第98話 開戦
その日は、朝からダガン帝国軍の様子がおかしかった。
なんだか葬式でもしているような雰囲気だったのである。
不審に思ったインクラルはすぐに斥候を出して状況を探らせた。
「葬式で間違いないス。和平交渉のためにマスル軍に赴いた使者が生首になって戻ってきたらしいスね。全軍をあげて喪に服したあと、鬼畜マスルを討つべしって気勢を上げてたス」
とは、メグの報告である。
彼女のスカウトとしての技能は、魔王イングラルから偵察行を依頼されるほどに成長しているのだ。
俺としても鼻高々である。
が、持ち帰った情報は暗澹たるものだった。
当たり前だけどマスル軍は使者を殺したりしていない。
そもそも使者を殺すってのは大変に不名誉な行為で、文明人のすることじゃないってのが常識中の常識だ。
だからこそ、使者というのはしばしば失礼な発言をして相手を煽るって側面もある。
殺されないと判ってるからこその舌戦なのだ。
「つまりマスルは外交の使者を殺すような蛮族の集団だと喧伝されたわけだ。ありがたくて涙が溢れて出ててくるな。自分が流した涙の海で溺死しそうだ」
メグたち斥候隊が持ち帰った情報を検討するための軍議の席上、両手を広げて首を振るイングラルである。
「ダガン帝国ってのは、こういう手を使う連中なんですね」
俺は腕を組み、しばし熟考した。
見え透いた政治宣伝だが、じっさいにやられたあとで否定するのは不可能だ。
マスル王国側がなにを主張したところで、信じてもらえないだろう。
これでダガン軍の士気は上がった。
鬼畜にも劣る行為をおこなったマスルに対する弔い合戦、という大義名分も得た。
使者の命ひとつで。
大変に効率的な手である。
けど、まともな人間に思いつくことじゃない。
「いるな。向こうにも
「だろうな。しかも、うちのお母さんみたいに禁じ手が多くないタイプの軍師だ」
ぽつりと呟いた俺に、魔王が大きく頷いた。
それは良いんだけど俺に対する形容詞がおかしい。
「なんでうちのなんですか。俺はガイリアの冒険者です。マスル王国軍の軍師になった憶えはありませんよ」
「そこを否定するんだ。お母さんじゃなくて」
苦笑を浮かべるイングラルだった。
いいんだよ。
もういまさらだし。
お母さんでもママでも、好きなように呼べば良い。
笑いたければ笑うが良いさ。
「ではお母さん。次にダガンはどう動く?」
「ホントに呼ぶのはやめましょうね。泣きますよ? ともあれ、攻撃してきます。犠牲が出るのは覚悟の上で、というかむしろ犠牲を出すためにですね」
「犠牲を出すため?」
「いまある糧食で食わせることができる数まで味方を減らす必要があるんです」
本営から輸送されてくるまで何日かかかるわけで、その時間を稼ぎ出すための措置だ。
人間が減れば必要な食料だって少なくなる道理だから。
「そこまでするか……」
「すでに使者を殺しています。貴族なり高級官僚なりを犠牲の供物に差し出すようなやつが、一般兵の命なんかに重きを置くとも思えませんね」
俺の見るところ敵の軍師に禁じ手はない。
勝利のために必要なことはすべてやるだろう。
そしてその勝利というのは、必ずしもマスル王国の王都リーサンサンまで攻め上がって占拠することではない。
毎年の支援金を継続させるようにすれば良いだけなのだ。
「ようするにマスルに、もうこいつらと戦うの嫌だなあ。だったら金を渡した方がマシだよって思わせれば勝ちなんです」
そのためには、たぶん全軍の半数、三万くらいの兵は死んでもかまわないと思っているはず。
「……やばいな。すでに戦いたくなくなってきたぞ。だいぶ」
「ですね。もう始まってますよ。こちらに厭戦ムードを植え付ける作戦は」
魔王の言葉に苦い笑いを返してやる。
堂々と戦う勇猛な敵より、こういうしつこくしつこく絡みついてくるタイプの相手の方が、えてして戦いにくい。
戦争はゲームではないので非常に悪い表現になるのだが、爽快感がないのだ。
「で、我らがお母さんとしては、どう受けるつもりだ?」
「ていうか、それを俺が決めていいんですか? 全軍の軍師とかじゃないのに」
手を挙げて制すると、なぜか集っている魔将軍たちが爆笑した。
なにをいまさら、と。
「ネル母さんがマスル王国宰相になったとしても、べつに俺は反対せんよ」
グラント魔将軍までそんなことを言い出す始末だし。
あと、あなたまで母さん呼びはやめていただきたいのですが。
ライオネル隊は魔王イングラルの本隊に組み入れられることになった。
もう小細工をしても仕方がないので、フロートトレインは後送である。壊しちゃったらもったいないしね。
最左翼からグラント魔将軍の軍、サムエル魔将軍の軍、中央に本隊、そしてアバンチ魔将軍の軍、最右翼はドズル魔将軍の軍という布陣だ。
天頂から俯瞰すれば、ダガン帝国軍に向けて開いたV字型の陣形、すなわち鶴翼の陣である。
対するダガン軍はオーソドックスな凸形陣。
総勢六万と、こちらより数が多いのに攻撃にも防御にも特化しない普通の陣形で臨むのは、最初からある程度の犠牲が織り込み済みだからだろう。
夜明けとともに角笛の音が鳴り響き、両軍が前進を始める。
第七次ダガン・マスル戦争の開戦だ。
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