束縛勇者の魔王育成計画

kazuki( ˘ω˘)幽霊部員

束縛勇者の魔王育成計画


序章 “囚人”


 重罪人を囚える地下牢獄最奥には虚ろな存在がいた。

 鉄格子の向こう側に項垂れる様に座している虚ろな存在。両腕は天井から吊るされた鎖で持ち上げられ、鉄の首輪から伸びる鎖は真後ろの壁に飲み込まれて遊びが無い。両足首の鉄輪は互いの鉄輪と癒着し、ベールを被されたように散る髪は無造作に石畳の上に広がっていた。

 今にも消えそうな虚ろな存在は、自由を奪う拘束具にて確かな存在として象られていた。

 ここに罪人以外が来るのは投獄の際に帯同する看守、処刑の際に罪人を連れ出す処刑人のみ。


 ーーカツカツカツ。

 石畳を叩く乾いた音が無限の闇に響いた。

 足音は一つ、死神のみ。

 澱んだ地下牢獄を淀みなく進む死神。

 手に持つランタンには無間の闇を照らす鉱石が輝き、揺らめく灯りは何かを探すように落ち着きがない。

 彷徨うランタンと淀みない死神は最奥の牢獄にて足を止め、脇に置かれた椅子を鉄格子の前に置くと腰を下ろした。

 「無様だな、魔王」

 死神は嘲笑しながら、鉄格子にランタンを立て掛ける。無間の闇から二人を守る様に仄暖かい灯りが滔々と揺らめいていた。

 「これが貴様の憧れた人の世界だ。貴様のお陰で私は領地を得たよ」

 魔王と呼ばれた虚ろな存在は、自分すらも存在しない世界に身を置き外界からの刺激に気づかない。

 「貴様の憧れた世界は、貴様には過ぎた世界だったようだな。これが人間の世界においての貴様の立場だ。理解できたか?」

 語り掛けるが相手は反応を示さない。

 「ふん、つまらん。なぁ、魔王。貴様の憧れた世界を見せてやろうか」

 虚ろな存在を照らす灯りが揺らいだ様に見えた。

 「私に隷属しろ。そんな屑鉄に拘束される貴様を見てはいられないのだ。だが、野放しという訳にはいかない」

 投げかける言葉は虚ろな存在を僅かに波打たせて通り過ぎる。

 「魔界の住人は力が全ての無法な世界、人間の世界は定められた秩序からなる自由な世界だ。それを理解せずに私についてきた貴様は無知蒙昧と言わざるを得ない」

 鼻で笑うと懐から鍵束を取り出し鉄格子の扉を解錠し開口部をくぐると、魔王の眼前に屈んだ。

 「私が秩序になろう。貴様は私に隷属することで自由を得る」

 虚ろな存在の髪を無造作に掴み強引に顔を持ち上げるが、虚空を見据えて死神を見ない。

 「私の物になれ。貴様の憧れた世界を与えてやろう」

 何も見ていない虚ろな存在の瞳が徐々に焦点を定めていく。

 「理解しろ、貴様は私の物だ。私以外の物に縛り付けられるなど認めん」

 「……お前のせいだろう」

 「貴様を私に隷属させる為に必要な過程だ。私もこんな貴様を見たい訳ではない」

 「……構うな。もうどうでもいい……」

か細い声を凛とした声が払い落とす。

 「何度も言わせるな。貴様は私の所有物だ、私の意に反する事は自由ではない」

 「……勝手にしろ」

 「既に買っている」

 「……何を言っている?」

 「魔王をかえる存在は私をおいて他にいないだろう」

 「本気で言っているのか」

 「だから言ったろう、私の物だと。貴様は私に隷属して自由を享受しろ。それが貴様の憧れた世界を生きる唯一の方法だ」



1章 “檻の中”


