32話 ばれてーら……みんないなくなったのに、いったいどこから?


「え、………………………………ええと………………? リラが……そこまで言うほどに、大それたことを……?」

「まぁその反応がふつうよねぇ、聞いたときの私もだったもの。 ついでに言えば先に報告を受けていたお父さま方も半信半疑だったからこそどのようにしたらと迷っておられたのだし。 こんなこと言われても……そうかんたんには信じられない以前に理解が追いつかないのよね。 ただのひとりの女の子、それもあんなにちっちゃい子が、ってね。 ………………………………だけれどね、ジュリー」


ランタンふたつとろうそくがひとつ。


話し込んでいるふたりと、すやすやと寝ているひとり。


ほのかな光と静けさに包まれた……揺らめくみっつのか弱い光では、部屋の隅が暗いどころか彼女たちの周りが照らされる以外にはほとんど見えないほどの広さのその部屋は、棚やテーブル、邪魔にならない箇所の床の上まで書物や紙で埋め尽くされている。


本来は広いはずの、けれども低い背の彼女でも手の届く範囲にこれでもかと情報を詰め込んだ紙に包まれているために……小さな主のための小さな部屋となっているその空間で、なおも会話は続く。


「あの子は、……中堅の商家の末っ子だったっていうリラは。 幼い頃から……調査したところによると、もう話せるようになった頃からその片鱗が見えていたって言うから、まさに神童ってものだったそうよ。 ご近所どころか知り合いのあいだでは有名だったみたいだから、ふつうなら領主であるあなたの家にもなにかしらの形で話が届いていてもおかしくはないはずだったのだけれど。 まぁ、とにかく甘えたがりで、ふだんはほとんど誰かにへばりついているだけだったのも手伝ってか、しょせんは童女だから、って、はじめは見向きもされていなかったみたいね。 けれど、あの子が6、7歳のころにはすでにあの子の家の商売を手伝ったり……もちろんただ連れて行って座らせられてお人形さんしているわけじゃなくて、むしろ逆で。 10を過ぎたころから少しずつ……あの子が主導して販路を広げたりするほどには、ひとつ頭抜けていて」





あー、忙しい忙しい。


ぱたぱたぱた、と、同世代よりもさらにちっこい体を駆使して、僕の指や手や腕や背に比べて何かといちいちでっかい書類やペンをあっちに持っていっては書いて、こっちに持ってきてはまとめて、父さんや兄さんズに放り投げる。


……スタートダッシュ決めるのって、ほんっとに忙しい。


いやまあ、その、別に僕がやらなくたって父さんや兄さんたちだけで充分くらいには稼げているみたいだし?


このまま僕がてきとーに、好きなことだけやって暮らしていてもなんにも問題はなさそうだけど。


でも、その、まあ、なんだ。


年頃になった時点でどうにかして逃げる予定だし、つまりは結婚をしないで……貴重な政略結婚というものをしないで、孫を産まないで家から逃げるからには、さ。


せめて僕を産み育ててくれたぶんくらいはお礼しとかなきゃだもんな。


まあ手っ取り早い方法ってことで、商人さんの家だし……お金稼いであげるしかないよね。


もちろん手元のお金だけじゃなくって、新しい販路ってやつを何本か残しておいてあげるっていう形で。


あとは秘密口座的なとこにこっそりと、僕が余分に稼いだ分に関してはせっせとため込んで。


横領じゃないよ?


あくまで……そう、追加報酬なんだから。


うん。


で、こうして僕を養うのと将来に結婚で得られるはずだった利益ぶんを稼いでおいてあげりゃ……いずれは父さんたちが決めたお相手との約束をすっぽかして逃げたって文句はないだろう。


たぶん。


や、怒られはするだろうけど。


逃げたあとで。


でも、お金さえあれば文句は少なくなるはずだし、ま、いっか、しょせんは女だし……って諦めてくれやすくなるはずだもんな。





「……そんなことができるくらいには優秀で、家の人たちどころか取引先の人たちも認めていたらしいわ。 どう見ても幼いこどもにしか見えない女だてらにあくまでも商人として……商売に関しては対等に相手をするぐらいには」

