(4)

 とりあえず暑い。そして重い。


 車輪が曲がってるせいでころがせないから、俺は事実上、チャリを持って歩いている。まあ、高級で外国製でかっこいいデザインの27段変速とかのクロスバイクなので、俺の1段変速ママチャリよりは全然軽いけど。それでも企業団地を抜け、県道を横切り、川沿いの土手道を通って赤い鉄橋を渡り、市道をさらに進んで踏切を渡ったころには、俺はもう虫の息だった。30分以上歩いてるがまだ半分も来てない。もう死ぬ。


 一方、俺のママチャリは、髪を風になびかせた彼女をその背に颯爽さっそうと乗せて、さっきから行ったり来たりしている。最初のうちは「大丈夫? 頑張って!」とか励ましの声をかけてきていたが、そのうちじれったくなったようで、「ちょっと先行ってるね!」とか「あそこ右?」とか言ってはいなくなり、しばらくして戻ってくる。挙句の果てに「遅いな~」とか言うので、温厚で知られる俺も切れた。


「だったら自分で持ってみろよ! だいたい何で俺がお前のチャリを・・・」


 さすがに彼女も悪いと思ったのか、自分もいちおうチャリを降りて、並んで歩きだした。俺の顔を覗き込んで、駄々っ子をなだめるような口調で、


「ごめんなさ~い怒った?」


と、ま~あ誠意のかけらもない謝り方。しかも、


「でもあなたも悪いのよ。突っ込んでくるんだから」


 まだ言うか! さっき言いそびれたがいい機会だ。ここで白黒つけさせてもらう!


「はあ? 突っ込んできたのはそっちだろっ」


 どうだ! 遂に言ってやったぞ。はっはっ。だが冷厳なる事実の指摘にも、彼女はまったくひるまない。


「こっちから見たら、そっちが突っ込んできたのよ!」


 おおっとそれ違・・・だが待て。この女が、こうも自信たっぷりに言い切ったからには、何らかの根拠があるのではないか? 物理学的な? 地球は自転してるし公転してるから、宇宙の静止点から見たら実は俺の方が突っ込んだことになる的な? などと一瞬でも逡巡しゅんじゅんしてしまったお人好しの自分が憎い。その隙を突いて敵はさらに図に乗り、論点を鮮やかに切り替えて、


「だいたい、あんな、ど田舎の田んぼ道で、人がぼけっと立ってるとか、絶対思わないから!」


と言い放った。


 俺のこめかみの辺りで何かがぷちっと弾けた。


 美少女よ! お前に告ぐ。お前は今、決して言ってはならないことを言った。それだけは。それだけは、絶対に口にしてはならなかった!


「ど・・・ど田舎・・・だと・・・」

「ちょっと急にどうしちゃったのよ。なんか顔怖いんだけど。プルプルしてるし」


     *


 改めて宣言しておこう。俺は、心からこの町を


 ・・・〈カクヨム〉にちまちまと入力していた俺はここで、はたと詰まった。この変換は納得できない。


 俺は、心からこの街を


・・・これだよこれですよ。これでなきゃ。うんうん。


     *


 改めて宣言しておこう。俺は、心からこの街を愛しているんだ。


 この女が今、不埒ふらちにも「ど田舎」と呼んだ、愛すべき地方中核都市の片隅で、俺は生まれ、そしてすくすくと健やかに育った。豊かな癒しの大自然と、快適な利便性を約束する、混み過ぎずき過ぎずのちょうどいい都市空間。その二大必須要素が絶妙にブレンドされた、その名も小規模都市コンパクトシティ


 徒歩と公共交通機関だけで全ての都市機能・設備にアクセスできるから、お子様にもお年寄りにも優しい! 日常生活のちょっとしたストレスも、週末の日帰り大自然癒しツアーで完璧リフレッシュ。多感な思春期の青少年も、大都会の闇に汚される心配なく、健全なる肉体と精神を育むことができます! 持ち家率も高いです!


「・・・なんか市役所か不動産屋のパンフみたいね。まあ言いたいことは分かるけど。でもそれにしては、自転車屋が遠すぎるんじゃないの?」

「・・・いや・・・それはですね・・・」

「だいたいシティじゃないわよ、こんなの。見てよこの風景。田んぼ。川。うち。また田んぼ。うち。田んぼ。田んぼ。ずうっと田んぼ。ずうううううっと田んぼ。あと山」

「さっきコンビニもあったぞ!」

「え。それって感心するとこなの? うわ! すっごお~い! コンビニなんてあるんだあ。ミカ感激しちゃうううう」


 この女うざい。でもミカっていうのか。個人情報ゲットだぜ!


「・・・それはここが郊外だからであって。街の中心部に行けば、ちゃんと繁華街が――」

「ほとんど全部郊外じゃない。繁華街なんて、お弁当の梅干しくらいしかないじゃない」

「いや梅干しってのは言い過ぎだろ! せめてポテトって言え!」

「人もいないじゃない。昼間なのに誰も歩いてない。さっき通った車のドライバーとか、私たちが歩いてるの見て仰天してたわよ」


 それはたぶん、曲がったチャリ抱えて汗だくで歩いてるバカに驚いたんだと思いますが。俺は反撃に転じた。


「人が少ないのは、それはそれでいいじゃないか。このくらいが、ちょうどいいんだよ快適なんだよ。だいたい東京は人が多すぎるんだよ! 渋谷とか新宿とか。満員電車とか。あんなの人間が乗るもんじゃねえ。西部劇の家畜列車じゃないか!」

「そう言うけど、ここの市電だって、朝夕のラッシュの時なんか、すっごく混んでるじゃない。あれ東京よりひどいんじゃない、もしかして?」

「うっ・・・どうしてそれを・・・」


 ひるんだ俺を見て、彼女はさも得意げに、


「見たのよ、この間。サイクリングロードに踏切あるじゃない? 運悪く、遮断機下りてきちゃって。もう、時間ぎりぎりだったからいらいらして待ってたら、来たのよ市電が。そしたら笑っちゃったわよ。二両よ二両。二両編成! 二両が通るのを、延々待たされてたわけ。たった二両。それがもう、ぎゅうぎゅう詰め状態。窓から手と足と顔がはみ出してたわよ」

「お言葉ですが、それは市電じゃないです。それはJR。踏切通るのはJR。市電ってのは、道路通るやつ。車と一緒に。交差点の信号で止まるやつ。東京じゃ見たことないでしょ? 市電。へへ」

「なにそのドヤ顔。ここの市電もちゃんと見たわよ。やっぱり二両じゃない。この辺の人って、そんなに二両が好きなの?」

「一両だと寂しすぎるだろ! ちょうどいいんだよ二両が。インスタ映えするし。三両だと、ホームからはみ出るし」

「さすがだわコンパクトシティ。ホームも超コンパクト。あなたね、そんなにコンパクトが好きなら、これからあなたをコンパクト・シティ・ボーイと呼んであげるわ。略してコンパクトボーイ」


 いやその略称やめて! 微妙に男のプライド傷つけてます。


     *


 ・・・というような、愚にもつかないバトルトークを繰り広げている間に、道はまた広くなり、やっと目的地に近づいてきた。緩いカーブを左に曲がった辺りで、


「あれがそうなの? 〈マモ~レ〉?」


 ミカは、田んぼの中にそびえ立つ巨大なショッピングモールを指さした。


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