(3)

 ミカが待つテーブルへ戻ってきたときにも、俺の頭はまだ混乱していた。なぜ月島が? あまりにも予想外の組み合わせだ!


「大丈夫?」

「あ。いや。うん。ちょっと知り合いを見かけたような気がしたんで・・・でも違った。見間違い」


 逢魔先輩は確かに眼鏡っ子美少女だが、俺は、まあ特に思い入れがあるわけじゃないし。どんな男と付き合おうと、本人の勝手だとは思うが・・・まさか、よりにもよって月島とは! 相手を選べよ! ほかにいるだろ? 同級生とか。


 でもこれで、花染さんへの言い訳は成立するかな? 「やっぱ、年上の彼女がいるみたいですよ。らぶらぶの。だから諦めた方が――」・・・うん。これいける。これで行こうっと。


 だが別の不安が、急速に俺の心に暗雲を広げつつあった。


 逢魔先輩のパパラッチ活動。プロならば公私混同しないはずだが。プロならば、あの写真を組織ないし白鳥先生に提供した時点で、任務完了。したがって、組織が握りつぶした時点で、写真は、この世から完全に破棄されたはず。だが・・・。月島! 俺はもう、お嬢さまと組織のお相手だけで手いっぱいなんだよ。これ以上、話をややこしくしないでくれ!


「山本くん? あの――」

「はい?」


 まずい! 動揺してるの気づかれた?


「あの人って、写真部?」


 女の勘ってすごい。・・・ってえ! 余裕こいて感心してる場合か! ななななんで分かったんすかミカさん!? ミカの口調は穏やかでさり気ない。けど、心なしか、ちょっと平板でこわばった感じ。平静を装ってるのか? 俺がごまかしたんで内心怒ってる?


「はいいいっ?」

「ちょっと見えたから。ブレッソンのTシャツ」


 いやあれTシャツじゃなくて、背負ってる写真集なんですけど。


「ぶぶぶブレッソンっ。よく知ってますねミカさんっ」

「うん、ちょっと調べてみたから・・・前に。・・・あの人が、白鳥さん?」

「へ?」


 なぜここで先生の名前が? ・・・ああそうか。そう言えばライン打ってるところ見られたんだっけ。でもミカさん、完全に誤解してるよそれ。だが――俺が訂正しようとした矢先、急ににわか雨が降ってきた。梅雨の前触れかな? それにしちゃ早いが。


「ひゃ~」


 雨を避けるには、やっぱりパラソルはちょっと役不足だ。子供や女子の黄色い声が響く。結局、みんな、近くのデパートや商店街のアーケード下に避難した。


     *


 雨宿りしているミカの顔が、すぐ隣にある。でもミカは俺の方を見ようとしない。


「あの。さっきの話だけど――」

「いいの山本くん。無理して説明してくれなくても。いろいろ付き合いあるのよね? 部活とか。二人ともブレッソン好きなの? 放課後に、その話で盛り上がったりとか?」

「・・・いや。別にそういうんじゃ――」

「ごめん。なんかしつこかった。忘れて」


 ええい、もう全部、洗いざらい喋りたい。スクープ写真のこととか。まあでも言えないんだけど。


 ミカが、ぽつりと言った。


「私も、北高にすれば良かった」


 ・・・ですよね。やっぱり共学の方が。イケメンいるし。ただし月島以外でお願いしますよ!


 ミカは、何だかちょっと寂しげだ。そろそろ踏み台からステップアップして、イケメン芋づる作戦へシフトすることを考えてるのかも。でもそうなっちゃうと、俺の出番が激減するのは目に見えてる。だったら俺としても、今のうちに、できるだけオフィシャルアンバサダーとしての点数を積み上げておく必要があるな。俺は攻勢に出た。


「ところでミカさん! 立て続けで恐縮だけど、実は、掘り出しものの優良物件があるんだけど!」

「なによ急に。不動産屋になっちゃって」

「これだ!」


 俺はミカにケータイを突きつけた。ひかえおろ! この美麗なる画像が目に入らぬか!


