第5章

第61話 開戦前夜


 ガイリアにリントライト王国軍が攻めてくる。

 この報は、当たり前だけど喜びを持って迎えられることはなかった。


「でも、みんなやる気になって良かったね! ネル母ちゃん!」


 一番やる気になっているアスカが笑う。

 彼女のいうとおり、もうダメだー、おしまいだー、って感じで逃げ出す人はほとんどいなかった。

 むしろ、ふざけんなよって怒りの方が強い。


 王国軍の目的が、この地方の富を奪うことだからね。

 金、食料、貴金属、そして奴隷としての人間。そういうのがリントライト王国の欲しいものなのである。

 はい、そうですか、判りました、なんて差し出せるわけがない。


「義勇兵の徴募事務所にも人が殺到してるらしいスね」

「ガイリアの至高神教会は、聖戦を宣言しましたわ」


 メグとメイシャが教えてくれる。

 みんな、やる気満々だ。

 家族や財産を守るための戦いだからね。

 それを奪おうとする王国軍なんて、ぶっちゃけモンスターと一緒だよ。


「守るものなんかなにもない私だって、メアリー夫人くらいは守りたいです」


 とは、ミリアリアの言葉だ。

 アスカとメイシャが大きく頷く。


 彼女たちが冒険者を始めるに際して、装備を調えるための金を貸してくれた老婦人のことだ。

 しかも、返済されたお金を三人の将来のためにって貯金していてくれたようなお人である。


 資産家で篤志家。

 ガイリアの街に王国軍がなだれ込んできたら、真っ先に狙われてしまうだろう。

 大きな邸宅だから目立つしね。


「救援のぉ。要請をしてきたよぉ」


 ふらりとどこかに出かけていたサリエリが、ほてほて戻ってきた。


 ガイリアの街には、マスル王国の出先機関があるんだってさ。

 もちろん看板を出しているわけじゃないし、どこにあるのかも秘密らしいけど、そこには本国へ連絡できる設備があるんだそうだ。


 一方通行のもので、向こうからの指示とかは、普通に歩きで届けられるらしいが、それでもたいしたものだよ。

 時差が半分になるんだから。

 でもまあ、間に合うかどうかは微妙だけどね。


 ガイリアの街からマスルの国境まで、徒歩で十五日はかかるわけで、軍隊を移動させようと思ったら、さらに数日は見た方が良いだろう。

 で、まさか国境の守備隊を派遣するわけがないから、王都リーサンサンあたりから部隊を出した場合、三十日くらいは必要だと読んでおくのが無難である。


 つまり、ドロス伯爵の私兵と義勇兵、それに傭兵を主戦力して作戦を構築しなさいって話だ。

 数だけみれば三万くらいにはなりそうだけどね。

 実際に使えるのは半分くらいかな。


「対して王国軍は、五から八万は動員するだろうなあ」


 王国正規軍だけでなく、貴族たちにもエサをちらつかせて兵を出させるだろうから、十万くらいにはなるかもしれない。

 ガイリア地方を切り取り次第(奪った土地は自分のものにして良いという許可)だぞ、みたいな感じで。


「どう考えても数で負けてるじゃないですか。どうするんです? ネル母さん」

「数の差をきちんと活かされたら、勝ち目なんかないけどな」


 十万すべてが同時に戦えるわけじゃない。

 こっちだって、全軍を一度に投入なんかできない。

 最終決戦とでもいうならともかく。


 序盤は、もっとずっと少数の兵での削り合いが続くことになるだろう。


「たとえばわたしたちみたいな!」

「そういうことだな。アスカ」


 俺が預かるのは、冒険者や義勇兵を中心とした一千名。


 意味不明だろ?

 弱小クランの一つでしかない『希望』のリーダーが、千人の部隊を指揮することになっちゃった。


 カイトス将軍もドロス伯爵も、俺のことを過大評価しすぎである。

『金糸蝶』時代だって最大五十名しか指揮したことないっての。


 あ、でもこの前は百人いたか。

 けどなあ、あれはカイトス将軍麾下の精鋭たちで、ぶっちゃけ俺の指示がなくたって動ける人たちだからなぁ。

 ピラン城のときは、俺のアドバイスでザックラントさんが指示を出していただけだし。


「自信がありませんか? ネル母さん」

「そういうわけでもないけどな。やってやれないことはないだろう」

「なんだ。自信がないなら励ましてあげようと思ったんですが。身体で」

「そうですわ。わたくしたち五人で組んずほぐれつですわ」


 あのなあ。

 男一人に女五人なんて、拷問以外の何物でもないだろうが。

 いわんけど。


 じゃあだれか一人を選べとかいわれて、泥沼に入り込むだけだし。

 戦が近づいてきてるって肌で実感してるから、みんな少しずつ興奮状態になってるんだろうね。

 下ネタが増えてきてる。


 これは『金糸蝶』でもそうだった。

 緊張した精神をほぐすには、くだらなくて下世話な話が一番なのである。


「俺の読みでは、王国軍が姿を現すのは二十日後ってところだ。それまでは連携を高めつつ、英気を養う感じだな」

「この小屋でぇ、寝るのはぁ、むしろどんどん士気がさがるのぉ」


 という、至極まともなことをいって街に宿を取っているサリエリ以外の五人は、クラン小屋で寝ているよ。


 ライオネル隊の訓練もこの近くでやるから都合が良いし。

 街から四半刻(三十分)もかけて毎日通ってくる、兵士諸君には気の毒だけどな。

 隊長のささやかな特権だ。


 けど、クラン小屋に泊まろうとする人も、自家製の風呂に入っていこうとする人もいない。

 当然だけど。


 

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