第16話 クレア

 パトリックさんの相談を後回す了解を得て、俺とアリシアはパトリックさんとともにクレアちゃんのところへと歩を進めた。

 クレアまで一メートルの距離まで近付いたところで彼女が不意に顔を上げた。


 焦点の定まらない虚ろな目をしている。

 両親が健在とはいえ、四歳から六年間も二人きりで生きてきたおじいさんを目の前で殺されたのだ、幼い少女にとってそのショックはどれほどだっただろう。


 ヤバっ。

 両親が事故で亡くなったときの感情がフラッシュバックする。


 小学校三年生の頃。

 夏休みまであと数日というとても暑い日。


 俺のことを学校へ迎えに来た祖母ちゃんの様子がいつもと違っているのにすぐに気付いた。

 何か良くないことがあった、子ども心にもそう直感したのを憶えている。


 タクシーに乗せられて学校から病院へ祖母ちゃんにと一緒に向かった。

 その間のことはよく憶えていない。


 ただ、祖母ちゃんが必死に俺を励ましてくれていたことだけはおぼろげに記憶している。

 病院には祖父ちゃんがいた。


 俺を見た瞬間、駆け寄って抱きしめた。

 ただ、無言で抱きしめた。


 そして、両親が交通事故で死亡したことを知らされた。

 俺は病院で泣きまくった。


 葬儀のときは放心していてただ呆然としていたような気がする。

 ちょうど、目の前のクレアちゃんのように……。


「ダイチさん?」


 アリシアが心配そうに俺の顔を見上げていた。


「ああ、大丈夫だ」


 俺はアリシアに小さくうなずくと、膝を抱えたままこちらを見上げているクレアちゃんの前にしゃがみ込む。

 アリシアも同じように俺の隣でしゃがみ込んだ。


「……誰?」


「クレア、君の怪我を治してくれたアリシアさんだ」


「俺はダイチ・アサクラ。アリシアの友だちだ」


 盗賊のことには触れずに自己紹介する。


「クレアちゃん、まだ痛いところはある? どこか痛いようだったらお姉さんが治してあげるね」


「大丈夫です」


 静かに首を振る。


「クレアちゃんはお父さんとお母さんのところへ行くんだよね」


 俺の言葉にピクリと肩を振るわせて小さくうなずく。


「お兄さんとお姉さんも、クレアちゃんのお父さんとお母さんが住んでいる町へ行くんだ」


 無言でこちらを見ている。

 反応がないのはやりづらいな。


 俺はさらに言葉を続ける。


「クレアちゃんが乗っていた馬車は壊れちゃったし、お兄さんやお姉さんと一緒の馬車に乗らない?」


「ね、お姉さんと一緒に行きましょう」


「う、ううわー!」


 感情が戻ったかのように突然泣き出した。

 泣きながら必死で何かを話しているが嗚咽で聞き取れない。


 そんなクレアをアリシアが優しく抱きしめた。


「辛かったよね、悲しかったよね」


「お、じい、ちゃ、ん。お祖父ちゃん、が。うわー!」


 アリシアに来てもらって正解だった。

 俺だけだったら、いま頃狼狽えてしどろもどろになっていた自信がある。


 アリシアに任せて立ち上がると視界の端に何か動くものが映った。

 高速でこちらに迫っている。


 メリッサちゃんがもの凄い形相と速度でこちらへ走ってくるのが分かった。

 手にはアリシアが書いた手紙とピーちゃんが握られている。


 ピーちゃんが苦しそうに首を左右に激しく振っている。

 攻撃できれば簡単に抜け出せるだろうけど、それをアリシアから禁じられているのだろう……。


 瞬く間に距離を詰めたメリッサちゃんが俺の目の前に右手で握りしめたピーちゃんを突き出す。


「て、てが、手紙! この手紙は何ですか!」


「手紙はそっちでは?」


 左手に握られている手紙を指さした。


「そうです、こっちです」


 右手に握ったピーちゃんを引っ込めて手紙が握られた左手を突き出した。

 目が血走っていて怖いぞ。


「いま取り込んでいるから、少し離れたところで話しましょう」


「分かりました」


 メリッサちゃんは踵を返すと先に立って歩き出した。

 地面を踏みしめるようにドスドスと音を立てて歩いて行く。


 嫌な予感しかしない。

 このまま見送りたい。


「アサクラ様、早くしてください」


 俺の気持ちを見透かしたようにメリッサちゃんが振り向いた。

 俺は「いま行く」と彼女の下へと走った。


「で、手紙というのは?」


「これです!」


 一通の手紙を俺の眼前へと突きつける。

 アリシアが書いた手紙で間違いない。


 美しい文字で「追記」と書かれたところから、クレアを引き取ってリディの町に住む彼女の両親の下へ連れて行くことだけが書かれていた。


「その手紙に書かれている通りです」


「は?」


「その手紙に書かれている通り、女の子を一人、リディの町まで連れて行くことになりました」


「なりました、じゃありません。アサクラ様はギルドの依頼を受けた調査団のリーダーなんですよ」


 手紙の代わりに自分の顔をズイっと近づける。


 目が怖い。

 この調査団に加わってから人が変わったように俺に強く当たってないか?



「調査は行います。それの約束は必ず守ります」


「当然です」


「それはそれとして、クレアちゃんをリディの町まで連れて行きます」


「どうしてそうなったんですか」


「話せば長くなるんですが」


「手短にお願いします」


 にべもないな。


「実は盗賊の襲撃でクレアちゃんの祖父が亡くなりました――――」


 両手を腰に当てて抗議をする彼女に俺はクレアちゃんの事情と事の経緯を説明する。

 リディの町へ向かう人たちが先の襲撃で全員死亡したこと。


 そして俺自身、幼い頃に両親を亡くし祖父母に引き取られて育ったこと。その祖父母も既に他界していることを説明した。


「――――クレアちゃんに自分自身の子どもの頃を重ねてしまったんです。理屈じゃなく感情で動いたことは謝ります。俺の我がままだと言うことも承知しています。お願いです、これだけは聞き入れてください」


 クレアちゃんの身の上話をしていた段階で目が潤んでいたからもう一押しというところだな。

 俺は「お願いします」と深々と頭を下げた。


「気持ちは理解できます」


 メリッサちゃんがクルリと背を向けた。


「じゃあ!」


「今回だけですよ。次から何か予定外のことをするときは必ず事前に相談してください」


「ありがとう!」


「お礼はいいですから約束をしてください」


「調査団の仕事は必ずやり遂げると約束します」


「クレアちゃんをご両親の下へ無事届けることも、です」


「ありがとう、約束するよ」


「アサクラ様もアリシア様も本当に甘いんですから」


 背を向けたままポツリと溢す。


 そう言うメリッサちゃんも相当甘いと思う。

 涙ぐんでいるのが声で分かる。


「それじゃ、クレアちゃんのところへ戻ろうか」


「アサクラ様一人で戻ってください。あたしはリチャードさんや他の人たちに説明をしに行きます」

 そう言うと振り返ることなく俺たちの夜営地点へと向けて歩き出した。

 俺も甘ちゃんだという自覚はあるが、アリシアもメリッサちゃんも相当に甘ちゃんだよな。


 俺は自分の周りの人たちが「甘ちゃん」であることやクレアちゃんを抱きしめるアリシアの姿に嬉しさを感じていた。

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