第66話 実家訪問

 アストリアの家は、神都の外れにあった。

 そして家というよりは屋敷という表現に近い。

 よく手入れされた庭に離れもある。

 以前住んでいたキーデンス家に雰囲気が似ている。


 珍しい引き戸を開けて、中に入る。

 驚いたことに、第2層の文化として家の中に入るには、靴を脱ぐらしい。

 玄関の脇に男性物と女性物と思われる靴が、それぞれ1足ずつ並んでいた。


「母上、今帰りました」


 アストリアが声をかける。

 すると長い板張りの廊下の奥から、女性が進み出てきた。

 濃い紫の羽織りに、青系の花柄のワンピースのような物を着ている。

 雰囲気はシュバイセルの正装とよく似ていた。

 おそらくこれも、第2層特有の服装なのだろう。


 だが、もっとも僕の目を引いたのは、頭の上にまとめ上げた銀髪と、鋭い緑眼の瞳だ。


 そっくりだ。

 アストリアと。

 いや、今のアストリアがさらに深く達観したような感じと言えばいいだろうか。


 平たく言うと、とても美人だった。


「あら……。おかえりなさい、アストリア」


 僕にはその声がとても冷たく聞こえた。

 アストリアが家に帰ったのは、かなり久しぶりのはずだ。

 うちの母さんなら、飛び上がって喜んだことだろう。


 しかし、アストリアの母親と思われる女性は、淡々としていた。

 服装と同じく、第2層では親子の関係もまた違うのだろうか。


「長い間、家を空けて申し訳ありません、母上。アストリア、只今帰宅いたしました」


 アストリアは頭を下げる。

 丁寧な帰宅の挨拶だったが、そこに感心する様子はない。

 すると、アストリアの母親は僕の方を向いた。


「こちらの方は?」


 緑色の瞳が僕とかち合う。

 なんか怒っている時のアストリアと似ていて、思わず背筋が伸びてしまった。


「は、初めまして、お母さ!」


 ひぃ! 噛んだ。

 自分で行きたいと言ったけど、まさか他人の家がこんなに緊張するなんて。

 思ってもいなかったよ。


 すると、アストリアの母親は眉間に皺を寄せる。


「あなたにお母様と呼ばれる筋合いはございません。うちの子どもは、アストリア1人だけなので」


「え? あ! す、すすすすすすみません」


 僕は腰を直角に折り、頭を下げる。


 それでどうなったわけでもない。

 沈黙と、「クスリ」と誰かが笑うのがわかった。

 おそらくアストリアだ。


「母上。こちらはユーリ・キーデンス。今、私とお付き合いしている方です」


 お・付・き・合・い。


 なんだか、アストリアからそう言われると無性に顔が赤くなってしまう。

 それも単なる他人ではない。

 アストリアの母親に向かってだ。


 それが、また僕の緊張を加速させた。

 さてお母様はどういう反応を見せるのか。


「お付き合い? アストリア、あなた……確か『円卓アヴァロン』の方々と、下層に向かったのではないでしたか?」


 アストリアの母親はわずかに顔をしかめる。


「はい。ですが、トラブルがありまして。今は彼と下層へ向かってる最中です。現在、第3層に向かうためギルドの手続きを待っているところでして。ならばと、私が実家にご案内した次第です」


