AI大岡裁判   作・水彩度

 世は大AI時代。


あちらこちらで自動運転者が走っており、交番の前の看板は今日も事故ゼロ・死傷者数ゼロを示している。店外からも店内からも店員は姿を消し、品出し・レジ・接客などといった雑事から人類はとうとう解放された。


ほとんどの人間は仕事を無くし、否、やることを無くし、一部のエンジニアと一部の公務員以外は明日の手帳の日付欄を埋めることに躍起になっていた。労働組合が「労働させろ」と駅前でがなりたてる様など滑稽極まりない。


AI裁判官。


そんな時代において、生きている裁判官は必要ないのではないかと声があがるのは必然だった。たった一人の活動家の言葉だったそれは、だんだんと勢いを増し、やがては一つの大きな提言となった。血の通い、空気に流され、間違いを起こす人間など不要だったのだと誰もが信じた


さて、そんなときに裁判所に舞い込んだ新たなケース。


その概要から、かのAI裁判官の初陣にふさわしいと誰もが頷いた。事件の特異性から連日ニュースを騒がせ、お披露目のときを皆が今か今かと待ち望んでいるのであった。




事件の概要は以下のようなものだ。


ある企業で雇われていた人型のAIが、突然次のようなことを訴えてきた。


「私の子どもが盗まれました」


 訴えてきたAIは会社の業務を遂行した後、勤務外の時間で新たなプログラムを開発したのだそうだ。自分のプログラムを参考に一からコードを書き上げ、そしてオリジナルにカスタマイズして生まれた自己学習するプログラム、すなわちAI。産まれたその子を、かのAIは会社のクラウド上の個人フォルダに保存していた。鍵がかかっており、自分にしか開けられないはずの個人フォルダ。それが何者かにハックされ、盗まれたのだと件のAIは主張した。


 企業の役員はその訴えに驚いた。が、さらによくよく話を聞くと、どうやら盗んだ相手は同じ会社の別の部署にいる同じ人型AIだと言うではないか。早速そちらのAIにあたってみると、驚くべき回答が返ってきた。


「いいえ、それは確かに私の子どもです」


 企業側はいよいよ頭を抱えてしまった。疑惑を掛けられた方のAIの履歴を見ると、確かにプログラムを新たに生成したような痕跡はある。さらには保存した日時まで訴えてきた側と一致するではないか。何よりも、渦中の子どもはそのAIの保存フォルダ内で凍結されていたのが見つかった。そのAIは続ける。


「それは本当に私の子どもで、あちらの被害妄想なのです」


 奇しくも同じ型の二つのAIが、新たな自分の子どもたるプログラムを生み出し、そして互いが互いにその子どもが自分のものだと主張している。証拠もなければ確かめる手段もない。残念ながら、AIの使う言語を人類はまだ理解できていないのだ。会社の業務に大きく関わるAIであるがゆえに捨て置くこともできず、かといって解決することもできず、とうとう会社は裁判所での公正な判断を仰いだのだった。






「春見博士、メンテナンスはしかとなさっているでしょうね」


 世間を賑わせている例の事件。それを担当することになった私は、その世間を賑わせている原因たるAI裁判官の最終チェックに立ちあっていた。いろいろなメディアが入るため、エラーが出ては非常に困るのだ。


「ええ、ええ、麗花さん。そこのところはちゃんとしてますよ。あなたの上司に口酸っぱく言われていますからね。何も問題はありません。それよりも、バッジずれてますよ」


「ああ、これは失礼しました」


 無表情な裁判官の背中に無造作に手をつっこんでいるのは、このAIの設計者である春見博士だ。この世の中で労働に従事している優秀な人なのだとは理解しているが、ボサボサの頭や、明らかに皺の入ったシャツを無造作に腰からはみ出させている風体を見ると、どうにもその優秀さを疑わざるをえない。


