第5章
「まず君が僕のことを覚えてくれているなんて思わなかった。最後に話したのは16歳の頃だし、それ以来はクラスが一緒になったりしたけどほとんど関わらずに生きてきたからさ」
佐々木さんは僕の言葉のひとつひとつを目で追うように、時折小さく頷きながら話を聞いてくれた。
「正直なところ、僕は君に嫌われていると思っていたよ。だってさ、ほら、この4年の間に目線すら合わせた記憶がないんだ」
佐々木さんは少し伏目になった。
手紙にもあったが、やはり罪悪感を抱えて今日この場所に来ているのだろう。
「でも、あの、佐々木さんは何も悪くないと思うんだ。僕と君の最後の会話を覚えているだろう?突然心臓が見たいだなんて怖いよね、普通。僕はあのあとひどく後悔したよ。あの時の君は驚いていて、少し怯えたような表情だったのを今でも覚えているんだ。僕はそこで初めて気が付いたんだよ。僕の言い方は間違っていたんだって」
ここまで話して僕はハッとした。
いつの間にか僕が一方的に話してしまっていた。
いけない。ついつい夢中になってしまった。
「…僕だけたくさん話してしまってごめん。とにかく僕はあの日のことをずっと君に謝りたかったんだ。佐々木さん、あの日は…」
「…待って」
言葉を遮るように彼女が口を開いた。
僕は慌てて彼女の顔を見た。
彼女はやはり申し訳なさそうに、テーブル席の中心あたりを見つめていた。
「あまりあなた自身を悪者にしないで。私だってあなたに対して申し訳ないと思っていたの。ずっと謝りたかったの。たしかにあの時のあなたの言葉には少し驚かされたけど、だからといってろくに返事もせずに逃げるべきではなかったと思うし、あの後からあなたを避けるような態度をとってしまったことも反省しているわ。本当にごめんなさい」
言葉に詰まってしまった。
彼女の表情から察するに、その言葉は偽りではないようだ。
僕は嬉しかった。
自分なんて相手にされていないと思っていた。
彼女が自分のことをこんなに考えてくれていたなんて。
「いいんだ。僕の言葉選びがよくなかったし、佐々木さんを驚かせてしまったのは確かだし…僕の方こそごめんなさい」
佐々木さんは黙って頷いた。
暫しお互いに無言の時間が続いた。
まもなく揚げ餃子と軟骨の唐揚げが運ばれてきたが、互いに手はつけなかった
しかし、僕の心臓だけは激しく脈打っているのが全身に伝わっていた。
僕にはまだやるべきことがある。
それは僕の想いを改めて彼女に伝えることだ。
高校に入学して彼女と同じクラスになったあの時。
彼女と隣の席になって自己紹介をし合ったあの時。
彼女に数学の問題の解き方を教えてあげたあの時。
何気ない出来事ばかりだが、そんな瞬間の数々が彼女への想いを大きくしていった。
そして彼女の絵画作品である『愛』を見たあの瞬間に、僕は自分の中にある彼女への想いの正体を発見したのだ。
しかし、あの時の僕はまだまだ幼い少年だったから、心の奥底にある本心を伝えるタイミングを誤ってしまったのだ。
『人生の全てはタイミングが重要』
あの頃の僕はこの事実を正しく理解できていなかった。
だから順番を間違えてしまったのだ。
でももう間違えることはない。
彼女と関わることができなかったこの4年間、僕はこの瞬間を夢見ていて、この瞬間が訪れた時に備えてしっかりと考えてきたのだ。
だんだんと自分に自信が湧いてきているのが実感できた。
彼女と会うことが決まった時の疑心暗鬼になっていた自分は姿を眩まし、徐々に平静を取り戻しつつあった。
今なら言える。
よし、言うぞ。
「あの、佐々木さん。僕…」
「宮本君。今から私が言うこと、信じてくれる?」
唐突に佐々木さんがそう呟いた。
僕は若干面食らいつつも、彼女の言葉を聞き漏らすまいと大きく頷いた。
彼女はそれを見て少し安心したような表情を見せ、僕の目をしっかりと見てこう言った。
「あのね、宮本君と最後に会話した16歳のあの日から、毎晩同じ夢を見続けてるの。本当に毎晩よ」
突拍子もない言葉に僕は思わず目を丸くした。
毎晩同じ夢を?そんなことが起こり得るのか?
