第211話 彪と虎

 令和2(2022)年4月25日(月曜日)。

 林虎と大道寺和は、新大久保に居た。

 韓国人街コリアンタウンの心象がある新大久保だが、近年では、東南アジア人が多く住むようになり、多国籍化が進んでいる。

 一説によれば、韓国人離れが進んでいる、ともされている。

 ―――

『【"韓国人離れ"の新大久保が昔以上に活況な理由 ネパール人やベトナム人が大量流入】』(*1)

 ―――

 その雑居ビルの一室が、東亜民主主義共和国日本支部の隠れ家であった。

 壁には、毛沢東やスターリン、ポル・ポト等の肖像画が貼られている。

 襟足を伸ばし、ジーンズを穿いた18歳のフゥは、宣伝プロパガンダ映画に出演した気分である。

「同志、日本はスパイ天国の筈だろ?」

「それは、昔の話だ」

 大道寺は煙草を吸う。

 真っ黒な肺で、COPD慢性閉塞性肺疾患間違いなしなのだが、それでも煙草は、止められない。

 典型的なニコチン依存症だろう。

「同志林。貴方の知る日本は、1970年代までです。1980年代以降、この国は、残念ながら軍国主義にひた走っています」

「……」

「私は、日本人ですが、中国がロシアが羨ましい。あれこそ地上の楽園だ」

「……中国は違うな」

 ぼそっと、林は否定した。

「あの国は、権力闘争だ。真の共産主義ではない」

「では、何処が?」

「我が国だよ。東亜民主主義共和国。あれこそ、真の共産国だ」

「真の共産国の定義は?」

「地獄だよ」

 林が笑った途端、窓硝子が吹き飛ぶ。

「「!」」

 2人が振り返ると、手榴弾が放り込まれていた。

「伏せろ!」

「!」

 2人は、その上に家具を倒して、毛布に包まった。

 直後、手榴弾が炸裂し、家具を爆散させる。

 分厚い布団の御蔭で、刺さっても致命傷にはならない。

「糞!」

「何なんだ?」

 続いて、黒服の男達がドアを蹴破ってた。

「おうおう、御在宅でしたな?」

 若い男が、サングラスを外し、煙草を咥えた。

 部下がサッと、ライターを差し出す。

 その立ち居振る舞いから、彼等が堅気でない事は確かだ。

 男は、咥え煙草で2人を見下した。

「ども。山王会の若頭かしらを務めさせて頂いております、久保といーます」

「……山王会?」

「大道寺さん、あんたには、用ないで」

 トカレフで大道寺の頭を撃ち抜く。

「ぐは!」

「……」

 林は、死を覚悟した。

「林はん。そんな顔しないでくれへんか? わいらは、あんさんを殺すつもりおまへんから」

「……?」

「御先祖様は、大変でしたな。愛国者やったのに」

「!」

 どかっと、久保は、大道寺の頭の上に座る。

 死体に敬意を払う人間ではないようだ。

「なぁ、転向せえへんのか?」

「……それが助命の理由?」

「せやで。わいらは、中国に販売網を拡大したいんや。やが、中国人は、中々、わいらの組織に入ってくれへん。五族協和が精神なんやがね。やっぱり、法律が厳しいかね」

「……」

 林は、考える。

 権力闘争で敗北した先祖のことを。


 林虎の先祖・林彪リン・ビャオ、は、かつて毛沢東の後継者と目されていた男であった。

 世が世なら家系は今頃、共産党の大幹部になっていた事だろう。

 然し、それが無くなった契機は、文化大革命ウェンホアタークーミンの時であった。

 この時、毛と敵対していた劉少奇リウ・シャオチーが粛清され、彼が就いていた国家主席が空位となる。

 毛は、廃止を主張したのだが、№2である林は維持を主張。

 これにより、両者は、真っ向から対立する事になった。

 更に珍宝ダマンスキー島事件(1969年3月22日~9月11日=中ソ国境紛争)の時にも意見が分かれた。

 ソ連脅威論に基づき、毛はアメリカとの接近を唱えるも、林はそれに反対(林派の一員は、回想録でそれを否定している)。

 その後、中国とアメリカの和解が進み、林派は太鼓持ちになるが、毛は不信感を強め、粛清に乗り出す。

 これに危機感を抱いたのは、林の息子であり空軍の高官であった。

 彼は、1971年3月27日に毛沢東爆殺計画を立案、9月8日に実行に移す。

 然し、これが事前に漏れた。

 密告者は、定説では、林彪の娘とされている。

 尤も、林彪本人は、この暗殺計画を知っていたかどうかは、分かっていない。

 林派で後に逮捕された4人は、それを否定的な見方を示している。

 暗殺計画失敗を知った林とその息子を含めた一派は、9月12日、ソ連に亡命を図る。

 が、翌日、モンゴル領で墜落死した。

 因みに密告者の娘は、この機に乗っていなかった為、難を逃れている。

 これが、毛の後継者とされた中国№2の末路である。

 航空機の墜落理由については、

・燃料切れ説

・機内での発砲説

・ソ連による地対空ミサイルでの撃墜説

 等が挙げられているが、真相は定かではない。

 これが、林彪事件の経緯である。

 若しもだが、

・林彪がそのまま後継者になっていれば

・暗殺計画が成功していれば

 現代の中国は、また違った顔をしていたかもしれない。


 時は現代、2022年。

 林虎は、池袋にある山王会のショットバーに招待されていた。

「若いのに良い目をしているな」

 岡田は、ウォッカを飲んでいた。

「然し、君は、彪の隠し子とはな」

「世界はまだ知らない事実ですね」

 そう、ビャオは、林彪の直径の子孫であった。

 1971年、モンゴルで墜落死したのは、影武者で本人はソ連に亡命を果たし、中国の専門家としてソ連指導部から厚遇を得た。

 もっとも、それは長くは続かず、1981年に中国で鄧小平、胡耀邦体制になると、ソ連敵視政策が見直され、それに応えるかのように1989年、ゴルバチョフが訪中する等、両国間は雪融けに。

