(5)

 二人の尼僧が、四階建ての建物の下に立って、雨どいを恨めしげに見上げている――。


 これ以上怪しい光景が、この世の中にあるだろうか? ・・・やっぱり思ったより全然高い。帰ろうかな・・・。


 月島が、いつになく真顔で言った。


「山本くん。正直、君が来るとは思わなかった。違法行為びびり小市民の君のことだから、どうせ土壇場で逃げ出すに決まってると思い込んでいたんだが。君を見直したよ」

「いやっ。武士に二言はないからな。はっはっはあ」

「その意気だ! ようし! じゃ、君が先に登ってくれたまえ。こういうのはベテランが下からサポートするのが習いだ」

「・・・了解」


 俺がしぶしぶながら登り始めると、


「おっと忘れていた。これを持ってってくれ。屋上に着いたら、上からこの縄ばしごを下ろしてくれ。僕はそれで行く」

「いやそれお前の方が全然楽じゃん!」

「いいからとっとと登れ。時間を無駄にするな」

「てめえっ」


 また謀られた! だが見てろ。訓練の甲斐あってか、俺は何の苦もなく、すいすいと壁を登って行った。・・・というのは単なる願望です。実際はひいひい言いながら死ぬ感じで。でも、雨どいと外壁の間が少しあいていて、横木というかさんが、ちょっとはしごっぽくなっているので、何とかそこを頼りに登って行きました。3回、下の安全ネットに落ちました(泣)。良い子のみなさんは絶対真似しちゃだめだよ。俺も二度としないぞこんなこと。バカが。


 途中、三階のあたりで疲れ切って休んでいたら、隣のグラウンドの中学生が俺を指差しているのが見えた。思わず手を振ってあげた。するといきなり下から、


「それ止めて! もっと緊迫した表情で!」


と注文が飛んできた。見下ろすと、いつの間にか、月島の隣に逢魔先輩が。めっちゃレトロな、でかい蛇腹式の大判カメラをこっちに向けている。リンホフですかね。腕に光るは「広報」の腕章。〈ミレーマ〉機関紙にでも載せるのか?


 まあ確かに、「僧衣を風になびかせて雨どいをよじ登る尼僧」――これは絵になる。特にモノクロだと。いかなる意味においても決定的瞬間であることは、何人たりとも否定できまい。ブレッソンなら、どんなフレーミングで切り取るのであろうか。・・・もうポージングは充分でしょ? じゃ、登り続けますね。


     *


 俺が屋上でへばっていると、月島が颯爽とはしごで登ってきた。


「なにしてる? さっさと屋根裏行くぞ」

「・・・ちょっと休ませろっ」


 下を眺めると、隣接する別館との間は、しゃれた日本庭園風の中庭になっている。鯉がのんびり泳いでいる横を、生徒や家族が大勢、楽しげに歩いていて、とってもにぎやかです。いいなあ。俺も混じりたい。正門の方に目を移すと、こちらも並木や駐車場の辺りからずう~っとこっちまで、文化祭を楽しむ人々でいっぱい。まったく、なんで俺だけ、こんなとこに這いつくばって・・・。思わず目を凝らしてミカの姿を探してしまったんだけど、まあ見つけられるわけないし。はああ。


「もう行くぞ。とっとと終わらせて、あとは下でかわいい子探すんだから」

「は? 直ちに脱出するはずでは?」

「バカかよ山本くん。せっかく文化祭来て、見ないで帰るバカは君ぐらいだよ」

「だって捕まるだろっ」

「こんな服脱いで、普通にしてれば大丈夫だよ。身元チェックは入口だけだから。万一聞かれたら、みどりの兄貴だって言うし」


     *


 さて。尼僧が二人、天井裏を這い回っている。これは絵になるのか? と聞かれたら、迷わずイエスと答えよう。・・・失礼しました。だが、俺のかぶってる5LEDヘッドライトが、その絵を台無しにしちゃうな。ブレッソンが来たら、それ脱げ、と怒るだろう。


「その頭のやつすごいなあ。さすが公務員。用意周到だねえ」

「ふふ。これだけじゃないぞ。こっちも見てくれ。レーザー距離計。ドイツ製。天井裏を這う男のマストアイテムだ。ネットで見た。こいつで正確な現在位置を知り、手元のpdfと照らし合わせて進路を決定する」

