第2章 女神の一筆 (仲秋の儀) (1)
さわさわとあまたの穂をゆらすススキ野に赤みがかった円月がうつりこむ。
とくとくと流れる遣水のほとりに小さく灯り、それは音もなく月を散らした。
てんでに散りばむ蓮の灯籠は月餅やらを山と積み、ゆらゆらと漂って寄せ集めの月へと昇っていく。
フッと灯りが潰えると水をうったようにしぃんとしてほの暗い水面から一斉に姿を消した。
「!?」
その瞬間をして天上の月はみるみる、白、橙、紅色の順に侵蝕されていく。
少女は身をこわばらせた。
背丈ほどにもなる銀の穂は風に梳かれ小より立ち、吹き抜けざま少女の一房の髪をさらった。
歩搖がりぃんと玉響の音を奏して邪気を打ち払い清らかな気をはなつ。
が、すぐに幼い面差しから血の気がひかれ握りしめた襦裙の裳裾を取り落とし、バサリと音をたてて石敷の上に広がった。
「!?」
すぐさま付き従う女人が駆け寄ろうとするが軽く手をあげ、それを制止した。
「…………」
少女は微動だにもせず渺々とした暗い池の中央を鋭く見据え、息を殺し、音をたてぬよう口腔のものを嚥下して、時がすぐゆくのをただじっと待つ。
闇は浸食するように広がって、月をのみこむ。
ゆっくり瞼を閉じると、見えるはずのないものが瞼裏に視えた。
("…………?")
そこは一筋の光明さえさしこまぬ虚無。
むきだしの地表には数えきれぬ傷跡を遺し、そこに深緑がしげることもない。
ぼんやりと白くかすむ宮がぽつんとあるだけ。
時の流れさえもここでは皆無。決められた円環を巡ってそのどこにも行けず、生けずにただ彷徨、時折ゆらめき明滅し、鏤められ、そして禍々しい闇のなかに溶けて消えた。
「――――!?」
すぅと瞼を押し上げる。
あれは夢か幻か。
いや、そのどちらでもない。
おそらくあれが広寒宮。ならば水辺に現れたアレは誰のものであるのか自ずと察しがつく。
少女は口唇を引き結び、そうして少しくゆるめると艶なる微笑を紅唇に刻んだ。
("…………")
何者にも屈せざる少女の気概がそうさせた。
やおら裳裾を絡げもち、形を結びゆく円月にむかってしずしず腰を折ると僅かにふりかえった。
「…………」
少女の一瞥のもと数百ともつかない女官たちらをそう跪かせる。
女官らは一斉に手の平を交差させて跪拝の礼をとったのち、わらわらとススキ野から退いていった。
室路につくまで彼女らは言の葉を発することは許されない。
発した者は舌を抜かれた状態で謎の死を遂げるとされる。
きっとその理由すらもわからないまま多くの者が儀式にのぞんでいる。
蓮の灯籠が消えたことも、池の鯉が供物を飲み込んだ、その程度の認識にすぎないのだろう。
神事の謂われすら風化されつつあるとは由々しきこと。
ーーなれど。
もし、アレが視えていたとしたら迷信と軽んじたことを悔いあらためるにちがいない。
総じてこれほど気持ちが揺らぐこともないだろう。
肌が粟立ち、総毛立つあの感覚も知らずにすむ。
この世には知らなくてよいことが確かにある。
それが幸福至極であることも。
たった一人、その場に踏みとどまった少女は供物の消えた池の中央を眼瞼にやきつけた。
ーーーーアノようなモノには決してならぬ、と。
そう深く胸に刻んだ。
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