第190話 復活

 今の時代、ネット環境さえ良ければ、世界の真裏に居る人と繋がる事が出来る。

 遠隔診療で皐月が、日本から診る。

『……大丈夫そうね。誰が診ていたの?』

「シャルロットとシーラだよ」

『上出来よ。煉、褒めておいて』

「ああ。2人共、良かったよ」

「旦那様♡」

「……♡」

 2人からの愛を一身に受ける。

 2人から挟まれつつ、俺はレベッカを見た。

「zzz……」

 移動で疲れたのか、熟睡中だ。

 余り、女性の寝顔を見るのは趣味ではないが、一応、保護対象者なので、極力、傍に居る必要がある。

「2人共、休んで良いよ」

「や♡」

「♡」

「分かった。じゃあ、母さん―――」

『あ?』

「皐月、何かあったら連絡するよ。オリビアにも伝えておいてくれ」

『了解♡』

 投げキッスを送った後、皐月は暗闇に消えていく。

 事実婚の相手に「母さん」は、やはり、禁句のようだ。

 つい癖で言ってしまうのだが、あの目はアイヒマンのそれ並に怖い。

(気を付けねば。正直、武装勢力より怖い)

 人知れず、俺は内心震えるのであった。


 民族レジスタンス戦線から用意されたその部屋で、俺達は、状況が緩和されるまで、待機だ。

 本来の予定では、内戦勃発寸前にトルコ大使館経由で退避するつもりだったのだが、予想よりも早く開戦した為、今の所、民族レジスタンス戦線支配地域で缶詰になるしかない。

 食料の方は、武装勢力の攻撃の間隙を突いて、ベルリン空輸作戦のように、WFP国際連合世界食糧計画が、行っている為、問題は無いが、難民全員に行き渡るほどの量は遠く及ばない。

 又。難民1人1人に対する思想調査も行っている為、弾かれた難民は、支配地域に入る事が出来ない。

 これについては、EU欧州連合等、人権機関や団体が抗議しているが、民族レジスタンス戦線は、新しいアフガニスタンを作る為に、過激派の流入は避けたい為、その干渉に屈しない。


 2022年4月3日(日曜日)。

 正午、ルークと共に髭面のいかつい老人がやって来た。

 俺は、目が合うなり、最敬礼。

「お久しぶりです、将軍」

「おお、覚えておったか」

 老人は、嬉しそうに微笑む。

「パパ、この方は?」

「《パンジシールの獅子》だよ」

「! あの?」

 老人は、笑顔を絶やさない。

《パンジシールの獅子》―――それが、アフマド・シャー・マスードだ。

 史実では、2001年9月9日、2人の暗殺者によって爆殺された。

 暗殺者の内、1人は爆発の巻き添えで死亡し、もう1人も逃亡中に射殺された為、その背後関係は、今もって不明だ。

「その……亡くなっていた筈では?」

「ほほほほ。あれは、影武者じゃよ」

 どっしりと、マスードは座る。

 ソ連のアフガニスタン侵攻時、撃退した勇将だけあって、老いても尚、その眼力は凄まじい。

「病院での救出作戦は、実に見事だった」

「有難う御座います」

「所で」

 そこで一旦、区切ると、マスードは英語からアラビア語に切り替える。

「君は、イスラム教徒ムスリムなのか? 一夫多妻で酒も飲まないんだろう? 『聖典』も原語で暗唱出来る、と聞いたが?」

「「「?」」」

 突如、アラビア語になった為、シャロン達は珍紛漢紛ちんぷんかんぷんだ。

司令官アミール、申し訳ないですが、一夫多妻で酒嫌いで暗唱も出来ますが、イスラム教徒ではありません」

「でも、改宗出来るレベルだぞ? それほどならば」

 世界三大宗教では、イスラム教、キリスト教が入信し易く、逆にユダヤ教は入信が困難だ。

 このような所が、イスラム教、キリスト教が世界中で信者を増やす結果になったと言えるだろう。

 俺の場合は、『聖典』を原語で暗唱出来る、という点は何よりも敬虔なイスラム教徒のようで、誤解され易い。

「お褒め下さり有難う御座います。ですが、私は、特定の宗教を信仰する予定はありません」

「……ユダヤ教でも?」

「はい」

「そうか……」

 残念がるマスード。

 前世時代から俺に布教していた為、ここでも布教に失敗したからだだ。

「まぁ、良い。じき、友軍が来る。それまで、ここで待つと良い」

「友軍?」

「アメリカ人の好む言葉で言えば、『連合国』だよ」

「……」

 マスードがテレビを点ける。

 そこには、ワハーン回廊を進軍する人民解放軍が。

 ドローンで撮影しているのだろう。

 人民解放軍がこちらに気付いている様子は無い。

「……あの回廊をよく進軍出来ますね?」

・厳しい気象条件

・険しい地形

 等から、ワハーン回廊は、政情不安定なアフガニスタンで数少ない平和地帯だ。

・ソ連のアフガニスタン侵攻(1979~1989)

・アフガニスタン紛争   (1989~)