「でもねえ山本くん。あの明かり取りの窓から日光がさんさんと差し込んで、ここ随分明るいじゃないか。それに、出口もあそこに見えてるし」

「・・・いや・・・せっかく持ってきたので・・・」

「じゃあせいぜいそれで遊んでなよ。僕は先に行くから」


     *


 会長からの事前情報どおり、天井裏は、建物を垂直に貫く配管スペースを通して、下の階につながっていた。壁に埋め込まれた鉄のメンテ用はしごを降りていくと、各階の天井裏にそのまま入れる。つまり、裏方は、表の世界の住人に一切見られることなしに、どこにでも入って行けるというわけ。これはすごいね。一種の隠し通路って感じ。


 でも、こんな世界が裏で広がっているなんて、ここの生徒は夢にも思わずに、三年間をこの建物で過ごし、卒業していくのだろう。――なんか、南高の生徒や先生やPTAを裏で支配しているという〈PIA〉を、ちょっと連想させますね。こわ。まあだけど、こういう雰囲気はダンジョンっぽくて、正直、俺は嫌いじゃないです。わくわく。うふ。


 しかしそれにしても・・・こんなあり得ない場所で、あり得ない行動を取っている公務員志望の俺。バカとしか言いようがない。以前なら考えられなかった。田んぼのど真ん中でミカに出会ってからというもの、俺の人生、まじでどうかしている。でもなぜか後悔はない。むしろ久々に、晴れ晴れした気分。なぜだろうね。少しでもミカの近くに来れたからかな?


 そんな感慨にしみじみ浸っていると、月島が例によって雰囲気をぶち壊してくれた。


「ヤバいぞ。人だらけだ。どうする?」


 会長の危惧したとおりだ。吹き抜けの豪華な螺旋階段が、俺たちの裏街道を真っ二つに分断している。そのおかげで、向こう側へ行くためには、いったん表の世界――廊下と階段の踊り場を抜けなければならない。パイプスペースの出入り口を細めに開けてみた月島が、うーんと唸った。人気ひとけがないことを期待していた廊下は、生徒と保護者であふれかえっている。


「まあそのための衣装だからな。行くしかない。顔を隠して急ぎ足。舞台の準備でめちゃくちゃ急いでるふりすれば、何とかなる――かも」


 結果から言うと、それで何とかなりました。みんなこっち見たけど、あまりにも非日常なのがむしろ幸いした。フリーパスだった。会長のカルト頭脳、今回はどうにか通用したみたいです。でも次はないでしょう。少なくとも俺は願い下げですね。


     *


 で、遂に来ましたよ! はるばる。pdfで示された「黄色い部屋」。天井裏から直接部屋に降りる点検口はどうやらないようなので、またもパイプスペースの扉からそっと廊下をうかがうと、らっきい。今度は人がいない。し~んと静まり返っている。問題の部屋の入口には「生徒会準備室」と出ているから、場所は間違っていない。


 だが――俺の野獣本能が危険を告げていた。静かだ。静かすぎる。もしや罠では? 中で屈強なエージェントが待ち伏せとか? ・・・大いにあり得る。もう少し様子を見たほ――明らかに何も考えてない月島が、引き戸をぐいと引いた。


「ひえっ」


 次の瞬間、俺は廊下の先まで逃げていた。そっと振り向くと、月島が部屋からひょいと顔を出して、


「誰もいないぞ」

「あそう? ははっ。鍵も掛かってないの? ・・・はは」


 部屋はいかにも準備室っぽく、長いテーブルの上に紙とか小物類が雑然と並んでいる。不審な点は何もない。ただ一点、隅にぽつんと、地味~な謎のパソコンが置かれている。メーカー名は削られていた。「勝手に触るな。生徒会」との注意書き。


 さてはこれだな。さすがだ〈P〉。まったく警備のない場所に、あえて機密データをさり気なく隠す。エドガーアランポーの手口だな。さてどうす――何も考えてない月島が電源ボタンを押した。


 しばらく何も起こらない。見つめる俺たちの緊張感だけが高まってゆく。と、突如として真っ青な画面が現れた!


