イヌコロ――
春海水亭
ある殺し屋の話(前編)
◇
殺し屋はツイッターをやらない。
フェイスブックもそうだし、ホームページも持っていない。
インターネットに書き込むべきでないことというものは山程あって、
金次第で人を殺します、などというのは最も書き込むべきでない言葉だ。
勿論、金次第で人を殺してくれる人を探していますという言葉も。
「まぁ、私はやってますけどね、インスタグラム」
だから、淀浦がようやく探し当てた織田と名乗った仲介屋に対して
不安を覚えたのはしょうがないだろう。
殺し屋もそうだが、殺し屋を仲介する人間にだって情報倫理を求めたいのだ。
待ち合わせ場所が大衆居酒屋の個室であることや、
織田を名乗る女が既に何杯も大ジョッキの生ビールを飲み干していたこと、
「好きなものを注文して下さい」と言いながら、
結局は全部織田自身で食べてしまうことも淀浦の不安に拍車をかけた。
織田の香水が放つ甘ったるい匂いさえも不安材料の一つだった。
「アハハ、アイスブレイクって奴ですよ。
やっぱこういう話って緊張しますから、世間話から入るんです。
やってます?インスタ?」
「いや……やってないですね」
淀浦の不安をよそに、織田はおおらかに笑っている。
「やったほうがいいですよ」とか「私はラーメンの写真を撮るのが好きで」とか、
織田はにこやかに言葉を続けているが、淀浦の不安感はただただ増すだけだ。
目の前の女は信頼だとか信用だとか、そのような言葉の正反対の位置にいる。
淀浦はこの時点で席を立ってしまうかどうか真剣に悩み、続けることにした。
「あー、じゃあ合コンで使える殺し屋あるあるとかどうです?」
「ご、合コンで使える殺し屋あるある!?」
合コンと殺し屋あるある、それらが噛み合う部分を淀浦は一切感じなかった。
「殺し屋あるある~!信頼できる殺し屋は~!
犬とか猫とか、人間以外の動物殺すの嫌がりがち~!いぇい!あと子供!」
「え?は?それは?どういう?」
「殺人嗜好者ってのは、人間を殺すまでに小動物で段階を踏みます。
まぁ、弱いものを殺してどんどんエスカレートしてくんですね。
だからそういうのを殺すのに慣れてるし、そういう倫理観もありません。
まぁ、そりゃあ……仕事なら楽しんだほうが良い!って言いますけど、
火が好きな消防員とか、暴力が好きな警察官みたいなもんですよ。
依頼するなら……殺しが好きな人間じゃなくて、
殺しが得意な人間の方が良いですよねぇ……
殺す前に相手にたっぷり恐怖を味あわせてやる!
なんて趣味に走られたら最悪ですもん!大体失敗しますよ!
だから、動物子供はイヤなんだよなぁ……
ぐらいに思ってる殺し屋のほうが信頼できるんです」
「……へ、へぇ」
「じゃあ……殺し屋あるある2!
ターゲットの体内に仕込んだ発信機、スタンガンで破壊しがち!」
少なくとも、それが合コンで使える類の会話のネタで無いことだけは確かだった。
淀浦の視線が泳ぐ。
「あぁ、安心して下さい。この店に監視カメラなんてものはありませんから。
殺し屋トークをしても大丈夫ですって」
にこやかに笑う織田は、淀浦の意識するところには気づいていないようだった。
「素面じゃあね、言いづらいことってありますよね」
顔を赤く染めて、織田が言った。
淀浦は素面だ。彼の注文した酒は全て織田の体内に流し込まれた。
淀浦が自分の頼んだカルーアミルクに、さらに砂糖を山盛りに入れても、
やはり織田は飲み干してしまうのだから、
最早人の酒を飲むのが生きがいであるとしか思えない。
彼女の目は淀浦の方を見ているのか、
あるいは、その後ろの薄汚れた壁を見ているのか、微妙なところだ。
まだ、グーグルで殺し屋を探した方がマシなのではないかと、淀浦は思った。
「……同僚を殺してほしいんですが」
ドブや大便器の中に手を突っ込むような勇気を出して、淀浦が言った。
それは、初めに淀浦が想像していたような勇気ではなかった。
「同僚ですか?」
「はい、まぁ……その……生きていると僕にとって不都合ですので」
「そりゃ、生きていて都合が良い人間を殺してほしいだなんて言わないでしょうね」
ウイスキーグラスの中に残った氷を口に流し込み、織田はガリガリと噛み砕いた。
居酒屋の喧騒の中で、淀浦にはその音がやけにうるさく聞こえた。
「そいつは僕にとって不都合なことを知っていて……」
「ああ、聞きませんよ」
織田は手を伸ばして、淀浦の言葉を制する。
「余計なことは聞かない、殺す対象と報酬、それだけが我々の知るべきことです」
獣が獲物を食らう時、その生を省みることなどはしない。
ただ生きるために食らうのだ。
それと同じ、他者を殺して生きる者の証左を、淀浦は織田の目の中に見た。
自身の顔が映らぬほどの黒い闇である。
暖房はしっかりと効いていて、薄着というわけでもない。
それでも淀浦はぶるると寒さに震えるようであった。
「さて……では」
織田が話を続けようとした、その時である。
ぴよらぴよらという奇妙な電子音がした。
「失礼、私のスマホからです」
