別に羨ましくなんかない

 冬馬は実家を離れて社会人をしている姉である羚夏れいかと二人暮らしている。実家から今いる高校に通うよりも睡眠時間が伸びるという理由でだが、もちろん冬馬はタダで住まわせてもらっている訳ではない。仕事で疲れている姉の代わりに家事はもちろんのこと、デスクワークで凝った肩や腰などを毎日マッサージをしている。全ては住まわせてもらっている姉のため。


 が、本当は人目もはばからずイチャイチャする両親に挟まれるのが恥ずかしいだけなのである。そのうち弟か妹ができるのでは? と思ってしまうほど、夜もイチャイチャしているのである。

 もちろん、仲が悪いよりはいいのだが、思春期の冬馬からすれば毎晩隣からギシギシアンアン聞こえるのは耐えられないものであったのだ。


  休日のある日。洗濯と掃除、学校の課題を済ませた冬馬は2LDK造りのリビングソファーに座りテレビをぼんやりと眺めていた。いや、ぼんやりではない。静かに血の涙を流していた。

 画面右上には『クリスマス直前!! カップル♡インタビュー』の文字。女性タレントがマイク片手に、トナカイのツノを生やしはしゃいでいる恋人達に質問を繰り返している。それに答えているカップルは恥ずかしそうにしているが幸せそうに笑っている。


(よく人前でできるよな)


 と心中で吐き捨てる冬馬だが、その手には何故かトナカイのツノを模した被り物が握られていた。羚夏が職場で被っているものである。少し前から仮装して仕事をするようになったらしい。独身女社長の八つ当たりだから疲れるとこぼしていたのを思い出す。

 冬馬は手にある可愛らしいツノを見下ろす。


(…………別に羨ましいとか思ってないし)


 そう思いながらも冬馬の手は徐々に上昇していき、少し位置を調整してから冬馬は手を下ろした。


 冬馬の頭に、可愛らしいトナカイのツノが生えていた。指で突きながら冬馬の頰は少しづつ赤くなっていく。意外に恥ずかしいのであった。

 しかし、これを想い亜夜香と一緒につけた時のことを冬馬は想像した。


 意味のないifの話である。脳内に現れた艶やかな黒髪から生えた可愛らしいツノ。白い頰をわずかに上気させ、恥ずかしそうに冬馬へはにかむ姿はまさに


(天使かよ……)


 思わず頰がだらけてしまうほど、冬馬は妄想上の亜夜香に見惚れていた。自分以外にも住人がいることを忘れるどころか、同居人が発する物音にも気づかないほど。


「……何やってんのふゆ」

「!?!!!」


 そんな声が聞こえた瞬間、冬馬は目にも留まらぬ速さで頭のツノを外し元の場所へ戻した。そして何食わぬ顔で口を開く。


「やっと起きたレイ姉。もうお昼だけど朝ご飯と兼用にするか?」

「何事もなかったかのようにしてるけど、トナカイなふゆをバッチリ見たからね。あと、普通にお昼でいいよ。面倒でしょ?」

「……なら早く顔洗ってこい。寝癖すごいことになってるぞ」

「後でふゆが直してくれるから大丈夫〜〜」


 そう言って同居人の羚香は寝癖を揺らしながら洗面所へ消えていった。その間に冬馬はオムライスと、体があったまるようにコーンスープを用意しながら羞恥で荒ぶる心を落ち着かせようと試みるのであった。


 しばらくして寝巻きから部屋着に着替えた羚香が帰ってきた。寝癖はやはりそのままである。いつにも増して酷いような? と冬馬はこたつに潜り船を漕ぎ始めた姉眺めながら、オムライスとコーンスープを机に置いた。パチッと目を開く羚香。両手でマグカップを持ちフーフーと冷ましたのち一口含んだ。途端にヘニャリと顔を緩ませる。

 それを眺めながら冬馬もこたつに潜りオムライスを口に運んで咀嚼する。羚香が口を開いた。


「で? トナカイになった気分はどうだった?」

「っぐ! ゴホッ」


 思わずむせる冬馬を見る羚香の顔はいたずらが成功した子供のようにニヤニヤしていた。

 落ち着いた頃に冬馬は羚香を睨んだ。羚香は何食わぬ顔である。


「恥ずかしさと虚しさだけだったよ。世の中のカップルはよく人前でできるなと感心した」

「そりゃ一人でするからでしょ。あーゆーのは大好きな人と一緒にするからこそ楽しいものなんだから」

「……さすがレイ姉。経験値が違う。相手は話してた秀嗣ひでつぐさんかな?」


 反撃とばかりに冬馬は手札を切った。羚香は冬馬の家族贔屓を抜きにしても美人と言える。しかも大学卒業してすぐに今の大手企業に就職し、わずか入社三年目で成績トップの羚香に言いよる男性は数知れない。


 その全てを断っている羚香。無論、冬馬はその理由を知っている。羚香にはすでに想い人がいることを。その想い人と言うのが『秀嗣さん』である。

 羚香の動揺を誘い、少しは優位を取ろうとした言葉であったが、羚香は何も言わない。それどころか身体を震わせ涙ぐんでいる。


「ああ〜………気づいてあげられなくてごめんレイ姉。話聞くよ?」


 羚香のこの反応と今日のあまりにだらしなさでなんとなく察した冬馬。なら弟としてすべきことはそばに寄り添うことであると、冬馬は食べる手を止め優しく羚香の頭を撫でた。冬馬が撫でるごとに羚香は鼻をすする音が大きくなっていった。

 そして、目を赤く腫らした羚香は口を開いた。


「秀嗣さんに…………彼女ができたの」

「……そっか」


 "そっか" こんな言葉しか出てこない自分が冬馬は悔しかった。自分は恋をしているが、失恋はこのかたしたことがなかった。だから、今の羚香の気持ちに寄り添うことができなかった。

 だから、冬馬は自分にできることをしようと、羚香に優しく言った。


「今日はレイ姉の大好きなビーフシチューにしよっか。ちょうどクリスマス近いし」

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