「……そんなことが、できるのですか。 後ろ盾が、ない状態の……平民の、こどもで。 私だって、お父さまがつけてくださった方々がいて初めて……ただの小娘ではなくって、お父さまの名代として認めてもらえたというのに」


「はー、私もそうだったわねぇ、懐かしいわ。 女は口出しするなって感じで、とにかく舐められる以前の問題だったし。 あ、で、リラが優秀だったのはわかったと思うけれど、そのせいで一部の同業者たちから妬み買ったりして……ま、そうよね、ただの小娘がものすごいお金を生み出しているんだもの、まともじゃない輩ならしそうな考えよね。 まあそれだけじゃなかったんだけれど、結果的にはあの子に集まった妬みっていうものが最後の引き金になって……あんな事になったわけだけれど。 つまりはこの子、頭おかしいくらいに有能なのよ。 あ、もちろんこれは褒め言葉ね。 最初はなかなか信じられなかったけれど」





転生チートさいこー、やっほーい。


記憶だけはある、いや、記録だけはある前世さんありがとう。


いや、ほんとに。


前世の自意識だけしかなかったらとっくに詰んでたもん。


知識があるおかげで……文化レベルも何もかも中世レベルの、僕の知識にあるよりもそれなりに下のレベルなこの世界じゃ、僕は何だってできるんだから。


男に産まれなかったのだけ……ついでに欲を言うんだったら長男として産まれさえしていれば、 もっとよかったのになぁ。


兄さんズが弟ズだったら、もっとハデに動いて好き放題できたはずだもんなぁ。


ほぼフリーハンドで何だってできて、しかもしかも……いいとこのお嬢さんと結婚できて、お妾さんだって何人だって囲えるんだしさぁ。


僕の夢のうへへなライフワークが完成した……はず、だったのになー。


……ま、 とりあえずはなんにもできないままに男と結婚させられなくって済みそうでよかったよかった。


さ、もうひと仕事行きましょうか。





「え……、ええ、もちろんっ。 リラが有能なのはお父さま方も良くご存知ですし、私がしていたような政務のお手伝いもしていると聞いているから、分かっているつもりではあるけれど……でも、そこまで」


「ほんとうなのよ。 さっき言ったでしょう? この子、一応、名目上はあなたのお父さまが差配していることになっているけれど……あなたの家の財政と、あなたの今と未来のすべてを。 たったのひとりで……どうにかしようとして、実際になんとかしちゃっているのよ。 改めて言うけれど、頭がひとつ抜けているのよリラは。 …….いつものぼーっとしてるこの子のどこに、その智慧が湧き出ているのかしらね。 いえ、そのせいで動きものろくて人に抱きついたら動かなくなって、あと、ちっこいままなのかしら」


シルヴィーの話している内容を理解しつつも納得はできずにいるジュリー。


いつも甘えてくる……小さくてかわいらしく、今もベッドですやすやとかわいらしい寝息を立てている、栗色の長い髪の毛のリラという幼い少女。


……一応は同い年だけれども、その見た目とふだんの甘えっぷりで、どうしても自分よりも幼いとしか思えず、だからこそ言うことをついつい聞いてしまいたくなる魅力のある少女。


親友の銀髪の少女からもたらされた情報をなかなか吸収できないでいる金髪の少女に業を煮やしたのか……シルヴィーは、ジュリーの両肩を掴んで息がかかるくらいに、さらに顔をぐっと近づけて……眠っている少女が見たとしたら、ついに百合が咲くときが来た!と喜ぶこと間違いなしの距離にまで近づいて話す。


「……いい? よく聞きなさい。 ジュリー、あなたがアルベール第一王子という、この国1番のいい人と婚約して。 いえ、婚約だけならあなたの家の立場でも当然なのだけれど、それがまだ無事に続いているっていうの。 当然あるべき横槍が入らなくて、あるいは王子が途中で心変わりして別の公爵令嬢を正室にしたり、別の国のお姫さまと結婚させられることになったり。 そういうものが起きなくて、あなたがわがままを言うようになってもたいした事件が起きなくて。 あなたがいくら好き勝手をしても……私が教えた以上に振る舞っていても、だーれからもあからさまな嫌なものとかされなくていられているのも」


