第16話 中の人、ハチミツ酒試飲会を開く

 ぬくぬくと温かい寝具に包まれて眠るのは、何日ぶりだろう。

 確か昨日は、はちみつ酒を仕込んでいると新人メイドが酒蔵に入ってきて、真夜中からシャーロットお嬢様に呼び出された。

 まぁいい、さぁ、今日も酒の仕込みを頑張るか。

 意識の覚醒したジェームズが目を開くと、白いレースの天蓋が見えて、周囲には赤や黄色の花々が咲き乱れている。


「えっ、俺は酒蔵で寝ていたはずなのに、花が咲いて……ここは天国か。まさか豊穣の女神様がお向かいに来た?」

「なに寝ぼけているのです、ジェームズ。目が覚めたなら、さっさとベッドから降りなさい」


 聞き覚えのある女の声にジェームズは身体を起こすと、手触りの良いピンクのシーツに包まれて、天蓋つきベッドに寝ていた。

 たっぷり睡眠をとってスッキリした頭で、ジェームズは寝る前の出来事を思い出す。


「ああそうだ、シャーロットお嬢様がハチミツ酒を飲みたがって、それを断ったら意地悪と言われたショックで気が遠くなった。それじゃあここは、シャーロットお嬢様のベッドの中!」

「そのまさかです、ジェームズ。貴方はシャーロット様の部屋で倒れて、そのまま眠ってしまいました」


 ベッドの側で腕組みしながら立つエレナと、後ろで微笑むシャーロット(中の人)。

 ひいっ、と短い悲鳴を上げたジェームズは、ベッドから転げ落ちるとそのまま床にひれ伏す。


「シャーロットお嬢様申し訳ございません。まさかお嬢様のベッドで介抱されるなんて。俺は何時間ぐらい寝ていたのですか?」

『やっと目を覚ましたのね、ジェームズ。ジェームズは昨日の夜に倒れて一日中寝ていたわ。エレナが何度も起こしたし、マーガレット先生が抱えて揺さぶっても全然目を覚まさなかったの』

「それじゃあ今日は酒を仕込んで四日目の夜!! 酒は、酒は大丈夫か?」


 叫びながら立ち上がったジェームズの前に、エレナが立ちふさがる。


「酒ならの手入れなら、新入りコックが見ています。それよりもジェームズ、使用人の執事が伯爵家令嬢シャーロット様のベッドを私物化して、口だけの謝罪で済ますつもり」

「そ、それは本当に、申し訳ありません」


 実はジェームズが寝ている間、枕元で庭師ムアが眠気を誘う香りの花を飾ったり、マーガレットが子守歌を歌って熟睡させていた。


『ジェームズがハチミツのお酒を飲ませてくれたら、シャーロットのベットで寝たことはお父様とお母様に言わない』

「俺は倒れたところまでの記憶しかありません。知らないうちにベッドに寝かされていました」

『女の子のベッドで寝ちゃうなんて、ジェームズはそんな趣味があるのね。今日のことは秘密にしてあげるから、そのお礼にハチミツのお酒が飲みたいな』


 毒のある言葉を告げるシャーロットの中の人に、執事ジェームズは折れる。


「わ、わかりました、シャーロットお嬢様。ひとくち味見するだけですよ」


 ふたりのやりとりを聞いていたエレナが、シャーロット(中の人)に小声で「お見事です」と呟いた。


「まだはちみつを仕込んで四日目で、酒になっていないけど、それでもいいですね」


 昨日より顔色の良くなった執事ジェームズが、諦めた口調で話しながら、ハチミツ酒の壺をテーブルに乗せる。

 シャーロットの中の人は瞳を輝かせながら壺を見つめていると、エレナがグラスを四個並べた。


「シャーロットお嬢様にハチミツ酒を飲ませるだけなので、どうして四個もグラスが……」


 ジェームズが首をかしげていると突然子供部屋の扉が音を立てて開き、筋骨隆々の巨漢、家庭教師マーガレットと庭師ムアが入ってきた。


「あーん、ジェームズちゃん。やっと目を覚ましたのねぇ」


 野太いオネエ声と同時に、ジェームズはマーガレットに力一杯抱きしめられた。


「ひ、ひぃ、どうしてマーク様がこんな深夜にいらっしゃるのですか? それに庭師のお前も、なぜシャーロットお嬢様の部屋にいる」 

「もう、ジェームズちゃんったら、あたしのことはマーガレットって呼んでちょうだい。それからシャーロット様、ハチミツ酒試飲会へのご招待、ありがとうございます」

『マーガレット先生もじいさんも、深夜に呼び出してごめんなさい。ねぇジェームズ、この試飲会はお母様に内緒よ』


 ここでジェームズは、自分がはめられたと気付く。

 最近家庭教師のマーク男爵が、メアリー夫人にシャーロットお嬢様のことを意見したことは知っていたが、まさかここまで打ち解けた関係だったとは。

 庭師ムアは、生きた花は枯れないと奇妙なことを言って、シャーロットお嬢様の部屋に花を飾りだす。

 そしてほぼ住み込み状態で、朝から晩までシャーロットお嬢様の側を離れない野蛮な新入りメイドのエレナ。

 使用人達の間で噂になっている、シャーロットお嬢様付きの奇人老人野蛮人のメンツに自分が加えられたと気付き、ジェームズはガックリ肩を落とす。


『ちょっと待て、エレナ。人数は五人なのに、グラスは四個しかないぞ、一人分足りない』

「シャーロット様はまだお酒を飲める年齢ではないので、スプーンでひとくち味見だけです」  

『エレナはあの言葉を本気で信じたのか。旨そうな酒が目の前にあるのに、ひとくち舐めて我慢しろなんて酷い!!』


 シャーロット(中の人)が駄々をこねても、エレナは完全無視してテーブルの上に置いた黒い壺の蓋を取る。


「それではジェームズ、壺の中身を確認してから、ハチミツ酒をグラスに注いでください」

「四日目のハチミツ酒なんて甘いだけで……なんだこれは。酒の小さな泡が消えて強いアルコールの香りがする。たった四日でハチミツ酒が出来た?」


 ジェームズは酒の状態を何度も確認して、信じられないと呟きながらグラスに注ぐと、味を確認しようとして我に返る。

 グラスを握る手が震えるジェームズを、メイドのエレナはさも当然という表情で見ていた。


「ではシャーロット様、せっかくのお酒ですから乾杯の合図をお願いします」

『僕は一匙なのに……それでは最愛なるシャロちゃんのために、ジェームズが作ってくれたハチミツ酒の試飲会を始めます。カンパーイ!!』


 巨漢のマーガレットは乾杯とグラスを高々と掲げると、まるでショットグラスみたいにハチミツ酒を一気飲みする。

 マーガレットたちの側で、僕はエレナのグラスからハチミツ酒を一匙すくって口に運ぶ。

 金色の美しい酒は、ハチミツの甘くて強いアルコールの香り。


『えっ、確かハチミツ酒はアルコール度数10度あるのに、サラサラした喉ごしで飲みやす過ぎる』 


 ハチミツと水とアルコール酵母で作られる酒は、花の種類によってハチミツの味にクセがあるのに、甘いけどクドくなくて、これまで飲んだことの無い独特の風味だった。

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