 アストリアの母親はちらりと僕を見る。

 3秒ほど睨まれた後、僕から視線を切った。


 何か色々訊かれるかと思ったけど、僕の耳朶を打ったのは挨拶だ。


「そうでしたか。……挨拶が遅れました。アストリアの母ロザンナと申します」


 軽く頭を下げる。


「長旅お疲れでしょう。どうぞ狭い所ですが、おくつろぎ下さい」


 そしてようやく家に上がることを許される。

 作法に則り、靴を脱いだ。

 変な感じだったけど、悪くない。

 むしろ足の血管が広がっていくような感じがして、気持ちが良かった。


 通されたのは客間だ。

 藁のような硬い茎の草を折ったような敷物が、パズルのように床に敷き詰められている。

 その上に竹で編んだ椅子とテーブルが置かれていた。

 実に瀟洒な部屋だ。

 床から立ち上ってくる草の香りも、すぐに好きになってしまった。


「すごい家だね」


「そうか? 第2層では一般的な屋敷だぞ」


 アストリアは説明する。

 ちなみに床に敷き詰められたのは、畳というそうだ。


「アストリア……」


 唐突に声をかけたのは、ロザンナさんだ。

 客間に案内してから、一旦下がったのだが、また戻ってきたらしい。


「何ですか、母上?」


「夕食の買い出しをお願いできますか? あなたたちの分の食糧を用意していなかったので」


「わかりました。すぐに」


 アストリアは椅子から立ち上がる。


「僕も行くよ」


「それには及びません。ユーリさんはお客人です。お客人に買い物をさせるなど、グーデルレイン家の沽券に拘わります。どうかそのままおくつろぎ下さい」


「でも――――」


「いいよ、ユーリ。ちょうど私も母上と同じ事を言おうと思っていたところだ。そこでくつろいでいてくれ」


 アストリアは僕に向かって手を差し出す。

 僕はそれを握ると、ぐっと強く握り返してきた。

 「大丈夫」というように……。


「じゃ、行ってくる」


 アストリアは買い物に出かけた。

 僕1人になる。

 くつろいでって言われてもなあ。

 何もかもが見慣れない部屋で、1人になるのはなんとも心細い。

 間にロザンナさんが、第2層では有名な草茶を運んできてくれたけど、すぐに飲み干してしまった。


 どうしよう、と悩んでいると、ふと自分の手に視線が行く。

 全く気付かなかったけど、薄い紙のようなものが貼り付いていた。

 いつの間に、と少し首を捻ると、すぐにわかった。

 アストリアと握手した時だ。


 薄い紙を取る。

 裏に何か書かれていた。

 そう言えば客間に入った後、何かメモをしていたことを思い出す。


 メモにはこうあった。



 父にはきをつけろ。



 え? どういう――――。


 その瞬間、室内の影が微かに動いた。

 ハッと顔を上げると、そこにはロザンナさんが立っている。

 前掛けをして、料理の準備を始めようとしていたらしい。


「ユーリ様、夕飯は道場で食べることに致しました。ご案内しますので、どうぞ」


「道場……があるんですか?」


「はい。あちらの方が広いので」


 この部屋も十分広いと思うけど……。


「わかりました」


 僕はロザンナさんについていく。

 一旦外に出ると、屋敷の外にあった建物の中へと入る。

 最初、離れだと思っていた建物は、どうやら道場だったらしい。


 綺麗な板張りの道場だ。

 毎日磨いているのだろう。

 ピッカピカだ。

 静謐な空気に包まれていて、ふっと吸い込むと木の香りがした。


「しばらくお待ち下さい」


「あ……。はい……」


 ロザンナさんは引き戸をピッと閉めて出ていく。


 ムスタリフ王国の宮廷にあった訓練場とは、また趣が違う。

 僕は板張りの感触を確かめたりしていると、再び影が揺らいだ。


「全身――――」



 【閉めろロック】!



 ガギィン!!


 直後、空を切ったのは折れた木刀の先だった。

 空中で回転した後、板張りに弾かれる。

 僕は一旦身体を【開けリリース】すると、その場から距離を取った。


 腰に下げていたナイフを引き抜き、構える。


「ほう。良い反応だ」


 ややしゃがれた声が、耳朶を打った。

 立っていたのは、腰に紐を結んだ長着を着た男だ。

 短い銀髪に、鼻の下から顎にかけて、立派な髭を生やしている。

 浅緑色の瞳は鋭く、僕を射抜いていた。


 手に持っていたのは、先ほど僕に打ちかかった木刀だろう。

 中頃から先が見事に折れていた。

 もし、まともに受けていれば、骨が折れたどころの騒ぎじゃなかったはずだ。


「だが、敵にここまで近づかれるのはまずい。例え、安全な場所と思っていても、冒険者であれば常在戦場――――常に構える気概でなければ」


「あなたは?」


「ん? 儂が盗人の類に見えるか?」


「盗人には見えませんが……。今の打ち込み。本気でしたよね。もし、僕の鍵魔法が遅れていたら」


「死んでいた、か――。無論! そのつもりで打ち込んだのだからな」


 あっさりと白状する。

 僕の命を狙いに来たと。


 正直、今僕の命が狙われる理由がわからない。

 精々当主が死刑となり、没落したディケイラ家の関係者ぐらいだろう。


 だが、この目の前の老人というには、溌剌とした男からは暗殺者のような気配はない。


 誰に似ているかと、強いて挙げるならば、アストリアだ。


「アストリアのお父様ですか?」


「ん? なんだ、アストリアから聞いていたのか。まあ、いい。ユーリ・キーデンスだったかな。家内から聞いた」


「は、はい……」


「儂の名前は、オルロラス・グーデルレイン。親しい者はオルロと呼ぶ。君もそう呼んでくれて構わぬ。君に『お父様』と呼ばれよりよっぽどいい」


「…………」


「さて、単刀直入に言おう……」


 そしてオルロは折れた木刀の先を、僕に向けた。



 君にはここでアストリアと別れてもらう。



~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~


書いてるだけで、そわそわするわ。

相手の両親に挨拶するとか……。


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よろしくお願いします。

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