第四章 咲かない花3
(最低だ……本当に最低だ!)
カメリアはひとり城へと向かっていた。部屋から飛び出してきたカメリアにメイド達は驚いたものの、城に向かおうとしていることを察して「すぐに支度を」と言ってくれたが、カメリアはそれらをすべて断って屋敷を出てきたのだ。
(……彼女達には悪いことをしたな)
落ち着いて考えてみれば、メイド達は自分の仕事を全うしようとしただけにすぎない。
セロイスの屋敷に勤めるメイド達がカメリア達のことを面白がるようなことはないとわかってはいるが、やはり恥ずかしいものは恥ずかしい。
そんなカメリアへ追い討ちをかけたのは、セロイスのあの一言だ。
(恐らく悪気はないのだろうが……)
カメリアは上着の胸元に手を置き、ため息をついた。
そこはやわらかさがわかるかどうかで、いっそバルドの方が筋肉ではあるが胸があるかもしれない。
(まぁ、あったところで、剣の邪魔になるだけだ)
そう言い聞かせ、再び歩き出したカメリアはふと周囲を見回した。
一瞬、視線を感じような気がしたたのだがあやしい者の姿はない。
(気のせいだったか)
そうして城門前までやってきたカメリアの行く手は突然遮られた。
「よぉ、今日はひとりか」
カメリアの前にあらわれたのはバルドだった。
(胸……)
先程まで考えていたことのせいもあり、ついバルドの胸元へ視線が向いてしまう。
「なんだ?」
「いや、なんでもない……」
正直あまり関わりたくない相手だったが、ここで無視するわけにもいかない。
「まぁ、ちょうどいいけどな」
「……わざわざ待ち伏せまでして、私に何の用か?」
「お前に聞きたいことがある」
カメリアを待ち構えてまで、バルドが聞きたいこととは何なのか。
思わず身構えるカメリアにバルドは鋭い視線を向けた。
「お前……」
「婚約したって本当なのですか、カメリア様!?」
バルドの言葉を遮るようにしてカメリアの前にあらわわれたのはドロシアだった。
よほど慌てていたのか。いつも三つ編みにしている髪は下ろされたままで、波打つ髪は乱れていた。
「カメリア様が婚約だなんて……一体どういうことなんですか!? そんなの嘘ですよね!?」
「お前は少し落ち着け! 俺もそれをこいつに聞きに来たんだ!」
バルドは改めてカメリアに問いかけた。
「で、セロイスと婚約ってのは、一体どういうことなんだ?」
「どういうことだと言われても、そのままの意味だが」
そう答えたカメリアにバルドは苛立ちを見せた。
「お前、ふざけてんのか?」
「私は別にふざけてなど」
「とにかくだ! 俺はあいつの親友として、お前との婚約なんざ絶対に認めねぇ! お前みたいな奴に、あいつを任せられるか!」
「そんな言い方はないでしょう!? 私だって、カメリア様が婚約なんて悲しいです。まるでカメリア様をとられてしまったみたいで……」
「ドロシア……」
ドロシアの言葉にカメリアは胸を打たれるような思いだった。
「けど、カメリア様が幸せなら、私は」
「だったら、セロイスはどうなんだよ? 俺だって親友には幸せになってもらいたい。けど、こんな奴と一緒になって幸せになれるわけがねぇ」
「どうして言いきれるの? 幸せになれないなんてわからないでしょう?」
「いいや、俺にはわかる」
バルドはカメリアに問いかけた。
「お前、セロイスのことなんて何とも思ってねぇんだろ?」
「そんなことは」
「こんなくだらない婚約なんざ今すぐ解消しちまえ!」
バルドの言うことは正しかった。
そうすることが一番いいと、カメリアにも理解出来る。
(でも、それは出来ない)
拳を握り締めるカメリアをドロシア越しに見ていたバルドだったが、ふと顔色を変えた。
「あぶねぇ!」
バルドは叫ぶと同時にドロシアの腕を引いて自分の方へと抱き寄せ、カメリアもその場から飛び退く。
花瓶が降ってきたのはカメリアが飛び退いた直後だった。
激しい音を立てて割れたガラスの破片が飛び散り、カメリアの頬に痛みが走る。
あまりに突然の出来事に周囲が騒然とする中、最初に動いたのはドロシアだった。
「大丈夫ですか、カメリア様!?」
カメリアの元にドロシアはハンカチを取り出すと、手当てをするために手を伸ばすが、カメリアはそれを拒否した。
「これくらい平気だ。それにせっかくのハンカチが汚れる」
真っ白なレースで縁取られたハンカチを血で汚してしまうなど出来ない。
そんなカメリアの気持ちを察したのか、ドロシアは半ば強引に血のにじむカメリアの頬へハンカチを押し当てた。
「いいんです。使ってください」
「すまない……」
「くそっ、城門から花瓶が降ってくるなんざ、どうなってんだ!?」
