第22話 嵐の後輩

「あっ、いましたね先輩!」


教室の後ろの扉から入ってくるのは、セミロングほどの髪を後頭部でまとめた女子。小柄な体躯と可愛らしい容貌から小動物のような印象を受ける彼女は、雨竜を見つけると真っ直ぐそこへ向かっていく。


僕としたことが、どうして彼女のことを忘れていたんだ。桐田朱里のことで頭がいっぱいになっていたとはいえ、エースの存在が記憶から抜けていたなんて。


「おはよう、蘭童らんどうさん」

「空でいいって言ってるじゃないですか、先輩はお堅いですね」

「そういうつもりじゃないんだけどね」


蘭童空。移動教室が分からず困っていたところを雨竜に助けてもらい、その日から雨竜へ好意を持っているらしい。こうして週に1度くらいは朝礼前に朝の挨拶と称してアプローチをかけているのだ。殊勝すぎる心がけである。


「あっ、蘭童殿。こちらをお使いください。温めておきました」


僕はすぐさま立ち上がり、蘭童殿に自分の椅子を差し出す。


「すみません、いつもありがとうございます」

「いえいえ、僕にできることはこれくらいですから」


そう言って少し離れた位置から2人の様子を窺う僕。一瞬雨竜が僕を睨んできたが無視。蟻で僕にマウントを取ってきた罪は重いんだよ、反省しろ。


「なんか久しぶりな感じですね、先週は風邪で休んでいたので」

「ああ、だから部活にも来てなかったんだ。もう体調は大丈夫なの?」

「はい! バッチリ元気です! 先週来られなかった分、今週は付き合ってくださいね!」

「お、お手柔らかに頼むよ」


うんうん。なんと素晴らしい光景なのか。冷静を装いつつもあの雨竜がたじたじである。それを見ているだけで雨竜に対するさまざまな溜飲が下がるというものだ。


今まで僕が相手してきた女子は、教室のような不特定多数がいるスペースでの交流を良しとしなかった。

周りから雨竜を狙っていると知られたくなかったり単純に恥ずかしがったりといろいろな想いがあったからだ。


そこへ行くと蘭童殿は完全にオープン。好意を隠さないしどこへでもアプローチをかける。周りの目など一切気にしない。その積極性こそ僕が最も評価したいところである。実際雨竜も周りの目があれば下手なことは言えないしな、必然的に外堀を埋められていくことになる。


くくく、雨竜君や。もう観念しようや。お前は蘭童殿と恋人となり幸せになればいいのだ。

そしてそれが校内に広まり、雨竜を諦める女子が増えれば、僕は穏やかに生活することができる。完璧じゃないか。

蘭童殿、そのために必要なことがあれば言ってくだされ、微力ながら尽くさせていただきますぞ。


「廣瀬君、廣瀬君!」


腕を組みながら朗らかな笑みを浮かべて2人のやり取りを見ていると、軽く僕の肩を叩く感触が。

振り返れば、同じクラスの女子2人が切羽詰まったような表情でそこにいた。名前は忘れた。もしくは最初から知らない。


「なんだ?」

「なんだじゃないよ! いいのあれ! あれを許しちゃって!」


女子Aは軽く右手を震わせながら雨竜と蘭童殿を指差す。女子Bがそれに同意するかの如く首を上下に振る。


何のことを言っているかイマイチ分からないな。下級生が上級生の教室に入ってはいけないなんてことはないし、騒がしくて教室に迷惑をかけているわけでもない。


あっ、僕の椅子を貸してることを言っているんだろうか。それならばまったく問題ない、何なら雨竜と付き合うまで持ち歩いてもらっても構わないくらいだ。


「別に構わないさ、あの光景こそが僕の望んだ世界、理想郷だ」

「ちょっと何言ってるか分からないけど余裕ってこと? 今更2人の間を裂く障害はないってこと?」

「それなら安心だけど、ぼやぼやしている隙に横からってパターンもあるし油断できないよ」

「そうだよね。廣瀬君、やっぱり油断厳禁だよ。今すぐ2人の間に割って入らなきゃ!」

「??」


AとBと同じ日本語で話しているはずなのに会話がまったく噛み合わない。コイツらこそ本当に何を言ってるんだ? 仲を深める2人の間に入るわけないだろう、馬鹿なのか。


「ダメだよ、廣瀬君本人が割って入ったら青八木君に心が狭い奴だって思われちゃう。それは私たちとしても望む展開じゃない」

「だね、だとしたら泥を被るのは勿論――――」

「――――私たち、ってことね?」


そう言って手を取り合い絆らしきものを共有した2人は、僕に向けて良い笑顔で右手の親指を立てた。


「任せて廣瀬君、私たちが何とかする」

「すまん、真面目に何の話だ?」

「いいの言わなくて、これは私たちの自己満足。だから絶対に悔やまないで!」


理解不能な言葉を残したと思いきや、AとBは雨竜と蘭童殿の方へと足を運ぶ。

……ちょっと待ておい、何をするつもりだ。


「蘭童さん、楽しくお話ししているところ悪いんだけど中断してもらっていいかな?」


開口一番、Aがふざけたことを言い出した。雨竜も蘭童殿も呆気を取られたようだったが、彼女はムッとした様子で言い返す。


「どうしてですか? 先輩方には関係ないですよね?」


そうだそうだ! お前たちには関係ないだろ! 引っ込め引っ込め!


「そうか、あなたは知らないのね。青八木君に恋人がいることを」


えええええええええええ!!? そうなの!? あいついつの間に彼女できたの!? てかできたなら言えよ! 学校にすぐさま広めたのに!


「本当ですか? 初めて聞いたのですが」

「俺も初めて聞いた」


本人が初めて聞いちゃったよ。どういうこと? AさんとBさんは一体何がしたいの、関係者みんな混乱してるんだけど。


「青八木君が隠すのも無理はない。そう簡単に受け入れられるものじゃない。でも先週私たちは見た、2人が結ばれるその瞬間を」

「……あっ、そういうことか」


雄弁に語り続けるBをよそに、雨竜は何のことだか理解を示したようだった。

そして何故か、僕の方へと視線を移す。『早く止めろ』と目が物語っていた。


よく分からないが止めないとまずいことになるらしい。

あの空間に入り込むのは遠慮したいが、僕自身嫌な予感がまったく拭えない。

そうなる前にAとBにチョップを入れる。そして場を収める。


だがしかし、僕が声を出す前にAが、右手で僕を指しながら堂々と言った。



「何を隠そう、この廣瀬雪矢君こそが青八木君の恋人なのです!!」



その瞬間、僕と雨竜、蘭童殿の時間が止まった。

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