人類の叡智
@J2130
前篇
食卓の灯りが何度か瞬いたあと、部屋はすっかり暗くなった。
父の溜息が聞こえ、母が立ち上がった気配がした。隣からは、妹がナイフとフォークをお皿に静かにのせる金属音がした。そうだ、以前暗闇でコップを倒して怒られてから、暗いうちは食べずにおとなしくしなさいと母親に怒られたのだった。
一分ぐらいたっただろうか‥、突然、灯り、テレビ、エアコンが動きだした。
母はキッチンから玄関までの食卓以外の電気を消し、妹はテレビを、僕はエアコンのスイッチを切った。有線放送から、聞きなれたお願いが流れてきた。
「ただ今非常電源をたちあげました。家庭では必要最低限の電力以外すべて止めてください。5分前より、このエリアの風が止み、風力発電が止まりました。発電機が稼働しましたらまた連絡いたします‥。ただ今非常電源を‥」
家族が食卓に戻ってくると、食事が再開された。テレビも消されているので、食卓は静かだった。
「困ったものだな‥、会社でも困っているよ‥」
父が話すと、
「家でも大変よ‥、掃除くらいはともかく、洗濯はね‥。そうそう、冷蔵庫忘れてた」
母がまた立ち上がりキッチンへ向かった。
「学校も大変なんだよ‥、ね、お兄ちゃん」
妹が続けた。
「うん‥、最近、給食は何クラスか集まって同じ部屋で食べるんだ‥。停電のときはね」
父がまた溜息をついた。
「いつまで続くんだろうな‥。この異常気象は‥」
有線放送が先ほどのお願いをまた繰り返した。今回は長くなりそうだと、電力の使用を控えてくれと‥。
「痛て‥」
父が暗い洗面台でつぶやいた。いつだったかな‥、一週間前の停電のときもそうだった。
「うまくならないね~」
これまた暗いリビングで妹が笑いながら言っている。
「仕方ないよ‥、普段は電気シェーバーなんだからさ‥」
僕も笑いながら返した。母も笑っている。
「最近さ‥、素人でもうまく剃れる手動のカミソリってやつ売っているらしいな‥。それ買ってこようかな‥」
父がタオルで傷口を塞ぎながら、ダイニングに入ってきて言った。
「買ってきたら‥、まだ当分続くらしいから‥」
母も笑っている。
「さ‥、朝ごはん食べちゃって‥。冷蔵庫使えないから、みなさん朝から豪華ですよ‥」
そうだ、食材も溜められない。困ったものだ‥。
「ああ、停電や異常気象なんかに負けず、朝からたくさん食べて、がんばろう」
父は本当にそう思っているのだろう。明るい笑顔でそう言ったあと、暗い食卓でパンやサラダを口いっぱいにほおばった。
学校に向かう街頭の灯りも半分しか点いていない。横の道からタカが歩いてきた。
「昨日の野球さ‥、いいところで停電になっちゃってさ‥」
タカがちょっとさびしそうに言った。
そうらしい、新聞のスポーツ欄に、昨日のプロ野球はすべてのゲームが停電で中止だったと書いてあった。
「勝ってたの‥」
僕はタカの顔を覗き込んだ。
「ああ、めずらしくね‥」
タカのひいきのチームは弱小で、4試合に1試合しか勝てない。
「勝てばさ‥、今季初めての連勝だったんだ‥。エースも投げてたし‥」
「残念だったね‥」
僕はタカの肩をたたいて励ました。停電っていろんなところに影響があるようだ。
さすがに学校ではエアコンを稼働させていた。ただそれは授業中だけで、給食のときは同じ学年の子供たちすべてが一つの部屋に押し込まれ、空き教室の電気はすべて消された。節電はかなり深刻なようだ。
午後の授業は、各クラス、フリートークとされた。節電や風力発電のことがみんなから教師に質問され、教師は大人として、教師としてそれに応えていた。
なんだろう、生徒達の不安を取り除こうとしたのだろうか‥。教師はなにかしらのパンフレットを見ながら応えていた。
「もし、風がこのまま吹かないと、僕たちというか、人類はどうなってしまうのですか?」
タカが質問した。
教師は笑顔で頷きながらやさしく応えた。なんか、ちょっとわざとらしい感じがしたけれど、それもきっとマニュアルにあるのだろう。
