世界史嫌いのchronicle(クロニクル)
八島唯
第1章 球戯場の誓い
第1話 ハインリッヒの法則に導かれ
彼女は呆然としていた。目の前に置かれた、いかにもな通知文書。そしてそこに書かれていた驚愕の内容。
『聖リュケイオン女学園への入学を許可します』
(こんなはずではなかった、っていうかなんで!?)
頭の中で何度も同じワンフレーズがぐるぐるまわる。そのあとにはいくら繰り返してもやみそうにない叫びが続くいていた。
全ての原因は数か月前にさかのぼる......
彼女の名前は宍戸奈穂。つまらない中学校の、つまらない卒業式を終えて夢の高校生活のスタートを切ろうとしていた矢先の出来事だった。全国統一高校入試総合評価システムの5科目総合で「SSA」の判定を受けていた彼女は、第一志望校への入学へ何の疑いも持たなかった。これで合格にならないはずはない。このシステムの信頼度は極めて高い。「15の春を心待ちに」をスローガンに新教育改革の目玉として文科省直々に官民一体となってつくられたシステムである。当然のように彼女は卒業して学校に行く必要もなくなった合格発表前の時間をダラダラと送っていた。
合格発表の日。発表の2時間後に何気なしに。第4世代情報携帯端末で受験番号を確認する。受験番号を打ち込む。
しかし
当然出てくるはずの「合格」の文字は出ることはなく、かわりに
『この受験番号は登録されておりません』
のダイアローグが繰り返されるだけ。
(えっ......)
絶句。真っ白になりそうな状況を「優秀」な彼女は一つの可能性に思い至る。
(もしかしたら......)
受験生アカウントを開く。そこに登録されている志望先を確認する。
「やっちまった~!!!!」
一瞬の沈黙の後に叫ぶ彼女。ありえないミス。志望校コードの打ち間違いであった。
自分が志望していたのは、都立理化学修英高校理数科だった。国内有数の上位大学への進学率を誇り、文科省より飛び級の制度も指定されている高校である。奈穂はばりばりの理系。特に数学に関しては全国模試でも全国順位毎回一桁の成績を収めていた。そんな彼女の唯一の苦手科目は歴史、とりわけ世界史であった。苦手といっても、暗記力はあったから教科書の中身を暗記することはたやすいことであり、また成績も十分すぎるレベルである。しかしある出来事が彼女の世界史嫌いを決定的にした。それは中学2年の最初の定期考査の後である。
「こんなん、覚えてなんになるの?ウンキャルスケレッシ条約?アブド=アッラフマーン三世?日常生活で役に立つことなんて、ぜったーいあり得ないから!!」
ややくすんだ茶色のロングヘアを震わせて、友人に力説する、奈穂。その手には定期考査の答案が握られていた。歴史総合科のテストである。日本史分野は満点だったのに対して、世界史分野では一問不正解があった。現代史の論述問題である。教科書通りに論述したのにもかかわらず、減点されていた。当然、奈穂は納得できずに職員室に答案をもって質問に行く。教員からも優等生として知られていた、奈穂のただならぬ雰囲気に職員室はざわつく。歴史総合科の世界史担当の教員の机の前に立つ。すでに退職していたが病休の先生の代わりに授業を担当していた初老の白髪の男性であった。正直、奈穂は名前すら憶えていない。
「先生、納得がいかないことがあります」
奈穂は語気を押さえながらも、その整った顔に明らかに怒りを浮かべてそう、訴える。曰く、教科書の内容通りの説明をしたのになぜ満点がもらえないのかと。初老の男性教諭は答案を一瞥した後に、奈穂に答える。
「歴史には、満点はないのだよ」
そのまま再び教員はそっぽを向いて、本を読み始める。あっけにとられる奈穂。正直反論する気力すらなくし、無言のまま職員室を後にした。歴史、とりわけ世界史が大嫌いになった瞬間である。次の学期、本当の担当の先生の病休が明けその初老の教員はいなくなったが、嫌いな事実は変わらず残る。
わなわなと、奈穂の小さな手が震える。そんな自分があろうことか『聖リュケイオン女学園世界史科』への入学が決定していたのだ。一切、滑り止めはかけていない。合理的に考えても奈穂が第一志望を落ちる可能性は皆無に等しかったからだ。取りうる選択肢は二つ。一つは1年高校浪人をして、志望校に入りなおす。
「ありえない」
奈穂は首を振る。大学浪人でさえ、プライドが許さないのに高校浪人など話にもならない。もう一つの道。それはこの高校にとりあえず入学し、他校への編入学を目指す、つまり仮面浪人という方法である。それしかないかな、と奈穂は決心する。自分の責任で起こした不始末である以上泣き言を言っても始まらない。そのあたりの切り替えは早い彼女だった。そんな奈穂にさらに追い打ちがかかる。入学手続き書に記された不吉な一文。
「聖リュケイオン女学園:地方中核都市大泉市の郊外に立地している学園です。全寮制が義務となっておりますので入学者は入寮の手続きもすること」
震える手で、女学園の所在地を検索する。学園の周りには面白いくらい何もない。奈穂が住んでいる都市に比べてもその大泉市は田舎なのに、その上この学園の立地条件である。そして、全寮制。今どき女子高で全寮制って......開いた口が塞がらない。
奈穂はぽかんと口を開けたまま、合格証書を握りしめていた。
彼女が入寮の準備をし始めるのは、入寮期限ぎりぎりの出来事だった。
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