 ーー北方領最北端。

 旧領主の屋敷、現勇者の屋敷がそこにはあった。

 地形上最も侵攻されにくく小高い場所に建てられた石造りの屋敷の背面は崖であるが、柔らかい潮風と海に開けた開放的な景色であった。両翼を広げた鳥の様に来客を包む形状、見上げれば崩れ落ちてくると錯覚する重厚さ。旧領主の屋敷として来る者に荘厳さを与えるのに充分な出来に仕上がっていた。

 周囲は草原という見晴らしの良い地形は侵攻された際に早期発見、先手を打つ為にこしらえた名残だろう。

 魔王を無力化した功績、今後とも魔王を管理下に置き勇者の名の元に幽閉すると言う提言を断れる訳もなく、アファナ連邦国家首脳陣は否応無く勇者に従った。



 勇者は二束三文の形だけの売買を済ませ北方領の一部、最も他国から遠く他者と接触しない土地を指定し領地と屋敷を譲り受けた。ただ自分が生活する場として領地を手に入れた勇者は領主と呼べるものではなく、領民は存在しない。勇者と魔王がいるだけの名ばかりな領地であった。連邦国家成立後は長い平和のお陰で北方領の領主が移居した為、労せず空き家を入手する事が出来た。

 領地と言っても屋敷と、その周辺の僅かな土地。勇者にとっては充分な報酬であった。

 一つ誤算があったのは、近隣の人間が勇者を正式に領主として認識している事である。


 領地を手に入れてから半月は忙しかった。

 最寄りの都市から商人が訪ね、名目上連邦国家に名を連ねたせいで領主として貴族達との外交も余儀なくされた。それが落ち着いた頃北方領の筆頭領主が勇者を訪ねてきた。面倒な外交を減らしたい勇者は、筆頭領主に属国として形式上整えれば煩わしい外交は全て引き受けると言われ迷わず了承した。

 勇者を手元に置きたいという筆頭領主の思惑はあったのだろうが勇者には度外の事であった。社会的な繋がりが激減出来る事が何より重要で、屋敷に居を構えてから漸く落ち着いた時間を手に入れた。


 テラスに面した大きなガラス窓から陽光が差し込む。

 差し込んだ陽光の影に置かれた椅子に、項垂れるように頭を垂れる魔王がいた。

 魔王の部屋に入る事を躊躇しない勇者は扉を叩く事すらせずに足を踏み入れる。

 「領主というのは忙しいものだな」

 魔王は地下牢獄より連れ出されてから、一向に口を開かない。領地の選定、旧領主邸と魔王の売買、連邦国家首脳陣の許可。全てを済ませ馬車を走らせてから約一月が経過しようとしていた。煩雑とした日常を送り、魔王の様子を確認できない日もあったが予想よりも問題がなく魔王はただそこに、虚ろに存在していた。魔王は常に椅子に腰掛けて頭を垂れて動かない。

 「先程北方領を取り纏める筆頭領主が来たが、形式上属国として貰う事とした。これで不要な折衝もなくなる。ようやく休めるよ」

 投げかける言葉は露と消えた。魔王の長い髪は床付近まで伸びており毛先が揺らいでいる。この数日他人に心を砕き、自分と魔王に割く時間がなかった事を今になり思い出す。一心地ついた勇者は久しぶりに魔王を眺める事がで出来た。

 「やはり綺麗だ」

 勇者は自身の所有欲が満たされている事を理解して安堵の息を漏らした。陽光の差し込む額縁に、光から隠れ頭を垂れる魔王は一枚の絵画であった。惜しむらくは未だボロ布を纏う魔王だか、それすらも絵画たらしめる要因となるのは如何な身なりであろうと魔王。その絶対的な存在感は虚ろに成り得ようと浮世離れした存在に他ならず、勇者の求めた魔王に相違ない。

 「まだ諸用がある。大人しくしていろ」

 後ろ髪を引かれないのは魔王が自分の物だと理解しているからだ。残された絵画を保存するように勇者は部屋の扉を丁寧に閉じた。



2章 “檻”