デフォルメしたライオンのカバーがされたスマホを織田が取り出し、
何事か熱心に操作している。
指の動きから、文字を打っているというわけではないことは淀浦には理解できた。
「あの……何を?」
それが聞いていいことであるのかはわからない、
殺し屋の何かしらのサインであるのかもしれない。
だが、聞くべきでないことならば答えることもしないだろう。
淀浦はそう判断し、尋ねた。
もしも殺し屋との通信であるのならば、自分に関係がないというわけにもいかない。
「ああ、育成ゲームです」
電子ペットとも言いますがね、と織田は続け、
自身のスマートフォンの画面を淀浦に見せつけた。
画面ではディフォルメされた二頭身のモンスターが、何かしらの食事を食べている。
「そ、その、ゲームって……何で……?」
「今日日大体のものは小さく高性能になるか、スマホで再現できてしまう時代です。
そう、このソダテールもそうです。
最初は専用端末を必要としましたが……今となってはスマホで簡単に。」
「僕はそういう意味で何でと聞いたわけではなく、
一応仕事中なのに何故ゲームを?という意味です。」
「とってもゲームが好きなんです。
特にソダテールはちゃんとした時間に餌、トイレ、スマホ充電をやらないと、
容赦なくモンスターが死ぬゲームですからね。
私は全社会人が時間を守れるようにソダテールを義務化したいですよ」
「そ、そうですか……」
淀浦はこれ以上、織田に何かしらを尋ねることを恐れた。
泥舟であろうとも、乗りかかった船である。
沈む前に向こう岸に着くことを祈るほかない。
「では、仕事の話をしましょうか。
ターゲットの資料、あと持ち物なんかあれば……」
甘ったるい香水の香り、酔っぱらいのはしゃぐ声、
ぐらぐらと揺れる積み重なった無数の空き皿、
目の前の織田の笑顔、そして、彼女の放った言葉。
「ちなみにスマホ充電の予定が入っているので、
2時間以内におうちに帰れるように打ち合わせを終わらせたいと思います」
その全てが淀浦を不安にさせた。
◇
殺し屋を探すことに比べれば、大体の探しものは簡単である。
勿論、例外もある。
都心にあるペット可の新築マンションで、
殺しの仕事がしばらく入ってこなくても、払いきれる範囲の家賃である住居、
それを探すのは、仲介屋の織田と言えども難しいことであった。
「あぁー!やっば、やっば!」
玄関のドアを開き、織田は家の中に駆け込んだ。
目的はベッドではなく、トイレである。
洋式便器の中央を見つめ、飲みすぎの代償を支払った。
洋式便器の中央で吐瀉物が僅かにキラリと光る。
床に吐き出してしまえば、掃除が大変になることになる。
だが、織田も慣れたものである。
酒の量を調整することではなく、吐き出す場所を完全に刻み込んでいるのだ。
禁酒の誓いは何度も破られたが、嘔吐場所に関しては吐く度に正確さを増している。
「ふぁー、ヤバかったぁ」
織田は鯨飲のツケを払い終えると、
キッチンに向かい浄水器を通した水道水をコップに注ぎ、2杯、3杯と飲んだ。
飲みながら考える、冷蔵庫の中にビールの貯蔵はあっただろうか。
「ガフ」
そう考えていると、咎めるように黒の柴犬が彼女のパンツスーツに鼻を当てた。
「わふわふわんわんわおわお」
「おーっ!おーっ!クロ~!ごめんねぇーっ!何言ってるかわからんわ、ふはは!」
「グゥーッ!」
「ごめんって」
織田が陽気に笑っていられるのもクロが牙を剥くまでだった。
利口な犬である、織田が禁酒を誓ったことを覚えているのだ。
白いソファーに腰掛け、テレビを点ける。
クロは織田の膝の上で丸まっている。
夜のニュース番組が動物の殺傷事件であるとか、連続失踪事件を伝える。
「世も末だねぇー、まぁ殺し屋に仕事が来る時代なんだから悪くないんだけどさ」
「ワン」
「おっと、そうだった、そうだった」
織田はスマートフォンのスリープを解除し、通話用のアプリを起動する。
「ワンワン」と吠えるクロの背を撫でながら、織田はスマートフォンを耳に当てる。
「やあ、依子。仕事が決まったようだね」
「そうだよぉ~、悪くない仕事だ。簡単なところがいいね」
「誰を殺せばいい?犬と子供は対象じゃないだろうね?」
「大丈夫、大丈夫、人間一人殺すだけだよ、資料は明日渡す」
「了解した、依子。ところで……ペットは元気かい?」
「あぁ、まぁまぁ大きくなってきた」
「素晴らしい、キミはペットを育てるのが苦手すぎるからね。
これを機に自分の生活環境も改めて見ると良い」
「あー……また、今度ね」
「少なくとも禁酒の誓いは一日ぐらい保たせたまえ」
通話用のアプリを終了し、織田は大きくため息をついた。
パートナーとしては最上位だが、口うるさいのがよろしくない。
クロがワンワンと吠え立てる。
テレビのニュースが今日のスポーツの結果を伝える。
どこかで鳴るサイレンの音。
「まったく、まったくだね……」
無関係な騒音の静寂の中で、織田の意識は眠りに落ちていった。
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