(2) 血統書つきの子猿は孫悟空の末裔




『……キサマ、どこか具合でも? ぁぁ、頭か! 気の毒に…………』


ばぁか、ばぁか、うすらトンカチ、と孺子まがいの語録がつづいた。


どん底に気分が悪くて、突っ込みたくもないが、語録のチョイスが色々と気になる。


くらくらと眩暈におそわれつつも朔は荒い息差しを整え、今しがたのあれを反芻する。


「――――今の……」


最近とみに減ったこうしたやりとりは古参の重鎮たち、その顔ぶれの変化とともに古い因習が廃れた。


まだいたんだ、そう思う一方で化石かしつつあるほんの一握りの悪意に嘆息がもれる。



ーーいゃ?



これはおつむの弱い重鎮たちのやり口ともことなる。


奴らときたら侮辱されることを何よりも厭う。

八色の姓を重んじ血筋と名声、矜持を肴にしてご飯三杯をペロリとたいあげられる。


そんな奴らがこれみよがしな、あからさまな侮辱を正面きってぶつけてくるはずがない。


卑劣でありながら自らの手は決して汚さない。それが政治というものだ。


となると考えられる可能性はひとつだけ。



("もしやーーコイツか?")



矯めつ眇めつ、値踏みをするようにして頭の先から足の先、全体像を瞼にやきつける。


が、どんなにやきつけたところで猿は猿。


愛くるしいつぶらな眸と見るからに柔らかそうな金色の毛並み。


人とおなじように小さいながらも手足ともに五本指。

やや足は太く、きっと二足歩行も可能だろう。


いや、注目すべきは顎の下、わずかに喉仏らしきものが小さいながらも確認できる。


ならば声帯をふるわせ言の葉を操ることも可能?


「いゃ、ありえない。そんなわけーーーー」


ありえない、果たして、そう断言できる根拠がどこにある?


雑魚妖怪のなかでも人や動物そっくりに化ける妖怪もいる。適応能力にたけ、どの色にも染まる。

そういった意味では妖怪の進化形ともいえよう。


これまで姿形にだまされ痛い目をみたことも一度や二度ではない。


雑魚にできること。よしんば可能性だけならこれはアリだ。



『そこな唐変木よ、聞いて驚け。僕こそは由緒正しい血統書つきの孫悟空の末裔、孫嘉朶だ』


跪け、そう言わんばかりにふてぶてしくフンとと鼻を鳴らしてやおら立ち上がり、ほてほてと歩み寄って格子の隙間から高々指をつきあげる。


「ーーーーウソ、だろ?」



気づけば棒のように立ち尽くしていた。


仮にも斉天大聖と神名をいただいた孫悟空の裔。いまなお尊崇される石猿は不老不死をもとめたがついぞ叶うことがなかったという。結果、金箍を賜った。


その孫悟空が神話から姿を消してのち、人の王に仕えたとされる。

それが蒼国が建国の祖、蒼樹焔、皇武帝だ。

その比類なき金甌無欠、豪勇無双ぶりにその膝下に下ったのだ。

以降、孫悟空を敬称して【猿王】と呼ばれるようになる。


その子孫が甚だしくも、こんな可愛いだけがとりえの愛玩手のり猿?


ご先祖様が泣くぞ。


一芸だけで生きている。


うらやましいような、そうでもないような、複雑極まりない。


ーーどうしてくれよう…………


朔はそのまま黙考し、小さな綿毛猿を仔細に観察しだした。


「…………」


円らな眸が猫の目のようにくるくると様相をかえた。

恐れ、警戒している証。


朔は余裕綽々としてにんまりと細く笑む。


『何がおかしい。キサマ、さてはこの僕に畏れをなして気でもふれたのか?』


「いゃ? つぅかーーーー」


『強がるな。斉天大聖、孫悟空。その名を聴けばビビってチビる奴も少なくない』


そう言って嘉朶は糸柳の葉のように細く目縁を眇る。


『キサマ、ーーーー東方朔、といったな』


よくよく見ると目の上に麿眉のような斑点模様がある。


プッと吹き出しかけた。

憎らしいやら可愛らしいやら、真綿で首を締め上げたくなる。


「だったら何だ」


『キサマの噂を耳にしたことがあるぞ。なんでも道ゆく妖怪どもが縮みあがって先を譲るそうだな。しょせん下級妖怪どもの戯れ言。だがそれもキサマ自身が吹聴してまわったデマだろ』