 欠けた月が見下ろす一室で人影が揺らいだ。

 人影は漫然とした意識の中でガラス扉を開き、重い身体を引き摺ってテラスへと足を踏み出す。

 天蓋には世界を覗き込む金色に輝く細い瞳。

 眼下の暗澹とした海では、観客を楽しませる為に水面が波立ち月明かりが踊っている。

 柔らかな外気が肌を撫で、心地よい歓声が耳に訪れた。

 この時間、勇者は部屋に来ない。

 宵闇に誘われ意識が覚醒していく。

 日中の微睡みの中、幾度となく勇者に語りかけられた記憶はあるが内容は判然としない。

 私は何故此処にいるのだろうか。

 無意識に伸ばされた手は細い瞳に届かない。


 自身の記憶を辿れば、最初は矮小な魔族でしかなかった。

 だが同時に、私は生まれながらに魔王としての器と適正があったらしい。

 魔王と呼称されるまでに時間はかからなかった。

 魔族の社会は力が全て。欲しければ奪い、気に食わなければ殺す。至極短絡的で未発達な社会。今に思えば、それが最初の檻だった。

 私自身、火の粉を払う程度の認識でしかなかったが、昔はそこに居るだけで襲われた。倒す度に配下が増え、気付けば魔王として君臨していた。配下が欲しかった訳でもなく、魔族を倒したかった訳でもない。配下には言語を話せる知能を持つ魔族も散見され、往々にして高い能力を有して組織的な体系を構成させる。

 気付けば私の関知しない所で魔王軍と呼ばれる組織が出来、意図せずに魔族を統率する檻となっていた。

 そんな折、他人が作り上げた魔王軍が壊滅状態となった。それは魔王である私の檻を抉じ開け、中を侵すに等しい行為。組織を運営する魔族達すら屠る者が人間の世界に存在すると言う理外の現実。

 「……勇者か」

 如何に自分と関わりが薄いとは言え、私の名を冠する組織が人間如きに蹂躙されるのは気分が悪い。何より私の檻を当然の様に抉じ開ける傲慢さが鼻に付く。

私が屠るとしよう。

 魔王は久しく、自身に寄生する魔力のざわめきを感じ取っていた。


 急な肌寒さに意識が立ち返る。

 記憶を映し出す輝く瞳は、幕が引かれた天蓋の向こうに姿を消していた。

 観客の居なくなった水面に踊り子はいない。

 ただただ崖に波打つ音だけが響いていた。

 何かを求めた手を下ろし、無意識に手の甲を見やる。

 「また私は檻の中……か」

 勇者に施された刻印の対価は、人の世界へ踏み込む為の枷。押し付けられる秩序に与えられた自由はディストピア。檻に囚えられ抑圧された思考は反射的に理想郷を連想し、思考を止めた。


 ーー私の理想は何だ?


 何がしたい、何を求めている。理想とは欲求であり最終到達点のはず。私は今、勇者の所有物として人の社会に組み込まれている。過程や現状の立ち位置を無視すれば、結果として勇者は私の意を汲んでいるのではないか。

 「……一度話す必要があるな」

 誰かに向けた訳ではない言葉だが、引かれた幕の端から覗く瞳はにべもなく聞いていた。



3章 “救い”


 ーー勇者様、助けてください

 ーー誰か助けて……

 ーー助けて、助けてよ!! 貴方、勇者なんでしょ!?

 ーー何で助けてくれなかったの?


 「あああぁあぁぁぁああっっ!!」

 脳内に木霊する声は勇者を強制的に覚醒させた。

 声にならない悲痛な叫びは、寝ていた勇者を跳ね起こす。握られた両手は悪夢を振り払うように持ち上げ、全力で振り下ろそうとして脱力する。同時に腹部に込められた力も抜け、ゆっくりと息を吐いた。全身が脂汗でベタつき、息が荒い。肩が無意識に上下する。

 「……くそ。くそっ……!!」

 いつからだろう、頭の中で救いの声が響くようになったのは。

 重い頭を落とすように項垂れ両手が支える。

 熱い息が手首を焼いた。

 勇者はいつからか満足に眠れなくなっていた。

 思い返せば魔王を所有するまでは悪夢を見た覚えはない。

 魔王が私に何かをしている?

