や場所に赴き、似たような手口を使って執筆の糧としていたのかもしれませんね。妄想の域に入るので、ここまでとしておきますが。

 さて、彼の人物像についてはこれくらいで良いでしょう。

 その上で、今晩のあの時間帯に何があったのか。

 それを推測する切っ掛けになる会話が、飲み会中にありました。綾乃さんが、遠山君に――ここまでくると、君を付けるのも嫌になりますが――恋人の有無を尋ねたときです。仲のいい人がいると言っていましたね。

 ここで外部犯説を掘り返してみましょう。見知らぬ人物が窓を開ければ、冷気が吹き込むことから遠山は気付き、何らかの対処をしたでしょう。しかし、それが見知った人物、さらに言えば深い仲である人物だったとしたらどうでしょうか?

 通話かアプリか、連絡手段は分かりません。僕らがラウンジで飲み会を始めたのをいいことに部屋に戻り、遠山が断りもなく、先ほど話に出た彼女を呼び出したとしたら。そしてその彼女が、彼が彼女に思いを抱いているほどに……いえ、全くの逆で殺意さえ抱いていたとしたら。

 遺体がジャケットを着ていたことも妙でした。各部屋では暖房が付くので、温かくなるまでの間に合わせかとも思いましたが、彼はラウンジで充電すると言っていましたよね。突き詰めて言えば、ペンションに向かい入れる人物のために、窓を開ける必要があったからではないでしょうか。

 そして彼の私物としては、スマホが無くなっていました。ミステリに於いても、動機の推理は困難です。どんな思いを抱き、どんな経緯でその人物もペンションに来ることになったのかは知り得ませんが、証拠品となるスマホだけはその殺人犯は持ち去ったでしょうね。

 そして僕達は不幸にも、ミステリを愛するが故に、外部犯説を否定する仮説を立ててしまい、疑心暗鬼の犯人捜しへと発展するのでした」

 有馬はニヒルな笑みを浮かべて、長口上を締め括った。推理の批評を窺うかのように、安東達四人の表情を仔細に眺めててくる。手応えを随分と気にしている様子だ。

「…………なーんだ。結局のところ、外部犯ってオチかぁ。有馬くんも分かってたんなら早く言ってよ」

 綾乃はそう訴えつつも、すこぶる安堵した表情をして落ち着いていた。

「綾乃さんが直前まで窓の外を見ていたという情報を、僕は部長さんの説を聞くまで知りませんでしたからね」

「犯人も、女性だと思うけど男性の場合もありそう。歳も推測するしかないし、それに犯人の名前も分からない。なんだがパッとしない終わりね」

 それを聞いた有馬は悪戯な笑みで、

「実は、犯人の名だけなら、もしやと思う仮説があるんですよ」

「勿体ぶらずに聞かせてくれよ」

 安東は幾分和らいだ口調で催促した。

「僕は恋人の有無の話から、この推理を導きました。あのときの遠山の台詞を振り返ってみると、仲の良い人ならいると、口ごもりながら言ってましたね。「親しい人は、人がいます」と。そのときの僕は、遠山は恋愛にはからっきしな人間なのだと判断しましたが、ある思い違いに気付きました。我がミス研には美人姉妹がいて、それも顔立ちの異なった美形の姉妹であるにも関わらず、彼はそのどちらと話すときにも、特段気後れした様子は見せていませんでした」

 唐突な賛美に、雪乃は只々真剣な眼差しで、綾乃はやや婉然とした照れ顔だ。

「ならば、どういうことなのか。先ほどの推理と照らし合わせれば簡単ですね」

 有馬は自分のスマホを取り出して操作すると、

「成人していない僕が言うのも可笑しなことですが、知りたい情報を手軽に得られる便利な時代です」

 苗字検索のサイトを表示して、ある苗字を入力した。その結果を、安東達四人が見やすいように向きを変えテーブルに置いた。

「あ……」と声を漏らしたのは誰だったろうか。安東自身だったかもしれない。

 そこには、「人」と書いて「ひと」と読む苗字があった。非常に珍しい苗字だが、全国に数十人が暮らしているらしい情報が載せられている。

「えっ……なら、まさか、遠山くんがあの酒の席で言った台詞は、そういう人がいるっていう意味じゃなくって、しっかりと相手の姓を言ってたってこと!?」

 綾乃は目をぱちくりさせながら驚いた様子だ。

「珍しい苗字ですが、雪国の方にも十数名ほど居られるそうですね」

 有馬がちらりと、雪国育ちの寺田に目線を配った。それに気付いた寺田は思案顔になり、ややあって言うには、

「……そう言えば、俺の通っていた小学校に一人そんな名前のやつがいて、案の定と言うか、苗字でからかわれていたな。まあ、親族がそこの土地に根付いたそれなりの家柄だったから、いじめに発展することはなかったらしいけどな」