しかしこのタイミングで彼女が冗談を言うとも思えない。
僕は一旦その言葉をそのまま飲み込むことにした。
「…それはどんな夢なの?」
僕は恐る恐るそう尋ねた。
彼女はなお僕の目をしっかりと見て話を続けた。
「あの日のあの出来事の夢。私が部活を終えて駐輪場に向かうとそこに宮本君がいて、何気ない会話をして、最後にあの言葉をあなたが言ったところで夢から覚めるの。この4年間ずっと。1日たりとも内容が変わることはなかったわ」
なんと言えばいいのか分からなかった。
あまりにも突然の話なので、自分がその内容を信じているのか否かすら分からない。
先程はとりあえず彼女を信じると決めたものの、冷静に考えればそんな荒唐無稽なことが起こるはずがない。
僕が混乱している最中も彼女は話を続けた。
「だから私、宮本君のことを忘れたことは1日たりともないの。そりゃあそうよね、毎晩出てくるんだもの。初めのうちは怖かったわ。だって不気味じゃない?内容がなんであれ毎晩同じ夢を見るって普通ありえないじゃない。それで少し言い訳みたいになってしまうんだけど、夢に現れ続けるあなたのことが少し怖くなって、それであなたを避けるようになってしまったの。改めて反省するわ。本当にごめんなさい」
彼女は真剣な顔でそう言った。
やはり嘘や冗談を言っている人間の顔ではない。
信じよう。
それがあり得るかどうかは今は置いておこう。
実際彼女はそれを経験し、それを4年ぶりに再開した僕に訴えてきているのだ。
実質当事者である僕が信じなければ。
「…ねえ宮本君。少し真面目な話していい?あ、今までも真面目な話だけど、ちょっと系統が変わるというか…」
「え?うん…構わないよ」
なんだろう。想像がつかない。
僕は身構えた。
「毎晩あなたの夢を見続けているうちに、その、あなたへの想いが徐々に変わっていったの。さっきも言ったけど、最初はあなたが怖かったの。でも、毎晩あなたと会話して、あなたからの言葉を受け取って、その言葉の意味を考えて…。そんな日々を送っていくうちに、その、だんだんあなたのことが……好きに…なりました」
何が何だか分からなかった。
彼女の言葉の一文字一文字を頭の中で反芻した。
彼女は今、たしかにこう言った。
僕に対して「好きになりました」と。
この4年間、遠くから眺めることしか叶わなかった彼女が、今、僕に…。
気がつくと目頭の辺りが熱を帯びはじめ、頬を一筋の涙が伝っていた。
「み、宮本君?大丈夫?」
僕は出来る限り涙を見られぬよう下を向き、気持ちを落ち着けようと必死になった。
数分間落ち着いて息を吸って、吐いて、また吸ってを繰り返した。
そしてなんとか平常心を取り戻した僕は、ようやく彼女の目を真っ直ぐ見てこう伝えた。
「佐々木さん、気持ちを伝えてくれてありがとう。僕も、その、同じ気持ちだよ。君を初めて見た時からずっと、君のことばかり考えてきた。4年前のあの日、僕はその想いを伝えようと思っていたんだ。結果的に成就するのが少し遅くなってしまったけど、このタイミングで再開できたからこそ両思いになれたのかもしれないね。本当に嬉しいよ。えっと、あの、まずは僕のこの『愛』という気持ちから、受け取ってください」
僕は顔を真っ赤にしながら、なんとか想いを伝え切った。
彼女の顔はその日いちばんの輝きを放っていた。
その輝きはかつて彼女が描いた『愛』の絵のように、優しく僕を包み込んだのだ。
僕たちはこうして恋人となった。
僕の長年の念願はこうして果たされたのだ。
店を出る間際に彼女はふと思いついたように尋ねてきた。
「ねえ宮本君、4年前のあの日って、私たち2人きりだったっけ?」
「え?そうだと思うよ?僕は1人で待っていたし、君も1人で来ただろう?」
「…そうね、そうだったわ」
そう言うと彼女はささっとレジの方へと歩いていった。
その後ろ姿は天使のような、妖精のような、何か神秘的な雰囲気すら感じられた。
僕は有頂天になっていた。
この幸せは永遠に続くのだろうと確信していた。
そりゃあそうだ。僕はこれだけの期間悩み続けてようやくこのチャンスを掴んだのだから。
そう、あの時までは。
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