第二章

 朝食、掃除、洗濯。土曜の朝は仕事が多い。俺の両親はもう三年前から家事は俺に任せきりだ。一通り終わった後、青葉さんを昨日土田さんが登録した姿に変更した。十六歳設定で水色の長髪、青と白のドレス風衣装、白ニーソ、青いリボンの靴。そしてリボンカチューシャ。


「この格好じゃないとダメ?」


「手持ちのステージ衣装で唯一の課金装備ですし。それとも、元の姿でアイドルごっこしますか?」


「あーいや、それもちょっと……」


 ドレスアップしてモジモジしながら恥じらう青葉さんは中々可愛らしかった。黄木さんにもひけをとらない。


「とりあえず、何か歌ってみてくれませんか」


「え、えーっと……まあ、そうだよね」


 青葉さんは軽く喉を鳴らした後、頬を赤く染めつつ、照れくさそうに歌い出した。


「う~さ~ぎーお~いし~、か~の~や~ま~」


 何故「ふるさと」……。さては高校生に「なんて曲ですか?」「うわふっる」等と言われるのを恐れたか。それはさておき、歌は普通に上手い感じだった。カラオケ好きそう。


「歌上手いですね」


「いや、そんなことないって。でもありがと」


 青葉さんは両手をプラプラさせながら照れ笑いした。何だろう、クルミより数段かわいく見える。「恥じらい」か。


 取り急ぎ曲を決めよう、ということになり、サンプル曲を二人で聴いて検討した。


「なんか、その、キャピキャピした曲多いね……」


「キャピキャピ?」


「ごめん、忘れて」


 仕事人生だった(?)二十六歳女性がノリノリで歌うのは少し憚られる曲ばっかりなのは同意する。人形用だもんなあ。アニメキャラがCGダンスで歌うのが一番しっくりくるな。


「君はどれを歌ってほしいの?」


 青葉さんは首を反らして俺を見上げた。振り付けの難易度が低いやつがいいだろう。それでいて歌詞の痛さが低いやつ。


「俺は『ジェムストーン』がいいんじゃないかと思いましたけど」


「うーん、でもあれ、その、私には合わないんじゃないかな」


 どうやら歌詞がちょっと恥ずかしくて嫌らしい。俺は普通だと思ってしまったのだが、どうもアニオタと一般人の間でズレがあったようだ。とはいえ、これ以上まともな歌も手持ちの曲にはないと思う。


「いや、今のかわいい青葉さんならピッタリですよ。全然いけますって」


「え~、そ、そうかな……」


 表面上は嫌がるポーズをとり続けているが、赤くなりながら満更でもなそうな表情を見せた。俺はこのまま褒め殺して押し切った。






 俺達は早速歌の練習を始めた。まずは覚えないと始まらない。


「……男も女も鳥も木も、あたしの光……で照らし……ちゃ……」


 歌はすぐに朗読になり、あっという間にたどたどしい読み上げまで萎んで、青葉さんは顔を伏せた。やっぱり恥ずかしいらしい。


「青葉さん……」


「ご、ごめんね、ちょっとタイム。ちょい待って」


 青葉さんは決まり悪そうな顔で、小声でぶつぶつ歌詞を読み上げた。一人にさせた方がいいかもしれない。俺は席を外すことにして、一階のリビングに下りた。


 テレビをつけると、やはりアイドル大量失踪事件のことばかり。青葉さんが恥辱に悶えながらも頑張ろうとしてくれているのも、事件解決のためなんだよな。真面目でいい人だ。そんな人に嫌な役目を押しつけて強制している自分がなんだか情けなく思えてくる。俺にできることはないか。そうだ、昼は何か美味しいものを作ってあげよう。青葉さんって何が好きなんだろう。買い物に行く前に聞いておこうか。俺はまた二階の自室に戻った。邪魔しちゃ悪いと、そっと静かにドアを開けたのがいけなかった。


「昨日のあたしはジェムストーン♪ 自分のことすら知らない子供♪ 今日のあたしは……」


 ノリノリで体を揺らしながら歌っていた青葉さんは俺を見て石になったかのように固まった。段々ルビーになっていく。


「あ、すいません、えっと……。良い感じだったと思うんで、どうぞ続けてください」


「~~~っ!」


 青葉さんは声にならない叫びを上げて、台座の上で七転八倒した。






 午後三時。リビングでおやつを食べながら、振り付けの動画をタブレットで確認していた。これから踊る。


 青葉さんはまた顔を赤らめていた。「これやんなきゃダメなの?」と言いたげだ。同じ曲で高得点を出しているiドール動画を見ると、観客に向けてファンサービス的な動作をしているのがハッキリわかる。ぐぐっと観客に向けて身を乗り出して笑いかけたり、合間に「ありがとー」と言ったり。もっと早くこういうのに気づければよかったな。


「ねえ、このウィンクとか手振り返すのとかいるの?」


「いると思います。黄木さんもしていたんで」


「そう……なんだ」


 青葉さんは両目をつぶって天を仰いだ。本当にすみません。






 台座のままでは踊れないだろうと、iステージに接続した。青葉さんは台座から恐る恐る一歩踏み出し、ステージに足をつけた。顔がパアッと輝き、俺を見て言った。


「出られた!出られたよ!」


 フリルとリボン満載のアイドル衣装も相まって、はしゃぐ姿は幼い子供のようにも見えた。今まで自分を封じ込めていた台座から離れられたことがよっぽど嬉しかったに違いない。ステージの上で走ったりジャンプしたり、靴裏を愛おしそうに眺めたりして、落ち着くまでしばらく待たされた。まあステージの外には出られないし、接続を外すときはまた台座に封印される運命なんだけど。黄木さんやドール化されたアイドルたちも相当苦しいのに違いない。何しろ警察官でもコレだもんな。


