聖なる夜の小さなかけら

このはりと

聖なる夜の小さなかけら

「ねえ、みどりちゃん。おはなし聞いて」

「今日はどんなお話なのかしら?」

「あのね──」


 これが、絵描きを目指すわたし、千歳緑ちとせみどりと、ちょっとだけ成長した小学二年生の女の子、鳩羽はとばいろちゃんの、物語の始まりである。



 *



「みどりちゃんは、たくさん絵をかいているわね。でも、冬の絵がないみたい。どうして?」


 クリスマスイブの前日。わたしの家へ遊びに来たいろちゃんが、疑問を口にした。絵の具のにおいを嫌がる様子もなく安心していたところ、不意をつかれる。


「──言われてみれば、そうね」


 まったく意識していなかったのだが、わたしはこれまで「冬」を題材にした絵を描いていなかったことに気づかされた。はて、どうしてだろうか? いたずら心がわき、いろちゃんに訊き返してみる。


「冬の絵がないのはどうしてでしょう?」

「おねえさんになったいろが当ててあげるね」


 いろちゃんが元気にのってくる。頼もしい限りだ。彼女の言う『おねえさん』とは、家族が増えたわけではなく、学年が上がったのを指す。今は小学二年生で、下級生の面倒を見る場面があるそうだ。


「さむいのがにがてだから?」

「あたり。寒いのはねぇ。猫じゃないけれど、こたつで丸くなっていたいわ」


 正解と告げはしたが、わたしの言いかたから答えは別にあると察したようだった。人の様子や態度を見られるとは、確かにお姉さんである。


「雪がまっしろだから?」

「なるほど、あたり。色が白しかなくなっちゃうものね。上手でないと、何を描いたのかわからなくなるわ」


 またもや不正解と知り、いろちゃんは『うーん』と唸り始めた。「寒さ」「雪」と冬からの連想はばっちりである。わたしが逆の立場であれば、どれほどの答えが浮かんだだろうか。


「ねぇ、みどりちゃん。明日までにわからなかったら、いろに答えをプレゼントして?」

「プレゼント? あぁ、明日はクリスマスイブだものね。でも、答えはプレゼントにはならない──案外なるかもしれないわね」

「ほんとうに?」

「あら。わたしは、いろちゃんに嘘をつくような、いけない大人だったかしら?」


 実を言うと、わたし自身、なぜ冬の絵がないのか知らなかった。今日は半分だけ嘘をついている。しかし、きっと明日の夜には「本当」になる。初めて、冬を題材にした絵を描いてみたいと心が動き始めたのだから。せっかくいろちゃんがくれた機会だ。彼女が口にした『プレゼント』からアイデアが浮かび、用意すべきと結びつけられる自信がわいてきた。


「それはそうと、明日の準備は済んでいるの?」


 いろちゃんのお母さんと話はしていたが、明日の夜を一番楽しみにしているはずの彼女にも聞いてみる。


「うん。おりょうりはおかあさんがぜんぶ作ってくれるんだって」

「お料理を全部? ケーキはお母さんが作ってくれるのね」

「うん、そうだよ。おかあさんのおりょうりはぜんぶおいしいの」


 食事が子どもの体をつくっているという実感。そして、口に合ったときの純粋なよろこびを目にしたら、料理へこめる愛情はどんどん増すに決まっている。「おいしい」「またつくって」なんて言われたら、彼女の母親でなくてもいちころだ。


「ひょっとして七面鳥も?」

「しち……? 鳥のこと?」


 言葉が難しかったようだけれど、「鳥」の漢字を学んだのか、彼女はわたしが指したものを理解した。どうやら七面鳥も仕込んでいるらしい。お呼ばれするわたしも、心が浮き立ってきた。


「おとうさんは、大きなクリスマスツリーを組み立ててくれるんだって。明日はね、お友だちのさくらちゃんがお家に来るの。そのままおとまりするんだよ。楽しみ。みどりちゃんもおとまりする?」