「人間は、いままで環境の変化に対応して生活し、偉大な歴史を作ってきました」
ちょっと間をおいて、唾を飲み込んでいる。
「地上は完全に無風ではないのです‥。政府の発表によると、わずかですが常に風が吹き、場所によっては常に秒速2,3メートルの風があるそうです‥」
パンフレットから目を離さない教師。
「人はその叡智で、必ずそのような風速でも十分に発電する風車を作るはずです。いや、絶対に作ります」
大きく頷く教師。
「だから、今は大変だけれども、大丈夫、安心して下さい」
タカは僕を見た。僕も彼を見た。その顔には、「安心‥?大丈夫‥?本当かな‥?」と書いてあった。
放課後。僕は妹を校門で待った。放課後のクラブ活動はすべて中止となり、道が暗いので、小さい兄弟のいる生徒は一緒に帰るように言われたから。
待っていると、妹が友達と歩いてきた。
「あのドラマ、先々週からまったく進んでないんだよね‥」
「本当、停電ばかりでさ‥」
妹が僕に気付き、友達に手を振ってから近よってきた。
「いいのか‥?」
「仕方ないじゃん、先生が兄妹と帰りなさいって言うんだもん‥」
歩きながら僕は訊いた。
「お前、ドラマなんか一つも見てないんじゃないか‥。アニメばかりで‥」
「うるさいな‥、もう‥」
停電はいろんな影響がある。
父は早く帰ってきた。
「早く帰れってさ‥。仕事のしようがないんだもんな‥」
言葉の内容とは違い、なんかうれしそうだ。母も笑っている。
「でも、テレビも見れないし、ビールも冷えてないしな‥」
それでもうれしそうだ。
「タツヤはどうした?学校の授業は?」
僕は妹を見た。こうゆうことはおしゃべりがうまい妹にまかせるべきだ。
「ちゃんとエアコンも点いてたよ‥。でもね、給食は1学年まとまって‥。体育も校庭、体育館も使っちゃいけないんでダメ。あとは‥」
僕の顔を見る妹。
「道が暗いので、小さい兄妹がいる人はいっしょに帰るんだ‥」
ふ~ん、と父はうなり、続けた。
「学校くらい普段どおりでいいのにな‥。教育は大事なのに‥」
夕食の準備をしながら、母は言った。
「そうね、そんなことすればするほど、子供の不安が大きくなるだけよね。どうせすぐに元にもどるのだからね」
僕は妹の顔を見た。妹もこちらを見ている。その顔には、「大人って気楽ね」と書いてあった。あきれた顔だった。
停電四日目。父が寝坊している。母もパジャマのまま僕たちの朝食のしたくをしていた。
「授業は今日から半日だったわよね」
僕と妹は同時に頷いた。
「早く帰ってきても、何もすることないわ‥」
「ねえママ、がっきゅうへいさってなに?」
妹が母に訊いた。そんなうわさも、まあ、ちょっと言葉が違うが、そんなうわさも学校ではたっている。
「うん‥まあ、授業できないから、みんな休んじゃえっていうことよ‥」
「ちがうだろ、ミホ‥。学級閉鎖じゃなくて、学校閉鎖だろ‥」
「あ、そうだ、がっこうへいさだ‥へへ」
閉鎖は間違っていなかったから、別に言わなくてもよかったかな‥。
「休んじゃうことにはかわりないさ‥。もう行こう」
「うん‥。ママ行ってくるね。そうだ、パパにいつまでも寝ていちゃだめですよってあとで言っておいてね‥」
妹ってどうして母親に似てくるのだろう‥。言い方までだんだ似てきたよ。
終礼が終わり、妹の教室に行った。
この教室でも終礼が終わった直後のようで、何人かの生徒が落ち着かなく教室の前を動き回っていた。
妹がまた教室の奥で女友達と話し込んでいる。
「ミホ!ドームに行くけれど、どうする?」
教室の入口から、少し大きな声で言った。
「校舎の玄関で待ってるから‥」
と一瞬だけ僕を見たあと、すぐに女友達と話しはじめた。
僕はドームへ続く暗い廊下を歩いた。前来た時はもっと電気がついていて明るかったけれどね‥。先のほうでタカが待っていてくれた。
地上ドーム行きのエレベーター待ちの列が十メートルくらいできていた。普段、異常気象じゃないときにはガラガラで、誰もこんなものに乗らないのに‥。
