窓際のあの人
栗須帳(くりす・とばり)
第1話 その道の先に
スケッチブックを片手に一人、この辺りを散策するのが私の日課だった。
私に友人と呼べる人はいない。
昔からずっとだ。
そんな私のことを、両親はずっと心配していた。
でも私自身、そのことを辛く思ったことはなかった。
学校でいじめにあったこともない。
声をかけられれば普通に話すことも出来る。
ただ、私にとって他人との交流というものが、煩わしくこそあれ魅力あるものと思ったことがない、それだけだった。
私にとって、人生の喜びはそこになかった。
空想の世界にこそあった。
こうして一人で街を歩き、気にいったものをスケッチする。
そして家に戻り、そのスケッチを見ながら空想にふけり、物語を作っていく。
それが私の日常だった。
私の人生は満ち足りていた。幸せだった。
いつもの様に街を歩いていると、通りから外れた細い道が目に入った。
この道を入ったことはない。
と言うかこんな道、あったっけ。
私は好奇心の赴くままに、今日の散策をこの場所に決めた。
古びた建物が立ち並び、ここだけ時が止まっているような感覚を覚えた。
そのノスタルジックな雰囲気に興奮し、私は何度となく足を止め、スケッチブックにペンを走らせた。
ブロック塀の上で寝そべる猫、倒れたポリバケツの中をあさる野犬。
電柱には色褪せた広告、文字もほとんど読めない。
アスファルトにチョークで書かれた丸と三角と四角。
そう言えば子供の頃、父さんがこれを書いてくれて、その上をケンケンして遊んだ記憶が思い出された。
しばらく歩くと、赤いレンガ造りの喫茶店が目に入った。
古い映像で見たことはあったが、こういう雰囲気の店を間近で見たのは初めてだった。
私は興奮し、店の斜め前に腰を下ろし、その店をスケッチした。
次から次へと頭の中で物語が浮かんでくる。
この道に入ってよかった、今日は最高の一日だ。
嬉しさの余り、そう声に出しそうになりながら、私はペンを走らせた。
その時だった。
窓際の客らしき人物が、私をずっと見つめていることに気づいた。
視線を感じた私は思わず赤面し、慌ててスケッチブックを閉じた。
人との距離感を見失っている私にとって、その視線は余りに強すぎた。
恐る恐る視線を上げると、頬杖をついて私を見ていたその客と目が合った。
そしてその客は、私を見て優しく微笑んだ。
その穏やかな笑顔に、私は吸い込まれそうになった。
体が勝手に動いた。
私は扉を開け、店の中へと入っていった。
扉についている大きな鈴の音が、耳に心地よかった。
「いらっしゃいませ」
店内にはその客と、マスターらしき初老の男性の二人だけだった。
狭い店内は、カウンターと窓際の席が二つだけ。
私はカウンターに座り、コーヒーを注文した。
「おまたせしました」
マスターから受け取ったコーヒーを飲みながら、私は背中にずっと視線を感じていた。
でもその視線は私にとって、決して嫌な物ではなかった。
好奇のものでも蔑みのものでもない。
穏やかで温かい視線だった。
まるで幼い頃に、母さんに抱きしめられていた時のような感覚。
その温もりが気恥ずかしくて、嬉しくて。
私は振り返った。
頬杖をついたままのその人は、私を見て微笑み、小さく手を振った。
「え……」
その人が手招きで私を誘う。
自分でもおかしいと思った。
赤の他人の誘いを私が受けている。
でも、それが私の求めていることなんだ、そう思えた。
私はその人の誘いのままに、向かいの席へと座った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます