呪われた血と偽りの救済(3/7)

***



 日与たちが村に来て四日目の夜。


 日によって期間労働者は山へ採集に向かうこともあれば、村内の屋内栽培施設で農作物の世話をすることもあった。


 女の期間労働者は外には出ず、家事と農作業の手伝いだ。


 日与はあれから何度か棄助に話しかけたが、前以上に冷たい拒絶の壁を作っていた。

 「ごめんなさい、話しちゃいけないって」と小さく言ったきり、目を合わせようとしない。他の神官によほどきつく咎められたのだろう。


 深夜、日与はひと目のない寮の裏手にいた。


 ジャージにサンダル姿で、持参したスナック菓子を食べている。

 村の食事はまちでは高価なオーガニック食品だが、合成食品と化学調味料で育った日与には少し物足りない。


 しばらくすると、夜闇の中を滑るようにして人影がやってきた。

 黒いゴス風スーツにフード姿で、ドクロ柄のフェイスマスクで口元を覆っている。ドクロの右頬には真っ赤なキスマーク。リップショットだ。


 昴の姿に戻った彼女は、日与にUSBメモリを見せた。


「持ってきた。事務所のパソコンのデータ」


「誰にも見られなかったよな」


「うん。ログイン履歴も消してきた」


 日与はUSBメモリを受け取り、通信機に差してデータを永久に送信した。

 この通信機は永久が電脳街で調達したもので、部品の一部に異態進化した鳥の生体脳が使用されている。


 原理は不明だが圏外がなく、盗聴されず、天外で頻繁に吹き荒れる電磁嵐の影響も受けない。


 この村に来る途中、コンビニの袋に入れてバスの窓から投げ捨てておいたものを、日与が先ほど拾ってきたのである。


 通信機の向こうで永久がパソコンのキーを叩く音がした。昴が送信したデータを見ているのだ。


 永久はいぶかしんだ。


「帳簿によると、今回の期間労働者に払う分の給料がゼロに設定されてる。前回と前々回のはちゃんと支払われているのに。それより前も何度かゼロの時がある」


 日与が言った。


「教団は期間労働者の給料を踏み倒してた?」


「ええ。変ね、誰かが騒いでもいいようなものだけど……? そんな噂を聞いた?」


 日与、昴ともに否定した。


 日与はふと思い出したように言った。


「そういえばさ。前にここで働いたことがあるってヤツらにそれとなく聞いてみたんだけど、やっぱり今回に限って神官とか信者の態度が変だって。妙に避けてるみたいだって言ってる」


 昴が日与のスナック菓子の袋に手を伸ばしながら言った。


「女子寮の人たちもみんなそう言ってた」


 日与は袋を差し出しながら彼女に聞いた。


「信者の様子はどうなんだ? 女のほうはマンションの掃除とかしてるんだろ?」


「うん……私もね、もし聖代が悪いヤツで、病気で困ってる人を騙してるんなら絶対に許せないと思ってた。でも信者はみんな家族みたいに仲良しだったし、聖代はみんなのおじいちゃんって感じで好かれてた。全然偉ぶってなかったよ」


「データによると……」


 永久が言った。


「約三十日間ごとに未払いの契約期間があって、教団はそれ以外の期間はちゃんと払ってる。あなたたちはその未払いの期間にたまたま当たったわけね。どういうことかしら?」


 昴が唸った。


「うーん……聖代が労働者を皆殺しにしちゃってるとか!」


「給料払うのがイヤで? そこまでするかしら」


 昴がボリボリとスナック菓子を食べながら言った。


「ともかく七日目まで待ってみようよ。そしたらイヤでもわかるし。それはそうとコレ、おいしいね。フォートにはなかった」


 日与がにやりとして言った。


「猫の肉だぞ、それ」


「え?!」


「ウソだ」


「ウ……ウソつくな!」



***



 六日目の夕方、山中。


 その日、日与は採集作業に回された。

 連日雨の中を泥まみれで作業をしてきた労働者たちは疲労が色濃いが、表情はやや明るい。


 明日の夕方で契約期間は終わり、給料袋を手にしてまちに帰れる。


 不意に日与は顔を上げ、霧雨で翳る森に目を凝らした。


(何かいる)


 彼の血族の勘は、湿った空気に溶けた殺気を嗅ぎ付けている。

 目を凝らすと、十メートルほど離れた場所に大きな灰色の影が見えた。


 同じくそれに気付いた労働者が、そちらを指差して叫んだ。


「異態生物だ!」


 それは二メートル近いゴリラめいた体に狼の頭を持つ、灰色の毛皮に包まれた怪物であった。青い目を猛烈な餓えにギラギラと光らせている。


 人狼は四つん這いでゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。


「グルルル……」


 唸り声を上げると、剥き出しの大きな牙を涎が伝う。


「構わん、撃て! 追い払うんだ!」


 動揺する神官たちを神官のリーダーが一喝し、猟銃を構えさせる。

 ズダーン! ズダーン!


 人狼は木々の合間を縫うように走り始めた。

 巨体に見合わず素早く、狙いを絞らせない。


「車に乗れ! 急げ!」


 労働者たちは神官に付き添われ、斜面下のワゴン車に誘導されている。

 そちらに血走った目を向け、今にも飛びかかろうとしている人狼に、果敢にも石を投げつけた少年がいた。


「こ……こっちだ! こっちに来い!」


 棄助であった。次々に石を投げつけながら後ずさり、人狼を自分のほうに引きつけている。囮になろうとしているのだ。


 人狼は完全に狙いを棄助に変え、吠えながら突進した。


「ゴアアーッ!」


 日与はその場から飛び出し、棄助を突き飛ばすようにして押し倒した。


 人狼は二人のすぐ後ろにある木の幹にぶつかった。

 ドシン!


 大木が揺るぎ、木の葉と雨粒が散る。

 日与はさっと人狼の肩に飛び乗り、そのうなじにスコップを突き立てた。

 ドムッ!


「オラアア!」


 力を振り絞って押し込み、延髄を貫く!


「ギャーッ!」


 人狼はすさまじい悲鳴を上げて身を痙攣させ、地面に倒れて転げ回った。


 日与は棄助に声をかけた。


「大丈夫か」


 気の抜けたような顔をした棄助は、礼を言いかけてヒッと言葉を飲み込んだ。


 その視線を追って振り返ろうとした日与は、後ろからものすごい力で殴り飛ばされ、地面を転がった。


「ぐっ!?」


 人狼は倒れた日与を一瞥したものの、すぐに視線を棄助に移した。


 日与は目を見張った。人狼のうなじからスコップがひとりで抜け落ち、傷口がみるみる塞がって行く。


(傷が……?!)


 人狼は棄助の首根っこに噛み付き、親猫が子猫を運ぶようにして森の奥へ走り去った。尾を引く悲鳴が遠ざかる。


 日与は他の神官たちの制止を聞かずに走り出した。

 濡れた腐葉土に足を滑らせ、斜面を転がり落ちながらも、棄助の悲鳴を追って走り続けた。


 人狼の背が見えると、途中で拾い上げた大きな石を投げつけた!


「オラア!」


 ドムッ!


「ギャッ?!」


 砲弾じみた投石を受けた人狼は仰け反って転倒し、濡れた地面を滑った。


 離れた棄助が地面を転がる。

 ひとまず無事なようだが喜ぶ暇はなかった。その先には急角度の斜面があり、棄助と人狼はアリジゴクに引きずり込まれるようにしてそこを滑り落ちて行った。

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