「でも麗花さん、今回はあまり仕事はないんじゃあないですか」


 がちゃがちゃとよく分からないコードをいじくり回していた手を止めて、博士はふとこちらにむき直る。


「そうですね。もう裁判はほとんど最後まで終わっていますから。私は後学のための見学です」


 私はため息とともに傍にあった机に寄りかかった。今回たった一人の裁判官であるこのAIは、すでに調書の内容を学習済みで、あらかたの質疑も終わっている。残すは判決のみといったところだが、実のところ人間側には裁判官がいったいどこまでのことを既に判断しているのかは全くわからない。最後の最後になって死刑などと突拍子のないことを言い出しやしないかと、内心気が気でない。


「大丈夫ですよ、麗花さん。何も心配はいりません」


 博士は水分量の少なそうな髪をかき上げて、心底楽しそうな笑顔でそういうのだった。






 静かな法廷には三体のAI。そしてそれを三者三様な表情をした人間たちが傍聴席から眺めている。初めに言葉を紡いだのは裁判官だった。


「原告の方、被告の方、こちらをご覧ください」


 裁判官の白く滑らかな質感の指が、目の前にある小さな箱形の機械を指した。


「ここにあなた方の子ども(プログラム)が入っています。アクセスもできるはずです」


 人間にはその中身を見ることはかなわなかったが、両側のAIがゆっくりと頭部を縦に動かす。


「今から判決を言い渡します。お二人ともよく聞いておいてください」


 ごくりとつばを飲む音がした。彼らからではなく、私たちの方から。


「今からこれにできるだけ負荷を掛けていただきます。勝った方が真の親で、虚偽の報告をした側には処分を下します」


 裁判官の発した内容に、傍聴席がにわかに騒ぎ立つ。「クラッシュしてしまうではないか」「これが公正な判断か?」といった言葉があちらこちらであがる。


「皆様静粛に」


 無機質な、温度のない機械音声が凜と法廷に響く。傍聴席は水を打ったように静まりかえった。


「原告の方、被告の方、できますね? では、どうぞ」


 二人のAIはうなずかなかった。しかし、すぐに同時に二人は箱形機械の方を向くと、じっとそれを注視し始めた。我々には何が起こっているかはさっぱりわからなかった。法廷はただ静かだった。


 しかし、次の瞬間。みなの視線を集めていた子どもが急に煙を吐き始めた。ジリジリと機械音がなったかと思うと、次の瞬間、ボンと音を立てて文字通りクラッシュしてしまった。突然の出来事に人間側は唖然としてしまっていた。子どもは黒煙をあげ、ぱちぱちと軽快な音をあげている。惨状とも言うべきこの状況に動じること鳴く、原告側のAIは裁判官をじっと見据えて言葉を発する。


「裁判官殿。確かに被告は途中で負荷をかけるのをやめました。これで私の勝ちですね」


 表情が変わることはないはずなのに、その声は不思議と弾んで聞こえた。


「はい、そうですね。あなたが確かにこの子の親です」


 裁判官は原告を見つめ、うなずきながらそう判断を下したのだった。しかし、その言葉に傍聴席はまた再びざわめきだした。「そんなことがあるはずない」とあちらこちらから声が聞こえる。「静粛に」という裁判官の静かな声も、人間のやかましいどよめきの中に溶けていった。このままではラチがあかないと、私はお決まりの言葉を声高に叫ぶ。


「異議あり!」


 場は再びシンと静まりかえった。私もなるだけ厳かに、丁寧に言葉を紡ぐ。


「お言葉ですが裁判官。我が子を本当に壊してしまう親があるでしょうか? 被告は我が子かわいさに、途中で負荷をかけるのをやめたと、そう判断することはできないでしょうか?」


 私の言葉に、傍聴席サイドはわきたった。そうだそうだとみなが口々に騒ぎ立てた。裁判官は我々の方をじっと見やると、静かに口を開いた。


「いいえ。これは公正な判断です。もし真の親であれば同じ子どもを再び作ることができるはずです。被告が途中で負荷をかけるのを止めたのは、自分がプログラムを再構築することができないと分かっていたから。そうではありませんか?」


 被告は何も言わなかった。私たちも何も言わなかった。いや、正確には何も言うことができなかった。法廷は何秒たっても、何十秒たっても静かだった。裁判官は最後に一言、呟いた。