2台待ってからようやく乗れた。エレベーター内部のドアの横には、地上からの距離が1メートル単位で表示されている。二十メートルからどんどんと少なくなり、0メートルとなった途端、エレベータが停止し、ドアが開いた。
円形、総ガラス張りの、直径七十メートルほどのドームには、天然の光がまぶしく差し込んでいた。青い空に雲が絵のように動かずにいる。
森の木や草がまっすぐに立ち、枝や葉も揺れることなく、曲がることなく自由に伸び、光を浴びていた。
現在の地上の風速を表示する風速計は0からまったく動く気配がない。
「風、ないね‥」
タカが遠くの白い風車を眺めながら言った。
「うん‥」
僕も、なにかの芸術作品のように動かない風力発電の風車を見て応えた。
鳥が舞い、虫が飛んでいる。普段はどこに隠れているのだろう‥。異常気象だから見える光景なのだろうな‥。
「気配もないね、風が吹く‥」
タカがまた言った。なんか、言葉ほど声は暗くない。
「そうだね‥。吹きそうもないね‥」
僕もまた応えた。吹きそうもない‥、そうだね‥。そんな感じで応えた。
見回せば、教師も数人いる。みな、風車を眺め、悲嘆にくれた顔をしている。
一方でたくさんの子供達は、異常気象のめったに見られない風景を眺め、ある意味楽しんでいる。そう、ドームのガラスに張り付く自然の虫を指差し騒いでいる低学年の子供もいる。その表情にはなんのかげりもない。
「妹が待ってるんだ‥」
タカに向かって言った。
「帰ろう‥。教師に言われる前にさ‥」
タカは横目で大人を眺めてから言った。
「そうだね、帰ろうか‥。大人はほっといてね‥」。
停電五日目。
今日は予定ではエネルギー省発電局の見学だった。
しかし、エネルギー省も学校もそれどころじゃなく中止となった。
今日も父は寝坊し、母はパジャマで、世界の朝は子供に支配されたようであった。
「お兄ちゃん、今日は本当は校外学習だったよね‥」
「ああ、でも中止になったよ」
「行きたかったでしょ?風車整備部とか行くと、“外”の風を体験できる施設とか、風車整備ゲームとかあるって聞いたよ」
本当にあるらしい。男の子はみんな楽しみにしていた。
「あとは、そう、カッコいい人とかいるんだってね‥。この前のドラマって、整備部の技師の話しだったよね‥」
ドラマなんか見ないくせによく知っている。
「そう、優秀な人しか入れないらしいね。風速四十メートルのなか整備するんだからね。いつでも命がけだから、ドラマにも映画にもなるんだろうね‥」
だいたいのドラマでは、新人のかっこいい男性が整備部に配属され、厳しい訓練を受け、成長し、ちょっと女の子も出てきて、それでいて、先輩とか同僚が風に流されて、死んだり負傷したりして‥。だいたいそんな感じだ。
「私も行きたいな‥」
「高学年になれば行けるよ‥。まあ、それまでに風が吹けばね‥」
「へへ、そうだね‥」
大人なんかより、僕ら子供のほうがいつでも明るい。
一週間が過ぎた。これは有史以来はじめてのことのようだ。ある意味貴重な体験だ。
大人達の顔はみるみる青くなり、有線放送は避難を勧めはじめた。
確かに、バラバラに生活されるより一か所にいてもらうほうが電力は節約できる。政府や市は非常事態に向けての準備不足を強く非難されていた。
子供達はそれなりに半日授業を楽しんでいた。とにかく半日我慢すれば学校は終わるので、それだけは集中して勉強していた。体育もないので、それ以外の科目の遅れはなぜかほとんどないようだ。
「宿題も多いし‥。でも、家に帰ってもそれ以外やることないしね‥」
タカはつぶやいた。
「勉強がすすむわけだよね‥」
いつでもやれると思うと全然進まなくて、やる時間がないと思うとかえって進む。面白い‥。本や参考書、問題集が書店から売り切れている。仕方ないので、友達どうしで貸し借りしたりね。誰か気楽な大人が言ってたな。そうだ、暇になった体育の教師だ。