やれやれと朔は首をふる。


「アホぬかせ、そんな時間があるなら俺は寝る」


アホらしい、憤って乱暴に嘆息を吐きすてた。


「噂なら俺もきいたぞ。何が西山の長のご帰還だ? こんなちんけなボス猿。俺様にかかれば一捻り終わりだっての!」


『ぁん? そう歯噛むな。さぞや末恐ろしかろう? ゆくゆくはご先祖様に恥じぬ猿王になるだろう、泣く子も黙る大妖怪にな。その時になってあの時はバカにしてどうかお許しください…………なんて吠えずらをかくなよ!』


「あっそ、だから?」


『だから? その不遜な物言いといい無礼な。頭の回転が鈍いって噂は本当か。そもそも僕はお前のような下賎者とは生まれからして違う。わきまえろ、ボケッ!!』


ゴツン、と嘉朶の脳天が弾かれる。瞬殺だった。

目ではとらえきれぬ速さで籠の隙間をぬうようにしてそれは放たれた。


『ぐぅぉ!?』


嘉朶は頭部をおさえながら千鳥足で三歩後退。ヘロヘロと頽れる。


コン、と足先に触れたが今は果てしなくどうでもいい。

目から飛び出した星を追う黒目が二周したところで絶叫をあげた。


『ムキッ! なぜこんなところにドングリが!? おのれーー明宝様に言いつけてやるってやるぅぅ!』


「ぁぁ、どうぞ? 言いたきゃ言え。そのかわりお前がただの猿じゃないって露見するだけだ。一生カゴの鳥ならぬ籠の猿、決定」


『ーーな!?』


心なしか嘉朶の背後に"絶望"の二文字が吹き出しされて見える。


「…………」


きた、そう朔は口の内でごちる。


明宝のそばにおくになるか否か、口にする言葉ひとつひとつがこの猿の岐路となるだろう。

相応しくないと知れれば朔がそれを許さない。


朔よりも美丈夫はもってのほか。害虫は論外。悪い妖怪なれば問答無用、箱詰めにして道端へ廃棄。善かれ悪しかれ朔より上であっても、ましてや下であってもならない。


すべては蒼国の至宝、明宝公主を守らんがためだ。


「僕ちゃん、どうちたのかなぁ?」


『むむむッ』


嘉朶の機微を探ろうとして明宝が野暮ったいとのたまわった前髪を指で梳く。


すべらかな髪を耳にかけ、物憂げに長い睫毛を押し上げるとそこに玻璃のような二つの瑠璃が煌めく。

きりりとした涼しげな目元と少年らしい端正な横顔があらわになったが嘉朶にそれを凝視する余裕はなかった。

すぐにさらさらと音をたてて所定の位置に戻ってしまった。


『く、屈辱』


口をへの字に引き結んだ。


「ほぅ?」


『……やっとだ、やっと! なのに……』


そう切れ切れに声を絞りだし、嘉朶は口の端を苦々しげに歪める。


次いで膝を折り、しおしおと小さな手をついた。


『……頼む。明宝様にはどうか秘密にしてくれ』


「ーー!? 猿、お前」


小さな毛むくじゃらの手がかすかに震えている。

その光景はなにやらひどく胸の奥が痛んだ。


朔は小さな嘆息を吐く。


「わかった、黙っておいてやるよ。ーーなんだよ、ビックリしたような顔をして」


『ぇ? いゃ、でも、なぜ?』


ひとまずは嘉朶の真価を問うのは保留だ。今はまだ。


「あん? 漢が軽々しく土下座なんかすんな。お前それでも漢か?」


矜持だけは最高峰なくせにあまりにも無力。だから口巧者になる。


おそらく哀憐をかけられたと知れば小猿は辛酸を舐めるような屈辱を味わうだろう。

ゆえに胸の内を正直に語るそのひたむきさに、ちょっぴり絆されたからとは告げないでおく。


「漢なら立て。お前…自称、孫悟空の裔なんだろう? 胸をはれ!」


『!』


怫然として嘉朶はすくりと立ち上がった。凜と背筋をのばし、誇りと自信に満ちあふれたその姿は西山の長、猿王を髣髴とさせた。


遠くない将来、あの孫悟空のそれよりも。


『自称じゃない。僕は血統書つきの本物だっ!! ……けど、一応礼は言っておく』


「いいって。背中とかむず痒くなる。俺はな卑屈と卑怯者は嫌いだが素直で一生懸命な奴は嫌いじゃない」


けらけらと磊落に笑ったあと、ふいに真顔になる。


「形は小さくとも妖怪は妖怪、いいかよく聞け。明宝を決して裏切るな全身全霊をかけて護りぬけ。くれぐれもこの俺を敵にまわすなよ。俺は基本、妖怪ってヤツが大嫌いなんだ」


くしゃと前髪をかきあげると目にも鮮やかな二つの瑠璃の玉があらわれ、嘉朶はそれを覗き込み、すっかりのまれてしまった。


『ーーーー!?』


嘉朶は顔面を蒼白にさせ、よろよろと後退、膝が崩れ尻餅をついた。


("瑠璃の眸!? これが噂にきく神鬼の眼。コイツもはや人ですらない?")