 練習モードだから観客や派手なステージ演出などは投影されない。ただのステージの形をした台だ。ランウェイ上にタブレットを立てて、青葉さんが手本動画を見られるようにした。


「一人の方がやりやすいですか」


「あ、うん、そうだね。ごめんね」


 青葉さんは両手を合わせてウィンクしながら謝った。もうできてる……。立ち振る舞いがそれっぽくなってきた気がする。肉体年齢や服装に引きずられているのだろうか。それとも台座から下りられたことでテンションが上がっているだけか。だろうな、きっと。






「ちょっと休憩しましょうか」


「うん」


 青葉さんは大分疲れていた。初日からガッツリ進めたからなあ、仕方がない。ダンスはまだまだ恥じらいが抜けきらず、ぎこちない。だが見たとこ、課題はそれだけに感じた。警察官だけあって体力や運動神経は悪くない。体も柔らかいようだ。結局、青葉さんが恥じらいを捨てて吹っ切れるか否かの勝負になりそうだ。


 俺がちっちゃなコップにお茶を入れてステージ上に置くと、両足を広げて座ったまま、青葉さんが言った。


「ねえ。普通のiドールって、こういう風に、その……人間みたいに飲み食いするの?」


「食べることもできますよ。充電でも大丈夫です」


「ふーん……」


 考えることは同じだった。青葉さんは「充電」できるのだろうか、と。


 早速、クルミの予備を使って、壁のタップと繋げてみた。ヤバそうならすぐ取り外せるよう、その場で待機した。


「どうですか?」


「あ……」


 青葉さんは最初に少し驚いたような顔を見せた。それから目を閉じ、段々安らかな笑顔にスイッチしていく。お腹をさすり始めた。微かに膨らんでいる……ように見える。


「ごめん、止めて」


 俺は即座に電源を引き抜いた。青葉さんは心底落ち込んだ風だ。何か不具合でもあったのだろうか。どういうメカニズムでドール化されたのかはわからないけど、やっぱ人間だもんな。


「あの、大丈夫ですか? お腹が破裂しかけたとか?」


「ううん。綺麗に八分目で止まったよ、もうお腹いっぱい。水分も摂れてる感ある」


「じゃあ……」


 何でそんな苦虫を噛み潰したような顔をしているんだろう。


「あのさ、私人間なの」


「はい、わかってます」


「なのに『充電』されて満腹になっちゃうのってさ……自分が自分でなくなっちゃったみたいで想像以上に怖いのよ。わかるかなー。人間じゃなくなっちゃった感じ……。私はロボットか、って」


「ああ、まあ……何となく」


「それに、味とかしないし」


 確かに。食事の楽しみがなくなるのは辛い。


「ねえ。今日の晩御飯って何の予定?」


「えっと、ハンバーグのつもりですけど」


「ちょっと遅くしてほしいんだけど、いいかな?」


 青葉さんはちょっぴり気まずそうに、お腹をさすりながらお願いしてきた。






 充電できる、と分かれば他のこともできるか試してみたくなるのが、実験好きな男の性だ。とりわけ気になるのが「停止」機能。昨日は布団に寝かせたが、iドールは寝ているとき、或いは家を長く空ける時には停止させる。停止したiドールは一切動かなくなり、物言わぬフィギュアと化す。停止中はiドールのAIも動いておらず、その間に起きたことはiドールにはわからない。あのオタクは黄木さんを停止させていた。つまりドール化した人間も「停止」することはわかっているのだが、その間に本人の意識が残っているのかが気にかかる。だとしたら辛く苦しいに違いない。意識があるのに体がまったく動かないのだから。その場合、ますますあのオタク野郎が許せない。なかったらないで、それもゾッとする話だ。本人にしてみれば僅か一瞬の間に何時間も、下手すりゃ数日、数ヶ月経っていた、なんてことも起こりえるわけだろ。まるで機械の電源をオンオフするかのように。さっき充電した時、青葉さんはロボットになっちゃったみたいで怖いと言った。停止させられるのも同じかそれ以上に恐ろしいことのはずだ。


 青葉さんにこのことを伝えると、心底嫌そうな顔を見せたが、実験には付きあってくれることになった。すみません本当に。


 タブレットから「停止」をタップすると、青葉さんは時間が止まったかのように動かなくなった。黄木さんと同じだ。俺は屈んで顔を近づけた。広がった毛先に軽く息を吹きかけてみても、微動だにしない。髪の毛の先から足のつま先、スカートのフリルまで、全てが石化したかのように固まり、動かせない。最初からこの形、ポーズで成形されたフィギュアのようだった。iドールに詳しくない人にこれを見せれば、それこそ単なる人形だと思うこと間違いなしだ。さっきまで生きて動き、俺と会話していたなんて到底信じられないぐらいのカチコチっぷり。


