第159話 The Old Professor
『―――え~、ただいま、入って来た情報です。反乱軍が占拠していた北大路病院ですが、病院と目の鼻の先にあるトランシルバニア王国大使館が、特殊部隊を使って、人質救出作戦を行いました。
大使館側は、
「人道的見地に基づいて介入した」
とコメントしています。
又、これを皮切りに、在日米軍も成田空港に派兵し、管制塔を奪還しました。
これらのことから、アメリカと軍事政権との交渉は決裂に終わり、アメリカが武力行使を選んだ模様です』
……
解放された北大路病院は、突撃隊の激しい火力により、以前の清潔な外見とは程遠い。
然し、人質に1人も死傷者が出なかったのは、不幸中の幸いだろう。
患者達は近くの病院に転院され、皐月達も大使館の医務室で軍医の診察を受けていた。
その間、俺は南をラインハルトに引き渡す。
「少佐、拷問は?」
「任せる」
「は」
拷問は、国際法上、禁止されている行為だ。
———
『この条約の適用上、「拷問」とは、身体的なものであるか精神的なものであるかを問わず人に重い苦痛を故意に与える行為であって、
・本人若しくは第三者から情報若しくは自白を得ること
・本人若しくは第三者が行ったか若しくはその疑いがある行為について本人を罰する
こと
・本人若しくは第三者を脅迫し若しくは強要すること
・その他これらに類すること
を目的として又は何らかの差別に基づく理由によって、かつ、公務員その他の公的資格で行動する者により又はその扇動により若しくはその同意若しくは黙認の下に行われるものをいう。
「拷問」には、合法的な制裁の限りで苦痛が生ずること又は合法的な制裁に固有の若しくは付随する苦痛を与えることを含まない』(*1)
———
然し、実際には、キューバのグアンタナモ米軍基地やミャンマーのインセイン刑務所等で拷問が報告されている。
ドラマの中でも描かれる場合が、それが問題視されたのが、日本でも大ヒットを記録した海外ドラマだ。
作中の主人公が、愛国心の下、テロリストを拷問する場面が、視聴者の米兵に影響を与え、実際にイラクで米兵がイラク人に対し、激しい拷問を加えていたことが判明している。
「では、失礼します」
ラインハルトは、南の首根っこを掴み、地下の拷問室へ。
「さてと」
一仕事終えた俺は部屋に戻り、戦闘装着セットを脱ぎ捨ててはゴミ箱に放る。
それから、浴室に入り、シャワーで返り血と汗を流す。
ガラララ……
「失礼します」
スヴェンが、入って来た。
「御背中洗い流しますね?」
「その必要は無いよ」
「きゃ♡」
スヴェンを抱えて、浴槽に投げ込む。
溺れかけるスヴェンだが、そこは、元モサドだ。
「師匠、痛いです」
「それも愛だよ」
「愛……」
怒りは消失し、直ぐに笑顔に。
DVの被害者だが、ちょっと優しくされたら、直ぐに許してしまう女性のようだ。
「パパ~」
スヴェンに続いて、シャロンも入って来た。
浴室は、それほど広く無い為、これでぎゅぎゅう詰めだ。
「パパのこと、ロビンソンが褒めてたよ」
「あの野郎が?」
「うん♡」
掛湯もそこそこに浴槽にダイブ。
「シャロン、風呂は、プールじゃないぞ?」
「御免なさい」
直ぐに謝るのは、良い事だ。
「ほら、パパも」
「あいよ」
狭い浴槽に3人は、非常に難しい。
胸や尻等が、俺の背中や腹部に当たる。
「パパ♡」
「はいよ」
おねだりされたのでバックハグ。
「パパ~♡」
テンションが高いシャロンは、俺に口付け。
「大好き♡」
「俺もだよ」
何度もキスを行う。
5回くらいした後、スヴェンが肩を噛んだ。
「師匠……」
「分かってるよ」
スヴェンの頭を撫でつつ、
「米軍の方はどうなった?」
「仕事の話ですか?」
あからさまな不満顔だ。
「破門―――」
「冗談です」
態度を急変させて、真剣な顔になった。
「横田の米兵が主導し、カウンター
「……分かった」
正直、予想は出来ていた。
CIAのことだ。
どこまでかは分からないが、政変の情報は、把握していたことだろう。
CIAが模範にしているのは、9・30日事件かもしれない。
東京五輪の翌年の1965年9月30日、インドネシアで起きた政変が、9・30日事件だ。
その詳細は、現在も尚、多くの謎を孕んでいるが、その推移は、以下の通り。
———
1914年
インドネシア共産党結党(アジア最古)
1965年
9月30日
深夜、共産党議長から指示を受けた大統領親衛隊第一隊長の中佐率いる部隊が、軍事行動開始。
翌日未明までに陸軍の高級将校達を殺傷。