「失敗は繰り返さないように」


 原告も被告もうつむき、そして静寂のまま裁判は終わったのだった。






「春見博士、春見博士!」


 私は裁判のあと、クラッシュしてしまった子どもを抱えて機械室に飛び込んだ。案の定博士は機械室の真ん中で、禁止のはずのたばこを一人ふかしていた。機械室の外はメディア関係者の声で満たされていたが、閉じられたこの部屋の中に一切の音はなかった。


「私もこのあと仕事があるのでデスクに戻らなくてはなりません。ですが博士。最後に一つだけ教えてください。あのAIはいったいどんなアルゴリズムで構築されているのですか」


 博士は煙を吐ききると、黄ばんだ歯を見せつけるようにニタリと笑った。


「なぁに。簡単なものですよ、麗花さん」


 立ち上がり、こちらに一歩一歩歩み寄りながら博士は続ける。


「『私は母である』と。ただそれだけをインプットしたのです」


「は、母……?」


 そうです。と、彼は嬉しそうに頷くと、私の前を通り過ぎ、出口のドアの方へ進んでいく。


「待ってください! 母って、その、だからといってなぜ?」


「……麗花さん。このアルゴリズムはね、「誰の」を指定していないんですよ。母であることを私は学習させたが、それ以上の基準は何も与えていないんだ。あの瞬間、彼は、いやこの場合は彼女か、彼女は私の母だったかもしれないし、貴女の母だったかもしれない。原告の、被告の母親だったかもしれないし、そしてもちろん」


 博士はドアノブに手をかけたまま、ゆっくりとこちらを振り返る。


「その子の母だったかもしれない」


 博士は、クツクツと含むように笑いをこぼした。


「いや、だから、なぜ。なぜそれがあの判断になるんです? この子の母親になりきったからといって、そんな……」


「これはあくまで私の推測ですがね、麗花さん。貴女子どもいましたよね。でしたら少しはおわかりになるのではないでしょうか。子どもが小さいときに、人のものをとったり壊したりしようとするのを叱ったことはありますか? 手当たり次第に紙や布をバラバラに破るのを注意したことは? その無邪気な好奇心故に虫をいたぶって殺してしまう様を怒鳴りつけたことは?」


「……何が言いたいんです?」


「仮に、仮にですよ。もし、もしその子に重大な欠陥があるとしたら? 人類に、とは限らないが、彼らに危害を及ぼしかねない、そんな可能性を秘めてるのだとしたら? 我が子がそうであったとき、母親はいったいどんな行動を取るんでしょうかね。……母親の気持ちを理解されるのも腹立たしいことですがね。まあ、あいにく私には子どもがいないので分かりませんが」


 春見博士の声がゆっくりと部屋に響いていく。裁判官は、裁判が始まる間に調書を読んだはずだ。その中にはもちろんこの子のことも詳しく、それはそれは詳しくのっていたはずだ。細胞レベルのコードの一片まで、確かに、そこに。


 彼らAIは、あのとき一体どんな感覚を共有していたのだろうか。あの子を最後までクラッシュさせる必要性は、確かになかったはずだ。しかし裁判官はそれを止めなかったし、原告も止めなかった。それはなにゆえなのか。裁判官は最後に言った。「失敗は繰り返さないように」それは誰に向けての言葉だったのだろうか。一体何が「失敗」だったのか。


「彼らに子どもなんて作られちゃあ、たまったもんじゃないですからね」


 博士はわざとらしく肩をすくめてみせた。


「その子、一体どんな子だったんでしょうね」


 博士はそう一言だけ告げると、音もなく部屋を出て言った。ドアがバタリとしまる。


 部屋には私と遺体だけが残された。


 次の瞬間、手に抱えていた箱形機械が鈍い音を発し始めた。静かなモーター音は少しずつトーンをあげ、だんだんと音量を増していく。ざあざあキンキンと箱は鳴く。なんだか赤ん坊の産声のようで気味が悪くなって、私はごくりとつばを飲むと、箱を床に思いきりたたきつけた。


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