閑話 軍師な二人(2)


「なぜだ! 何故こんなことに!?」


 男が叫んでいる。

 タクケン郡にある小都市の代官だ。


 彼の前に立つのはシュクケイとコウギョク。そして二人に寝返ってしまった密偵のサキとウキである。


「観念しろ。ジュウユ。二人がすべて話してくれたよ。情報を操作して市場を混乱させ、暴利をむさぼっていたとな」


 悪事の証拠が記された書類を、シュクケイはぽいと机に投げ置く。

 慌てて代官がかき集めて握りつぶすが、意味がないことくらいは自分で判っているだろう。

 原本を渡すはずがないのだから。


「古来から、密偵を頼む政治は国を誤らせると言われている。おまえのやっていることはまさにそれだ」

「うるさい! 代官の俸給が安いからだろうが!」


 居直ったジュウユが腰間の剣を抜く。


 が、振り上げることすらできなかった。

 一挙動で間合いを詰めたコウギョクが鳩尾に当て身をくらわせたから。

 くたりと脱力する代官の身体。


「お見事。ギョクさん」

「あたしとしては、もうちょっと歯ごたえのある相手でも良いんだけどね」


 くすりと笑って肩をすくめてみせるコウギョク。

 実力差がありすぎるため、剣を抜く必要すらなかったのだ。

 手早く縛り上げていく。


 その横でシュクケイが太守宛の手紙をしたためる。領民が納める税の額を誤魔化して懐に入れていたこと。さらにその金を使って買い占めや物資価格のつり上げをおこなっていたことなどを報告するものだ。


「戦時なら情報将校として大活躍だったかもしれないけどな」


 苦笑する。

 二人の密偵を手足のように使い、虚実入り交じった情報をばらまき、自らの利益を計る。

 正直、田舎町の代官にしておくのは惜しいほどの能力だ。

 その策謀を敵国に仕掛けていたなら。


「道は誤ったものの、諜報士官としての能力は疑いないと思われる。有為の人材につき、寛大な処置を願うものなり。元セルリカ皇国軍監シュクケイ、と。こんなものかな」


 筆を置く。

 あとは、タクケン郡の役人たちに後事を託して問題ない。


「申し訳ありません。シュクケイさま。お手を煩わせる仕儀となってしまい」


 ウキが深々と頭を垂れる。

 黒髪を短くし、動きやすそうな格好をした女性だ。


 ジュウユが使っていた密偵の一人だが、妹のサキとともにシュクケイにすがったのである。

 多くの民が泣いております。どうかお力添えを、と。


「俺はもう官人ではないが、だからといって民草の苦しみを見過ごして良いということにならないからな。タクケンでは夜逃げや一家離散が相次いでいるというではないか」


 旅の途中で立ち寄った村々では、放置された空き家がいくつもあった。

 酒場では恨み言が管弦のように流れ、広場には子供の笑い声が聞こえなかった。


 隣の郡などとはまったく違った様子だっため、不審に思ったシュクケイとコウギョクが調べようと思った矢先にウキに声をかけられたのである。

 いずこかの名のある御方とお見受けしますと。


「して、これから二人はどうするんだ?」

「どうしましょうか。民のためとはいえ主人を裏切ってしまいました。もう私や姉を雇ってくれる場所はないでしょう」


 ほろ苦い表情でサキが言った。

 雇い主が密偵に求めるのは絶対の忠誠であって正義の心ではない。民草が可哀想という理由で主人を売った彼女たちは、もう密偵としては死んだも同然である。


「春でも売って生きるしかありません」


 冗談めかして、ウキがとんでもないことを言う。

 娼婦となって身を売るという意味だ。


「……もし良かったらなんだけど、俺とともにこないか?」


 ごく短い迷いのあと、シュクケイは二人を誘う。

 天下に身の置きどころがないのは彼も一緒だ。けっして安楽な生活を保障してやれるわけではない。


「一緒に……連れて行ってくださるのですか? シュクケイさま」

「末永くお仕えいたします!」


 片膝をつき、ウキとサキが臣下の礼を示す。

 瞳を潤ませて。


「ま、ケイってこういうやつよね……」


 諦観の表情でコウギョクがため息を吐いた。


 困っている人を見捨てない。自分が損をかぶってでも助けようとする。

 だからこそ、自分が助けてやらねばとコウギョクが思ったのは昨日今日のはなしではない。


「軍学校のころからずっと君だけを見てるんだけど、いつになったら気づいてくれるのかな? ケイくん」


 とても小さなつぶやきだっただったので、その言葉がシュクケイの耳を射程に捉えることはなかった。





 いくつかの命を救い、いくつかの商家を助け、幾人かの貪官汚吏や悪徳商人をやっつけながら旅を続けるうち、いつのまにかお尋ね者になってしまった。


 当然の帰結である。

 既得権益をもつ連中を懲らしめているのだから、目の敵にされない方がどうかしているだろう。


 もとより天下に身の置きどころのないシュクケイたちだが、生きる場所はますます狭くなってゆく。

 だが彼らの顔は絶望に曇ってはいない。

 仲間が増えたからである。


 一丈(三メートル)ほどもある強弓を操る武人のコウ。行商人で算術にも明るいアキ。二人で戦ったら自分よりも強いとまでコウギョクに言わしめたスイとメイの双子。

 いずれも民を愛し、民に尽くそうとしたがため立場や命を失いかけたものたちだ。


 そして、シュクケイを慕ってついてきた民たちが五十人ほど。


「勢力としてはそこそこのものになったけど、戦うには数が足りないし逃げ隠れするには数が多い。かなり微妙ね」

「本拠地が必要になるかと思います。シュクケイ様」


 コウギョクの言葉に頷きながら、アキが進言する。

 五十人ともなると食わせていくのも大変なのだ。

 作物を育てるでも商売をするでも、ちゃんと腰を据えてできる場所があった方が良い。


 ただ、彼ら自身が官憲に追われる身である。

 一ヶ所にとどまっていれば、それだけ危険度も高まってゆく。


「俺に心当たりがある。太守の軍も国軍も手を出しにくい、そんな場所がセルリカにはいくつもあるんだ」


 そう言って、シュクケイは地図上の一点を指し示した。


 インダーラ王国との国境付近。

 太守の軍も国境守備隊も、互いに遠慮しあってまともに警邏もできない場所である。


 

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