第42話 下準備
6限の授業開始から10分ほど遅れて教室に入ると、早速教壇に立つ先生に睨まれた。
「前回からたった3日後の遅刻とはいい度胸だな廣瀬、何か言いたいことはあるか?」
「特にないです、申し訳ありません」
「そうか、特になくて申し訳なく思って………………えっ?」
「席、戻っていいですか?」
「えっ、ああ、まあ反省してるなら別にいいが……」
「ありがとうございます」
面食らう先生へ軽く頭を下げると、僕は自分の席へ向かう。クラスメートからも視線を向けられるが、そんなものをいちいち気にしている余裕はない。
「新しい戦法だな、今までとは対照的に早々に謝罪し反省の意を見せて切り上げさせる。これで通算14勝目か」
授業中だというのに、声のボリュームを落として声をかけてくる雨竜。優等生面しておいて油断も隙もないやつだが折角だ、僕からも雨竜に話がある。
「雨竜、1つ頼み事がある」
そう言うと、雨竜は少しばかり口角を釣り上げた。
「おいおい、まだ借りが残ってる状態で頼み事とは、借りが2つに増えてもいいのかい?」
「構わん、お前がしっかり働いてくれれば」
僕があっさりと要求を呑んだことに驚いたのか、目をパチクリと動かす雨竜。
「……何かあったのか?」
そして今度は真面目な表情を浮かべて僕に尋ねてきた。
まったく、僕が素直に応じるのがそんなに珍しいか。
「あったはあったが、お前にややこしいことをさせるつもりはない」
「そうか」
「今すぐってわけじゃないから、来週また話をさせてくれ」
「了解」
短く返答すると、雨竜は親指と人差し指で円を作ってニヤッと笑った。
「ややこしくないなら、今回は無償で働いてやるよ。感謝しろよな」
「うるさい、恩着せがましい言い方するな」
「はいはい」
どういう心境の変化か知らないが、どうやら雨竜は報酬もなく馬車馬のように働いてくれるらしい。そういうことなら快くこき使ってやろう、大変、非常に心苦しくはあるが。だって雨竜が言ったんだし。
雨竜との会話を終えて、僕は今後の方針を脳内で迅速にまとめていく。
頭に血が上っていたせいで蘭童殿からろくな聞き取りができていないが、あいちゃんの話と茶道室の状況だけで9割方判断できる。
今日の昼休み、蘭童殿がトイレの個室に入ったタイミングで、上から水をかけられたのだろう。体育会系の部活に入っている蘭童殿だから着替えには困らなかったが、彼女が着替えを持っていなかったらどうするつもりだったのだろうか。まあそんなことを考えても仕方ない。
犯人はおそらく名取真宵かその取り巻きだが、はっきり言って証拠がない。トイレの件も蘭童殿は実行犯の顔を直接見ていないだろうし、この状況で問い詰めてもシラを切られるのがオチだ。僕としてもそれは困る、核心に迫る証拠か相手が認めない限り報復をする気にはなれない。間違ってましたなんて言葉で済むような生ぬるいことをするつもりはないのだから。
だからこその1週間である。この1週間で名取真宵から何かしら言質を取る必要がある。
だが正直、この期間で上手くいく保証はどこにもない。名取真宵がこの件に満足して話題にも出さなくなったらその時点で詰みだ。僕は実行に移せなくなる。
しかしながら、1週間以上を費やすわけにもいかない。時間をかければかけるほど、実害を受けた蘭童殿が怯えて過ごす時間が増えてしまう。そんなことは許されない、蘭童殿にはすぐにでもすっきりとした気持ちで雨竜へアプローチをしてほしいのだから。後輩の恋路を邪魔する芽は一刻も早く僕が潰す、潰してみせる。
言質取りの方法は決まっている。社会人ですら利用しているやり方を慎重に的確に行うだけでいい、問題はどこへ仕掛けるかだ。
それが放課後の僕の課題。名取真宵とその取り巻きの学園内の行動パターンを聞き取りすること。勿論露骨な行動はダメだ、普段どこに居るかなんて聞くのはあまりに唐突で怪しい。『落とし物があった』や『部活動の件で捜している』といった前置きをつけて、昼休みや放課後、授業間休みの行動パターンを少しずつ探っていく。少しでも行動が絞れたら、明日は片っ端から作戦実行である。土曜日で休日ではあるが、部活動で学校自体は開放されている。生徒の僕が校内を歩き回っていても何ら不思議はない、むしろ人がいない分、かなりやりやすい。
よし、やることは決めた。後は放課後から行動に移すだけ。今日まとまれば、来週を丸々利用することができる、そのためにも必ず目的を達成させる。
それさえできれば後は時間との闘い、1週間以内に片を付けられるか、そういう闘いになる。
――――結論から言うと、1週間もしないうちに闘う武器は手に入れた。僕の心配が馬鹿らしくなるほど彼女たちは愚かだった。愚かだからこそ、守りが徹底的に薄いのである。
良かった、僕の考えたプランが無駄にならずに済んだ。ここまでくれば、やることは1つだけ。
他人を貶めて嗤う馬鹿者へ、怒りの鉄槌を下すだけである。
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