 俺が再度タブレット上の「停止」をタップして解除した。青葉さんは見る間に赤くなり、髪を手で触りながら


「こら! 変態!」


 と俺を罵った。髪に息を吹きかけたのが原因だろう。てことは当然、


「意識あったんですね」


「ええ。バッチリね」


 ワナワナと震えながら答えた。青葉さん曰く、五感と意識が全て通常通り機能していた、とのこと。ただ、体はどうしても動かせなかった。目線を変えることもできず、かなり苦しかったと責めるような口調で言ったので、俺は慌てて誠心誠意謝った。しかし許せないのはあのオタクだ。用事のないときは、恐らく逃げられないよう黄木さんを停止させていたのだろう。こうしている今も、黄木さんやアイドルたちが極限の拘束状態を強いられ、助けを求めて声にならない悲痛な叫びを上げているのかと思うと、堪忍袋の緒が切れそうだった。青葉さんも改めてそう感じたらしい。まだまだ吹っ切れてはいないものの、俺が部屋にいても歌やダンスの練習をやれるようになった。






 日曜日、午後のおやつ時。まだ硬いものの、青葉さんは通しで歌って踊れるようにはなった。簡単な振り付けとはいえ、青葉さん結構すごいぞ。アイドル向いてるかもしれない。そこで休憩を挟んだ後、文字通り次のステージに進んだ。iステージを練習モードから本番モードに。AR映像が投影され、ステージが派手な装飾と色とりどりの光に包まれていく。そしてドーム状の広い舞台が形作られ、すぐ観客で満員になった。ステージの上に立つ青葉さんは顔面蒼白になり、袖に引っ込んでしまった。


「無理無理無理ーっ」


 前言撤回。アイドル向いてない。


「あんな大勢の前で……前で私……やるの!? あれやるの!? この格好で人前に出るの!?」


「大丈夫ですよ。あれは全部ARです。本物の観客じゃありません。それに青葉さん可愛いから平気です!」


「君は上から見てるだけだからそんなこと言えるんだよ。私から見たらホントに本物にしか見えないから。サイズ的に!」


 歓声を飛ばすAR観客たち。俺から見ればぼやっとした小人の集団でしかないが、同じスケールでステージに立つ青葉さんには、本当に超満員のドームでライブさせられるかのように思えるのだ。確かにプレッシャー半端ないよな。ただの映像だとわかってはいても、実際にいるかのように見える精度だ。同じ大きさなら尚更だろう。でも黄木さんって堂々とやってたな。直前まで泣き叫んでいたのに。やっぱり本物のアイドルだから……いや違うだろ俺。「命令」だ。あのオタクはマスター権限を使い、命令して強制させていた。今、青葉さんのマスター権限は俺にある。同じ事ができるはず。でもいいのか? 本人の意思を無視して、無理矢理ライブさせるなんて。停止中でも意識があると言っていた。てことは命令しても急にノリノリになるのではなく、体が勝手に動いてライブさせられる……という状態になる可能性が大だ。嫌だろうな、当然。でも……。こうしてる間にも、それこそ黄木さんが同じ目に……。


「青葉さん。提案があるんですけど」


「なに?」


 屈んで青葉さんに顔を近づけた。上からの物言いにならないように。


「命令して……強制してもいいでしょうか」


 青葉さんは一瞬、目を見開いてビクッと震えた。そこに十歳上の大人の女性の余裕はなかった。怯える女の子だった。自分の体を自分以外の人間に操られるなんて、気分が良かろうはずがない。人としての尊厳を最も踏みにじる行為だろう。胸が痛い。


「いや、でも、できれば……。や、やるから、やるからさ」


「あ、その……すいません、決して脅したわけではないんです。ただその……。度胸付けに。そう、舞台慣れするために、一回全部通しでやってみる、てのも、その、いいんじゃないかと、思いました次第です……」


 青葉さんは幾ばくか落ち着きを取り戻した。それから、チラッと袖から身を乗り出し、満員の観客席を眺め、びくつきながら、ギュッとスカートの裾を掴んだ。素人の青葉さんが、いきなりステージに立つのは勇気が要ることだろう。強制でもいいから、一回成功体験を積ませてやりたかった。そうすれば、自分の意思でもステージで歌えるのではないかと……考えたのだが、やはり間違っているだろうか。本人に意思確認をしたのだから、あのオタクとは違うはずだ。


「そう……だね。こんな恥ずかしい格好で、あんな大勢の前で歌うとか、できる気しないよ。だから、最初の一回は、うん、それでやってみよっか」


 青葉さんはようやく笑顔を浮かべた。でもその笑顔は固い。一時的とはいえ、これから自分の体の支配権を手放すのだから、そりゃ怖いのだろう。俺だっていい気はしない。けどこのままじゃ先に進めそうにないし、仕方ない。


「すみません。じゃ、いきますよ。『命令。一曲ライブしてください』」


「はい!」


 突然の豹変にドキッとした。青葉さんがいきなり満面の笑みで返事。多分、いや間違いなく本人の意思ではない。体が命令を受領し、実行し始めたのだ。さっきまでの怯えっぷりと恥じらいはどこへ消えたのか、勢いよくステージ中央に飛び、可愛いポーズで構えた。よし。ミュージックスタート。


 青葉さんはやや引き攣った笑顔で歌い出した。本人の現在の力量がそのまま反映されるようだ。可愛い振り付けも一応踊れてはいるが、まだ羞恥心が捨てきれていないせいか、動きが小さい気がする。