「子供のほうが順応力がある」
違うよ、大人が不器用なだけなのに‥。
細々と授業は続いた。今日はこの風の吹かない状況にちなんで、歴史の授業となった。
「今から百年ほど前ですね、風が吹き始めました」
年配の学年主任の先生が話し始めた。
ここは比較的大きい理科実験室。机を全部かたずけて椅子だけを並べ、高学年すべての生徒を一か所に集めた。これも節電の一環だろう。
「みんな知ってのとおり、それまで人類は地上に暮らしていました。人類誕生以来、ずっとです。ずっと地上に暮らしていました」
教師は機械的にそう言った。言った本人もそんなことあったのかな‥という感じで、そう、実感がまったくともなっていない話し方だ。
もう、僕らは地下に潜ってから三世代たっている。誰もが本当の地上の暮らしを知らない。想像でさえ苦しいくらいだ‥。
「記録によると‥」
教師は目を教科書に移した。それじゃあ話す意味がないと思うのだが‥。
「最初の突風は北アメリカだったそうです‥」
教室の前面の巨大モニターに倒壊した家屋の写真が映った。
「被害は甚大で、その範囲も広く、ここにありますね‥、まるで爆撃されたようだった‥ってね。戦争のようだったということなんでしょうね‥」
戦争‥。これも教師は他人事のように言った。ここ百年、人類は戦争をしていない。
「突風が三日続いたあと、すぐにそれはヨーロッパに三日吹き、アフリカも、アジアもオーストラリアに、そして最後に南アメリカにも吹きました」
地図を指しながら教師を言った。
「世界は驚愕したそうです。台風並みの強風が一瞬にして世界中、くまなく吹いたのですからね‥、それも長いところでは三日もね」
「家屋もそうですが、ビルのガラスが破れ、家畜も農作物も死んだり、倒れたりして、まずは食べ物が急速に不足したそうです」
配給に並ぶ人の写真が移された。
「でも、世界はまだなんとかなると思っていたようです‥。とりあえず三日で風は止まったので、こんな“異常気象”は続くはずはない‥と、真剣な対策はどの国もとらなかったとのことです‥」
変な感覚‥。なんかただ知識を話しているだけの教師が、情けなくなってきた。
なぜだろうな‥?僕はタカを見た。視線を感じたタカもこちらを見返す。その表情はよくわからなかったが、タカはちょっと首をひねってみせた。彼も変な気分なんだろうね。
「しかし、突風は三か月後また吹いたのです‥」
どこかの国のタワーが倒れる動画が映しだされた。映画ではなく、実写が‥。
海が荒れ、橋が落ち、木が倒れ、車や電車の横転した写真も映った。
「今度はどこの国でも一週間ほど続いたそうです」
表が現れた。人的被害と物的被害の膨大な表が‥。
「戦争だね‥」
誰か生徒がつぶやいた。
「ひどい‥。きっと子供もいただろうにね‥」
女の子の声だ。
「世界的に救助の輪が広がりました。世界は食糧、生活、それ以外のことにお金や人を回す余力をなくしました‥」
一人の生徒が手をあげた。
「建物だって丈夫だし、人はその中にいればいいのではないですか?」
教師はうなずいた。めずらしく自信を持ってうなずいたようだ。
「その中にいれば生きられます‥」
そして、ニコっと笑ってから生徒を見つめた。
「ところで君は今朝、何を食べたかな?」
「パンです。ちゃんと食べてきました」
最近はそうでもないが、寝坊して朝食べてこない子供もいる。
「そうか‥。で、パンはスーパーかパン屋さんで買ってきたよね‥」
うなずく生徒。
「スーパーはパンを工場から運んでくるし、パン屋さんは、原料の粉を粉屋さんから持ってくる‥」
じっとしている生徒。
「今のように、地上に常に、風速三十メートルの風が吹いていたら、普通のトラックや電車じゃ運べないよ‥。もし、小麦のない国だったら、飛行機や船で粉を運んでこなければいけないけれど、そんな風だったら無理だよね‥」
うなずく生徒。
「生きられるのと生き続けられるのとは違うんだ‥。その時地上では餓死者もでたという話しもあるんだよ」
生徒みんなが沈んだ顔をした。
「政府は、世界はやっと動きだしたんだ‥」
軍隊のトラックや戦車が食糧を運ぶ写真、空母が戦闘機の代わりにたくさんのタンク、これには真水が入っていたそうだが、それを甲板に満載して走る写真。パラシュートで医療品が降下される写真。
「でも、その力のほとんどが救助に向けられたんだ。食糧の備蓄とか‥」
倉庫に山積みされた毛布、食糧、医療品の写真があった。
「風への対策はどうしたんですか‥?」
あれはA組のマリだな。賢くて美人で‥。まあ、彼女なら教師も変な逆質問しないだろうな。
「原因がわからなかったんだ‥。突然吹く強烈な風の原因がね‥」
煙突から出る黒煙、切り取られる大木、太い管から汚水が海に流される様子、そんな写真が映った。
「おそらく環境破壊が原因だろう、と言われたけれどね、本当のところは今でもわからないんだ‥。ひょっとすると地球は何万年に一度、こうゆう状況に過去にもなったことがあるのではないかとも言われているんだ‥」
なんか納得のいかない答えだ。
そう、彼女の質問への回答はどうしたんだろう。
「原因がわからないので、対策の立てようもない‥。今度はいつ来るか、どれくらい長い期間吹き続けるか‥。政府は、そんなことより、救助、食糧の備蓄のほうに力を入れたんだ。まあね、世界のどの国もそうだったんだよ‥。いつ来るかわからないものに、対応のしようがないって言ってね‥」
生徒達にさらに落胆の色が見えた。
「あの‥、いつ来るかわからないから常に備えるのではないですか‥。よく先生のお話がわからないのですが‥」
マリは食い下がった。僕やタカだったら無視されただろうな‥。
「なんと言えばいいのかな‥。いつ来るかわからないものに、根拠のないものにお金は出せないんだ‥。食糧の備蓄なら、風だけじゃなく、地震、洪水、いろいろ使えるからね。でも、半年に一度かもしれないし、百年に一度かもしれないものには容易くお金を出すことはね、議会とかいろいろあって無理だったんだ‥」
教師は、あまり残念そうな顔や声ではなく、そう言った。僕は子供だからだろうか、マリとおなじく、教師の言葉がほとんどわからなかった。
「そして、今度は三年後、皆が二度の強風を忘れかけたとき、また来たんだ‥」
今度はいきなり表を写しだした。さっきの被害状況の二倍ほどの大きな数字があった。
「一か月吹いてやっと止まったそうだ‥。この数字はね、まだ食糧などの備蓄があったからこの程度ですんだとも言われているんだよ‥」
次は怒りに震えたデモの写真だった。女性、老人、子供までいる。野球のスタジアムにいる人よりも格段に多い人達がどこかに押しかけている。泣いている人もたくさん‥。
「根本的な対策を求める声が世界に広がったんだ‥」
水びたしの街の写真。燃え尽きた森の写真。根こそぎ作物が飛ばされ、わずかな緑しか残っていない畑の写真。家畜達が痩せ細ってさびしそうに水を飲んでいる写真。
「強風にあおられた高潮で街が水没したんだ。これは山火事だね、強風だし、誰も消しにいけないしね。これは畑、言うまでもないね。家畜も、飼料がなければ痩せてしまう」
採掘場の写真が映った。これは見たことがある。人類最初の本格的な地下都市は、以前は大理石の採掘場だったとのことだ‥。
「これは知ってるね‥。今の人類の、君たちの発展はここからはじまったんだ!」
地図が出た。どんどんと地下都市が広がっていく様が時系列でよくわかる地図だ。
「今や人類はその叡智で地下に文明を築いたんだ‥」
「三度目の風が止まってから二年後、また風は吹き始めて、断続的に、そう、百年後の今も吹き続けている。そして国家間は協力し、この異常気象に対応するべく、すべての武器を捨てて、地下に大都市を築いたんだ‥」
「人類はね、その環境に時には対し、時には順応し、文明を発展させてきたんだ‥」
誰か、横に座っている教師の一人が、すばらしい‥、と小さく言った。
