第四章 始末事始 ③

 それにしても、宗右衛門と鷺庵はどこに行ったのか。清太郎も詳しくは知らされてないらしく要領を得ない。城から若い侍がやってきて、慌ただしく出かけたそうだが、何の用なのか。「始末」かもしれないが、それなら、清太郎に一言あってもいいはずである。分からないことが多すぎた。


 昼前には予定していた施術が終わり、安針は、久しぶりにお梅のところまで足を伸ばした。晩飯の世話になってるお兼さんにいろいろ持ち込んでるのはお梅だ。旦那の藤吉に、ちょっとばかりいい酒を手土産に持って行くことにした。商家の界隈を一里も過ぎないうちに、辺りは潮の香りが漂う。一杯飲める小さな店がいくつか並ぶあたりを過ぎると、峯津の港が見えてきた。網元の大きな家を過ぎて、ぽつんと建った小さな小屋の前に、目当ての藤吉が座っていた。


 藤吉は、丸太を切ったのに腰掛け、七輪を団扇であおいでいる。醤油の香りが届いた。イカを焼いているらしい。日の高いうちから飲もうといったところだろう。安針は声をかけた。

「藤吉さん、いい匂いだねえ。酒、持ってきたよ」

「おう、若先生じゃねえか。鷺庵先生はどうした」

「どっかに出かけたまんまさ。いつ帰ってくんだろうね」

鷺庵先生の代わりに施術をしにきたはずが、どうも飲み明かす流れになってきた。きりのいいところで、何とか引き上げる算段が要りそうだ。


 小屋の中から、お梅も顔を出してくる。

「あれまあ、若先生じゃねえか。今日の晩飯はうちで食うかね」

安針が手にした酒を目ざとく見つけ、都合を聞く前に段取りをつけてしまう。港の人間は、何かにつけて気が早い。


 イカをつまみに夕方まで飲んで、ついでに晩飯もご馳走になってしまう。安針がダメ元で尋ねてみると、耳よりな話が聞けた。七十過ぎても漁に出ている藤吉は、前歯の欠けた口を大きく開けた。

「そうそう、若先生が生まれなさるずっと前からじゃった。あの頃はうちのババアも別嬪でなあ」

話が横道に逸れていきそうなので、安針はあわてて口を挟んだ。

「黒田屋には、よく碁を打ちに来てたんだけどねえ……。昔からの碁敵だったのかい」

「そりゃ年取ってからの話よ。若いころは、『やっとう』ばかりの二人じゃった」

「え、鷺庵先生も、『やっとう』が使えたのかい?」

「おや知らんのかね。鷺庵先生は、もともとはお侍じゃ」

初耳だった。


 鷺庵が侍だったとは初耳だ。始末屋を立ち上げた父の右腕どころか、身分によっては後ろ楯だった可能性もある。安針の不眠を診たときの勘の良さや体捌きの切れは、鷺庵が武術の達人であったことを示している。


 多少酔ってはいたが、安針は何とか帰りついた。藤吉に付き合うといつも飲み過ぎる。そのまま倒れ込んで、朝を迎えることになった。予約している患者は断れない。二日酔いのまま、何とか施術を終えた。


 その日の晩飯は安針自ら用意した。お梅からもらった生利節をほぐした味噌汁だ。飲み過ぎた胃に優しい味。人心地がついたところで、安針は師匠を「透視」で追いかけることにした。師匠と食事をした部屋で体を寛げて座り、軽く目を閉じる。イメージの中で、部屋の時間を過去に向かって軽く「引」き戻した。


 動画を巻き戻すように部屋の様子が変わる。やがて、黒田屋に出かける直前の師匠が見えてきた。視点を師匠に「固定」し、時間を未来に向かってゆっくりと「押」した。黒田屋で親父と会い、清太郎に俺のことを伝え、城から若い侍がやってきた。

「心月館より、殿から下賜された脇差しが盗まれた由。堀内様におかれましては、腹を切るとのこと」

鷺庵が眉を寄せた。

「何と、『真改』の脇差しではないか。盗んだのは、例の食客か?」

井上真改の刀だと。安針の前世でも有名な人だ。古刀の風格を持つ名刀である。

「いかにも。堀内様に取り入り、何食わぬ顔で立ち去ったと聞いております」

「心月館は藩第一の道場。弟子の信頼の厚い堀内殿に、早まったまねはさせられぬ。して、殿ははいかに?」

「鳥内様より、内々に始末せよと」

鳥内というのは、殿の側用人である。


 伊納藩は、周りを大藩に囲まれた小さな藩。侍だけでなく、黒田屋にも道場に通う者が多い。半弓に至っては庶民の娯楽として推奨されてもいる。そのためか、藩第一の道場・心月館に、黒田屋の二代目や三代目が通っても違和感がないのだ。道場を預かる堀内小十郎は、古稀を過ぎてなお矍鑠としているが、毎日の稽古は師範代がつけているという。


 鷺庵と宗右衛門が出かけたのは、道場の「お宝」である拝領の脇差しを取り返すためらしい。藩は道場に責めを負わせず、盗人を密かに消すことを選んだようだ。若い侍は、おそらく見届け役だろう。始末屋の仕事は、その全てを兄が引き継いではいないのかもしれない。


 未来を「観」ようとすると、いくつかの可能性が同時に見えて混乱する。父たちの「始末」の成否を確かめるのをやめて、再び視点を鷺庵に固定する。そのまま過去に「引」き戻し、その腕前を「観」ることにした。


 いい具合に「引」き戻す感覚が、なかなか身につかない。過去を行ったり来たりして、どうにか納得できたころには真夜中になっていた。明日中にしておく用事に気がついて、とりあえず床をのべた。

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