ふたりの唇が、触れんばかりの距離へと迫る。


今は寝ている彼女がそれを目にしたら、発狂してもおかしくないだろう。


起きてさえいれば、だが。


「……他の国からの支援を受けた、うちの国にいる、いまだに次期王妃の座を諦めていないみたいな勢力。 あなたを正室にしたくない勢力を黙らせて、協力させないように利害を一致させないようにして、あなたたちの再来年の結婚まで何事もない状態を維持しているのも……すべては、あの子がしているのよ。 あなたのお父さまが気がつかないような些細な動きでさえすべて察知して、それを報告すると同時に上手く内部分裂させるような手をも伝えて、ね」


「……シルヴィー、そういうが起きうるっていうのは聞いていたけれど、でもそんなことが実際に起きそうになっていたっていうのは、お父さまもお母さまも、リラだって、………………………………あっ」


「そういうわけ。 あなたが1番信頼している子が、あなたを1番守っていたの」


「…………………………………………………………………………………………」


銀髪の少女が一方的に話していたのを止め、しんと静まり返る室内。


銀髪の彼女は言うべきことを言ったからか、ふぅ、とため息をつき、 後ろに寄りかかろうとして……できないのを思い出し慌てて座り直す。


一方で金髪の少女は……受け入れ難いけれども、少し考えただけで納得が理解に追いついてしまう。


彼女の親友がわざわざこんな嘘をつく理由がないというのも、改めて、事情があっても悟られずに嘘をつける人間ではないということも。


彼女の義理の妹が……彼女が妹だった子を助ける際に目にした書類の中に、その栗色の髪の少女は天才的な頭脳と天才的な商才を持ち合わせているのだと、年齢に比べてあまりに小さすぎる彼女を知っている人間の誰もが口を揃えて証言していたのだという情報を、思い出して。


そして実際につい先ほど目にさせられた……小さな手で書かれただろう、彼女の家の名前を使っての各貴族や王族とのやりとりや、彼女の家の領地から寄せられた様々な情報を。


「……リラ。 この子が私の病気を見抜いたために。 そしてそれを治せるだけの知識があったばかりに。 ……あれから、ずっと。 ある日いきなりお父さまたちと一緒に、私がお仕事のお手伝いをしているところに入って来て。 それで、私がすとれすという病にかかっていると教えてくれたあのときから。 …………ほんの少ししかしていないって、こんな小さなこどもみたいな自分には私みたいな仕事はできないなんて、嘘ばっかりのことを言ってから」

「……うん」


ぽた、ぽた、と、涙が1滴、また1滴とジュリーのほほから滴り落ちる。


「………………………………っ! この子、体を良くするためにって、はじめは遊びなんて……ほんとうに何も知らなかった私を気遣って。 いろいろな場所へ、私の知らなかった場所へ連れ出してくれて。 いろいろな遊びを……教えてくれてっ」

「……ええ」


えずきが止まらずにいるジュリーの目元やほほ、それに濡れた手を優しくハンカチでそっと拭うシルヴィー。


「……ぐすっ。 なっ、……南方の療法だからって。 お湯に浸かってすとれすを癒すという、おふろというものをお父さまに頼んで作っていただいたり。 それに毎日入らせてくれて、これもまた体にいいからと肌を撫でながら洗ってくれて……たしかまっさーじというものなのでしたね……その上で、あの、ときどき痛いところはあるけれども、でも、なんだかよくわからない感覚が気持ちのいい、あの、あーすぃとぃぼ……というものを、これもまた毎日してくれたり。 そうね、さっき見てしまったわ……私の、この先一か月の献立まで考えてくれたりしていたのですね」


「……そう、だから、………………………………ん? ………………………………。 えっと、ジュリー、その。 体を洗うのは侍女の役目なんじゃ、っていうのは置いておいて。 今の、あーすぃとぃぼ……というのは、何のこと……かしら?」


「……リラ。 なんて、いじらしい子なのでしょう、……私のことばかりを優先して。 私に対してあれだけ、無理をするなと言っておきながら、この子は……っ」

「あの、ジュリー? ごめんなさい、けれども私、そのあーすぃ……というものについて聞きたいのだけれども。 ……ちょっと、ジュリー?」

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