 有馬は笑みを深めた。

「予想以上の収穫ですよ、寺田さん。ネット情報だけの証拠では今一つ信憑性に欠けますからね……。ありがとうございます」

 有馬の感謝の言葉も、相変わらず受け取り方に戸惑う様子の寺田だった。

 有馬は細長い右腕をゆっくりと持ち上げると、

「さて、僕達を散々悩ませてきた犯人の正体は白日の下に晒されました。先ほどの推理と合わせると、つまり犯人は――」

 スマホ画面の人名に向かって指を突き付け、声高らかに宣言した。

「――人某さん、あなたということになります」

 沈黙の帳が降りる。

 五秒、十秒と経っただろうか。

 有馬は決めポーズを解くと、

「名指しをすることって、やっぱり探偵役の醍醐味だと思うんですよ。この場に犯人である人物がいないのは、やや興ざめな感じがしますけれどね」

 こんな体験は初めてなのだろう。喋り疲れた様子の有馬は、にへら顔で最後にそう言うと、ソファの背に深々ともたれ掛かりリラックスする態勢をとって眼を細めた。

 外部犯である推理の結論に対してだろうか、胸中は安堵の思いで溢れていて、張り詰めていた緊張が解れたように力が抜けている。

 綾乃も、ふーっと、長く息を吐いた。

「犯人が部員の中にいなくて……良かった。ほんとうに良かった」

 眼が僅かに潤んでいる。

「まさかお前、泣いてるのか?」

「寺田さんうるさい」

「はは、まあ良かったさ。でもな綾乃。議論で俺を何度も犯人呼ばわりしたことは、一生覚えておくからな」

 寺田も本気で言っているわけではなく、表情は柔らかい。

「別に過程なんてどーでもいいでしょ。それに部長さんが出してくれた外部犯説は、私が外の景色を見ていたから成り立ったものじゃない。寺田さんこそ、恩に着てよね」

「なんだと!」

 結論が出ても諍いが絶えないのか、と安東は苦笑した。――いや、外部犯という結論が出たとはいえ、先ほどの議論で安東達は、無為にお互いの心に古傷が残るほど糾弾し合ってしまった。その傷跡は今後のミス研活動に支障を来たす場合があるだろうし、完全な修復の未来はいつになるか分からない。それを見越して綾乃と寺田は、犬猿の仲というキャラを演じて、少しでも場を和らげようとしてくれているのかもしれない。そう考えると、やはりこのメンバーで良かったと、安東は幸福感に満たされる思いだった。兎にも角にも、最悪の結末を回避出来たことは、何にも勝る喜びだ。

 犯人は外部犯だった。それでいい。その結論で構わない。もう何も考えなくていい。殺人犯がペンションに戻って来た場合の備えをすればいいんだ。

 心の安寧を保ちたい反面、有馬が披露した推理に、安東は未だに僅かな引っ掛かりを覚えていた。先ほど有馬が言ったように、ミステリ小説でも動機を推理することは困難であると理解しているが、犯人がわざわざこのペンションで遠山殺害を実行した理由とは、一体どのようなものだったのだろうか。

「さてと、ちょいとトイレに行ってくるかな。それから念の為に見回りもしてくる。なあに、危ない目に遭ったら即座に悲鳴を上げてみせるさ。きゃーってな」

 おどける寺田に、有馬から声が飛ぶ。

「寺田さん、もう少しだけこの場にいてくれませんか?」

「なんだよ、トイレよりも大事だってのか」

「トイレよりも大事な話です」

 有馬の真剣味を帯びた視線に気圧されたように、寺田はドアの前で立ち止った。その横顔からも笑みが瞬く間に消える。

 安東が望むのは、このD大学のミス研が、叶うなら何十年も続いていくことだ。

 だから……、これから有馬の発する言葉、台詞の全ては、無かったことにしてしまいたかった。今後生涯にわたって、心の底に澱として残り続けるであろうこれからの展開を、全部、何もかも、意識の深淵に葬り去ってしまいたかった。

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