「今日からあたしはプレシャスストーン 男も女も鳥も木も あたしの光が照らしちゃう」


 顔は笑っていたが、熟れたトマトのように赤かった。「無理無理止めてーっ!」という心の叫びが聞こえるかのようだ。


 たまに観客が特別な動きを見せる。一人身を乗り出し大きく手を振ったり、両手を口に当てて声援を飛ばしたり……するはずだったのだが、何故か無音だった。変だな。あの動きの観客はアイドルネームを叫ぶってネットに書いてたぞ。クルミちゃーん、って感じに。あ。アイドルネーム設定してなかったっけ? した記憶がないな。

 青葉さんのぎこちないながらも必死なライブは努力を感じさせたが、腐ってもプロの黄木さんには勝てそうになかった。最終的な点数は四七五五点。クルミにも劣る。

 歌い終えて命令から解放された瞬間、青葉さんのはちきれんばかりの笑顔は、みるみるうちに恥辱に塗れたものに変わり、舞台袖にダッシュし、iステージからも逃げ、台座まで戻ってしまった。


「もうやだ~っ、恥ずかしいよぉ……」


 両手で顔を覆って、台座に突っ伏した。


「いや、凄かったですよ! 初めてにしては! めっちゃ可愛かったです!」


「そりゃ、体が勝手に動いてたから……」


 やっぱり意識は元のままだったらしい。体は操れても、人間としての心にはiドールのシステムは干渉できないのか。できたらマジでやべーことになるけど。


 精一杯褒めながら、青葉さんが落ち着くのを待った。それから、アイドルネームのことを切り出した。


「何それ? 要するに芸名?」


「そうです」


「えー、いらないよ、そんなの」


「でも、ちょっと不利になるかもしれませんよ」


「そのまんま、本名じゃダメなの?」


「うーん……ダメってことはないですけど。ネットによると、確定情報ではないらしいですが、長いと応援頻度が下がるって書いてました」


「点数が下がるってこと?」


「稼ぎ場所が減る、ってことですね」


「うーん、じゃあ、えっと……名前だけ、とか」


「そうですね、そうしましょう」


 俺はタブレットで青葉さんの設定画面を開いた。やはり、アイドルネームは未設定だった。「メグミ」と入力し、決定。これで青葉さんはアイドル「メグミ」になった。


「これでどうなるの?」


「観客がたまに『メグミちゃーん』って呼びかけてきます」


「えー、やだなあ」


「可愛く反応してあげると点数出ます」


「あー、そう……」


 青葉さんは虚ろな目で、気の抜けた返事を最後に黙った。練習モードに戻してAR映像が消えると、ステージの端に大の字になって転がった。青葉さんはもう精神が限界そうだったので、日曜日の特訓はこれでお開きにした。






 その日の夜、土田さんから報告が入った。黄木さんをドール化して攫おうとしていた集団について、そのうちの一人の身元が明らかになりそうという内容だった。依然行方が分からない他のアイドルたちの居所も、そこからわかるかもしれない。色々と落ち込み気味だった青葉さんも、これに志気をわけてもらったようだ。パジャマ姿になって就寝する際、俺に言った。


「今日は不甲斐なくてごめんね。私も頑張るから」


「いや、二日で通しで踊れるようになったんですから、全然不甲斐なくないですよ。すごいですって」


「でも、思い返してみれば、今日ずっと『恥ずかしいのヤダ』って子供みたいに駄々こねてたよね、私。被害者の人たちはもっと大変な目にあってるのに。私ったら暢気にもう」


「いや、それが普通ですよ。俺こそ、ただずっと見てるだけで。上から色々偉そうに、すいませんでした」


「いいよいいよ。とにかく、急いで何とか形にするからね。お姉さんに任せなさい」


 あ。お姉さんに戻すの忘れてた。アイドル衣装とアクセサリーは外してパジャマを装備したけど、体は十六歳で、髪も水色のままだ。でももう部屋の明かりも落として、お互いベッドだし……。いいか。本人も気づいてないっぽいし。明日で。






 月曜。当然ながら俺は学校にいかないといけない。その間、青葉さんには一人で留守番してもらうことになるが……。食事は残念ながら充電してもらうしかない。予め壁の電源タップに繋いでおいて、台座のすぐ近くに端子を置いておく。これなら青葉さんが必要な時に差して充電できる。そして台座はiステージにセットしておく。これで自主練が可能。タブレットはランウェイの横に立てておく。手本動画が見られるように。iステージの操作は中からはできないので、日中は観客なしの練習モードでやってもらうことになる。


「ごめんねー、色々と」


 またアイドル衣装に着替えさせられた青葉さんも、服だけでは赤面しなくなった。慣れちゃったかー、そのフリルとリボン満載のヒラヒラ衣装に。二十六歳。


「いってきまーす」


「いってらっしゃーい。しっかり勉強するんだよー」


 俺は自室から出た。両親が共に海外行って以来だな。朝、人に送ってもらえるの。一人暮らしも悪くなかったけど、やっぱりこういうのもいいな。






 学校は黄木さんのこともあり全体的に雰囲気が暗く、居心地のいいものではなかった。授業が終わるとすぐに引き上げ、スーパーに寄ってから家に帰った。


「ただいまー」


「おかえりー」


 青葉さんは通しの練習をしていたところらしく、可愛くターンを決めながら、俺を迎えた。少しバツが悪そうに笑いながらも、そのまま踊り続けた。


 ライブが終わると、青葉さんは肩で息をしながら大の字になった。かなり練習したらしい。途中からしか見てないけど、明確に上達していた。


「ご飯……」


「あ、はい。今日はシチュ」


「ご飯終わったらさ、またあれやってよ。観客でるやつ」


「え?」


「今度は、自分でやるから。命令抜きで」


「はい、わかりました」


 俺は屈んで、ステージ上で仰向けに伸びる青葉さんに顔を近づけた。俺がテキトーに授業を聞いている間に、精一杯練習していたのだ。俺はその実直さといじらしさに胸を打たれた。