ゴクリ、と口腔の酸いものを嚥下した。


妖怪狩の東方朔。妖怪のなかでその名を知らぬ者などない。出会ったが最後、その瞬間死を意味する。いかな大妖怪とて末路は同じ。


東方朔は妖怪に容赦ない。その存在自体憎んで

いるとしか思えなかった。


朔が殺る、と言えば人に危害をくわえぬ妖怪だろうと鉄槌をくだす。

最強にして最凶なる妖怪殺し。それがヤツについた二つ名であった。


だが不思議なことに朔を畏れていた雑魚どもが、さくを知れば慕い、付き従うようになるのだ。


そうさせる何かが東方朔にはあるのだろう。


いや、嘉朶はギリッと奥歯を噛みしめる。


東方朔は気まぐれだ。意に添わぬとわかれば、この少年の皮をかぶった鬼神は無邪気に微笑みながら爪牙をふるうだろう。


『それは脅しのつもりか? 無用だ。僕の主人は明宝様だけだ』


「ほぅ。そうか。俺はしばし蒼国をはなれ華南へ行く」


『華南? 皇王様がどうされたのか!?』


「舌の根のかわかぬうち、前のご主人様が恋しくなったのか?」


『違う! 育ての父にも等しい方だ。案じてもおかしくはなかろう?』


「そういうことにしておいてやんよ。ただの予感だ」


「予感? 予感とはなんだ」


嘉朶は警戒心をとき、ヒタヒタと近づく。青ざめた表情で格子をわしづかむ。


『どうなんだ、答えろ!』


苛立ちをぶつけるようにして小さな拳をふるってバン、と打つ。


恩義のある人の身を案じることは人でなくとも至極当然。理解できるものだ。


朔は子供をあやすそうに優しい声音でもって語りかけた。


「案ずるな。何かあれば真っ先に知らせてやるよ」


ピッと拇指をたてる。


「猿、その間お前が明宝を守れ」


出ろ、と言ってそっと扉を押し上げる。


すると嘉朶は恐る恐る歩み寄って、のそりのそりと顔をしてつきだす。


東方朔を手なずけて子分にするのも悪くない。


『口を開けば猿、猿といつかキサマにぎゃふんと言わせてやる!』


「いつかといわずに今どうぞ? いつでも俺は受けてたつ。かかってこいやー」


『ムキッ! 猪口才な。三公仙の後ろ楯があるからっていい気になるなょーーーー』


ゴンッ、と嘉朶の脳天に激震がはしった。


『ぐわぁ!?』


もろに扉の直撃をくらった。


『キサマ……一度ならず二度までも!』


「ごめぇん? 手がすべった」


子羊のよう無垢なる微笑をうかべつつ、そっと扉をもちあげた。


『…………』


ウソ臭すぎる、そう嘉朶は思った。

だが迷っている暇はない。すかさず鳥籠から這い出る。出てしまえばこっちのものだ。


『東方朔。いつかお前の存在ごと滅却してやるぅ!』


ビシッと指差して高らかに宣言した。


「おぅ! その時にはお前も道連れだ」


『一人で行け。僕はいずれ明宝様と天上の隠れの宮、広寒宮へ行く』


朔は口をあんぐりと開け放ち、嘉朶をとくと見、感心したように頷いた。


「よく知ってるな広寒宮なんて。ぁ、ちなみに広寒宮へあがれるのは鬼宿の宿星をもつものか兎か蛙だけだぞ」


『……キサマ、この僕を担いでいるな?』


「またまたちなみに、三公仙ともなれば無条件であがれる。仙人の仲でも三公仙は別格。ーーで、俺は受けてその次期、三公仙候補の筆頭として名をあげられている」