「・・・タコ?」

「そうだ! タコだ! 光ってるだろ! 蛍みたいに光るんだよ! 世界でも珍しい。この地域の海だけにいるんだ!」

「なんか、生物学的種類、違ってない? 普通聞くのと違うんだけど」

「そこは気持ちよくスルーしてくれっ」

「・・・で、これを見に行くの?」

「そのとおりだっ。これ専門の水族館もあるけど、やっぱ大自然ライブで直に見るに限るぞ、これはっ」

「船で行くわけ?」

「良い質問です。確かに観光客向けのツアーもあります。船で。だけど超人気。予約取れません! しかも朝早いです。夜明け前出発だったと思う」

「朝早いの却下」


 ちっちっ。そのくらいは想定内だぜ。


「おおっと、却下するのはまだ早いぞ。地元民のみが知る穴場情報があるんだ。なんと、夜の海岸に行けば、ばっちし生で見られるんだよ! 産卵のために、メスが深海から浜へ上がってくるんだ。すごいぞ。神秘の青白い光で、波打ち際が、全面、光り輝くんだ! ・・・ただしだな。明るいと絶対に来ない。新月、つまり、月のない真っ暗な夜に限る」

「ほほお~」


 俺の熱弁の甲斐あってか、ミカはそこそこ興味を引かれたご様子。ちょっと顔近い。うふ。手ごたえあったあ! 大自然の誘惑に身を委ねろ! お嬢さまっ!


「ちなみに3日後が、ちょうど新月だ。どうだベストタイミングだろ! あ、でもちょっと夜遅くなるかも。お父さん大丈夫? お許し出る?」

「それは大丈夫。今いないの。また出張だから。それに、ちゃんとエスコートしてくれるんでしょ? ツアーガイド兼ボディガード」


 お任せください。ガイドはばっちりです。ボディガードについては・・・ええと・・・ものすごい凶悪犯が相手の場合は、また、別途ご相談ってことで。


     *


 さて、指折り数えて待ちに待った新月の夜! 記念すべき、ミカとの初の大自然ツアーですっ! ここまで漕ぎつけるのに、どれだけ苦労したことか・・・ううっ(涙)。


 暑すぎず寒すぎず、天気も良くて、ナイトピクニックにはもってこいの気候だ。トイザラスのマックで軽く夕食を済ませ、夜食と飲み物もテイクアウトして、もう万全。大学前のバス停から一路、北へ向かうバスに乗る。二十分ぐらいで着くはず。全て順調。計画どおり! 街の灯りがきれいです。るんるん。


 あれ? だけど、バスはなぜかがらがらで、ほぼ貸し切り状態だ。みんな自分の車で行くからってこと? でもなんか寂しいんだけど。地元民のみなさんどうしたの?


 それに、俺のハイテンションをよそに、バスの中のミカは、妙に静かだ。先日来のよそよそしい感じがまだ続いている。やっぱりミカをほったらかして、パパラッチ先輩を追跡したのがまずかったか? 確かにご令嬢には失礼だったもんな。平身低頭。でも、ご機嫌がなかなか直ってくれない。・・・気まずい。・・・こういうときは、ぜひバスの中にもお化け屋敷欲しいです! バス会社の偉い人、ご検討のほどよろしくお願いします!


 沈黙が耐え切れなくて、俺は、ネットで仕入れたうんちくをがんがん披露することに決めた。


「あのね。浅瀬に押し寄せたメスは、産卵を終えると、力尽きて砂浜に打ち上げられるんだ。これを別名『身投げ』と呼ぶっ」

「なんか、気が滅入るネーミングね・・・」

「地元のプロは、釣り人用の胴長ぐつとライフジャケットを装着。金魚すくいの要領で、網でばんばん捕ってバケツへ放り込む。バケツは二個用意。一個は砂出し用。それからクーラーボックスへと移す。ちなみに寄生虫がいるので生食は厳禁。ゆで方は――」

「それ全部パス。取って食べるの、かわいそうだから。見るだけでいいの」


 うん! いいなあ~。乙女の可憐な優しさ。ぎゅってしたくなっちゃう。それに引き換え、髪振り乱して、鬼のようにめっさ捕りまくっている地元のおばちゃんとか、人生のいつの時点でこの可憐さをなくしちゃったんでしょうね? ああ無常。


