29話 僕の知らない、僕のあやまち<すべてのおわり>


「私たちのおっぱいとおなかとふとももとくちびるにサンドイッチされる夜を過ごさない?(正:今日こそは一緒に寝ないの?)」


そのおことばに、僕は……しばらく体も頭の中もフリーズする程度には、シルヴィーさまたってのお願いの誘惑から逃れるのに困難を極めた。


だって、最初はほんとにこう聞こえたんだもん。


ほんとに。


それで僕の頭が勝手に都合のいいように……あ、いや、内容は合ってはいたんだけど。


9割方は。


だって………………………………ほら。


おふたりもパジャマの下はものすごく柔らかい下着しかお付けになっていらっしゃらないから。


つまりはほぼ全裸も同然で、つまりは同衾ってやつも、男ひとりにうら若き乙女おふたりもどうぜんってやつで。


だから、やっぱり、そのサンドイッチを……って思いたいけどお仕事があるんだもんなちくしょう。


せっかくのあちらからのごほうびをお断りせねばならないなんて、なんて世の中だ。


……しょうがない、ここは涙を飲んでまたの機会を待つとしよう。


なあに、またすぐにその機会は来るさ。


そう、ジュリーさまがお望みになっている以上には半月後くらいには、きっと。


「明日の準備もありますから、僕はもう少ししてから寝ることになるかと。 睡眠をお邪魔しては、申し訳ないですゆえ」

「そうなの」


「ねえ――……りーらぁ――……たまにはぁー、寝起きだけじゃなくて一緒にお話ししながら眠りにつきたいわぁ――……」

「………………………………またの機会をお待ちください」


「……ざーんねーんですわぁ――……」


あああああ疲れでの眠気とお酒でかんっぜんにふわっふわされていらしてちょっとダダこねる感じのジュリーさますごくかわいらしい天使だ女神だこれ以上の存在がいらっしゃるだろうかいやいらっしゃらないだろうそんなジュリーさまのお背中を押していたつもりがいつの間にか抱きつかれる感じでよろよろ歩くしかないんだけどだけどだけどあああああああ全身のやーらかいとこが僕に密着してきていてあああああああ………………………………………………………………。


………………………………………………………………………………………………。


ふぅ。


お嬢さまの体重で押しつぶされそうになっていた僕を見かねてくれた他のメイドさんたちと一緒に……それはそれで本望だったんだけど……眠くてぐずられている、ものすっごくレアな状態のお嬢さまの支度を済ませた僕は、悲しいことにこの部屋を去らなければならない。


とても残念だ。


残念極まりない。


痛恨の極み。


地獄とは、まさにこのことだ。


「……それではお嬢さま方。 僕はこれにて。 …………することが終わって、おふたりのお邪魔にならないようであれば、こちらへ戻ってきますので」


「あら、ほんとうに戻ってきてくれるのかしら? 昨日もそう言って、結局別の部屋で寝ていたのでしょう? ……なら、今日こそは私とジュリーの間で寝てちょうだいよ? 疲れているからぐっすり眠れるはずだし、少しくらい毛布に潜り込まれる程度のジャマくらいされても平気なんだから」


「善処します。 それではジュリーさま、シルヴィーさま。 お休み下さいませ」


……なぜかはよく分からないけど、なんかシルヴィーさまが乗り気だし、それに乗らない手はない。


早めにお仕事片づけて、おふたりのあいだに包まれなければ。


後はお任せしますって他の方々に言い残して、暖炉の熱で温まったお部屋から冷たい廊下へと、外へ出て。


ぶるっと身震いして、メイドさんにあったかいのを着せられる。


うむ、いい匂いが付着している。


……けど、やっぱり夜は冷えるよなー。


特に石造りの建物だから、そりゃーもー余計に。


「……あのー、シルヴィ――……? 私、今日はもう溶けそうに眠いからぁ、昨日の夜みたいにおはなしできそうにないと思いますぅ……」


「そうねぇ。 私だって眠いし、さっさと寝ましょうか。 ……ところでジュリー、今日は昨日みたいにくっついて寝てくれないの? 私、あれ、意外と寝心地良かったんだけれど」


「……、あのー、シルヴィ――……? 自覚がないのかもしれませんが、寝相が。 その、あまりよろしくないんですよぅ……。 毛布だって引っ張られますしぃ、それで目が覚めたんですからぁ……。 だから今日は、少しだけ離れて。 ……ええそう、リラが入ってくる隙間を作っておきませんと――……」


「あら、そうなの? 私が? 私、朝起きてもそんなに服とか乱れていない気がしているんだけれど」

「寝ている間のことだから、寝相というのですよぉ……分かりますかぁ? 寒かったんですからねぇ――……」


あーあー、いいないいなー。


ぱたんと扉が完全に閉まるまでに聞こえただけでも、耳が喜ぶ会話をなされていらっしゃるもんなー。


あーあー、お仕事さえなけりゃなぁ――……。


もったいないことしたよなぁ――……。



☆☆☆



窓の外……木々の生い茂る公爵の邸宅の庭という名の手入れされた森は、わずかな月の光以外、すべてが暗闇に包まれている。


それはその広い屋敷の中でも同様であり……しかし、その窓辺を貫く広く長い廊下を、曲がっては登り、登っては降り、降りては曲がり……を繰り返し、窓からの月光に合わせ、揺れるふたつのランタンの光が移動する。


さらにその後ろには、そのふたつに付き従うようにいくつかの光がゆらめく。


そのようにして闇が迫ってきそうな空間を歩いているふたつの光の正体は……先ほどのように着ていた薄いパジャマの上に、冬用といえども軽く羽織っただけの姿の、すらりとした金髪の少女と豊満な肉体を持つ銀色の少女。


その後ろには夜間の担当の警護や世話役の使用人たちが付き添ってはいるものの、ふたりの邪魔をしないようにと距離を保ちつつ、足音もほとんど立てず、ただただついてきている。


ふたりの「お嬢さま」の邪魔をしないように、闇に紛れるように。


そのひとり、金髪の少女ジュリーは……ただでさえ遠出をしてはしゃいで疲れたところを……ふだんの睡眠の半分くらいの時間で叩き起こされたからか、たまらずにひとつ大きなあくびをした……かと思うとそれに気づいて恥ずかしさで目が冷めたらしく、軽く頬が紅潮している。


そんな彼女は恥ずかしいのを紛らわすかのように、彼女の少し前を斜め前を歩いている銀髪の少女シルヴィーに話しかける。


「……あの、シルヴィー? なぜこのような真夜中に……、いえ、あの月の位置からするともう明け方近いのではないでしょうか? 先ほどは眠くてなにも分かりませんでしたからただ着いて来ましたけれど、こんな時間にどこへ行くのですか? そもそもあなたはなぜ、こんなに家の中の古い場所の道にも詳しくて……私だってこんなに暗いものだから、ここが使用人の方々の寝泊まりしていらっしゃるあたりということしかわからないのに」


目を擦り擦り、先ほどシルヴィーと呼ばれた少女に、繰り返しにはなるものの……半ば無理やりに起こされた少女は抗議の声を上げる。


心地よい睡眠をジャマされたという、当然の抗議を。


……しかしその先の相手からの反応がなく、銀髪の少女はただただ彼女の少し先を歩き続ける。


「……シルヴィー、聞いていますか? いえ、聞いているの?」

「………………………………あら。 ええと、なにかしら?」


「………………………………。 こんなときまで話し方を崩さないと無視をするのは酷いのではないでしょうか、いえ、ないかしら」

「あ、今のは違うのよ。 ただ単に気が逸れていただけ。 ごめんなさいね?」


先ほどまでの、光と足音しかしなかった空間に、ようやく人の気配が生まれた。


「それは、この状況と関係あるのでしょうか。 あ、いえ、あるのかしら」

「少ーし、ね。 ……この先にはね? ジュリー。 あなたにも。 ……いえ、あなたにこそ来てもらって確かめたいことがあるの」


「この場所に、こんな時間に……ですか」

「そ。 言付けておいた子から起こしてもらって、やっぱりって感じでベッドには私たちふたりしかいなかった以上、今でないと、駄目なの。 ……これを逃したら次はいつになるか、わからないのだもの」


「……そうなのですか?」


振り返ることもなく、ただただ暗闇の先を見据えて返事をするだけのシルヴィーに向かい、ジュリーは首を傾げる。


前を行くシルヴィーにも見えてはいないし、ジュリー自身も自覚しておらず、後ろに控える使用人たちだけが目撃者だ。


それは……ここにいない、ある小さい少女がよく知っている癖であって、それを見る度に頭の中で悶えているものなのであるが……残念なことに、ここにはいない。


「ええと……あなたは考えなしにこういうことをする性格でないというのは知っていますから、別にいいのですけれども。 それなら早く終わらせましょう? これではまるで……そうですね。 劇場で、恐ろしいシーンを見ているときのように感じてしまいますわ」

「あなた、怖いもの嫌いなものねぇ、くすっ」


「ひっ、……え、ええ、ですけれども、だ、大丈夫ですっ。 この先は別に恐ろしいものは……ええ、ないのですからっ。 ええ、もちろん? 使用人の方たちがいらっしゃる以上は別に恐いものでないことは存じておりますけれど? ……ですが、この先はもう行き止まりです。 もちろん出入り口もありますけれども、外に出る用意もしていませんよね? それに、この格好では外へなど」


「………………………………いいのよ、これで。 これで、合っているの」


何かが分かったような顔をしている銀髪の少女……もちろんその後ろにいる少女には見えていない……と、いちど少しだけ引いたものの、手元の光を見ている内にぶり返してきた眠気で頭がうまく働いておらず、いまいち要領を得ていない金髪の少女。


そのふたりは話をしながらも、その先へとどんどんと……廊下の角をいくつも曲がりつつ進んでいく。


「……なにせ、この先は。 今から行くのはね? あなたも知っていると思うけれど、リラが。 あなたの義理の妹になったあの娘が。 仕事で使うために使わせてほしいって、あなたのお父さまに頼んで頂いたらしいお部屋。 かつては先代の侍従長の使っていたっていう、この古い方の建物のいちばんにすみっこのいちばんに大きなお部屋。 あなたもよく入り浸っていたらしいじゃない。 そこへ、行くの」


「え、ええ……まあそうなのだけれど……、でも今はもう夜も遅いですし、リラはそこには」


「いるのよ」

「……え?」


「リラは、たしかにあなたの寝室の正面のお部屋にいるはずよね? だって、ベッドはそこにしかないのだし。 そのお部屋も、あなたが小さいころに使っていたお部屋には……あの子の私物こそ置いてはいるものの、あなたの家の仕事を手伝うには外との連絡が取りやすい……そう、使用人にとって都合のいい部屋の方が便利だからって、寝起きする以外はあんまり使っていないっていう」


「……あの、待って待って、待ってくださいシルヴィー? ……あの、なぜそのようなことまで知っているのですか? いえ、たしかにそれは正しいですし、そうなのですけれど、でも私、そんなことあなたにおはなししたでしょうか」

「ええ。 もちろん、聞いていないわね」


カツ、と足を止めて振り向く銀髪の少女。手に持ったランタンの光で、下から照らされてるその顔は……美しいせいで、余計に恐ろしいもの。


「ひっ!? ……あ、あら、失礼」


「いいの、だって私は勝手に調べたのだし勝手に報告を受けたから。 それが機嫌を損ねるっていうことは、よーく理解しているわ」

「い、いえ、そうではなかったのですけれども……けれど、その、誰からですか。  報告って、……あ、お父さまたちから」


「いーえ、ちがうわ……っと、着いていたのね」


少し腰が引けている金髪の少女がその声につられて灯りを掲げると、そこは廊下の終点。


曲がりくねるし何回か渡り廊下という外へも出るし、さらには何回も枝分かれしては合流するものの、結果的には一本道で公爵夫妻の寝室から使用人のそれまでを貫いている廊下の、その……終着点だった。


突き当たりにある、最後の大きな扉の部屋……通用口の扉の横に位置するその部屋は、簡素ながらも執務をするには十分の広さを持っている場所で、ジュリーが……一時期、自室からはかなり離れているのにも関わらず1日に何回も往復することさえあったその部屋の、その扉の下からは……かすかな光が漏れていた。


何か聞こうとするジュリーを、手で遮るだけでシルヴィーが黙らせ。


そして……しばらく耳を澄ませていた彼女は、おもむろにその扉を軽く叩く。


こん、こんと。


……しかし、返ってくるのは静寂のみ。


そうして返事がないということを確認した彼女は、その手に力を入れ、扉をゆっくりと開いた。


「ノックはしたわ、今日も勝手にお邪魔するわね――……っと、やっぱり寝ているわね。 入るわよ、リラ。 まあぐっすりと寝ているでしょうけれど。 ええ。 今夜も、ね」

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