『無理! キサマには絶対無理っ、うぬぼれにもほどがある。三公級になれるとでも?』


「思っている、って言ったら?」


だからどうした、そのつっけんどんな物言いに嘉朶は目をむいた。


『ど、どこからそんな自信が!?』


「それだけの実績を積んでいるわけだし、なによりオレは三公仙人のひとり、伯陽の弟子。それにあぐらをかくことなく寸時を惜しんで労にいそしんでいる。確率だけならアリだろ。そういうお前こそ明宝とずっと一緒にいたいのならそれなりの努力、修行をつまないと。なんならこの俺の弟子にしてやってもいいぞ?」


朔はもふもふの頭を指でひと撫でする。

その優しい手つきと不意にむけられた柔和な笑みに嘉朶の頬もゆるむ。


むきゅと喉を鳴らしてすぐ血反吐を吐くような後悔におそわれた。


『情けは無用だ!』


「これよりお前は神仙としての仙術を身につけなければならない。お前がこれから覚える仙術が妖怪のそれであってはならないからだ」


『……ん? それはどういう?』


「明宝は次期、月の女神。それに付き従って広寒宮へあがるってことは、神につかえ奉仕する月人荘子をさす。ただの従僕くずれの妖怪であってはならない。ま、弟子うんぬんはともかく。天のことも地のことも知らないお前に誰がそれらを教えてくれると? 一能でもあるのか? 俺をうならせるような神通力があるのか? 自己流なんてものは畳水練みたいなもの。どうすっる?」


朔は椅子にもたれかかり長靴をぷらぷらとさせた。ぎこぎこと軋む。

その態度の悪さはさておき、言葉の端々にはどこかしら温かいものが感じられ、嘉朶は渋面になった。


『一考の価値はある。考えさせてくれ』


「だな。俺は野暮用をすませてから向かう。ひと足先に明宝のもとに向かえ」


『わかった』


そう継げるや否や嘉朶はするするとつたって円卓をおりる。さすが猿だ。木からおりる要領で造作もない。

戸口へと向かい立ち上がりざま細く開け放つ。

そのまま一度も振り返ることなく一目散にかけだした。


「うっわ、寒っ」



小猿と入れ替わるようにして寒気がすべりこみ、同時に室温も一気に下がった。


いつの間にやら戸の向こうはすっかり暮れはて宵の帳が舞い降り、煌々と月光が降り注いでいた。


「ガキは無邪気だな。無が失われると邪気となり人を腐らせる。大人ってやつは。俺もつくづく腐っちまったよな、とりあえず鍛練でもすっか? だがそれも無駄に腹がへる」


秋はひと雨ごとに寒くなっていく。だがその雨もいつしか雪花となり鵞毛のように天から降り注ぐのだろう。


銀盤の上に降り積もる氷彫のような季節がまた巡ろうとしている。


冬は嫌いだ。


よっこらせ、膝をうちやおら立ち上がると、椅子に置いたままの笠と外套を手に取る。

苦い嗤いを浮かべると主なき籠を見おろす。


これこそ朔の原点だ。


「そろそろ仲秋の儀がはじまるころか。適当な時間まで暇でも潰さねぇとな」


そぞろな足どりで、室をあとにした。










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