第14話 シャーロットと甘い花の蜜

 甘い香り、優しい香り、鮮やかな香り。

 シャーロットは、まるで春を通り越して夏が訪れたみたいに、色鮮やかな花に囲まれて目覚める。 

 庭師ムアが沢山の植木鉢を持ち込んだおかげで、子供部屋は花が咲き乱れ、熱帯植物園状態になっていた。


「これはいったい何が起こったの。お花がこんなにたくさん」

「おはようございますシャーロット様。ああ、美しい花に囲まれたシャーロット様は、可愛らしい妖精のようです」

「エレナ、早く花を外に出して。私の側に置いたら全部枯れてしまうわ」


 うっとりと花を眺めていたシャーロットは、我にかえると慌ててエレナに命じた。

 この数日間、子供部屋に持ち込んだ花は全て枯れてしまったのだ。


「シャーロット様、こちらをご覧ください。ほら、琥珀あじさいの蕾がいっせいに開きますよ」


 エレナは暖炉の側に置かれた鉢植えに水をやりながら、シャーロットに声をかけた。

 シャーロットは不思議に思いながらも、ベッドから降りてエレナの側に来る。

 すると沢山の蕾が密集した手のひらサイズの琥珀あじさいが、シャーロットの目の前で次々と花開く。


「どうして、私がいたら蕾のまま枯れるのに、琥珀あじさいの花が咲いている」

「シャーロット様、土に植えた植物は、ちゃんと花を咲かせることが分かりました」

「でもエレナ、テーブルの鉢植えは花びらが散って、もうすぐ枯れてしまう」


 テーブルの上に置かれた鉢植えは庭師が最初に持ってきた大輪の花で、バサバサと音を立てて淡いピンクの花びらを散らしていた。

 それを悲しそうに見つめるシャーロットに、エレナは微笑みながら散った花びらを集める。


「シャーロット様、葉っぱの裏側から小さな蕾が出ていますよ。この花びらはとても香りが良いので、お風呂の湯船に浮かべましょう」

「お花は一度咲いたら枯れて終わりじゃないの。小さな蕾が大きな花になるの?」


 屋敷に軟禁状態で外に出るのも数えるほどだったシャーロットは、植物の知識がほとんどない。

 エレナは部屋を見渡して、細長い葉っぱの先に咲く黄色い花を見つけると、まぁ、と声をあげて駆け寄った。 


「シャーロット様、この黄色い花の蜜はとても甘くて、子供の頃よくちぎって蜜を吸いました」


 そう話しながらエレナが花をむしり取って口に咥えるので、シャーロットは目を丸くする。


「花の蜜が滴るくらいたっぷりで甘くて美味しいわ。シャーロット様も、蜜を吸ってみますか」

「ダメよエレナ。せっかく咲いている花をちぎったら……本当に甘いの?」


 花を咥えながら大げさに甘い甘いというエレナに、シャーロットは好奇心を隠しきれない。

 エレナは黄色い花をちぎってシャーロットの口先まで持ってくると、それを恐る恐る咥えてみた。



「ぱくんっ、あっ、本当に花が甘くて美味しい。それにふわりと爽やかな香りがする」

「ふふっ、このお花を摘んでハーブティにしましょう」

「それなら私がお花を摘むから、エレナはお湯を沸かしてて」


 色とりどりの花に囲まれながら、子供らしく楽しそうに微笑むシャーロット。

 この笑顔を守りたい、とエレナは切実に思った。



 そして昼のダンスレッスン。

 鉢植えだらけで足の踏み場もなくなった子供部屋を見たマーガレットが動いた。


「伯爵夫人に交渉してきたわ。シャーロット様の部屋が道具だらけで散らかって足の踏み場もなくて、ダンスレッスンできないと言ったの」

「あなたはなんて事を。それでは奥様を怒らせてしまいます」


 味方と信じていたマーガレットが伯爵夫人に告げ口をするなんて、エレナは怒りで声を震わせる。

 しかしマーガレットは涼しい顔で、ショッキングピンクのスカートのポケットから小さな鍵を取り出す。


「アタシがしつこくシャーロット様の話をするから、夫人は嫌がって、屋敷北側の五階を自由に使えと許しが出たわ」

「えっ、シャーロット様を子供部屋から出ても良いのですか?」

「オホホッ、子供部屋の様子を見ようともしない、アノ女は母親失格ね。隣の部屋にピアノが置かれているの。鍵を預かってきたから、そこでダンスレッスンしましょう」

「マーガレット先生は私のために、お母様に意見してくれたんですね」

「だってぇ、アタシの可愛い弟子の晴れ舞台、少しは協力したいわ」


 こうしてマーガレットことマーク・ルイス男爵の交渉力で、シャーロットは子供部屋軟禁から屋敷の五階を動き回れるようになる。 



 *



『これだけ見事に花を育てられるムアじいさんは、緑の手(グリーンハンド)の持ち主かもしれない』


 誕生日まで残り二週間。

 深夜の作戦会議、僕はベットの天蓋に這うツタを眺めながら呟いた。


「そうですね、シャーロット様も花を嬉しそうに愛でています」

『僕のシャロちゃんは花より美しいから。ところでエレナ、トド母の様子はどうだ?』


 中の人がたずねると、エレナはしばらく押し黙り、そしてため息交じりに答えた。


「奥様は大広間を改装して半分から硝子の扉で区切り、神官を呼び寄せてシャーロット様の《老化・腐敗》呪いを封じ込める結界を張るそうです」

『硝子の扉にシャロちゃんを押し込めて、自分たちは反対側から見物するつもりか』

「それから盗まれたワインを調達する資金がないと、執事が嘆いています」

『えっ、シャロちゃんの十才の誕生日に酒は必要ないだろ?』


 中の人が答えると、エレナは驚いた顔で見返した。


「大切な十才の誕生日は、豊穣の女神様が定めた、初めてお酒の飲める記念日です」

『飲酒は二十になってから。じゃないのか!』

「来賓の方々は食事よりも、クレイグ伯爵家が交易で世界中から集めた珍しい酒を楽しみにしています」


 そうか、ここは中世西洋もどき異世界。

 あちらの世界でもドイツは十六才から飲酒OKだし、ロシアは十年前までビールはアルコールじゃなかった。


『でもどうして裕福な伯爵家が、酒を買う金も無いんだ?』

「実は……奥様が旦那様に内緒でお誕生会用の予算を半分以上使い、王都で一番人気の仕立屋と宝石商に、シルビア様と自分のドレスやアクセサリーを注文したそうです」

『聖女候補シルビアのドレスなら分かるけど、トド母は自分のドレスも作らせたのか』

「お誕生日の酒担当を任された執事のジェームズは、半泣きになりながら大量のハチミツ酒を仕込んでいます」


 執事ジェームズは、シャーロットに本を持って来るついでに、聖教会の説法を語る少し面倒くさいヤツだけど、最近は目の下に黒々とくまが浮き出て、説法の滑舌も悪い。 


『シャロちゃんが舐めた花のハチミツ酒なら、とても旨そうだ。そういえばガウンのポケットに、ワインを一本隠してある』


 十才の誕生日に酒が飲めると考えただけで、中の人の喉はゴクリと鳴った。

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