閑話 英霊


「どこに行くつもりですか?」


 背後からかかった声に、びくっとイングラルは固まり、ゆっくりと振り返った。

 立っていたのはダークエルフの美女。


 秘書で恋人のミレーヌである。

 まあ、もちろん声でわかっていたのだが。


「……散歩?」

「こんな夜に、パイロットスーツを着込んで、ピヤーキーの格納庫に散歩ですか。新しい辞書がいりますね」


 やや首を右に傾け、シニカルな笑みをミレーヌが浮かべる。

 バレバレの嘘をこいてんじゃねえぞこのアホが、という副音声をたしかにイングラルは聞いた。

 心の耳で。


「プリーストたちにあった天啓を気にしているのですね?」


 つい先刻、王宮に詰めているプリーストたちが異変に襲われた。意味不明の言葉を口走り、ガイリアが災厄に見舞われると予言したのである。


 マスル王イングラルは、いても立ってもいられずにガイリア王国に向かおうとした。

 最も速い手段、複座型戦闘機のピヤーキーを駆って。


「しかも単身で」


 苦虫をかみつぶしたようなミレーヌの顔である。

 マスルとガイリアは同盟国であり友好国だ。もっとも重要な友人だといってもさほど言い過ぎではない。


 しかし、あくまでも他国なのである。

 心配だからと国王自ら飛んでいくなど、言語道断といっていいだろう。


 幾人もの個人的な友人が暮らしているとしても、である。


「いえば止められると思ってな」

「止めますよ。当然でしょう」

「ぐ……」


 当たり前である。

 一国の元首が、ほいほいと単身で出かけるなんてあり得ない。まして危機が迫っていると予言されている国になんて。


「止めはします。ですが、行ってはいけませんとは言いませんよ。私のかわいいイングラル」


 繊手をのばし、黙り込んでしまった魔王の頬に触れる。


「ミレーヌ……」

「あなたの下手っぴな操縦では、ガイリアシティに到着するまでに墜落してしまうでしょうからね」


 ロッカーへと歩み寄り、自身のパイロットスーツ取り出す。


「最高速で飛ばしますよ。しっかりしがみついていてくださいね」


 そして振り返り、ぱちんとウインクするのだった。





 リアクターシップ『フォールリヒター』の巡航速度なら、マスル王都リーサンサンからガイリアシティまでは一昼夜で飛べる。

 ピヤーキーはもっとすっと速く、なんと半日で踏破できてしまうのだ。


 この俊足をマスル王国では偵察に使っている。

 軍事的にいえば、ざっと一ヶ月後のことがわかるということだ。これがどれほどの優位性か語るまでもない。


 それこそ稀代の軍師ライオネルだって、三十日分も離れているのに動きを知られてしまっては勝算の立てようがないのである。


「とはいえ、ピヤーキーが一機でできることなんて偵察くらいしかないというのも事実なんですけどね。そもそも見に行ってどうするつもりなんですか? イングラル」


 操縦席のミレーヌが言う。

 ピヤーキーの運用については横に置くとしても、イングラルとミレーヌが戦場に駆けつけたところで、できることは多くない。


 火消しピースメイカーの二代目長官であるミレーヌは腕に覚えがあるが、それでも無双の勇者というわけではないのだ。

 闘神アスカなどに比較したら五段も六段も落ちるだろう。


 魔王イングラルにいたっては接近戦などからっきしである。個人としてのジョブは召喚士サモナーという珍しいものだからだ。


「じつはわからない。いても立ってもいられなくなったというのが本当のところだからな」

「いとしいお母さんが心配ですもんねぇ。妬けます」


「愛しいとか言うな」

「でも実際、イングラルのどうでもいい召喚が何かの役に立つとも思えないんですけどね」

「本気でひどいな。おまえ本当に俺の恋人なのか?」


 すごくいやそうな顔をするイングラルだったが、彼がいるのは後席なのでミレーヌから顔は見えないのだった。


 ともあれ、イングラルの召喚が役に立たないというのは事実である。

 なにしろ何を召喚するのか選ぶことができないから。


 モンスターが出てきたこともあるし、小石がころんと転がり出たこともある。そもそもどこから呼び出しているのかすら、まだ研究段階で判らないのだ。


 いにしえに存在した召喚術を復活させようと勢い込んでいたイングラルだが、まったく望んでない王位についてしまい、その後はひたすら激務に追われて研究も遅々として進んでいない。





 そうこうするうちにガイリアシティが近づき、二人が目にしたのはとんでもない光景だった。

 半壊したガイリア城と、巨大な悪魔。

 必死に戦う『希望』である。


「……あれが魔皇アザトースの分体か……」

「なかなかにおぞましい姿ですね。そして天啓がありました」


 微妙な顔をするミレーヌ。

 彼女の天賦は、メイシャなどと同じ聖者である。

 なのにどうして暗殺や破壊工作を専らとしていた初代の火消しに加わったのか、彼女自身は誰にも説明していない。


「信じられないことに、ここで召喚を試みるといいらしいです」

「なんとも心強い天啓だな」


 苦笑しながらイングラルが詠唱を始めた。

 不思議と力があふれてくる。

 発動ワードまで。


きたれコール! 英霊よエインヘリアル!」

 

 声に応じるように空を裂き、長大な槍グングニールをもったヴァルキリーが顕現する。

 オーディン神に仕える戦女神だ。


 とんでもないものを召喚してしまったわけだが、そのこと自体にイングラルは驚かなかった。

 もっと驚くことがあったから。


「タティアナどの!?」

「久闊を除すのは、あれをなんとかした後の方がよろしかろう」


 ヴァルキリーがにやりと笑う。


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