 あの無気力な状態で何かをしているとは考えにくい。

 だが、不安要素であれば取り除くべきなのは確か。

 いっそ殺すか?

 持ち上げた頭は無意識に自身の愛刀を見やり、頭を振った。

 駄目だ。何の為に魔王を自分の物にしたと思っている。

 一度大きく息を吸い、ゆっくりと吐く事で呼吸を整えた。

 微睡みの中では助けを求める叫びが響き続け、脳内を支配する。

 勇者の意思を無視した言葉は呪いに過ぎない。


 ーー何が勇者よ、あんたが来ないせいで……

 ーー貴方じゃなければ助けられたかもね……

 ーー私の家族なんて助けられなくても貴方は勇者なのよね……


 うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい。


 全身が震える。

 汗に熱を奪われ全身が冷えた。

 再度握りしめた両手は震えるほど力が込められ、血が滲む。

 落ち着けた呼吸が短く早く、乱れていった。


 ーーゆーしゃさま? おはようございまーす

 やめろ。

 ーー大丈夫ですか? 無理はしないでくださいね

 やめてくれ。

 ーーこんな状況になるなら私も一緒に……


 やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ。


 思い出すな、考えるな。

 俺は勇者として最善を尽くした。

 引き摺るな、不毛だ。

 忘れろ、記憶に蓋をしろ。

 最善を尽くして何人死んだ?

 自分の命が大事だっただけ?

 世界の為を言い訳に見殺しにした?


 ーーあぁ、今日も人が死ぬ。


 ゆっくりと頭を持ち上げ、外を見る。

 白みかけた空は、今日も朝を迎えようとしていた。

 世界は勇者に興味がない。

 勇者が居なくとも明日は来る。

 世界は進む。

 立ち止まっているのは自分だけ。


 権力を笠に押し付けられた勇者

 ーー国王に呼び出され任命されては断れるはずはない。私は一国民で、ただの人間だ。


 世界を救え

 ーーただの人間にできる訳がない。私は少し他人より強かっただけだ。


 助けてください

 ーー助けるさ、私は勇者だ。だが……。


 私に責任を押し付けるな。

 人の生死を私に委ねるな。

 人は死ねば蘇る事はない。

 私にできる事は限られる。

 何故自分にできない事を私に押し付ける?

 今もどこかで人は死んでいる。

 だが私に責任を求める者はいない。

 それはきっと、魔王を討伐したと連邦国家が宣言したからだ。

 魔王という私に責任を押し付ける体のいい理由が無くなったからに他ならない。


 魔王と会敵した時を思い出す。

 鮮烈な存在感、圧倒的な力。

 自身の存在など矮小なものだと自覚できる優美さ。

 ーー私に魔王は倒せない。

 会敵した瞬間に理解した。

 ーー私は魔王を倒さねばならない。

 私は勇者だからだ。

 逆しまな城の主は月下の元、髪を靡かせ輝く瞳で私を射抜いていた。

 ーー息を飲んだ。

 浮世離れした存在が私を見ている。

 私に欠けた何かを満たしていく高揚感が胸に湧く。

 私は自身の命を懸けて、魔王の挙動に注視した。

 程なくして高揚感の理由が理解できた。


 魔王は私を求めない。

 私は倒すべき敵なのだ。

 魔王は私に求めない。

 私の能力を凌駕する存在に、私は不要だろう。

 魔王は私に押し付けない。

 奴は奴自身の力で私の命を奪うのだ。

 そこに他人は介在せず、発生する責任は自分自身に帰属する。

 圧倒的な魔王の前では勇者という肩書など無いに等しい。

 私は魔王の前でのみ、勇者ではない私でいられる事を知った。


 私は見つけた。

 勇者という呪いを緩和する助けを。

 私は欲した。

 自身に責任を押し付けない存在を。

 私は魔王に押し付けた。

 私を救う勇者という存在を。


 私は私の欲する物を手に入れる為に魔王に掛け合った。

 幸い魔王は勇者である自分と人間の世界に興味を持っていのだ。

 私はそれを利用して騙り、諭し、窘め、懐柔し、子供だましの刻印を魔王に刻みつける。

 顔には出さないが胸が踊った。

 些か時間はかかるだろうが必ず、魔王は私の手元に置く。

 魔王は私の物だ。

 私を救う為だけに私に縛られる。

 他の物に縛られる事は認めない。

 今でも瞼の裏には初めて会った時の魔王が焼き付いている。

 それは記憶と呼ぶには鮮やかで、思い出と呼ぶほど綺麗なものではない。

 私は私の欲に従い魔王を手に入れた。

 結果悪夢にうなされるのは勇者としての、ささやかな自責の念かもしれない。

 しかし、それでも私は手に入れた魔王を手放せない事を理解していた。

いつも勇者の目覚めは最悪だった。

 だが、だからこそ毎朝椅子に座る虚ろな存在を確認して安堵する。

 ーーあぁ、魔王は私を救う為に存在しているのだと。



4章 “適応”


 ーーアファナ連邦国家北方領最北端。

 勇者の屋敷、執務室には書類の積まれた机に向かう人影があった。

 床に付く程に伸びた髪は1つに纏め、左目にはモノクル。

 貴族に仕える執事のように整えられた執務服。

 白い手袋を嵌めた人影は頬杖をついて目を細め、羊皮紙に筆を走らせる。

 この屋敷に来てから幾分の時間が経った。

 生物とは不思議なもので魔族だろうと人間だろうと環境には適応できるらしい。

 慣れた事務作業に淀みはなく、筆に躊躇いはない。

 雑務は減ったとは言え、曲がりなりにも領地を持つ勇者。自身の上司とも言える筆頭領主にはある程度の報告義務が存在していた。

 「商人の営業は面倒だが、出向かずに物を発注できるのは便利だな」

 商談を終えた勇者は執務室に戻ると応接用の立派なソファに腰を下ろす。

 足を組み、両肘を背もたれに乗せると天を仰ぐように上を見上げ、一息をついた。

 定期的に訪れる商人を初めは煩わしく思っていた勇者も今では有効に活用している。

 「収支を出せ。後回しにするな」

 領地である以上、運営が出来ているかの報告は必要であった。しかしながら、これも勇者の功績により発生した事から形式上の計上でしかない。適当に済ませても何も言われないであろう財務を律儀にこなす魔王を鼻で笑いながら、勇者は羊皮紙をちらつかせた。

 「これが欲しいのか?」

 「早く寄越せ」

 眉を寄せて不機嫌な表情を作ると筆を止め、モノクルを外そうとして勇者に止められた。

 「執務中は取るなと言っただろう」

 「何なのだ、このガラス板は。全く以て煩わしい」

 さも不快だと言わんばかりに吐き捨てるが、魔王は大人しくモノクルから手を離した。この窮屈な格好にせよ、魔王を従者として扱うことを決めた際に全て勇者が誂えた物だった。勇者は席を立ち羊皮紙を机に放ると、作業机に体を預ける。

 「しかし、魔王の癖に通貨の概念を持っているとは思わなかったぞ」

 「……力を持つ魔族には不要だが、お前達のようにか弱い魔族も存在する。そういった者達は物々交換から人間の模倣を始め、独自の通貨を規定して流通させる事もある」

 「思った以上に賢いが、まるで見て来た様な口振りだな。魔王の貴様には関係ないだろうに」

 「そんな事はどうでもいい」

 魔王は放り投げられた羊皮紙に目を通して、人差し指をこめかみにあてた。

 「何故こうも支出が嵩む。先月より二割近く高い」

 「交際費だろう? 形だけの領主となった今でも貴族が付き合いを持ちかけるのだ。断れる所は断るが、そう何度も断れん。先月に付き合いを断ったツケが回ってきただけの話だ」

