変化の話





「ニド」

 実態の無いものを生き物のように扱うことへの嫌悪感から、いままで わざと口にするのを避けて来た「これ」……つまり、この「開発中の自然言語処理研究AI」の識別名称。それを気まぐれに唇に載せると、AIは今までの対話で学習した通りに返事をする。私が勝手にニドを毛嫌いした挙句、急に心変わりをしたことなど知らないし、気にもかけない。気楽だ。

「F、何か御用でしょうか」

 ニドが畏まった疑問形で応えた。ニドの発声をデータ化した波形が白い画面に映し出される。同時に、人の声に近い機械音で自分の通称を呼ばれるのが案外心地いいことに今更気付いた。少なくとも、同僚達がいつもするように嘲笑を含んだ響きで口にされるよりもずっといい。

 私の通称には侮蔑の意味が込められているけれど、ニドはそれを学習していない。そもそも、不適切な単語を含む発言は避けるようプログラムされている。だからこんな事当然なのだが、その当たり前が居心地の良さを作ってくれる。

「今の時刻は?」

「午後二時二十五分三十八秒です、F」

 正しい回答だ。手元のページの「異常なし」の欄にチェックを入れて、定期記録をサーバーに送信した。

 ニドは学習をするが思考をしない。電子回路の中で正解を計算し、必要に応じてバラバラに録音された言語を組み合わせてスピーカーから音声データを出力する。だから、お互いに対して想像力を働かせるような非効率的な行為も要らない。そこにあるのは必要とあらば私が自由に手を加えられるデータだけだ。

 嫌われることを恐れる必要も無い。理不尽に耐えなくてもいい。少なくとも、ニドとの会話では。

「ありがとね」

「はい。また何かあればお申し付けください」

 友人と喋る時のように砕けた口調を使っても、今は返答の内容に変化がない。答え方を教えていないからだ。私にとっては好ましいが、他人の目には虚しく映るのだろうか。

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