 これによって、林彪の存在理由も無意味化し、彼と家族は冷遇されるようになった。

 林彪が亡くなった後、遺族は追い出されるように出国し、泣く泣く東亜民主主義共和国に移住した、という訳だ。

 その為、虎は、生活の為に共産国に住んでいるだけであって、別に共産主義者コミュニストという訳ではない。

「それよりも、この国は、欧米化してますね? 誰も着物を着ていません」

「そりゃあ着替えるのに面倒だからじゃよ。でも、お祭りの時なんかは、着ているから、文化大革命のように捨ててはないよ」

「……そうですね」

 皮肉を込められ、虎は不快感を示しつつ、同意する。

「それで、君は新たな人生を歩みたいかね?」

 ジャキンっと、岡田の部下達が、背後で威圧的に散弾銃を用意する。

 返答次第では、蜂の巣になるようだ。

「ええ……」

「そうじゃろう。賢明な判断だ。退廃的なヒッピーなんぞより若者は、若者らしく青春を謳歌しなさい」

 そして、金を出す。

「……何故、よくして下さるんです?」

「面白い奴を紹介するからな。相応な服装でなくてないとあかん」

「……」

「大丈夫。奴は、食人族じゃない。女は食うがな?」

 意味深に嗤う岡田。

 虎は、頭上に「?」を浮かべるばかりであった。


 翌日。

 虎は、岡田行きつけの散髪屋で今風のツーブロックに白シャツと、早変わり。

「……」

 別人になった虎は、自分の姿に戸惑っていた。

(……俺か?)

 共産主義者(の体)から、一気に資本主義の文化へ。

 旧東ドイツ国民が、流入してくる資本主義の文化に圧倒されているような感じだ。

 外に出ると、出歩いている日本人の10代とそれほど服飾は変わらない。

「(ねぇ、あの人、見て)」

「(うわ、イケメンやん)」

「(アイドルなんかな?)」

 行き交う女性達が、囁き合う。

「あいつらは何を言ってるんだ? 悪口か?」

「そう思うなら怒ってみろよ」

「……」

 岡田にけしかけられ、女性達を見る。

 彼女達は恥ずかしがって逃げ去った。

「……」

 注目を集めるのは余り悪い気ではない。

「……その、俺は、イケメンなのか?」

「そうだろうな。なんだ? 引っかけて来るか?」

「……いや、良い」

「なら、行くぞ」

「何処へ?」

「紹介したい奴じゃよ」

 笑った岡田は、虎を車に押し込み、発進させる。


「……」

 故郷では見なかった超高層ビルの群に虎は、息を飲んだ。

 昨日は夜だった為、その高さが分からなかったが、日が昇った今は、その凄さが手に取る様に分かる。

 大韓航空機爆破事件の犯人で唯一の生存者は、北朝鮮で教わったとは違う韓国の現実に驚愕し、犯行を自白した例があるが。

 まさにそんな状況であった。

「……」

 市民に目を向ける。

 反日教育で、日本人は人種差別を好む民族とあったが、外国人と仲良く歩く若者や韓国料理や中華料理店がある所を見ると、とてもそうは見えない。

「日本人は……」

「うむ?」

「……先進国なんですね?」

「そうじゃな。日本の文化は?」

「少しは入って来ていますよ」

 規制しても、次から次へと抜け道を使って入って来る為、完全に防ぐ事は困難だ。

 東亜民主主義共和国同様、北朝鮮も外国文化の流入に防ぐ為に躍起だが、どうしても入って来てしまい、2020年末、北朝鮮は更に規制を強化した反動的思想・文化排撃法を採択している。

「故郷と比べてどうだ?」

「この国は天国ですね。何より言論の自由があります。これに勝る自由は無いかと」

「そうだな。自由が1番だ」

 送迎車が、トランシルバニア王国隣の武家屋敷前に到着する。

「ここに例の人物が?」

「そうじゃ」

 降車すると、武家屋敷の門が開き、武装した女性兵士がM16を向ける。

「誰だ?」

 岡田が、両手を挙げて、武器を持っていないことをアピール。

「少佐と会いたい。会長プレズィデントの岡田だ」

会長プレズィデント?」

「失礼する」

 兵士達が、岡田の顔写真を出して、身分照会する。

「……御本人様ですね?」

「失礼しました」

 兵士達は、M16の銃口を上にし、歓迎する。

「さ、どうぞ」

「有難う。虎、来い」

「は、はい」

 訳が分からず、虎は敷地内に入るのであった。


[参考文献・出典]

 *1:プレジデントオンライン 2019年11月20日

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