 「今回の商談もそうだ。何故こうも買い付けた」

 「まとめて買うと安いからな」

 「消費量を考えろ。私達しかいないのに、こんなに買ってどうする。品質が劣化するだろう」

 「魔王の癖に所帯じみた事を言うな、貴様は」

 「人間とはこうも杜撰なのか」

 ため息をついた魔王は勇者の買付量を修正し、翌月の支出計画も勇者に放り投げる。次回商品を持ってきた際に買う量を減らせという指示だ。翌月の支出も財布の紐を緩める気はないと強気な計画を叩きつける。勇者も買付量に関してはどうでもいいのか、内容を検めずに作業机に放った。翌月の支出計画に目を通すと余剰資金、所謂貯金額を訂正して魔王に渡す。

 「何故運用費を削ってまで余剰資金を確保して増資する?」

 「必要だからだ」

 「何を想定している?」

 「その内わかる」

 すげのない勇者の言葉に納得はできないが、訂正に合わせて修正する。それを見た勇者は顔をしかめた。

 「厳しくないか?」

 「今回、交際費が増したツケだ。バランスを取れるようにお前が調整しろ」

 「……外交は私の仕事だ。仕方あるまい」

 勇者はため息をつくと作業机から離れ、執務室を後にした。


 慣れた作業を振り返り、改めて適応出来るものなのだと我が事ながら感心した。誰からも狙われず、誰かを倒すことのない日々。それはきっと、私に訪れた初めての平穏なのだろう。この日常も悪くはないと感じる私は魔王としては間違った存在なのだと思う。しかしながら私は檻の中の魔王、檻の中で自由にして何が悪い。住めば都というが、存外檻も住心地が良いものだ。

 魔王は平穏の中で、心穏やかになれない財政に顔を歪めていた。



終章 “自由”