「更新プログラムを構成しています。2%。PCの電源を切らないでください。処理にしばらくかかります」


 俺たちは固唾を呑んで画面を見守った。11%・・・17%・・・17%・・・17%・・・。


「・・・遅いなあ・・・」

「コンセント抜いてみるか?」

「それだけはやめろっ」


 俺たちは固唾を呑んで画面を見守った。・・・


「30分経つけどまだ17%だぞ。コンセント抜くか?」

「やめてっ」

「ナンパの時間がなくなっちまうじゃないか! あと10数えるうちに、パーセントを上げろ。でないとコンセント抜く」

「俺に言うな! ゲイツ君に言えっ」

「10、9、8、7、・・・」

「ほらっ! 上がってきたっ。今51%!」

「お。急に速くなったな。パソコンもびびったのか?」

「・・・94%だっ。いよいよ終わるぞっ」


 俺たちは固唾を呑んで再起動を見守った。・・・


「こんにちは。更新プログラムがあります。これには数分かかることがあります。PCの電源を切らないでください」


 電源コードをはっしと掴んだ月島と、それを阻止しようとする俺が激しくもみ合った。


「この野郎っ! 止めるなっ。こいつに思い知らせてやるっ」

「2時間待ったんだ! あと数分の辛抱じゃないかっ」


 ・・・画面はようやく、見慣れた感じのやつになった。


「サインインだと。パスワードが要るぞ。どうする?」

「モニターの左上に付箋が貼ってあるだろ。『PIAPIA(全部大文字で)』。たぶんこれだ」

「お。『ようこそ』だと。『新しい使い方で、可能性はもっと広がる』。新機能ご紹介。見るか?」

「いやそれ邪魔だから閉じて」


 さて・・・実は、ここからが問題だ。極秘の機密データファイルなるものは、どこにあるのだろうか? 隠しフォルダか? 隠しファイルか? きっと、おいそれとは分からない場所だろう。ファイル名も偽装されているに違いない。暗号化もされてるだろうし。


「お。ひょっとしてこれじゃないか? ドキュメントフォルダの中にあるこれ――『PIA賛助会員様一覧(見るな)』」

「おっと! それ罠かも! 『登録されている拡張子は表示しない』をオフにしないと危ないぞっ。うっかり踏むとウイルス来ちゃうかもっ」

「おおっ。『PIA賛助会員様一覧(見るな).txt』になったぞ」

「たぶん暗号化されてるから、パスワ――」

「普通にメモ帳で見れてるけど」

「まじか? よし。じゃ急げ! すぐコピーしてくれっ」

「人に頼むな。自分でやれ」

「は?」

「まさかUSBメモリ忘れたんじゃないだろうな? それでも公務員か?」


 俺はたまげた。


「そういうのは、てっきり〈ミレーマ〉が用意してくれてるもんだと・・・」

「バカかよ! 変なグッズ揃えてる暇があったらメモリ持って来いよっ」

「前もってちゃんと言ってくれれば、一緒に買っといたのにっ」


 パソコンの前で二人の尼僧は頭を抱えた。困ったあ。・・・そのとき月島が、突然ぱっと顔を輝かせた。背中のリュックを下ろしてごそごそ探っていたが、


「これだっ!」

「おおおそれかっ! ・・・なに?」


 自慢げに取り出したのはハート型キーホルダー。


「静香がくれたんだ。いいっつってんのに。ほ~ら、USBメモリになってるだろ」

「早く思い出せよそれをっ」


 俺たちは固唾を呑んでファイルコピーを見守った。緑の棒が、じれったいほどゆっくりと右へ伸びてゆく。・・・そのときケータイが鳴った。


 二人とも文字どおり飛び上がった。俺のケータイだ!


「あぁぁ会長っ。何か問題でも?」

「もぐらがチクった。計画は中止だ。すぐに脱出しろ!」


     *


 おーまああああっ! 今月、巨匠の幻の写真集が復刻されたからって、だからって、金に目がくらんで愛する月島を裏切っていいのか? 人としてどうなのそれっ。


「救助の時間はない。直ちに脱出ルートを取れ。君、もしくは君のメンバーが捕えられ以下省略。幸運を祈る」

「あのっ! すいません。一つ聞いていいですか?」

「何でしょう」

「脱出ルートって、また天井裏から屋上へ戻るやつですよね?」

「そうだが」

「あの。初歩しょほい質問で恐縮ですが――この部屋は一階で、そこにドアが見えてるんですね。開けたらそのまま外に出られそうなんですけど。でもこれってダメなんですよね? 罠ですよね? レーザートラップか何か、仕掛けてあるんですよね?」


 電話の向こうで、しきりに紙をごそごそやる音が続いた。やがて、「そうかあ」「なるほどっ」「確かにっ」とか何とか、ひとしきり独り言が聞こえた後で、会長の自信に満ちた声が断言した。


「素晴らしい着眼点だ! 許可する」

「・・・は?」

「行くぞ山本くんっ」


 ナンパする気満々の月島は、もうドアノブに手を掛けている。さっとドアを開けて飛び出そうとした俺たちは、しかし――ぎょっとして、その場に立ちすくんだ。


 ・・・ドアの向こうに、もう一人の尼僧が立っていた。ショットガンを構えて。


**********


 作業BGMは ClariS 「本当は」でした(切ない・・・)。脳内妄想アニメの2ndEDですね(涙)。


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