第四章

 後日、黄木さんがご両親、土田さん、青葉さんと一緒に俺の家を訪ねてきた。玄関を開けた途端、黄木家の人たちにすごい勢いで礼をされ、すっかり戸惑ってしまった。取り戻したのは青葉さんだし、対戦時のマスターも土田さんだったし、俺が助けたみたいに言われると、ものすごく違和感がある。こそばゆい。


「はい、君のタブレット」


「ありがとうございます」


 やっと返ってきたか。警察に押収されている間、クルミの管理が面倒だったのなんの。


 リビングへ通し、お茶を持ってくると、テーブルの上に警官姿の青葉さんと、制服姿の黄木さんが置かれていた。相変わらずiドールのままか。


 昔どこかで母さんが買った、小さいコップにもお茶をいれ、黄木さんと青葉さんに差し出した。


「ありがとう」


 青葉さんは冷まさずすぐ飲んだ。猫舌仲間はいないのか。


 黄木さんはお茶には手を付けず、俺を見上げて言った。


「あの、増田くん」


「何? 黄木さん」


「助けてくれて、本当にありがとね」


 黄木さんは俺に向かって、また深々と頭を下げた。だーから助けたのは青葉さんだってのに。


「いや、俺は何も……」


「最初に私を見つけてくれたの、増田くんだったでしょ? そうじゃなかったら、私は今頃……。だから、本当にありがとう」


「えっと……」


 最初に見つけたのはオオハタさんのはずだけど……。ちょっと同情してしまう。


「あ、でも」


「?」


「私、その、アイドルだから、恋人とかはちょっと……ごめんね? 気持ちは嬉しいんだけど……」


 黄木さんは顔をほんのりと赤らめながら俺に言った。……何を言っているのかわからねえ。


「え? どういう意味?」


「まあまあ少年、こういうこともあるさ」


 土田さんが俺の肩を叩いた。コイツ、黄木さんに何か変なことを吹き込んだな。


「あのさつっちー。この子は別に黄木さん好きとかじゃないらしいよ」


「えっ!? ありゃりゃ、そうなの。私はてっきり……ねえ」


「おいこら! 何勝手に!」


 俺が黄木さんのことを好きだと早合点して、それを本人に伝えていたようだ。何してくれてんの!? ……って待てよ。てことはさっき黄木さんが俺に言ったのことの意味は……振った!? 俺振られたの!?


「あわわわ、ごっごめんね! その……土田さんがそういうから、私その……。わ、忘れて! 今のお互いナシってことで!」


 黄木さんは顔全体を発熱させて、気まずそうにモジモジした。俺も気まずくて目を合わせられなかった。何で好きでもないのに、振られなきゃいけねーんだよ。今メッチャ傷ついたぞ俺。多分黄木さんも。


「せっかくお姉さん、気を利かしてあげたのに……」


 お前は青葉さんに気を遣えよ。






 その後、俺は捜査状況について青葉さんと土田さんから教えてもらえた。捕まえたヤクザ二人は雇われで、大した情報は持っていなかったらしい。割れたリョーコの台座からデータのサルベージを試みた結果、空っぽだったということも。予定外の破損だったはずなのに、そんなゴリゴリに完全消去できるもんなのか。iドールは多くのデータを台座に保存しているのに。そもそも割れた瞬間にリョーコが消滅したのもおかしいが。うーん、謎だ。


 ついでに、青葉さんと黄木さんから、二人をドール化した実行犯はイチサブだったことも聞かされた。他の消えたアイドルたちも、使い捨ての人員で攫われたのだろうか。


「そう。それにね、他のアイドルたちの行方も少しずつ分かってきたんだけど、好きな奴に売られてるとか、どうもそういうことじゃないらしいのね」


「一人が全員持っている?」


「そう。犯人は売ったりするためにアイドルをドール化したんじゃなくて、自分一人のコレクションにするためにやった、ってことね」


 青葉さんがまとめた。そういうことか。だとすると、アイドル達は思ったより酷い目……エッチなこととかには使われていないのだろうか。だが、巨大なガラス棚の中所狭しと、元人間だったアイドルたちがフィギュアのように並べられている光景を想像すると、背筋に寒いものが走る。犯人は相当にサイコなやつだな。


「だから、黄木さんのことはこれまで通り内緒でお願いね。学校とかでうっかり話さないように。辛いかもしれないけど」


「はい、わかりました」


 当然だよな。助けた当日から、黄木さん発見は秘密にするよう、警察から念を押されている。俺は黄木さんは行方不明って体を装い続ければいい。そう難しいことじゃないな。


「で、ここから本題なんだけど。犯人はコレクター気質……ってことになれば当然」


 土田さんは黄木さんをチラッと見た。なるほど。


「犯人は黄木さんを回収したがるでしょうね」


 俺が答えると、土田さんは青葉さんを持ち上げ、ニヤニヤしながら提案した。


「そう。で。君にお願いがあるんだけど。囮捜査、やってみない?」


 土田さん曰く、青葉さんのライブ映像をネットに「iドールのライブ映像」としてアップすれば、普通の人には「神調教のiドール」として映るが、犯人にだけは「人間」だとわかるはず。そうすれば、黄木さんだと考え、必ず接触を図ってくる……という申し出だった。話はわかったが、質問しなければならない点がある。


「あの、何で俺なんです?」


 青葉さんは今土田さんのiドールだ。別に土田さんがそのままやればいいのでは? なぜ俺を介する必要が?


「えー、だって、君の方がiドールに詳しいから、それっぽい、いい動画を作れるでしょ。それに先輩ったらもう君にメロメロで『私のマスターは林太郎様だけなのよ!』って」


「そんなこと言ってないでしょ! あんたに比べたら増田くんの方が遥かにマシだったってだけよ!」


 青葉さんが猛烈に抗議する横で、黄木さんが「まあ……うん」と静かに頷いた。土田さん、一体どんな扱いをしたんですか……。


 さて、どうする。引き受けるか。本来、俺は部外者の一般人なんだが……。けど、もうこの事件には巻き込まれて長いし、酷い目に遭っている女の人たちを助ける力になれるのなら、断る理由はないか。しかし、俺はいいとしても……。


「えっと、俺は捜査協力するのは構いませんけど……。青葉さんはどうなんでしょうか?」


「うん?」


「iドールとしてネットデビューする、ってことですよね? したら当然、ヒラヒラの服着てノリノリで歌って踊ってる動画が永久に出回り続けるってことに」


「い、いや……別にその、本名は出さないし、見た目変えるし、仕事だし、だからこれはえっと……」


 青葉さんは真っ赤になって、小声で言い訳というか、正当化の理由を並べ立てた。聞き取りづらかったが、要約すると「やりたくてやっているわけではないが、仕事で捜査の一環として仕方なくやるのだ、子供たちを助けるためなのだ」という内容だった。


 わかりました。仕方がありませんもんね。


「あ、あの……」


 黄木さんがおずおずと挙手した。


「私から……お願いがあるんですけど……」






 これから就寝……のはずなのだが、俺の部屋の机は騒がしかった。クルミ、青葉さん、黄木さんがパジャマ姿で和気藹々と話し続けている。よくもまあそんなに話題が保つもんだ。


「あーじゃあ、恵美さんは古家さん推しだったんですねー」


「んー、今風に言うとそうなるのかな」


「昔の話わかんないですぅー」


 漏れ聞こえてきた話によると、リョーコのコピー元だった歌手、古家良子は驚くべき事に、四十年前のアイドルだったのだとか。半世紀前かよ。そして青葉さんは何故だかその歌手の大ファンだったらしい。だからリョーコの歌を知っていたし、最初の特訓の時に「ふるさと」を歌ったんだな。好きな歌が絶対俺に通じないとわかっていたから。


 枕元のタブレットを持ち上げ、管理画面を眺めた。「花咲クルミ」「青葉恵美」そして「黄木里奈」……。タップすると、今や俺のiドールとなった彼女のモデルが画面に大きく表示された。黄木さんの全てが明け透けだ。スリーサイズ、黒子の位置、皮膚の染み……。見てると流石にドキドキしてくるな。本物のアイドルだけある。クラスメイトとはいえ、黄木さんのことは別世界の住人のように感じていた。それが今や俺の手元にある。やろうと思えばどんなことだってできるのだ。オオハタさんはこの誘惑に打ち勝てなかったんだな。彼がヒーローになる未来もあったろうに。モデルをリアルタイムに切り替えると、黄色い水玉模様のパジャマ姿で談笑する黄木の動きがタブレット上にそのまま再現された。iドールの動きをリアルタイムで表示させることもできるのだ。でも相手が人間だと監視してるみたいで、いい気はしないな。俺は青葉さんに切り替えた。二十六歳のパジャマ姿。黄木さんに比べると肢体がガッシリしている。警官だけあって筋肉あるな。クルミに切り替え。うん、いかにも人形。肌は超綺麗で、黒子も染みもない。人間と人形が同じiドールとして同列に登録されているのは、改めて奇妙に感じる。


 何故黄木さんが俺のモノになったかというと、囮捜査に立候補したからだ。最初は青葉さんを黄木さんモデルに改造して、iドールのライブ動画としてネットにアップし、犯人をおびき寄せるという内容だったから、黄木さんは関係なかった。しかし突然、黄木さんが「私がやります」と名乗り出たのだ。当然、みんな反対したのだが、結局通ってしまった。理由はいくつかあるが……。まずは「犯人はドルオタなのは間違いなく、青葉さんの見た目を黄木さんソックリにしても、偽物だと見破られる可能性は低くない」という黄木さん自ら行った主張。彼女は続けて「被害者には同じ事務所の先輩や、お世話になった人も大勢いる。私も力になりたい」と言ってきかなかった。ご両親と土田さんは渋ったものの、青葉さんがしっかり監督することを条件に了承し、動画作成のため俺に黄木さんと青葉さんのマスター権限が譲られた。ちなみに動画をアップするのは土田さんのアカウントで、それも署内から行うらしい。土田さんは絶対、動画を作るのが面倒だったからそこだけ俺に丸投げしたのに違いない。


「黄木さん青葉さん、そろそろ寝たいんだけど……」


「あ、ごめん」


「あらら、もうこんな時間か」


 三人ともベッドに横になったようだ。いちいちベッドから身を乗り出さずとも、タブレット上で確認できる。


「お休みなさいマスター! メグミちゃんに里奈ちゃんも!」


 クルミは寝ないんだけどなぁ。苦笑いしながら、俺はクルミを「停止」させた。クルミはもう二人を下の名前で呼ぶようになった。打ち解けた……というより、あいつは人間じゃなくて人形だからな。ペットみたいなもんだろう。


「お休み、青葉さん、黄木さん」


「お休みー」


「お休み」


 明かりの落ちた寝室は静かになった。数分の沈黙の後、黄木さんが言った。


「ねえ、増田くん。これからコンビなんだからさ、『里奈』でいいよ」


「え? うんまあ、黄木さ……里奈がいいなら、いいけど」


 んー、ちょっと照れくさいな。無論悪い気はしない。


「よろしくね、リンくん」


 リンくん、って俺のこと? 「林太郎」だから?


「おう」


 無論、悪い気はしない。世間でもクラスでもアイドルだった黄木さ……里奈とこんな親密な関係になれる日がくるとは、思ってもみなかった。すげーよ。夢かこれ。


 タブレット上の里奈が動かなくなったので、青葉さんに切り替えた。モゾモゾしてる。まだ起きている。てことはさっきの聞かれたな。わひー、恥ずかし。


 何となくモデルを回転させると、妙に不機嫌そうな表情をしていた。あれ……どうしたんだろ。でももう遅いし寝るとこだし。明日、起きても体調悪そうだったら声かけよっと……。


 タブレットをスリープモードにして枕元に置き、俺は目を閉じた。






 学校では相変わらずお通夜ムード……ってほどでもなくなってはきたが、俺のクラスは鬱屈した空気がまだ抜けきらない。同じクラスなのだから当然だ。里奈は無事警察に保護された……と言えればみんな大喜びだろうが、それはできない。何だかみんなを騙しているようで心苦しい。もしも今は俺の家にいて、俺のiドールになったなんて知られたらどんなことになるか。


 家に帰ると、三人が出迎えてくれた。


「おかえりー」


「お帰りなさいマスター!」


「おかえりなさーい」


「ただいま。何もなかった?」


「んー、できれば早くご飯にして欲しいかな、って」


 里奈は指先をツンツンしながらそう言った。


「あれ? 充電できなかった?」


「充電って味気ないから、何か口に入れたいなー、と思いました次第です」


「ああ……」


 青葉さんも言ってたな、それ。青葉さんは大手配信者のiドール動画を見て、研究中のようだ。これから里奈を俺のiドールとして売り出すことになる。俺もプロデューサーデビューか。まさか里奈でとは思ってもみなかった。インチキしてるみたいで、他のプロデューサーたちに対して引け目を感じてしまう。まあ、囮捜査が終わって全てが解決したら、改めてクルミで再デビューしよう。






「それじゃあ、計画詰めてくわよ」


 青葉さんが場を仕切った。クルミが拍手した。俺と里奈は黙って拝聴だ。


「まず一つ。流石に本人そのままでは不味いから、少し見た目を変えることね」


「そうですねー。絶対、動画残っちゃいますもんね」


 里奈が頬を掻きながら同意した。iドール里奈の動画は、絶対すげー話題になるだろうから、ネットに残り続けることになる。事件解決後に面倒なことにならないようにしないと。


「青葉さんみたいにですね」


 俺がふざけて青葉さんをアイドルフォームに変更すると、真っ赤になって激怒し、しばらく会議が中断した。


「……コホン、次に、アカウント管理と接触希望者との応対は全て警察が行うわ」


 でしょうね。俺たちは動画撮影・編集係ってことだ。


「はいはーい。質問。その警察って土田さんですか?」


 クルミが元気に手を挙げて尋ねた。


「……ええ」


 青葉さんはとても不本意そうに答えた。心配だ……。


「最後に、子供だけで勝手に危険なことはしないこと。いいわね。必ず私を通して……」


 クルミは「はーい」と賛同したが、俺と里奈は苦笑いするしかなかった。ともすれば里奈より幼く見える、アイドルフォームの青葉さんがこれを言っても、今一その、説得力が……。


「返事」


「……はい」


 次に、里奈のキャラクリを始めた。動画投稿用に新しくモデルを作るのだ。青葉さんのアイドルフォームみたいなもんだ。とりあえず髪を変えるだけでも、ガラッと印象が変わった。ピンク、青、緑、黄色……。カラフルな色にすると一気に人間ぽさが薄れ、作り物らしくなる。青葉さんとクルミは、里奈には金髪が特に似合うと感じたようだ。ただ、金髪はあのオタクが里奈にさせていた髪色。本人も余りいい気はしないのではないかと心配したが、里奈は意外にも嬉しそうに受け入れた。ついでにアニメキャラみたいに思い切り髪を伸ばすと、まるで着せ替え人形のような風貌となった。いいかもしれない。


「いいね。上書きできて」


 里奈は俺に向かってそう言うと、悪戯っぽく微笑んだ。俺はその前向きな心に唸った。すげえや。強いな。


 黒子や肌の染み等を一斉消去すると、大きくイメージが維新された。黒子なんてよほどデカくなけりゃ見えない、人の印象に寄与しない、と思っていたのだが、その認識は改めなければならなかった。一切の異物・汚れ(失礼な表現だが)を排した肌というのは、余りにも清らかで、ともすれば人工的な情緒をも醸し出すのか。足首まで伸び、大きく左右に広がる金色の大長髪と組み合わさって、いかにもiドールっぽくなった。里奈は元々アイドルをやるぐらい顔とスタイルも良かったので、並大抵ではない端正な美しさだった。


「すげー! メッチャ美人!」


 俺は思ったことをそのまま口に出した。里奈はパチッとウィンクし、


「ありがと」


 と一言。これがまたかなりの破壊力だった。


「里奈ちゃんきれー! 美人さんですー!」


 クルミも大はしゃぎしながら、里奈の周りをウロチョロし、色んな角度から眺めていた。青葉さんはウンウンと頷き、里奈にサムズアップしたが、特にコメントは出さず、俺に次へ進むよう促した。


「次、コーデね」


 服と髪型の選定。そういやクルミも青葉さんも髪を縛っていないな。今回は縛ってみようか。ポニーテール、ツインテール……。サイドアップ。色々あるけど、簡単に変えられるから、全部試してみるか。ポニーテールをタップ。一瞬で里奈の髪は金髪のポニーテールにチェンジした。腰より伸びる長いテールはキラキラと煌めき、里奈の動きに合わせて揺れた。いいね。


 ツインテール……。ちょっと子供っぽくてイタいかも。クルミならいいが、里奈には合わないか。おさげ……活発な里奈のイメージには合致しない。


「これいいんじゃない?」


「これ見たいですー」


「次これ!」


 里奈本人も含め、青葉さんもクルミも交えてあれこれ試行錯誤した。最終的に、最初に試したポニーテールに決まった。健康的で清潔感がある。ピッタリだ。


 ヘアゴムも選べるのだが、服を先に選んで後から合わせるか。今は「縛っていないが何故かポニテ」という状態だ。現実の人間では有り得ない。iドールならではと言える。


「これすごいね。全然痛くないよ。引っ張られないし」


 里奈は首を動かしながら、髪型の快適さを熱弁した。重さも余り感じないという。現実だったら首を痛めそうなボリュームだが、セミロング程度に感じるとか。踊りやすそうでいいな。


 それから、タップ一つでポンと髪型や色、メイクの具合を変えられるところに、かなり感動していた。


「私ずっとiドールでもいいかも」


 とジョークを飛ばすほどに。仕事前のメイクとか大変なんだろうな、きっと。


 服はクルミに付属してきたデフォルト衣装と、青葉さん用に買ったやつしかない。ちなみにiドールの服はどんな体型でも着ることが可能だ。その辺は自動的に調整してくれる。ただ個数は有限だ。青葉さんに今着せているアイドル衣装は一着しかないから、同時に里奈に着せることはできない。……うーん、買うか。流石にデフォルトじゃなあ。


 ストアを開き、服を選ぶと、俺なんかには到底わからないファッション用語がズラリと並んだ。後は女子陣にお任せしよう。青葉さんもいるから、勝手に超高額なものを買ったりはしないだろ。俺はタブレットを床に置き、その周りに三人を配置して、後は任せる。


 疲れた。俺はこの間に風呂入ってこよう。






 風呂から上がって二階に戻ると、ドレスアップした里奈が待っていた。


「あ、どうかな……ちょっとやり過ぎたかな?」


 里奈は髪を結う大きな緑色のリボンをモミモミといじりながら言った。漫画やアニメでしかみない大きなリボンだ。髪にはシュシュも装備されている。妖精をイメージした緑主体のアイドル衣装が金髪によく映える。手袋とブーツも服に合った色合いで整っている。現役女子高生アイドルだけあって、確かなトータルコーディネートだった。


「いやいや! すごい可愛い! 似合ってる! 完璧!」


 俺は全身全霊で褒めそやした。本心から称えた。クルミと青葉さんもだらしなく笑いながら見とれていた。


「じゃあ、これで買っていいかな?」


 あ、試着モードだったのか。そりゃそうか。


「ところでそれいくら……」


 俺はタブレットを覗き込んだまま動けなくなった。六桁よりの五桁……!


「私が出すから」


 青葉さんの頼もしい言葉に、俺は感激の余り涙した。


 購入した服とアクセを装備した状態をセット登録してから、元の里奈の姿に戻した。もう寝ないといけない時間だ。やれやれ。


 服を整えるだけで一日費やしてしまうとは。女子ってのはこんなもんかね。俺は寝る前にゾンド氏にメールを出した。実際に動画撮影に入る前に、経験者のアドバイスを聞いた方がいいと考えたのだ。勿論里奈が人間であること等は伏せた。これで後は曲決めるだけ……か。






 次の日学校から帰ると、里奈がiステージで歌っていた。昼の間に曲を決めてしまったようだ。疎外感……。


 アイドル・黄木里奈の曲だと流石に露骨すぎるので、iドールのサンプル曲から選定したようだ。青葉さんの時は振り付けが難しすぎると却下した曲。既にかなり踊れるようになっている。流石プロ。青葉さんは少し複雑そうな表情で里奈を応援していた。クルミはいつも真っ直ぐな応援してるな。人とAIの差だ。


「すごいな里奈。もう覚えたのか」


「いやー、まだまだ。歌詞も覚えないとだしね」


「人間って不便ですねー」


 クルミが楽しげな口調でポロッとこぼした言葉に、みんなが注目した。歌詞を覚えるという作業はiドールには存在しない。振り付けもやろうと思えばモーションデータを移せば即踊れるはずだが、配っているプロデューサーは少ない。努力の結晶だからな。まあ、モーションコピーしたところで、実際にはiドールたちの性格で少し変わってしまうし、リアルタイムの判断によって行われる細かな仕草はコピーできないんだけど。


「そっかー。クルミちゃんはすぐに覚えられるんだもんね」


「はい!」


 クルミはビシッと腕を伸ばして返答。里奈は少し悩む素振りを見せた後、いいこと思いついちゃったと言わんばかりの口調で提案した。


「そうだ。一緒にやってみる?」


「やりますー!」


「っておい! 何でそうなる!?」


 クルミとデュオライブなんてどれだけ時間かかるかわからん。できれば早く動画を上げたいってのに。そもそも人間とiドールが同じステージなんて……。いや、新しいなそれ。世界初じゃないか?


「とりあえず一本上げなくちゃ。次やればいいわ」


 青葉さんも時間が惜しいと思ったのか、里奈のソロに軌道修正させた。クルミは頬を膨らませてふてくされた。


「まあまあ、次な、次」


「むー」


 その日の夜、ゾンド氏から返信が届いた。おすすめの撮影方法やiドールの指導法などをわかりやすく解説してくれている。ありがとうございます。ただ、今回は人間を使うというチートなので、動画撮影と編集のアドバイスだけ頂いていきます。これによると、iステージよりもパソコン内のバーチャルステージの方が撮影と編集が簡単らしい。なるほど、確かに。iステージでも撮影はできるけど、パソコンに移す手間や、カメラワークに制限がかかること等から、あまりおすすめはしない、けど臨場感と現実感は出るから、慣れてきたらiステージもいいよ、というアドバイス。なるほど。でも待った。バーチャルステージってiドールをパソコンに接続して、ネットかローカルのバーチャル空間でiドールを踊らせるやつだよな。できるのか? 里奈は人間だぞ。接続できるのか? できたとして、悪影響とかは出ないのだろうか。ちょっと心配だ。iステージでやるべきか……。うーん、どうしよう。






 次の日、帰りに電気店によってiドール用バーチャルステージのソフトと接続用の端末を買い、家に帰って即、インストールした。財布は青葉さん持ちだから痛くない。本人は何か痛そうな顔してるけど。


 いきなり里奈を接続するのは怖いから、まずはクルミで動作確認だ。丸いくぼみにクルミの台座をはめ、セット。ローカルのバーチャルステージを起動。クルミを検出しているので、接続。すると台座上のクルミが動きを止めた。そして服を含めた全てが灰色一色に染まった。その姿はまるで彫刻のようだ。


「うわっ! 大丈夫なのそれ!?」


 青葉さんにはかなりショッキングに映ったらしい。自分と同じサイズの人間(じゃないけど)がいきなり石化したら、そらビックリするだろう。里奈も少し青ざめているように見える。直後、パソコンから脳天気な声が響いた。


「マスター! こっちでーす!」


「うぉっ……!? うまくいったのか」


「はーい! 大丈夫ですよーほら」


 パソコンの画面に表示されたバーチャルステージの中に、ピンクの髪を持ったアイドルが出現していた。クルミだ。無事バーチャルステージに入れたらしい。青葉さんと里奈も、ホッと胸をなで下ろしている。そのまま撮影テストに入った。バーチャルステージ内には事前に好きな場所にカメラを設置できるのだ。カメラそのものは透明で映らないから、容量とCPUが許す限り置き放題だ。ステージのデザインも好きにいじれる。今回はテストだからデフォルトでやるが。


 二人をパソコンの前に置いて、全員でクルミのステージを見た。


「シューティング☆シュガースター!」


 まるで映画でも見ているかのようで、不思議な気分だった。さっきまで現実世界で泣き、笑い、叫んでいたクルミが、パソコンの中でデータになって歌い踊っているというのが、どうにも感覚で納得できない。チラリと横を見ると、灰色になったまま動かないクルミの体がなんとも言えない存在感を醸し出していた。慣れるまでちょっと怖いかもしれない。


 クルミは無事歌い終えた。


「どうですかー!」


「あー、よかったぞー。それじゃ出すからな」


「はいっ」


 どこで覚えたのか、クルミは敬礼した。接続を解除。画面の中のクルミは光の粒子になって消滅した。同時に現実のクルミが色と時間を取り戻し、動き出した。一安心。


「ねえねえ、どんな気分だった? 平気? どんな感じ?」


 里奈は矢継ぎ早に質問攻めだ。次は自分だから、当然だ。青葉さんは顔をしかめて押し黙っていた。そりゃデータ化してパソコンに入るなんて嫌だよな。いや厳密にはSF映画みたいに体をデータ化してるわけじゃない。体はあくまで現実世界にある。


「全然へっちゃらですよー。こっちと何にも変わりませんでしたー」


 里奈はほんの少し緊張がほどけたようだが、不安そうな表情は相変わらずだ。


「いける?」


「んー……」


 クルミが両手を横一杯に広げ、宣言した。


「私! 里奈ちゃんと一緒に行きます!」


「えっ……ふふ、ありがとう」


 クルミのこの提案が里奈に勇気を与えたらしい。里奈は覚悟を決めた。俺はその決心が変わらないうちにと、里奈とクルミを端末にセットした。勿論、気を利かして隣同士。クルミが里奈に笑いかけ、そっと手を握った。里奈もようやく表情が晴れて、少し頬を染めながらクルミの手を握り返した。


「いくけど……いい?」


「はいっ」


「うん」


 俺はクルミと里奈を接続した。二人は手を握ったまま石化し、一切の動作を停止した。青葉さんは小さく「ひゃっ」と言って身をすくめた。


「ほらー! なんともないでしょう!」


「あ、ホント……現実と同じだね」


 画面の中から二人の声がしたので、急いで振り返った。バーチャルステージの上に、二人がいる。里奈はストレッチや準備体操のような動きをして、体の感覚を確かめていた。クルミはステージから観客席に降りた。現実のiステージではiドールはステージから降りられない。台座ごと観客席に置くことはできるが、得点源にはならない。だが今回は違う。クルミはしっかり観客の一人として認識されるのだ。むしろバーチャル空間の方が、iドールたちの行動範囲は広いのかもしれない。


「私はデータになるの怖いなぁ。若い子は抵抗ないのかなー」


 青葉さんはしみじみと語った。いや抵抗あると思うな。俺は無理。ていうか自分を年寄りに定義してるけどいいんですか。


「里奈ちゃーん! 頑張ってー!」


 クルミが最前列から声援を飛ばす。里奈はニッコリ笑って、


「ありがとう。クルミちゃんのおかげで、勇気が出せたよ」


 と返し、ステージ中央で構えた。


「リンくーん! いつでもいいよー!」


 よっしゃ。いくぞ。ミュージックスタート!


「黄木里奈『ツンツンガール』いきまーす!」


 あ、本名出しちゃった。偽名……というかアイドルネーム考えてなかったな。


「君の告白 受け取ったわ」


 里奈は動きのある複雑な振り付けを僅か一日ちょっとでマスターしていた。……ただまあ、複雑と言ってもiドール目線、素人目線での話だったんだな、と一瞬で理解させられた。里奈のダンスは圧倒的だったのだ。プロの人間からすれば造作も無いのか……!


「だけどね 私はアザミよ 孤高の花なの」


 歌唱力も高い。やや機械音声ばっていたサンプルとは比べるべくもない。逆に曲の稚拙さが感じられるぐらいだ。手を添えてキョロキョロする可愛い仕草も決まっている。


「摘めるものなら 摘んでみなさい」


「きゃーっきゃーっ」


 クルミはすっかり観客たちに溶け込んでいる。黄色い声援を飛ばして里奈を応援し、里奈もそれに答えた。今回は点になる。


「例えトゲが刺さっても 私が欲しいのなら」


 ランウェイを元気いっぱいに闊歩する姿は、オオハタさんに操られてライブバトルした時より遥かに溌剌としていて、見ているだけでエネルギーをもらえるような気がした。


「次は ちょっとだけ 考えてあげる」


 理由は明白。これは里奈が自分の意思で立ったステージ。人形ではない、自らの意思を持つアイドルのライブがここにあった。


 その後はよく覚えていないが、ただすごいライブだったのは覚えている。点数は八八二一点。大手プロデューサーの有名iドールでも滅多に見ることのない高得点。俺は無心で拍手した。画面の中の、本物のアイドルに向けて惜しみなく。


「うわー、すごかったねー。……ていうか私、アレと一戦交えさせられるとこだったんだ……」


 青葉さんが震えた。俺もそれに気づくと自らの見通しの甘さ、死地へ送り出すところだった青葉さんへ申し訳なさに血の気が引いた。にわか仕込みの素人舞台では到底太刀打ちできそうにない。


「ねー! 見た? 見えてた?」


 里奈が俺に向かって手を振った。……と思うんだけど、そういえばバーチャルステージの中からは、こっちはどう見えてるんだろう?


「見えた見えた。バッチリ。いやホントやばかった、なんていうかこう、やべえの……」


「語彙」


 青葉さんの突っ込みで、俺は必死で頭の中の辞書を引いた。


「何ていうかこう、筆舌に尽くしがたいすごさ的やばさ? みたいな?」


「あははは! うんうん、わかったわかった、伝わったよ」


 里奈はステージの端に座り込み、観客たちとタッチをかわそうとしていたが、すり抜けてしまうので、ちょっと残念そうな顔をしている。


「あ、ここ降りられるんだ!」


 クルミと同じように観客席に降りると、「観客」にレイヤー移行したらしく、ふれ合えるようになっていた。


「どう? そろそろこっち戻る?」


「あ、うん、お願い」


 二人の接続を切ると、画面から消滅し、現実世界で石のように固まっていた二人が色彩を取り戻し、動き出した。里奈は繋ぎっぱなしだった左手を胸まで上げて、クルミに礼を言った。


「ありがとね」


「はい~っ!」


 二人が抱き合っていちゃつくので、しばらく端末から外せなかった。






 撮影は問題なく録画できていた。色んなアングルから今のライブを撮れている。後はこれを編集して一本の動画にして、青葉チェックを通し、土田さんに送れば良い。いやしかし見惚れてしまう映像ばかりだ。お、このカメラパンツ映ってる。青葉さんが睨んでいたのですぐシークバーを動かした。里奈はクルミと一気に距離を縮め、ペットか妹みたいに頭をなでるのに夢中で、パソコンを見ていなかった。セーフ。


「君、今のアウトよりだからね?」






 ライブの熱にうなされすっかり忘れていたが、僅かに再撮影しなければならない箇所があった。ライブ開始時の名乗りだ。


「ひゃー、ごめんごめん。つい」


 里奈は舌を出してウィンクしながら謝った。許す。


「名前決めないとね」


「アイドルネームですか? 私は『クルミ』ですよ! 恵美ちゃんは『メグミ』だよね! だから里奈ちゃんは……」


「いや、私はもうアイドルごっこなんかしないからね」


「……『リナ』!」


「変わってないよクルミちゃん」


 その後四人で話し合った結果、里奈のアイドルネームは「リリーナ」に決定した。まったく関係ないネーミングだと犯人に気づいてもらえないかも、という点と、本人の「自分でなくなっちゃうような気がしてやだ」という意見を尊重した結果、このような名前に落ち着いた。ハッキリと口には出していないが、人形になってしまった里奈や青葉さんは、少なからず自身のアイデンティティが揺らいでしまっているのだろう。「自分はiドールじゃない、人間・黄木里奈だ」という自意識を、例えフリでも崩したくないのだ。なんとなくその気持ちはわかる。


 タブレットでアイドルネーム「リリーナ」を設定し保存。最後にちょちょっとリリーナ名義の名乗りを撮って、収録は全て完了した。後は俺の仕事だ。






 金曜の夜、パソコンでの編集作業中。青葉さんが机に立って、ずっとチェックしていた。たまに「そこ、こっちの方がよくない?」「もうちょっと早く切ったら?」「ズレてる」など口を挟んできた。残り二人はiステージで遊んでいる。練習モードで観客はいないが、二人で一緒に踊ったりもしているみたいだ。


「青葉さんは踊らないんですか?」


「冗談やめてよ。私は別に好きでやってたわけじゃないんだからね」


 青葉さんはiステージを遠い目で眺めた。十七センチの青葉さんからすると、ビルの屋上から少し離れた公園を見下ろしているような感覚だろう。


「それに私、大人だしね。子供の輪に混ざるのもちょっと」


 俺の勘違いかもしれない。けど、どこか寂しげに感じたので、タブレットでアイドルフォームにチェンジした。一瞬で十六歳になった青葉さんは、蘇った羞恥心で顔を赤く染めた。


「ちょっと、こら! ……私が二十六歳だって事実は変わんないんだからね。わか」


「わかってますよ」


 青葉さんはムッツリして視線を落とした。


「青葉さんって、高校生のころどんなだったんですか?」


「え、なに、いきなり」


「何となく気になって。ほら、なんかやたら古いアイドル好きって言ってましたよね。どんな変人だったんだろうって」


「あのねえ……」


 ため息をついてから、青葉さんは座り込んで膝を抱えた。


「古家さんはねえ、ちょうどこの年……高一の時ネットで動画見てね。それが切っ掛けでハマったの」


「へえ。話題合わなかったでしょうね」


 俺も好きなアニメや漫画が旬の物とちょっとズレてるんだよな、いつも。オタクグループでも趣味が合うやつは中々いない。友田も山田も、iドールより人間のアイドルが好きだったりするし。最近はトライムとかいうグループに熱を上げてたっけ。


「まあね。みんな現役の、流行のやつのことばっかだったから」


 オタクと同じだな。


「だけどね、私は古家さんの曲、すごくいいなと思ったし、それでいつも元気をもらえたの」


「それで、そのアイドルに憧れて、歌や振り付けをひっそり練習したんですね」


「そうそう、ヒトカラで……ってなんで知って……」


 青葉さんは苺みたいに赤くなった。ていうかこっちが驚いたんだけど。突っ込み待ちのネタだったのに。


 墓穴を掘ったらしいことに気づいた青葉さんはやや涙声で


「ごめん、今の忘れて、ナシ」


 と言ってきたが、もう後の祭りだ。


「なんだ、好きだったんじゃないですか。アイドルごっこ」


「っなわけないでしょ! 違うのさっきのは! 持ち歌! カラオケの! そう! それだけ!」


「『命令。ライブしてください』」


「……っはい。ってちょっと待って、ヤダ、取り消して!」


 好きなものを我慢するのはよくないですよ青葉さん。特に今は努めて精神を健康に保たなければならない時……。そう、これはストレス発散。メンタルケア。俺は青葉さんをiステージ脇のくぼみにセットした。ライブ指令を受けた青葉さんはステージ中央に駆け寄った。クルミと里奈がやや驚きをもって迎え入れた。


「えっ、青葉さんライブするんですか? リンくん居る時はしないって」


「あああそれ言わないでえぇっ!」


 やってたんかい。日中。


「私も私も! 一緒にやろっ!」


「違うの! お願い止め……青葉メグミ、『ジェムストーン』いっきまーす! ……ぎゃあああ!」


 青葉さんは必死の抵抗も空しく、ノリノリでライブを開始した。顔は終始真っ赤だったが。クルミと里奈が乗っかって、一緒に横で踊り始めた。さながら三人組のアイドルグループのようだ。気を利かして里奈もアイドルフォームに変更。「リリーナ」は嬉しそうに笑って、俺にウィンクした。できれば見ていたかったが、俺には大事な編集作業がある。よって何も見えない聞こえないのだ。


「ちょっ……君! 増田くん! 取り消し……今日からあたしはプレシャスストーン 男も女も鳥も木も あたしの光が照らしちゃう♪」


「まぶしーっ」


 たまにクルミとリリーナが適当な合いの手の入れているのが聞こえる。うーん、素晴らしい作業用BGMだ。いい動画ができそう。


「あうぅ~、このっ……お洒落の魔法 ガールズカット☆……うわーん」

 愉快な音楽の力を借りて、俺はリリーナのデビュー動画を完成させた。






 土曜の昼にアップされたリリーナのライブ動画は大ヒットを記録した。再生数はうなぎ登り、あちこちのSNSやブログで拡散、紹介されていった。「神調教すぎ」「シンギュラリティ到来」などの賛辞がそこかしこに溢れかえった。評判は上々。反響も大きく、土田さんによると既に各種の問い合わせが殺到しているらしい。


 アップされた自分の動画を見る里奈の表情は嬉しげでも、その瞳は哀しげだった。何故かと問うと、


「人間の時の私の動画より伸びてて、なんか悔しいな、って」


 と答えた。確かに、里奈のMVより既に再生数は上だ。里奈はまだデビューしたばっかりだから、しょうがないと思うけど、本人からしてみれば、人間としての自分の存在を否定されたようにも感じるのかもしれない。


「いやあ、それは単に動画の存在を知った人、母数の問題だって。里奈はデビューしたばかりだからしょうがないって。里奈のライブがよかったらウケた、ってのは変わりないよ」


「そうだね、自信持っていいよね。人間の私もここまでやれる可能性があるんだってことで」


「おお」


 人差し指でハイタッチ。それでも俺の指の方が里奈の右手全体より大きかった。里奈も早く元に戻れるといいな。犯人とその関係者は必ずこの動画を見たに違いない。そいつらにだけは、リリーナの正体がドール化した黄木里奈だとわかるはずだ。必ず接触を図ってくる。


「動画の人気って、ナニで決まるんですか?」


 クルミが突然、俺に疑問を投げかけてきた。


「何、って言われても」


「点数出てないですよね?」


 そうだな。アップした動画には、点数が確認できる映像を入れなかった。


「人間って、点数がなくてもライブを評価できるんですか?」


 え、何それ。iドールって点数でしか良し悪し判断できないの? ……いやまあ、確かにライブを点数で評価するのがiドールのシステムだけどさ。


「うーん、人間はまあ、感覚というか……心で決める感じ?」


 里奈が俺に代わって答えた。俺も付け足した。


「ライブを観た時、どれだけ感動したか、っていうのが判断材料かな」


「なるほどですー。私が里奈ちゃんのライブを見てすごーい、って思った時のすごーいがすごさなんですね」


 何だよ出来てるじゃねーか。……っと突っ込みそうになったが、iドールは結局AIだし、クルミの「すごーい」もiドールの点数評価システムに基づいてのもの、なのかもな。


 そう考えると、点数で勝負するのがiドール、聴いた人の心をどれだけ動かせるかで勝負するのが人間のアイドル、って感じか。


 そんなことを話しているうちに、土田さんから電話がかかってきた。犯人か!?


「あー増田くん? 私私。今捜査本部でね、アカウントに送られてきたメッセージをより分けてるんだけど、このゾンドって人、知り合い?」


 ゾンド氏からのメールがパソコンに転送されてきた。内容は「オオハタから取り戻せたようで何よりです。初動画は想像以上の出来で云々かんぬん……」といったもの。


「ああ、リアルフレンドですよ」


 俺は馴れ初めを説明した。ゾンド氏は事件とは関係ないだろう。あったらファミレスでオオハタから里奈を奪っていたはずだ。あくまでただ調教がいいだけのiドールだと思っているだろう。


「わかった。また進展あったら連絡するねー」


 電話を終えた俺は、またネットでリリーナの感想を眺める作業に戻った。大半はリリーナのパフォーマンスと、調教のすごさを称えるものばかりだが、たまーに編集や演出を褒めるものがあると、俺の心は弾んだ。褒めろ、もっと褒めろ。ただ不満が一点。プロデューサーとアカウントの名前が「つっちーP」になっていることだ。イラッとする。


「イラッとするわね、これ」


 青葉さんが「超大型新人つっちーP」の文字列に反応した。俺と青葉さんは顔を見合わせて、笑った。吹っ切れたのか開き直ったのか、青葉さんは休日、家に俺がいても、他の二人に頼まれるとライブするようになった。最も、その際は俺に部屋から出ろと言ってくるが。特に抗議はせず、俺は素直にリビングへ下りることにしていた。無駄に喧嘩するのも馬鹿馬鹿しいし、何としても見たいってワケでもないからな。俺は青葉さんが二人に溶け込んで、楽しくやれるようになってくれればいいと思っている。今回の動画作成の過程で改めて痛感したが、人形でいることには少なくない不安やストレスがあるのだとわかったからだ。事件が解決して元に戻れるまで、出来る限りサポートしていってやりたい。


 リビングにいる間は家事を片したり、タブレットで古家良子の歌や動画を漁ったりしていた。青葉さんが好きだというのならきっといい歌だったのだろうと思ったからだ。いくつか聞いているうちに俺もハマってきた。興味が湧き、本人の経歴も調べたところ、五十代の内にガンで亡くなってしまったようだ。青葉さんが言っていた通りだな。生きていたら今頃大御所として歌番組に出演していたのだろうか。見てみたかったな。


 世代が違えば、生でライブを見ることはできない。当たり前のことが、何だか理不尽に思えてくる。ただ時代が違ったってだけで、俺も当時のファンと同じようにファンなのに、俺には権利が与えられないのか。昔の人だと、画質の悪い映像しか残ってないしなあ。そのうちの一つが、倉庫で戦ったリョーコのコピー元と思われる動画だった。あいつのライブ、良かったな。今思えば、まるで古家良子本人のライブみたいだった。だからこそ、彼女のファンである青葉さんが必要以上に緊張してしまったのだろう。しかし、リョーコをあそこまで鍛えた犯人は素直に尊敬に値する。よほどの腕と熱量がなければ、この動画からああも完璧にコピーさせるのは至難のはずだ。ライブ内容はおろか、名前も同じだし、犯人は相当な古家良子推しであることは疑いようがない。






 週明けから、いくつかの取材やオフの誘いに、土田さんと青葉さんが出向くことになった。土田さんは「つっちーP」として、青葉さんはリリーナのモデルをコピーして、「リリーナ」役を演じる。本物の里奈は俺の家でクルミと遊んだり、歌やダンスの練習、或いは遅れていた学校の勉強に励んだりしていた。俺はもうお役御免といった感じだった。俺は一般人で事件の当事者でもないから、至極当然の成り行きではある。でも仲間はずれにされたような疎外感は否めなかった。


「ただいまー」


「お帰りなさーい」


 二階に上がり、自室に入るとクルミと里奈が迎えてくれる。二人はパソコンの横で石化している。返事はスピーカーから飛んできた。バーチャル空間に入ったらしい。どうやって入ったんだ? 片方なら残り一人が操作したのだとわかるけど、二人ともなんて。


 徐に画面を覗き込むと、広い草原が映っていた。iドールに対応したバーチャル空間はライブ会場だけではない。都会や田舎、山や海、雪原といった様々な自然環境を再現した、cosワールドがその一つ。本来は人間がVRゴーグルをつけて主観視点で楽しむオンライン空間なのだが、半年前にiドール対応してからは、持ち主とiドールが同じサイズでふれ合える空間として盛況している。ふれ合えると言ったが、厳密には触れない。人間は実際にバーチャル空間に入ったわけじゃないからな。それでも目の前に同じサイズで存在しているかのように感じるし、同じ目線で会話もできるので、かなり大人気のようだ。残念ながら俺はVRゴーグルを持っていないので入れない。


「こっちこっちー」


「こっちですー」


 里奈とクルミが画面の中で手を振った。都会エリアの喫茶店にいる。里奈は青葉さんのアイドルフォーム姿だ。身バレ対策か。……いいのかな勝手に使って。青葉さん怒らない? いや当事者間で許可はもうとってるのかな。


「ああ。cosワールド、いつインストールしたんだ?」


「色々バーチャルステージいじってたら見つけたの。一緒にパッケージングされてたみたいだよ」


「え、マジで」


 里奈のライブを撮るために買った、バーチャルステージのソフトに入っていたらしい。周りにアバターが大勢いるので、ローカルじゃないな。ネット接続しているようだ。


「滅多にない体験だよ、これ。cosワールドに本当の意味で入り込んだ人、私が始めてじゃない?」


 里奈は大分興奮していた。この様子だと、cosワールドはそこまで現実とかけ離れてはいない感覚を提供している、と考えていいのかな。すげーな。だけど彼女が心配だ。体に影響はないのか。


「大丈夫か、そんなとこ入って」


「いや~。私も怖かったけど……。高橋先輩かも、って思ったら、いてもたってもいられなくなって……。どうしても、生で確認したくってさ。あ、『生』って言い方は変かもだけど」


「え、誰? 高橋?」


「あ、ゴメン。ニュースサイト見てない?」


 俺はスマホで今日のニュースの中から、cosワールド関連のものを探した。ヒット。「謎の神調教iドールが路上ライブ」……?


 詳細を確認すると、今日の午後一時ぐらいに、cosワールド内でiドールが路上で突然歌いだしたらしい。ワールド内にはいくつか、iドールが歌うことを許可されているスポットが配置されている。だからそれ自体は別段おかしなことではないものの、今日現れたドールは人間と見紛うばかりに自然で、生き生きとした動きを見せていたとか何とか。動画も上がっている。


「うわ」


 思わず息が漏れた。里奈や青葉さんに匹敵するくらい、人間っぽい動作だ。まさか青葉さんが……? いやそんなわけはない。青葉さんは今、土田さんと一緒に、鴨と応対中だ。無論、話の流れからして、里奈でもあるはずない。しかし、トップクラスのPVを誇る有名なiドールでもここまで人間に近づいた子はいないだろう。リョーコ以上だ。


「ね、すごいでしょ?」


 前提が共有されたのを見計らって、里奈が説明を始めた。


「その人、私と同じ事務所の先輩に似てて……。あ、見た目がじゃなくって、なんとなく、人柄というか雰囲気がね。それで、もしかしたらiドールにされた高橋先輩なのかも、って」


 ああ、そういうことか……。話はわかった。


「それで、結局どうだったんだ?」


「わかんない。現場には行けたんだけど、すごい人だかりで近づけなかったし、その人ライブ終わったらすぐログアウトしちゃったから」


 行方不明になったアイドル達が全員iドールになっているのなら当然、「人間のiドール」は里奈と青葉さん以外にも大勢いるだろう。てっきり全員、犯人の手に落ちたものと思っていたが、里奈みたいに犯人から逃れた人が他にもいたのだろうか。俺の場合、ファーストコンタクトが警察官の青葉さんだったからスムーズに話が進んだけど、そうでなかったら「警察に言っても信じてもらえるわけがない」と考え、隠れている……というのはなるほど、不自然な話じゃない。人間のドール化に関しては、まだ報道されてないしな。


 とにかく、土田さんに報告しておこうか。






 俺はメールを送信した後、改めて気になっていたことを尋ねた。


「ところで、どうやって二人とも入ったんだ? パソコン操作は誰が?」


「一人で入るの怖かったから、クルミちゃんと一緒に入ろうと思って……。マウスをね、接続のとこに置いといて、ペンでクリックしたの」


 ああ、大体わかった。しかし無茶するな。俺が帰るまで出られないじゃん。


「ライブ終わった後、二人で色んなエリアに行ってきたんですよー」


 クルミは小さな子供みたいに、あれこれ楽しそうに報告してきた。多分二人とも出られないことに気づいてないぞ。


「暑さとか寒さとかは流石に無理だねー。これも食べられないし」


 カメラが動いて、テーブルのジュースを映した。ま、ただのVR空間だからな。味覚だの温度感覚だの、そんな機能実装しているわけがない。


「そういやさ、そっちからは俺のことどう見えてるの?」


「空間にウィンドウが浮いてる感じ?」


「え、それ周りの人に俺の部屋見えてんの!?」


 焦った。二人の後ろには他にも大勢のアバターやiドールがいる。


「他のアカウントには見えないですよー。フレンドだけです。だから大丈夫です」


 クルミの言葉で安心できた。なら平気だな。


「マスター、土田さん以外にフレンドいませんもんねー」


「うるさいな」


 そう。登録名「リンタP」、ID「リンタ0609」でアカウントだけ作って、あとは放置してあった。クルミが来てまだ二週間弱、上げた動画はゼロ。フレンドがいないのは当たり前だ。


「これから晩御飯作るから、そろそろ出てこい」


「はあーい」


「……」


 里奈はちょっと青ざめていた。自力では現実世界に帰れない状況下にあったことに、今気づいたらしい。やれやれ。


 二人をログアウトさせ、接続を切った。端末にセットされていた現実の二人が息を吹き返す。


「うわっ、これっ……」


 里奈が両手で体中ペタペタまさぐった。


「全然、違うね。やっぱりこっちがいいな」


 VR空間にはなかった感覚を取り戻したことで、少し混乱したらしい。「えへへ」と照れながら笑うその顔に、不意に心臓がドキッと大きく鼓動した。青葉さんはああいう表情しなかった……。


「ん?」


 里奈は天真爛漫な顔で少し身を乗り出した。青葉さんの姿で青葉さんがしない仕草をとられるとギャップに戸惑ってしまう。俺はタブレットで里奈をデフォルトに戻した。


 青葉さんは今どうしてるんだろ。タブレットでモデルをリアルタイム表示した。取材の合間か、終わったのか、「リリーナ」のままブスッとして寝転がっている。土田さんにブツクサ文句を言っている光景を想像すると、小さな笑いがもれた。俺は俺にできることをやろう。俺は里奈とクルミを端末から外してiステージに置き、晩御飯の準備に取りかかった。






 風呂から上がると、フレンド申請が来ているのに気づいた。二つ。片方はゾンド氏。何でだ? リリーナの動画を上げたアカウントはつっちーPなんだけど。どこから?


「なあ。この人、知ってる?」


 俺は里奈とクルミを机の上に置いて尋ねた。


「あ、公園エリアの人だ。こっちも公園で会った人」


 二人が今日、「リンタP」でcosワールドに入って、高橋先輩(?)のライブを観ている時に会ったらしい。じゃあ、リリーナの正体がばれたわけじゃないのか。一安心だな。だがゾンド氏のフレンド申請のメッセージを開くと、


「リリーナに会えて光栄でした。裏アカなのはわかっていますが、よろしければフレンド登録しませんか? 誰にも言いません」という趣旨の文章が丁寧に書かれており、俺は戦慄した。里奈の立ち居振る舞い、仕草から「中のAI」がリリーナだと気づいたのだ。マジで!?


「なあ、このゾンドって人に、リリーナのこと」


「話してないよ、話してない! ……でも、ごめんね。バレちゃって……」


 里奈は顔面中汗だくだった。クルミは「人間ってすごいですねー」と他人事のように感想をもらした。


 まあ、ゾンド氏はいいや。首都圏住みじゃないし、いい人だから犯人とは関係ないさ。さてもう一人は……「蓬莱人」さんか。知らねえ。いくつかのSNSで簡単に検索したが、それっぽいアカウントはない。クルミによると、物知りで親切な人だったらしい。里奈もそれを肯定した。


 変に拒んでも怪しいか? どうする。ゾンド氏の申請はリスク上、却下できない。既にリリーナだとバレてるからだ。下手に気分を害して「リリーナにフレンド申請したけど拒否られた」だなんてSNSにでも愚痴られたら面倒極まりない。蓬莱人さんは……。コイツは、里奈が「リリーナ」だと見破ったのか? ゾンド氏にできたのなら、不可能ではないんだろうが。いずれにせよ、ここは一旦土田さんに報告を……。


 その時、パソコンの方からピコン、と音が鳴った。通知だ。どうやらcosワールドのマイルームに来客があったらしい。アカウント名は「蓬莱人」!?


 ちょうどいい機会だ。俺が見定めてやる。五分待ってくださいと返事してから、里奈には映らない位置にどいてもらって、クルミだけ接続した。これで蓬莱人と顔を合わせるのは俺とクルミだけ。リスクはないはず。


 cosワールドを起動すると、家具が一つもない真っ白な部屋が映し出された。今日、里奈がインストールしたばかりだから当然だ。その寂しい空間の真ん中で、クルミが口角を上げてワクワクしている。椅子ぐらい出してやるか……。お客も来るし。

 デフォルトの家具から椅子とテーブルを出して、適当に配置。その後、俺は蓬莱人を招き入れた。


「お邪魔しまーす」


 あれ。この声聞いたことあるぞ。誰だっけ……。すぐにドアが開いて訪問客がその姿を現したので、思い出す必要はなかった。


 艶のある白髪と褐色の肌。黒いゴシック調の服装に身を包んだiドール。


「わーい。お久しぶりですー」


「お前……ッ!」


 リョーコは俺に……画面の外に向かって不敵な笑みを浮かべた。全身から嫌な汗が流れ始め、俺はパニックに陥った。生きていたのかコイツ。ヤクザに粉々にされたんじゃ。いやそれよりコイツ犯人のiドールだよな? 俺の家バレたぞ。いやリアル住所は割れてないはず。落ち着け。今現在、里奈の所有アカウントがつっちー1103じゃなくてリンタ0609だと特定されただけだ。いや不味いな。囮捜査が無駄に……いや成功したってことだろコレは……。いやなぜ土田さんじゃなく直接こっちに……。囮……そうか!


「ふふふっ、流石人気アイドルグループ『トライム』のセンターだけはあるわよね。抜群の集客力だと思わない?」


 自分を狩る側だと思っている奴ほど狩りやすいというが、まんまとしてやられた。まさか犯人側が、捕らえたアイドルを餌に、俺たちを誘い出そうとは。


 異常事態が発生していることに気づいたらしい里奈が近づいてきた。そして画面を見るなり大きく目と口を開いて絶句した。リョーコはクスクスと笑い、


「警察に連絡すれば、アイドルたちの命はないわ」


 と冷酷に告げた。丁度土田さんに連絡しようとしていた俺は、歯ぎしりしてリョーコを睨みつけた。だが画面の中のリョーコに、俺は何一つ手出しできない。追い出してブロックすることは可能だが、向こうが攫ったアイドル達を人質にとるのでは、そうもいかない。


「リョーコちゃん、バラバラになっちゃいましたけど、大丈夫だったんですかー?」


 クルミはリョーコと同じ世界にいるが、だからと言ってどうしようもないな。


「ふふふ、心配してくれてありがとう。でもね、あれ、私の台座じゃなかったの」


「どーゆーことですかー?」


「あれはね、私のAR映像を投影するだけの空台座よ。私本人はずっとマスターの家にいたの」


 何だって。そんな機能知らないぞ。コイツは特別製なのか? 待て、マスターって言ったな。ほぼ間違いなく、アイドル失踪事件の犯人だろう。よし、こうなったら逆にこいつから犯人の情報を引きずり出してやる。そう決意した瞬間だった。


「知りたいでしょう? 私のマスターのこと」


 リョーコはクルミから画面の外……俺に顔を向けてそう言った。くそ、お見通しか。容易には口を割らないだろう。ていうかコイツは何しに来たんだ。里奈を奪いにきた……んだよな? こうしている間に裏でハッキングされているとか? だとしたら切断したいが、今逃げれば攫われたアイドル達がどうなるかわからない。こうなりゃ危険は承知で、こっちも踏み込んでいくしかない。


「だからね、一つ提案があるの。勝負しない? 君と私のマスター、互いの個人情報を賭けて……ね」


 おっと……そうきたか。青葉さんは今いないが、里奈がいる。里奈なら多分勝てるだろう。だがその事は向こうも承知のはず。であれば当然、入念な準備をしてきたはずだ。


「お前が本物の情報を賭けるという根拠は?」


「この間、ちゃんと黄木里奈をアンティにしたでしょう。マスターはちゃんと約束は守るわ」


 あの時はお前らも切羽詰まっていたから、仕方なくそうしたんだろうが。今回は圧倒的にこっちの立場が下だから、わからないぞ。アイドル達を盾に迫れば、こっちに拒否権はないんだからな。


「わかった。やる! 私、やるよ!」


 里奈が叫んだ。俺が「でも」と言いかけると、彼女は力強い眼差しで俺を見上げた。本気だ。もう覚悟を決めている。自分を何日も拘束していた相手なのに、怖くないのか。


「この前も言ったよね」


 そうだった。囮捜査に立候補した時。里奈の知り合いも大勢、こいつらに囚われている。許せないし、力になりたい、そう言っていた。


「わかった」


 グズグズしていても仕方がない。もとより拒めない勝負、本人の決意が鈍らないうちにやってしまおう。里奈なら大丈夫。きっと勝つ。


 リリーナのモデルにチェンジ。金髪のポニーテールに、緑の妖精風ドレス、美しい蝶の翅。里奈自身の引き締まった表情が、気高さと威信を醸し出す。


「オーケー。ステージを用意しなさい」


 ん? こっちのステージでやるのか。オンラインバトルだからネットでやるのかと思ったが……。ああ分かった。俺の監視も兼ねているのか。


 俺はiステージを持ち運ぶ際、一計を案じた。ステージ前面がパソコンのカメラ、即ちリョーコの目から見て正面になるように設置したのだ。


「いいわ。オンラインに」


 やった。うまくいったぞ。リョーコには至って自然に映ったはずだ。だがこれで、iステージはこの部屋のドアと背中合わせになった! ダンス中、リョーコは俺を視認できないのだ!


 ステージを起動し、ネットに接続。リョーコはcosワールドからログアウトし、画面から消えた。直後に、俺のタブレットにオンライン対戦の申し込みが届いたので承認。リョーコはiステージにAR映像として姿を現した。


「勝負形式だけど、ダンスバトルでどうかしら」


 ライブバトルじゃないのか。ヘルプによると、ランダムに選択された曲で同時に踊る形式らしい。歌は無し。振り付けは即興か……。こりゃ圧倒的に里奈が不利だ。ほぼ間違いなく、リョーコは全ての曲のモーションデータを用意したと考えるべきだし、仮にダンスの技術に大差なかったとしても、その場合先にミスした方が負ける耐久勝負ってことになる。……iドールは「ミス」なんてしない。するのは人間である里奈だけだ!