「ミカさん、たぶんそう言うだろうと思って、今回は捕獲用ギアは用意しませんでしたっ」

「ドヤ顔ご苦労さま。それはそうと、浜辺は真っ暗なのよね? 懐中電灯とか要るんじゃない? 持ってきた?」

「はは。ははは。はははのは。よくぞ聞いてくださいました。むろんです。これ見てください!」


 俺は満を持して、おもむろにそのギアをリュックから取り出した。男の逸品。一目見て、ミカは感嘆の声を漏らした。・・・あきれ声だったかも。


「なにそれ! すごっ」

「ヘッドライトだ。5LEDだぞ。超強烈発光。アマゾンレビュー5つ星!」

「まさかそれ頭に付けるの? なんかそれ、SF映画で見た気がするんだけど。それもすっごいダークなやつで。悪役がかぶるやつ」

「ちゃんとミカさんの分も買ってありますよ」

「はあっ? ちょ! じょじょ冗談やめてよっ。七つ目小僧になっちゃうじゃない! あなたが二個付けなさいよっ」


     *


 バス停を降りると街の北端部だ。銀行やコンビニ、そして神社の横を抜けてさらに進めば、じきに防風林にぶつかる。その先、横に長く伸びたコンクリの防波堤を越えたところが目的地。海水浴場の白い砂浜が広がっている。夏には大にぎわいだが、今はまだ、がらんとしている。しかも闇夜。


「あれ? 車も全然停まってない」

「浜にも誰もいないわよ。人っ子一人いないじゃない。真っ暗。怖いくらい」

「おかしいな。新月の夜は書き入れ時で、地元民が殺到してるはずなんだが・・・」


 ミカは俺の横で、唐突に警戒心発動のご様子。


「あなたね! まさか、わざとこんな人気ひとけのないところへ誘い出して、私に何かしようっていうんじゃ――」

「ちち違いますよ! 信じてくださいミカさん!」

「そうよね。もちろん信じるわ」

「良かった! 分かってました! やっぱ信じてくれるんですねミカさん! 信頼し合えるって美しい!」

「よく考えたら、あなたは、そんな悪知恵の働く人ではないわよね。・・・ということは、単なるバカってことよねっ。ぷぷっ。ほんとに地元民なの、あなた?」

「いや! こんなはずでは! 少々お待ちを!」


 俺は、頭の5LEDを煌々こうこうと輝かせながら、必死でググり続けた。


「おかしいなあ。ここにちゃんと、三月から五月って書いてあるのになあ・・・」

「今は六月よ」

「でもまだ三日だよね? ほぼ五月じゃないか。誤差範囲だろ?」

「ちょっとそれ貸して。・・・ちゃんと書いてあるじゃない。ここに。五月は難しいって。どこ見てるの」

「ええっ? まじすか?」

「ほら。ブログもあるわよ。昨日の日付。ええと。『今度の新月は、もうさすがに無理とは思ったが、ダメもとでいちおう来てみた。3時間探して収穫は3匹。終わってるな。今年は終わり。来年またお会いしましょう!』・・・」


 ・・・ほんとだ。確かにそう書いてある。どうして見落としたんだろ。がっくり。希望的観測が高じて盲目となりにけり、てなところか。


「だいたいあなた、下見はしたの? 20回とまでは言わないけど。見に来たことぐらいはあるんでしょうね?」

「あるよ、もちろん! ・・・小学生のとき・・・」

「素晴らしいわ、それ! さすが地元民だけのことはあるわね! 最新穴場情報!」


 はあああ~。初試合大黒星。もう帰りたい。帰ろう。帰りますか? ・・・だけどミカは、そのまま防波堤の上にちょこんと腰を掛けて、頭上の空を眺め始めた。脚をぶらぶらさせながら、


「まあ、せっかく来たんだから。もうちょっといよう?」


 自分の隣のコンクリをとんとんと叩く、その仕草が、俺のヘッドライトに照らされて、ゆらゆらと浮かんだ。はいはい座れと。仰せのとおりに。ミカは別に怒っていないみたいなので、ほっとした。それに、深い影に縁どられた両膝がまた、幻想的なほどにきれいです。


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