10月1日
反乱軍は
挙兵の理由は、「陸軍将校達が『将軍評議会』を結成し、政変準備の計画をして負た為、それを阻止する為」と説明。
9月30日運動指令部と共産主義勢力は、混乱する陸軍を指揮下に置こうとする。
同日朝、陸軍の主要な幹部が死亡或いは、逃亡し、最高司令官が不在になったことで、一時的に陸軍最高位に立つことになった戦略予備軍司令官のスハルト少将が、軍事行動開始。
同日夜から翌日午後までに鎮圧。
首謀者とされた共産党議長が射殺される等、復讐が行われる。
この時、スカルノ大統領は、政変の間、反乱軍との関係が疑われる行動が目立ち、スハルト少将等から怪しまれるようになった。
例
・政変直後、共産党と親しいことで知られた第二夫人邸に行った。
・その後、反乱軍の本拠地となったハリム空軍基地に
・政変発生に対してすぐにラジオ等で反政変宣言を出さなかった。
等。
また、同月から翌年3月まで、国内各地で強烈な赤狩りの下、政変への関与を疑われた共産主義者に対する虐殺が行われる。
その正確な数は今尚不明だが、50万人前後から最大推計300万人(*2)。
10月5日 国軍記念日
スカルノ、高級将校達の合同葬儀欠席し、国軍の不信感は頂点に。
1966年
3月11日
スカルノ大統領、辞任。
事件から半世紀以上経つ今でも、国内で共産主義に対する厳しい目が、表れている状態だ(*2)。
この事件では、黒幕の一つにCIAが挙げられている。
・事件後の報告書でジャカルタを「政変に理想的な都市」と報告(*2)。
・1973年に発生したチリ政変を「
この2点から少なくともCIAは、事件に無関心ではなかったことが、明らかになっている。
———
CIAがどれほど、この事件に関与しているかは俺は知らない。
が、もし黒幕なら、この成功例を基にして、一気に軍事政権を叩く筈だ。
「パパ、怖い顔」
「済まん」
精一杯、笑顔を作る。
「良いよ、許す」
シャロンは、笑顔で俺の頭を撫でる。
前世では、父娘だったが、今は、事実婚の夫婦だ。
正直、気恥ずかしいが、シャロンの笑顔を見ると、咎める気も起きない。
「師匠、御一つ質問しても?」
「ああ、良いよ」
「その……何故、シーラを御許し下さったんですか?」
その質問にシャロンも苦い顔になる。
彼女も又、シーラがチーム内に居るのは、賛成ではないようだ。
「許しては無いよ。だから、秘書を解雇したんだ」
「でも、チームから追放しなかったじゃん」
「そりゃあ必要だからな」
「どうして?」
「癒し系だから」
「「……は?」」
2人の声が重なった。
「あいつ、猫みたいだろ? 癒されるんだ」
「……それでチームに不和が起きても良いの?」
「その時はそれまでのチームだった、ということだ。人事権は俺にある。それを忘れるな」
「「……は」」
2人は、
「あいつには、後方支援をさせる。現場には、立たせんよ」
あの時、シーラと組んだのは、俺の判断ミスでもある。
にも関わらず、シーラ1人だけに責任を押し付けるのは、上官として如何なものか。
テレビで観たが、MLBで活躍した、ある日本人選手がNPB時代のことを話していたことを思い出す。
彼がある試合で複数安打を放つも試合には、敗戦。
試合後、項垂れていると、監督が声をかけた。
『お前はチームに貢献した。それで良いじゃないか。勝敗の責任は、監督である俺が持つ』
と。
その日本人選手は、MLBに移籍後もその監督を「恩師」として心酔しており、ことあるごとにその監督の話を会見等で話している。
その名将こそ、仰木彬(1935~2005)だ。
彼のことを多くの選手達は慕っている。
俺は、仰木をケーシー・ステンゲル(1890~1975)と重ねて見ている。
彼は、ヤンキースの監督時代(1949~1960)の12季の内リーグ優勝10回、
メッツでは、優勝、世界一は出来なかったものの、《ミラクル・メッツ》の足掛かりを作ったのは、ステンゲルだと俺は思っている。
彼が亡くなった時、ヤンキースの教え子達が駆け付け、当時のヤンキースの監督であったビリー・マーチンは、棺の傍で寝泊まりし、更には翌年のWSには、1人だけ喪章を着けて、戦った(*2)。
畑は違うが、ステンゲルや仰木のような愛される名将になるのが、俺の目標の一つだ。
俺は、2人を抱き締めて、愛を深め合うのであった。
[参考文献・出典]
*1:拷問等禁止条約 第1条
*2:ウィキペディア
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