「お誘いをありがとう。気持ちだけもらっておくわね」


 このぶんなら、靴下もしっかり置いてあるだろう。

 ケーキがあり、七面鳥があり、クリスマスツリーもある。友人が訪れ、プレゼントを忘れるわけもなく、パーティーの準備は万端だ。

 そこではたと閃いた。


「じゃあ、わたしはいろちゃんの家にないものを、プレゼントに持っていこうかしら」

「ないものってなぁに?」

「さぁ、なんでしょう? それを当てるのが、いろちゃんの宿題ね」

「わかったわ。冬の絵がないのと、いろのうちにないものね。おとうさんにも聞いてみる」

「いろちゃんのお父さんは、想像するのが得意だものね」


 答えが当てられたって構わない。わたしがこれから作り始めるプレゼントの価値は、ちょっとやそっとじゃ下がりはしないのだから。

 さて、こうしてはいられない。聖夜のパーティーに欠けているものを、大急ぎで絵にしなくては。はお店で買えるわけもなく──それになれる商品はあるが──いろちゃんのお父さんとお母さんは用意していないはずである。しかし、絵を描くわたしなら話は別だ。


(絵の具は、赤・白・茶・緑と必要な色は全部そろっているわね)


 待てよ、とわたしは思いとどまる。最初に浮かんだ構図と色づかいはごく一般的だけれど、色数が多く大変で、おまけに面白みがない。


(全部シルエットにしてはどうかしら。月と雪は白に、夜空は深い青にして……。主役は黒でいいわよね)


 いろちゃんだけでなく、わたしにも「明日の夜まで」のしめきりつきの宿題ができた。色数を減らしてシンプルにすれば、仕上げの見通しは無難になる。

 よし、と意気込んで、わたしは絵筆を持ち作業に取りかか──と、その前に。


「そろそろお家に帰りましょうか。送るわね」

「ありがとう、みどりちゃん」


 まだ夕方と思っていたが、外へ出ると陽はすっかり落ちて、もう夜と言ってよいほど暗くなっていた。いろちゃんと手をつなぐ。「あったかいね」と笑い合って、わたしたちは彼女の家を目指して歩き始めた。



 *



 クリスマスイブの夜。スカートをはき、ツリーをかたどったシルバーのネックレスをつけるくらいの軽いおめかしをして、わたしはいろちゃんの家へおもむいた。先に来ていた彼女の学友であるさくらちゃんは、年齢にしては大人びた装いをしていて驚く。落ち着いた深緑のワンピースに、赤い花のヘアピンをつけている。


(あれはポインセチアね。全身が見事なクリスマスカラーだわ)


 わたしが感心の目線を送ると、さくらちゃんは愛らしくはにかんだ。

 いろちゃんの家族と友人のさくらちゃん、わたしも加えて参加者の全員がそろい、パーティーが始まった。

 まずはやっぱりお料理だろう。子どもたちは、ローストターキーの姿を見て怖がっているので、大人が取り分けてあげた。ハーブのいい香りがする。こんがりと焼き上がったばかりの皮はパリッと音を立て、それだけで否が応でも食欲をそそられた。厚みがありジューシーなお肉を口へ運ぶ。塩のあっさりとした味つけの鳥に、ほんのり野菜の甘みも感じられ、美味しさがいっぱいに広がった。食の幸せに満たされる。


「わぁ!」


 しばらくすると、いろちゃんとさくらちゃんが歓声をあげた。お待ちかねのケーキの登場である。ショーケース越しにしか見たことのないホールケーキが、いま目の前にあった。なかなかに迫力がある。真っ白な生クリームに大粒の苺が五つのったシンプルなケーキだった。すっと入るナイフ。切り分けると、断面にはスポンジと生クリーム、その間に苺があった。果物のさわやかな酸味を、生クリームの穏やかな甘さが包み込んでくれる。いくらでも食べられそうで、別の意味で怖くなり笑ってしまう。

 さて、いよいよお次はプレゼントの出番である。


「ねぇ、いろちゃん。宿題の答えはわかった?」

「おとうさんがね、『こういうのは、知らないほうが楽しいんだよ』って、おしえてくれなかったの。みどりちゃんからのプレゼント、もらえないの……?」


 正解しないとプレゼントがもらえない。彼女はそう考えたのだろう。わたしは大きくかぶりをふって笑顔を返した。こんなすてきな夜に、悲しい出来事なんてあってはいけないのだから。プレゼントを覆っていた布を静かに取り払う。


「ひとつめの答えはね、『今日、この日のために』かしら。もうひとつは、いろちゃんへ」


 わたしが持ち込んだ、聖なる夜の最後の小片ピース

 それは──。


(夜空を見上げているのは、あなたよ)


 初めて描いた冬の絵。友人たちとすごすあたたかい夜に、わたしの絵が彩りを添えられたのなら、こんなにうれしいことはない。

 窓の外を見ると、いつの間にか雪が降り始めていた。



 おしまい

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