 これが、リョーコの人間対策か。


「うん、わかった」


 里奈はあっさりと承諾した。不利な勝負であることに気づいているのかいないのか。


「大丈夫。必ず勝つから」


 俺の不安を察したかのように、里奈はハッキリと宣言した。その凛々しい顔を見ていると、全部杞憂だったと思えてくるのだから、本物のアイドルというのは凄いな。


「私も生で見たいですー」


 クルミが画面内から叫んだ。自覚はないだろうが、ナイスアシストだ。俺は「わかったわかった」などと呟きつつ、クルミをログアウトさせ、その流れでcosワールドを終了した。リョーコは何も言わない。上手くいったぞ。パソコンのカメラはもう気にしないでいい。


 クルミは観客席に置き、里奈の台座をステージ端にセット。里奈はステージ上に歩み出た。青葉さんは自信がなかったから、安心させる言葉が必要だった。でも里奈はそうじゃない。なら……。


「頑張れ。里奈ならやれる」


 と俺が声援を送ると、里奈はニコッと笑って手を振った。足取りは確かで、その笑顔に不安や後悔は微塵も混じっていない。青葉さんとは全然違う。やっぱ舞台慣れしてるんだな。


 ステージ中央で里奈とリョーコが向かい合った。


「あなたの動画、すごい反響よね。人間の時よりも」


 里奈はムッと眉根を寄せた。挑発も、相手が人間だからこそ通用する手法だ。想像通り、準備万端ってわけか。里奈はこれに対し


「ふふっ、ありがとう」


 とだけ返した。ああ、それでいい。


 俺はタブレットでアンティを設定した。賭けるのはアカウント作成時に入力した名前や住所等の個人情報。画面を見る限り、相手もキチンとアカウントの個人情報を賭けたようだが……。偽物の可能性が高いかな、やっぱり。それでもこのバトルから降りることはできない。俺は了承して、バトルを開始した。


「ダンスバトル!」


 アナウンスと共に、ARの観客とDJがステージに現れた。ARDJが曲を選択するようだ。


「曲は『スカイ・イン・ザ・ハイ』だ!」


 機械的なシステムアナウンスとは正反対の、陽気な口調でARDJが叫ぶ。やべ。聞いたことない曲だ。


 里奈は両手で握りこぶしを作り、小声で「やった!」と漏らした。良かった。本人は知っているらしい。ここ一番で運を味方につけるあたり、本当に「アイドル」って感じがする。


 ステージ中央を挟み、二か所の床に四角い模様が浮かび上がった。ダンスエリアだ。


 里奈とリョーコはそれぞれ自分のエリア中央に立ち、互いに視線をぶつけ合った。今だ。俺はさりげなくiステージの後ろに下がった。


 曲が流れ始めると、即座に二人が曲調に合わせて踊り始めた。観客が沸き、互いの点数が加算されていく。二人のダンスは大まかな動きが似通っていたが、里奈の方が情熱的だ。心に訴えかけてくる。アップテンポの曲調に合わせて、キレのある動きを……あ、俺この曲知ってるぞ。中学の時、なんかのCMで流れていたやつだ。


 リョーコのダンスも非常によく出来ていたが、それだけだ。また誰かのコピーをしたのだろう。自分の踊りに昇華できているようには見えなかった。


「里奈ちゃんファイトー」


 クルミが叫んだところで、俺はゆっくりと後ろへ下がった。十七センチのリョーコには、巨大なライブ会場の裏手にいる俺の様子は見えないはず。バトルの真っ最中だしな。気配……音さえ聞かれなければ大丈夫だ。


 後ろへ手を伸ばし、空間をまさぐりながら一歩、二歩。手がドアノブを捕らえた。ゆっくりと回し、静かにドアを開く。


 ただ一人俺を視認できる角度にいるクルミに向かって、「シーッ」と黙っているようジェスチャーし、俺は部屋から脱出した。頑張っている里奈を置いていくのは心苦しいが、仕方ない。


 音をたてないよう、慎重に階段を下りて、一階へ。トイレに籠り、俺はスマホで土田さんに電話をかけた。焦りと罪悪感が心臓の鼓動を早めていく。


「はい土田です。どしたの?」


「増田です。あの、えっとですね、緊急事態です。あでも静かに聞いてください」






 囮捜査を無駄にしてしまったので、てっきり叱られるかと思っていたが、土田さんは真面目に俺の話を聞いてくれた。通話を切らないでおくよう指示し、「すぐ行くから」と言って、低くてゴツイ声の人に交代。その人と簡単に言葉を交わし、報告は一旦終了した。後は待つだけだ。


 俺はトイレから出て、また音を立てないように、用心して階段を上った。そっと俺の部屋のドアを開け、中へ。


「みんなありがとー!」


 里奈の声が木霊した。どうやら丁度バトルが終わったらしい。危なかった。報告に時間かけすぎだ。俺が要点を抑えて簡潔な説明ができればよかったのだが、慌てていてそうもいかなかった。


 俺はさもずっと見ていたかのように、「よかった! よくやったぞ!」などと言いながら拍手した。クルミ以外にはバレてないはずだ。


 ステージの前に移動し、結果を確認する。リョーコの点数は八一二二点。里奈は八六三八点。里奈の勝ちだ。


「ねえねえ! どうだった? 私のダンス!」


 里奈は汗でびっしょり。肩で息をしつつ、目を輝かせて俺に尋ねた。胸がチクリと痛む。本当にごめん。俺は見ていなかったんだ……。


「最高! 最高だった!」


 それでも、俺は屈んで里奈を称えた。嘘をつくのは心苦しいが、少なくともリョーコがいる間はバラせない。


 里奈は満足そうに微笑み、その場に座り込んだ。ヘトヘトになるまで頑張ったのに、その場にいてやれなかったのが後ろめたい。


「……まあいいわ。勝っても負けても同じことだったから」


 リョーコは平静だった。やっぱり、嘘の個人情報だった、てことか。タブレットを確認すると、「蓬莱人」アカウント情報のファイルが俺に送られている。リョーコを睨みつけつつ、開いてみた。名前は「森田健一」。住所は葛飾区……。


「カタメホビー本社勤務、技術部長。iドール開発の責任者よ」


「っ!?」


 驚くべきことに、リョーコはマスターの個人情報を開示した。それもファイルにない追加情報を!


「あ、そうそう。伝言を預かっているから言っておくわ」


 続けて、リョーコは機械的な口調で


「マスターからリンタPへ。ドール化した黄木里奈を連れて、これよりカタメホビー本社へお越し下さい。このことは警察および他者には知らせず内密に、あなた一人でお願いします。今日の日付が変わるまでにお見えにならなかった場合と、警察に知らせた場合は、アイドル達の無事は保証できません」


 と告げて、ログアウトし消えた。






 俺と里奈は揃って青葉さんと土田さんに説教された。こってり絞られた後、対応協議に入ったが、結論は決まっている。行くしかない。アイドル達の命がかかっている。それに、これは決定的な証拠をつかむ、絶好のチャンスでもあるのだ。


 警察の人たちがバタバタと慌ただしく準備に奔走している間、俺は青葉さんに改めて謝った。


「本当にすみません。そんな格好して取材に応じてまで、囮捜査を頑張ったのに……」


「いや、悪いのは引っかかっちゃった私で……え?」


 里奈は何か言いたげに俺を見た。あ、不味い。そんな格好とか言っちゃった。今里奈もまったく同じ姿をしているのに。


「あ、いや、リリーナの格好はすごい可愛いと思うよ。ただ青葉さんはモデルそのものをゴッソリ切り替えたから、大変かなと」


 俺は慌てて里奈に向かってフォローしつつ、青葉さんにも「二六歳でその姿をしているのが恥ずかしいだろうという話ではない」のだと補足した。


「あ……うん。もう終わったことだし、しょうがないわ……。取材の相手、来なかったしね。服装、元に戻してもらえる?」


 青葉さんは力なく言った。俺は青葉さんをリリーナの格好から青葉さん本来の、警官姿に切り替えた。表情が沈んでいる。そういや確かに、タブレットで覗き見た今日の青葉さんは、取材を受けているって感じじゃなかったな。


「直前キャンセルなんて失礼な話ですね。誰が相手だったんですか?」


 これに答えたのは土田さんだった。


「森田健一。カタメホビーの」

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