「頑張りましたねー」


 頭を指先で撫でながら労いの言葉をかけると、


「こらこら、セクハラだよ君」


 と注意された。でもその声に嫌悪感はなく、優しい口調だった。青葉さんも特に俺の指をどけようとしたり、起き上がって逃げようとしたりはしなかったので、しばらくなでなで続行した。三分ほどすると頬に指先を移動し、すりすりした。青葉さんは顔が次第に赤くなり、上半身を起こして叫んだ。


「調子に乗らないの! 私年上なんだからね!」


「すっすみません!」






 洗い物を終えた後、青葉さんは超満員のAR観客を前に、命令抜きで、自らの意思で立った。まだ緊張しているのがわかるが、昨日よりは大分進歩している。俺が曲を流し始めると、青葉さんは深呼吸してから構え、踊り出した。動きも小さくないし、笑顔も維持できている。すげえ。長足の進歩だ。


 イントロが終わると、ちゃんと曲も歌えた。恥じらいと緊張が完全に抜けきった堂々たる演技というわけにはいかなかったものの、十分許容範囲、いやむしろこの初々しさは評価点かもしれない。可愛い。


「メグミちゃーん、こっち向いてー」


 AR観客の一人が背伸びして叫んだ。青葉さんは一瞬ためらうような素振りを見せたが、ぎこちなくその観客に向けて、照れくさそうに小さく手を振った。その後もほどほどにファンサービスを交えながら、最後まで歌いきった。得点が伸びていく。かなりいくぞ。


 最後に青葉さんが「みんな……」と小さく呟いたが、顔を赤らめて俯いた。iドールの動画だと、最後に「みんなー、ありがとー」的なセリフを言う子が多い。多分それをやろうとしたけど、恥ずかしさが勝ったらしい。まあしょうがないか。


 最終得点は六〇七一点。クルミを大きく上回った。すげえ! 青葉さん本当にすげえ! まだ黄木さんには及ばないが、素人が三日でここまでいくなんて。ホント頭が上がりません。


「ど……どうだった?」


 ステージのARを切ると、青葉さんがふうふう息を荒立てながら、俺に感想を求めた。


「すごい良かったです。初々しくて可愛かったです! ちゃんと歌えてたし、踊れてたし、言うことなしですね!」


「あ、ありがと……えへへ」


 青葉さんはステージ端に体育座りして、後ろの壁を見上げて自分の点数を確認した。


「おお……伸びたねえ」


「ええ、クルミよりすごいですよ」


「黄木さんってどれくらいだったの?」


「……七千点、でしたね」


「ああ、そうなんだ……」


 青葉さんの表情が曇った。多分、彼女自身、今のステージは会心の出来だったと自負していたのだろう。励まさないといけない。


「でも、三日でここまでいったんですから、大したもんですよ。黄木さんは現役のプロなんですから、別に……」


 別に負けてもいい? いや、よくない。黄木さんを助けるためにやってるんだから。絶対に勝たないといけないのだ。青葉さん自身もかかっているのだから。しかし、成長ペースがいつまでもこの調子でいける、ってことはないだろう。ゲームの序盤はレベルが上がりやすいのと同じ。そろそろ伸びは鈍化していくはずだ。黄木さんを超すのにあとどれぐらいかかるのか。時間がかかればかかるほど、彼女の苦しみも長いものになっていく……。


「でも、最終的にはそれを超えないと意味がないでしょ?」


 青葉さんもわかっている。しかし焦ってもしようがないんだよな。地道に特訓していくしかない。黄木さんは命令でイヤイヤやらされるだけだから、向こうのレベルアップは余り考えなくていいのが唯一の救いだ。


「まあ、練習あるのみだよね……」


 そう言いながら台座に戻った青葉さんの顔が光った。汗だ。さっきのステージでかなりの汗をかいたらしい。


『お風呂が沸きました』


 お。よし、丁度良いタイミング。iドールの汗はただの演出だから、お風呂に入れる必要はまったくないのだが……青葉さんは人間だしな。普通のiドールと同様、この汗が演出であったとしても、洗いもせず放置ってのは気持ち悪いだろう。女の人だし。精神もケアしていかないと。青葉さんに任せっきりなのも心苦しいし、俺ももっと力にならないとダメだ。であれば、やることは一つ。