 と、国内が大混乱に陥っても尚、この地域は、まるで忘れられたように、戦争とは無縁なのであった。

「ソ連軍気取りじゃな」

 ほほほほ、とマスードは嗤う。

 その意味深な態度に俺は、察した。

「中国は、失敗すると?」

「多分な」

 直後、雪崩が起き、人民解放軍は、飲み込まれていく。

 侮るなかれ。

 雪崩は、最大200㎞(*1)に到達する災害なのだ。

 新幹線並の速度で迫ってくれば、ほぼ逃げきれない。

 更に不運が続く。

 血の臭いを嗅ぎつけた雪豹が集まって来た。

『ひぃ……』

『く、来るな……』

 骨折したり、手足を失った兵士達は、逃げる間もない。

 本来、雪豹は、人間を襲わない、とされるのだが、不漁な時は、相手を選ぶ余裕は、当然無い。

 餓死寸前の獣達は、死体、生者問わず食らっていく。

 種類は違うが、三毛別羆事件(1915年)並の凄惨な光景だ。

「……」

「あそこを通るには、ワハン人、若しくは、キルギス人遊牧民の案内が無ければ無意味じゃよ。恐らく中国人は、案内人無しで踏破出来る、と踏んだんだろうが、事はそうは甘くないんじゃよ」

「……連合国とは?」

「NATOじゃよ。我々のスポンサーでもあるからな。信用しないといけない」

「……」

「西部のバードギース州、ファラー州、ヘラート州、北部のバルフ州、ファーリヤーブ州、ジョウズジャーン州が解放予定じゃ。連合軍は、それ次第で我が国を解放する」

「……分かりました」

 早く帰りたい所だが、国境が閉ざされている以上、出国は難しい。

 NATOが空爆で支援し、国際社会も新政府承認の準備を行っている。

 この内戦は、民族レジスタンス戦線の勝利に終わるだろう。

「少佐、ゆっくり休むが良い。仕事があれば呼ぶ」

「有難う御座います」

 俺は、深々と頭を下げるのであった。


 薬品等は、圧倒的に足りないが、皐月のオンライン診療の御蔭で、何とか私は、持ち堪えている。

「元気?」

「……」

 問いかけに私は、瞬きで応じる。

「元気か。そりゃあ良かった」

 生命維持装置に繋がれた私を、お兄ちゃんはほぼ24時間世話してくれる。

 熱は測ったり、褥瘡じょくそう防止の為に2時間を超えない範囲で体位を変えてくれる。

 いつ寝ているのだろうか。

 助けてくれた時以来、睡眠時間以外、ずーっと見ているが、ほぼ一緒の為、寝ていないように思える。

 若しかしたら、私が寝ている時に仮眠しているのだろうが、疲れている筈なのでゆっくり休んで欲しい。

 お兄ちゃんは、私に微笑むと、近くの椅子に座り、読書を始めた。

 表紙には、『アラビア語入門』とある為、アラビア語の参考書のようだ。

 あれほど流暢なのだから、今更勉強し直すことは何一つ無さそうだが、発音の一つ一つ、或いは、意味を1から復習しているのだろう。

(真面目♡)

 私の視線に気付いたのか、お兄ちゃんは、本を閉じた。

 無視は出来ない質らしい。

「御姫様、御用件は?」

「♡」

「はっはっはっはっは。有難う」

 お兄ちゃんは、私の頭を撫でる。

 もう、身分的には、下の者の癖に。

 怒りを覚えるが、それでもその感触に、ニヤニヤしてしまう。

 我ながら、非常に分かり易い性格だ。

 長らく会っていないが、姉上もそうなのだろうか。

「パパ、支給品だよ~」

「旦那様のもあるよ~」

 御息女と愛人が、野戦食レーションを持って来た。

「有難う」

 2人にキスした後、お兄ちゃんは、受け取る。

 笑顔だが、私とは違う種類だ。

 正直、イラっとする。

 何故、貴族の癖に、偉ぶらないのか?

 もう少し偉そうにしたって罰は当たらない筈だ。

 遅れて、眼鏡をかけた美人さんが来る。

「少佐、海軍カレー、作ってみました」

「まじか。凄いな」

 野戦食を一旦置き、お兄ちゃんは、鍋を覗き込む。

 香ばしい匂いが、私の鼻腔を突く。

 秘書官と思われる小さな娘と、私の救出作戦で活躍した元モサドとMITのS級工作員は、事前に食べたのか、頬が汚れていた。

 上官より先に食べるのは、どうかと思うが、お兄ちゃんが怒らない為、私に叱る権利は無い。

(……あれ、お兄ちゃんの部隊、女性ばかり?)

 眼球だけ動かして、1人1人吟味。

 皆、美人だ。

(……お兄ちゃんって面食いなの?)

 疑問と嫉妬心、悲しさを覚えた私は、無意識に唇を噛む。

 すると、唇に歯が食い込み、出血した。

 それにお兄ちゃんは、逸早く気付く。

 目を離している癖に、意識は常に私にあるようだ。

「おいおい、どうした?」

 慌てて来ては、私の顔を見る。

「……!」

 自分で呼んだ癖に、恥ずかしさの余り、私は目を逸らす。

「ひび割れか? シャロン、薬を」

「は」

 直ぐに看病され、私は機嫌を直す。

(お兄ちゃん、優しい♡)

 我儘わがままな事は、重々承知だ。

 それでも、甘えていたい。

 私は、感謝一杯に口を開く。

「あ、り……が、とう」

「!」

 お兄ちゃんの目が、大きく見開いた事は言うまでもない。


[参考文献・出典]

 *1:政府広報オンライン 令和2(2020)年12月15日

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