 「おい、どういう事だ」

 「……どうもこうもない、無理をしたツケが回ってきただけの話に過ぎない」

 「なぜ言わなかった」

 「……必要がない。言った所でどうもならん」

 「市井を見ろ。お前より長く生きている奴は腐るほどいる」

 「……個体差だ。早いか遅いかの違いで結果は変わらない」

 「わかっていたのか?」

 「……自分の体だ、私自身よくわかっている」

 「医者にはかかったのか?」

 「……何度か。結果はわかりきっていたがな」

 「お前は私の秩序なのだろう?」

 「……貴様もいい加減わかっていたのだろう。その刻印が子供騙しなことを」

 「話を逸らすな」

 「……あの時の貴様は愉快だったな。本当に自身の魔力が封印されたと思うとは」

 「仕方あるまい、初めての事だ。よもや私自身、自分の魔力が感知できなくなるとは。お前に封印したと言われれば信じざるを得まい」

 「……そんな事は出来ないよ。だが、魔力を失ったと勘違いした貴様は抵抗することもなく、魔法に長けた奴にも魔力を感知させなかった。なかなか便利な刻印だろう?」

 「対象の魔力を自他共に感知できなくする刻印の意義がわからん」

 「……そうだな、私にも今回の事以外で使用する場面が見い出せない。消してやろうか?」

 「今更だ。そも感知できないだけであれば大した問題ではない」

 「……そうか。まぁ、私との唯一の繋がりだ。後生大事に生きろ」

 「主の命令であれば従おう。所詮私はお前の所有物だからな」

 「……素直だな。後の手筈は手配済みだ、筆頭領主が済ませてくれる」

 「あぁ、確認してある。この屋敷も領地も国に返還するのだろう?」

 「……そうだ。貴様に関しても極一部しか知らない。国を上げた葬儀に紛れて国を出ろ。喜べ、貴様は自由だ」

 「秩序が無ければ無法なのだろう」

 「……貴様は私と過ごした数年を無駄にする気か」

 「…………」

 「今の貴様であれば私は必要ないだろう、好きに生きろ」

 「……手筈では私は筆頭領主の元に帰属するはずだが?」

 「馬鹿なことを言うな。私が死のうと貴様は私の物だ、私以外に縛られるなど認める訳がないだろう?」

 「……我侭なものだ」

 「世界を見て周ると良い。きっと楽しいぞ」

 「……一人か。存外に寂しいものだな」

 「そんな事はない。今後は今までと違い、私からの指示はない。自分で考えて生きるんだ」

 「……大変そうだな」

 「この数年、私の秩序の元で生きた貴様だ。人の社会については良くわかっただろう? これからは自分の秩序を以て、自由を謳歌しろ。それが私から貴様への最後の命令だ」

 「……今際の際の言葉だ、聞き届けよう」

 「なかなか楽しかったぞ、魔王」

 「……あぁ。なかなか悪くなかったぞ、勇者よ」


 数日後、勇者は醒めない夢の世界に沈んでいった。

 勇者の寝顔を見たのは、その日が最初で最後となる。

 人間はこうも安らかに永眠するものなのかと魔王は、どこか他人事のように感じていた。

 便りを筆頭領主へ出してからは早い。

 必要な事は筆頭領主が全てを整え、三日後には国を上げた葬式が始まっていた。

 しかしながら腐っても勇者と言うべきか、奴は強かな人間であった。

 昔、私は勇者に杜撰だと言った事があったが決してそんな事はない。

 自分の死後に読めと言われていた羊皮紙に魔王は目を通しながら、ぼんやりと思考する。

 今まで一度も金額を下げずに繰り越して増資し続けた余剰資金は最終報告通り、筆頭領主が端数も律儀に徴収した。

 だが、それは勇者が筆頭領主へ提出する前に下方修正したものである。

 常々勇者の行動に財政を悩まされたが、お陰で人間の社会には金銭が付いて回ることを痛い程理解できていた。

 勇者は恐らく、私を自分の所有物とした時から今日の事を想定していたのだ。私が人間として生活する為の準備資金、当面の生活費。それが余剰資金の本当の目的であった。

 最終的な総資産の凡そ四割に至る遺された余剰資金。

 それらはいつの間に準備していたのか、世界各地に私の名義で拠点を購入し隠したらしい。なるほど、まさか私が世界を旅する準備まで済ませているとは死んでなお侮れないものだ。

 魔王は拠点の場所を示す羊皮紙と、この屋敷に隠された僅かばかりの路銀を手にすると住み慣れた屋敷を後にする。

 幸い今は国葬の真っ最中。

 私の旅立ちを看過する深い闇に飲まれた新月。

 夜目のきく私に明かりは不要。

 例え監視がいたとしても、この闇の中私一人を見つける事はない。

 ーーふむ、最寄りは西方領を越えた隣国か。

 目的地を確認した魔王は闇の中を歩き出す。

 勇者以外、誰も私の行方は辿れない。

 勇者という檻は果てが見えないほど広く、勇者という秩序は確かに私を拘束していた。

 だが、それを悟らせない寛容さがそこにはあった。

 恐らく今でさえ私は勇者に囚われている。

 それでも私はこの数年学び解釈した私自身の秩序を以て自由を謳歌しよう。


 ーーそう言えば、いつだか勇者と遠出をしたな。

 釣りという行為は最初こそ楽しさが理解できなかった。奴が釣り上げてるのにも関わらず私には釣れない不条理さには腹が立った。だが帰る間際に釣った魚は大きかった。断然勇者の釣った魚よりも大きく、まさしく魔王である私に相応しい魚であった。あれは楽しかった。珍しく勇者も笑っていたな……。通り道だ、寄り道も悪くない。数年私の所有者であった人間に、労いを込めて魚を釣ってやろう。


 自然と口元が緩む魔王は宵闇に溶けて消えていった。

 手の甲に刻まれた刻印と、左目の煩わしいガラス板と共にーー。

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