「青葉さん。お風呂入りましょうか」


「え? iドールはいらないんじゃないの?」


「でも、気持ち悪いでしょう」


 青葉さんは右手で左の手袋を触りながら言った。


「まあ、服脱がしてくれればそれで……」


「そういえば青葉さん、もう一週間近くお風呂入ってないんですよね~」


 青葉さんは見る間に心底不快そうな表情に様変わりした。たとえ肉体的には問題ないんだと言われても、心情的にクるものがあるだろう。


「え、え、臭う?」


 慌てて自分の腕やスカートの匂いを嗅ぎながら、やや涙声で俺を見上げた。


「臭いませんけど、一旦気持ち的にスッキリさせた方がいいと思うんですよ。リフレッシュにもなるし」


「え、でもお湯に入れて壊れたりしない? 大丈夫?」


「iドールは防水対策してあるから大丈夫なはずですよ。動画で海に入れてる人もいましたし……」


「んー、そりゃ入れるならお風呂入りたいけどねー、でも今の私、定規ぐらいの大きさだし、台座からも離れられないからさ、物理的に無理だと思うんだよね」


「大丈夫ですよ、俺が入れます」


「えっ? それって……」






「こらこら! 何脱いでんの!」


「脱がないと入れないじゃないですか」


 俺は洗濯機の上に装備を全て外した青葉さんを置いて、風呂場の前で服を脱いでいた。青葉さんは小さな白い水着で胸と股間はカバーされているが、後は全て肌色。腰まで伸び胴体よりも広がる水色の髪が、黄色い照明に照らされ鮮やかに浮かび上がっていた。おっと、髪が湯船に浸かるとまずいかな。ショートに設定変えとこう。俺は腰にタオルを巻いたが、後はすっぽんぽんだ。


「羞恥心とかないわけ?」


 青葉さんは両手で顔を覆ってはいるが、顔が赤いのがはっきりわかる。というか指の合間からガッツリ見てるし。


「セクハラだよセクハラ!」


「大丈夫ですよ、青葉さんは本物の体じゃないし、ちゃんと配慮を――」


「そういう問題じゃないの!」


 青葉さんは元の二十六歳ボディではなく、十六歳で水色の髪をもつアイドルフォームのまま装備を外した。つまり、本物の青葉さんの裸体ではない。問題ないと思ったんだけど。近づくと俺から顔を背けた。なんで。腰にはタオル巻いて一切見えないようにしてるのに。……それとも俺臭い?


 とはいえここまできて取りやめってわけにもいくまい。戸を開けて風呂場に入り、洗面器に湯を張った。それから洗濯機の上に鎮座する青葉さんをそっと掴んだ。


「きゃあっ」


 青葉さんからすれば、自分の十倍のスケールをもつ巨人に握られるわけだから怖いだろう。でも困り顔でこっちを見ているだけで、特に暴れたり殊更に悲鳴を上げたりはしなかった。そっと洗面器に入れる。台座は完全防水だから平気。のはず。


「お……あ~、気持ちいい~」


 久方ぶりのお風呂に青葉さんはすぐ懐柔された。洗面器の中に座り込み、肩まで浸かって堪能している。よかったよかった。


「髪、洗いましょうか?」


「いや、一人ででき……。お願い」


 青葉さんは自分より大きなボトル達を見て、あっさりと観念した。髪を洗った後、ついでに体も洗いましょうかと提案したら、そっちは拒否された。しょうがないか。


 石鹸を僅かに切り取り、青葉さんに渡した後、俺は自分の体を洗った。青葉さんにシャワーやお湯をぶっかけないよう気をつけながら。これが結構神経を使う。


 最終的には何だかんだ言って青葉さんも大分スッキリできたみたいで、お風呂作戦は成功だった。出てからもご機嫌だ。鼻歌を歌いながらテーブルの上で髪を乾かしている。


 俺が二階に上がると、スマホに留守電が入っていた。土田さんからだ。折り返し電話をかけると、すぐに出た。


「こんばんはー。時間いい?」


「はい。進展ですか?」


「令状取れたからね、今日件のオタクの家に行ってきたんだけどさー」


 えっ、マジで。じゃあ、黄木さんとクルミを取り返してくれたんだろうか。……いや、マスター権限は本人の同意がないと無理か。わざわざウチに青葉さん置いてったんだしな。でも警察だったら強制的に取り上げたりは……難しいのかな、やっぱり。


「オタクくん、ボッコボコにされててねー。黄木さんもいなかったの」


「えっ……!? ど、どういうことですか!?」


 話は予想外の方向へ転がり始めた。土田さんがオタクから事情聴取したところ、二人の大柄な男性が警察に先んじて彼の家に乗り込み、暴行を加えて脅しつけ、黄木さんの権限を譲渡させたのち持ち去ったのだとか……。


(なんてこった……)


 黄木さんを探しているのは警察だけじゃなかった。黄木さんを奪い去った連中は、アイドル大量失踪事件の犯人――その一味に違いない。


 胃がズシッと重くなった。後悔が募る。俺がもっと早く通報していれば、結果は違ったのでは。自分で乗り込まず、最初から警察に……その場合は令状がとれないか。


「聞いてる?」


「あ、はい。すいません」


「まーショックなのはわかるよ。うん。先輩に代わってもらえる?」


「はい」


 青葉さんはテーブルを這って近づいてきていた。俺は土田さんからです、と告げてスマホをテーブルに置き、少し距離をとった。


 最悪だ。まさかこんなことになるなんて。テーブルの上でスマホに語り掛ける青葉さんを眺めていると、黄木さんの姿が重なった。今どんな目に遭わされているんだろう。助けられなかった自分が酷く情けなかった。ただニュースを見ているだけで無関係だった時とはわけが違う。俺はすぐそばまで、彼女の目と鼻の先まで迫っていたのに。黄木さんを救えず、クルミも奪われ……あ、そうだ。クルミは? どうなったんだ?