「みんな、いいかい、今また人類は異常気象により危機を迎えている‥」
ドームから撮影した動画だ。風がなく風車が止まっている。
「見てごらん、この我々のエネルギーの源、生命の元とも言っていい風が今止まっている、止まっているように見える‥」
教師は映像を消すように誰かに指示した。部屋の電気が点き、映像が消えた。
年配の教師が教壇の右からゆっくりと歩いてきて、中央に止まり僕らの方を見た。
「でも、まったくの無風ではないそうだ。政府は今、どんな風でも必要な量の発電を可能とする最新式の風車を急ピッチで開発中とのことだ」
なぜか教師が胸を張っている。
「人類はまたその叡智で、この危機を乗り越えるんだ。この異常気象を乗り越えるんだ」
すばらしい‥、また誰か教師が言った。さっきより少し大きな声で。
「それでは今日の授業は終わりにするが‥、まだ少し時間があるかな‥」
年配の教師は、生徒ではなく教室の横にいる他の教員を見回した。なにか連絡事項がありますか‥?そんな感じだった。
「先生、質問いいですか‥?」
あれはB組のケンだね。
「ああ、いいよ、なんだね」
「人類は地下に潜りました。それって、風に、自然に負けたのですか‥?」
僕はタカの方を見た。タカも僕を見ている。ケンはタカの友達でもある。
「う~ん‥、君は今、生きいるかな‥?」
また逆質問だ、大人っていうのは困ったものだ。
「生きてますが、何か‥」
「自然に負けていたら、君も僕も今はいないだろう‥。人類の叡智は負けはしないんだ」
恥ずかしそうにケンが座った。かわいそうに。
「先生、先生!」
タカが手をあげている。僕はあわててタカの横に移動し、手を下げさせようとした。
「質問です!」
「タカ、やめろ、さっさと帰ろうよ‥」
「いいよ、質問の時間をとらなかった私がいけなかったね。さて、次はどんな質問かな?」
「先生、異常気象はいつ終わるのですか?」
「それはわからないよ、専門家もね。でも、その対策はさっき言ったように政府がやっているんだよ」
「異常気象は続くのではないですか?先ほどの話しのように‥」
「タカ君、それは僕も専門家もわからないよ。でも対策はしているんだ、さっきも言ったよね。聞いてなかったかな、居眠りでもしてたか、綺麗な女子生徒でも見てたかな?」
僕は少しイラっとした。タカはちゃんと聞いてたし、なんだよ、その言い方は。
「タカ、百年続いた風が急に止まるなんてことはないだろう、ちゃんとした質問をしろ」
横から別の教師が口を出してきた。
見上げるとムッとしたタカの顔があった。
「人類は滅亡するのですか?」
だけど冷静だね、タカは‥。こんな質問に切り替えた。
「何度も言っているだろう、人類の叡智が必ずや解決する」
タカはもう疲れたようだ、というか、半ばあきらめている。でもこのままじゃタカがかわいそうだ。大人は数人で応えているし‥。
「先生、タカはね、百年前の風が吹いた“異常気象”と同じように、今回の風が吹かない“異常気象”がそのうち異常じゃなくなるんじゃないか‥。これが通常になってしまうんじゃないか。でも、百年前と同じで、先生のおっしゃった“根本的な対策”が今回も遅れていってしまうんじゃないかってね、言いたいのだと思います」
僕は手も上げずに立ち上がって話してしまった。しょうがない、ちょっとイラってしたしね。
「わかるよ、君。でもね、今回は違うんだ、もうすでに根本的な対策をとりはじめているんだよ。風車は開発中なんだ‥」
少し笑いながら教師は言った。なんかそれもちょっとイラっとした。
大人って面倒くさいね。僕もダメみたいだよ、タカ。でもこれだけは言わせて。
「手をあげずに発言したのはすいません」
僕は座りながら、回答を期待しないで言った。
「でも‥人類の叡智って‥風車ですか?」。
後編へ
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