バルドにも欠片が飛んできたのか、頬にはかすかに血がにじんでいた。
頬の血を手の甲でぬぐったバルドはカメリアにたずねた。
「おい、これは一体どういうことだ?」
「どうして私にたずねる?」
「あれを見ても、本当にそう言えるか?」
割れた花瓶を親指で差すバルドにつられ、カメリアも花瓶へと目を落とした。
「これって……」
ドロシアは小さく息を飲んだ。
枝が折れて赤い花びらを地へと散らしている花は椿だった。
その花はカメリアの名前に由来するもの。これはただの偶然か。
(それとも……)
不安の影を振り払うようにカメリアは不安げなドロシアに笑いかけた。
「大丈夫だ。偶然、誰かが手をすべらせて花瓶を落としてしまっただけだ」
「でも……」
「私なら大丈夫だ。こういったことには慣れている」
(紅の騎士となったばかりの頃と比べてみれば、これくらいささいなことだ)
カメリアはドロシアの隣に立つバルドに声をかけた。
「私はこのまま城に向かう。バルドはドロシアを店まで送ってやってくれないか?」
「お前なんかに言われなくても、俺は最初からそのつもりだ」
「私はそんなの必要ないわ!」
ドロシアがバルドに気を取られている間に、カメリアはその場を後にした。
「カメリア様!」
ドロシアはカメリアを呼び止めようとするが、その背中はすでに遠くにあり、ドロシアはただ見送ることしかできなかった。
「……カメリア様、大丈夫でしょうか」
「本人が大丈夫だって言ってんなら大丈夫だろ。それより、さっきあいつが言ってた慣れてるってのは、どういうことだ?」
「それは……」
「言っとくが、俺はお前をガキの頃から知ってんだ。お前が何か知ってることくらい、見ればわかる」
バルドの問いかけにドロシアはためらいを見せたものの、やがて口を開いた。
「……カメリア様は、ずっと嫌がらせを受けていたから」
「何だと?」
「最初は悪口を言われるぐらいで……でも、直接嫌がらせを受けるようになって」
嫌がらせの内容について詳しくは聞かなかったものの、怒りで肩を振るわせているドロシアを見れば何となくバルドにも想像はつく。
女でありながら御前試合を勝ち抜き、紅の騎士となったカメリアに不満を持っている者達がいることは、バルドも知っていた。
しかしカメリアに対して嫌がらせがあることは知らなかった。
ある意味、バルドもカメリアと同じ鳴り物入りであるため、兵士となった当初は随分と色々なことを言われてきたが、最終的に自分の力で周囲を黙らせてきた。
他人に何かを言われて駄目になるのならばそれまで、むしろそれを黙らせることも実力。
そうバルドは思っていた。
しかし、裏でそんなことがあったというならば話は別だ。
「どうして今まで黙ってた? お前はあいつのことが、好きなんだろ?」
本人は気づいていないようだが、カメリアにはファンが、とくにドロシアのような若い女性が多く、カメリアのことを影ながら応援している。
バルドならば、好きな相手がそんな目に遭っているとわかった瞬間、相手を殴り飛ばしているだろう。
「それなのに、どうして黙ってた?」
「私だって、好きで黙っていたわけじゃない! カメリア様を助けてって言いたかった。でも、誰にも言わないでほしいと頼まれたから」
ドロシアは悲しげに目を伏せた。
「だから決めたの。私は剣を振ることもできないただの菓子屋の孫娘だけど、自分に出来る精一杯の応援をしようって」
ドロシアが中心となりカメリアを応援する会を立ち上げたのは、それからのことだった。
今はまだ伝えられていないが、少しでもカメリアに伝えたかった。
カメリアは決してひとりでないということを、応援している人がいるということを。
「少しでも力になりたかったから……」
何も言わずにドロシアの話を聞いていたバルドだったが、やがて静かに口を開いた。
「あいつの力になれてって、お前、本気でそう思ってるのか?」
ドロシアにはバルドの言っていることが理解できなかった。
そんなドロシアにバルドは更に告げた。
「お前はあいつを追い詰めているだけだ」
「追い詰めてるなんて、どうしてそんなことを言うの?」
ドロシアは思わずバルドに詰め寄った。
「追い詰めるって言うなら、バルドの方が、余程追い詰めるようなことをしているじゃない!?」
「俺は何もあいつを追い詰めたいわけじゃねぇ。ただ嫌いなだけだ……自分自身から目を背けてるあいつがな」
「目を背けるって、どういうこと?」
「あいつは早く気付くべきだ……王子様にはなれねぇってことに」
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