 青葉さんからスマホを返された時、俺は土田さんにクルミについて尋ねた。クルミは人間ではなく、純然たるモノであり、当事者間の合意の元譲渡されたので、警察はノータッチということだった。つまり、今もオタクの所有物ってことだ。


 マジかよ。クソ。


 しかし、取り戻す機会は得られた。青葉さんが直接オタクから話を聞きたいと言い出したので、俺もついていくことにしたのだ。何とか話し合いでクルミのマスター権限を戻してもらうしかない。俺の個人的な所有物であるクルミを取り戻すために、青葉さんを躍らせるわけにはいかないだろう。






 翌日、家に帰ると土田さんが車に寄りかかって待っていた。


「すいません、待たせちゃったみたいで」


「いいよいいよ。私が大分早く着ちゃっただけだし」


 笑ってそういうと、青葉さんの様子を尋ねた。


「で、先輩はどんな感じ?」


「ええ、元気ですよ。すぐ連れてきます」


「そうじゃなくって~。練習したんでしょ? お・ど・り・の」


 そっち……。黄木さんが犯人の手に落ちた今、それはもうどうでもいいんじゃないだろうか。


「ええ、まあ、通しで踊れるようにはなりましたけど、結局黄木さんの点数には……」


 土田さんは吹き出した。笑いを堪えきれない、といった感じで、


「踊るの? あの人が? ヒラヒラの衣装きて、笑顔で歌っちゃうの!? ぷぷっ。いや、マジ、楽しみぃ」


 と全身を震わせながら言った。やっぱこの人、先輩いじめたいだけなんじゃ……。どんだけ弁当のおかず奪ったんですか青葉さん。






 青葉さんを久々に元の姿、つまり二十六歳の制服姿に戻してから、俺は鞄に入れた。急いで家から出て、土田さんの元に駆け寄った。


「お待たせしました」


「んじゃ、乗って」


 俺は促されるがままに、助手席に乗車した。運転席に座った土田さんは俺に上から下まで視線を這わせた。


「先輩は?」


「ここです」


 俺が鞄を叩くと、少し引き気味のトーンで言われた。


「君も結構酷いね」






 土田さんの案内で、俺と青葉さんはオタクの病室にたどり着いた。「オオハタ」のプレートがかかっている。


「着きました」


 俺は鞄の口を開け、青葉さんが頭を出せるようにした。極力揺らさないように努めたつもりだったが、青葉さんはしかめっ面だ。まあ鞄の中にずっと閉じ込められていたらキツイよなぁ。暗いし狭いし。縮んでいる分、振動や臭いも普通より大袈裟に感じるだろうし……。でもこればっかりは仕方ない。許してほしい。


 病室に入ると、痛々しいオタク……オオハタの姿が目に飛び込んできた。右腕を折られたらしく、ギプスを巻いて吊っている。額にも包帯が巻かれ、両頬にガーゼを貼っている。外からは病衣でわからないが、首から下もさぞや痛めつけられたのだろうことは想像に難くない。


 オオハタは俺を見つけると、気まずそうに視線を逸らした。俺も何と言っていいかわからず、ぎこちなく会釈して終わらせた。


 鞄からゆっくりと慎重に青葉さんを持ち上げ、土田さんに手渡した。すると彼女はまるで空のコップか何かのように、粗野な手つきで青葉さんを机に置いたので、甲高い悲鳴が上がった。青葉さんからすると、ビルからビルへ瞬間的な超加速で移動させられたように感じたはずだ。


「あっ、いっけない。すいません先輩」


「あんたねえ……」


 今日の用事はあくまで警官二人による聞き取り調査だ。私用であるクルミの件は、全て終わってから最後に切り出すしかない。俺は手持無沙汰に三人から少し離れた。


「増田さーん! わーい!」


 聞き覚えのある声がした。ベッドの下からだ。覗き込むと、iステージが隠されていた。その上に立っていたのは……クルミ!?


 俺は了承をとることも忘れてステージを引きずり出した。


「クルミ! 無事だったのか!? 変なことされてないか!?」


「平気ですよー」


 クルミは溌剌にピョンピョン跳ねた。よかった。ピンク色の長髪、白のブラウス、ピンクのスカート。髪型と服装はとられた時とまったく同じ。間違いなくクルミだ。オオハタは一切クルミを弄らなかったらしい。まあ、買ったiドールを開封もせずに棚の肥やしにする人だ。黄木さんが特例だったんだろう。なぜクルミを病室に持ち込んでいるのかは……話し相手でも欲しかったのだろうか。


「あ~その子ね、私が運んできたの。何か見ていないかと思って」


 土田さんがため息をつきながら言った。その様子からすると、何も得られなかったらしい。


 オオハタは睨みつけるような目線を俺に向けたが、すぐに顔を背けた。三人はすぐ事件の聞き取りに戻った。皆クルミには特に興味ないらしい。


 うーん、本当だろうか。コイツ、あいつの家にいたんだから、犯人を見ていたりしていないのか?


「お前、見てなかったのか?」


「私、『停止』してたんでわかんないですー」


 ああ……そっか。iドールは停止中、一切の動作を止めるからな。青葉さんは人間だったからか、意識があったけど。クルミが情報を持っていないことは、既に昨日の事情聴取で判明していたのだろう。土田さんが態々クルミを運んできたのは、犯人を見ているかもしれない、と考えたからか。再起動するにはマスター本人が操作しないといけないからな。


 しかし、土田さんには徒労だったかもしれないが、俺にとっては都合がいい。この場ですぐに返してもらえる。……奴が同意すれば、だけど。






「……ご協力感謝します」


 ようやく終わったか。かなり待った気がする。青葉さんは土田さんの顔を見上げ、目を閉じて肩を落とした。昨日の今日だし、収穫はなしか。


 とにかく、ようやく俺の番だ。


「オオハタさん。ちょっといいですか」


「……ぉぅ」


 言葉になっていない、くぐもった声だった。一連の事件が相当堪えたらしい。


「俺のiドール、返してもらえませんか?」


 一、二分ほど沈黙が流れた。おい、ふざけるなよ。黄木さんが人間だと知りながら、消去すると脅した上、騙し討ちで奪い取ったくせに。大体、iドールがいくらすると思ってんだ。クルミを買うために俺がどれだけ必死に両親に頭を下げ懇願したことか……。それを無くした、盗られたなんて言ったら何を言われるかわかったものじゃない。何としても取り戻さないとダメだ。


 オオハタは明らかに渋っていたが、警官の前で強情を張るほどの度胸はないらしく、か細い震え声でようやく口を開いた。


「ら、ライブバトルで勝ったら……か、返してやるよ」


 俺はむかっ腹が立った。このオタクは俺がiドール持ってないとわかってて言っている。少しは反省したのかと思えばコレだ。


 オタクは動かせるほうの腕で枕元のタブレットを取り寄せ、iステージを起動した。クルミは既にセット済みだから、このままバトルモードに移れる。……相手がいれば。


「ほら。準備できたけど……?」


 包帯やガーゼで隠れていても、ニタニタと気持ち悪い笑みを浮かべているのがわかる。


「どしたの? やらないの? じゃあ、マスター権限をかけるのは僕だけでいいよ……うへへ」


 オタクは再度タブレットを叩いた後、設定完了の画面を俺に見せつけてきた。この野郎……。


「いや、だから、俺のiドールは今あなたが……」


「なんだぁ、他に持ってないのかあ。ざ、残念だねえ。うひひ」


「ふぇ……」


 クルミが瞳をウルウルさせて、俺をステージから見上げている。俺はオタクへの怒り、自分の情けなさ、クルミへの申し訳なさで頭がどうにかなりそうだった。クソっ……!


 何とかならないのか。もう一体買ってこないと、クルミは取り戻せないのか。でも、そんな金は持ち合わせていないし、バイトしたってすぐには貯まらない……。その間にクルミはコイツの玩具にされて、コイツの色で染められていってしまう……。


「先輩! 出番ですよ!」


「「えっ?」」


 俺と青葉さんが思わず叫んだ。間を置かず土田さんが青葉さんを掴み上げたので、俺は慌てて静止した。


「ちょちょちょ、何やってるんですか!?」


「離しなさいよ! こら!」


「えー。先輩、このために練習したんじゃないですかぁ~?」


「いや、それは黄木さんを助けるためにって……ていうかそもそも、つっちーが無理やり……」


「困ってる人を助けてあげるのも、私たちの仕事だって、いつか言ってませんでしたっけ~?」


「いやっ、それはっ」


 土田さんはiステージの端にある枠に、青葉さんをセットした。AR映像が投影され、病室の床に眩いライブ会場が現れる。俺は土田さんに言った。


「待ってください。青葉さんには頼めません」


「えー。いいじゃない別に。やってあげるって言ってるんだから」


「言ってない!」


「わーい。恵美ちゃんとライブバトルですー」


「ず、ず、ズルい。なんで」


 クルミは黙っててくれ。状況わかっ……らないか、AIだし。そしてオタク野郎、お前が言うな。


「えっとですね、その……クルミは人間じゃないし、俺とオオハタさんの個人的な揉め事なんで、青葉さんを巻き込むわけにはいきません」


「いいじゃない。『命令』してやらせれば」


「うぇっ!?」


「できません」


 これには即答した。俺はオタク野郎を睨みつけた。嫌がる黄木さんに命令して、バトルを強制したクソ野郎を。もしも俺が嫌がる青葉さんにマスターであることをいいことに、命令して強制的にライブさせたら、俺はコイツと同じになってしまう。


 オタク野郎はバツが悪そうに縮こまった。自分が何をやっていたか、自覚はあったんだな。


「むぅー……残念ね。絶対可愛かったのにー」


 土田さんはため息をついた。あ、スマホで撮影準備してたこの人。青葉さんのことが好きなのか嫌いなのか……。


 膝を曲げ、腰を落とし、青葉さんに顔を近づけた。セットはされているが、台座の上に立ったまま、ステージには上がろうとしていない。寄ってきたクルミをあしらいながら、俺を見上げた。


「えぇとまあ……そういうことなんで……安心してください」


「あぁ、うん……」


 青葉さんは安堵の笑みを浮かべたが、すぐ困惑の表情に変わった。


「えー! 私はー!? 停止してるのヤですー。増田さんがいいですー」


 ごめん。ピョコピョコ跳ねながら俺と青葉さんに助けを求めるクルミを見ていると、胸が締め付けられるような気持ちがした。


 ていうか、iドールがマスターを嫌うなんてよっぽどだぞ。クルミでさえこれなら、黄木さんがどんな扱いを受けていたのか、想像するだけで胃が病気になりそうだ。


「恵美ちゃん踊らないんですかー? 私恵美ちゃんとライブしたいですー。増田さんに戻りたいですー」


 クルミは子供のように純真な瞳で青葉さんを見つめ、腕をつかんで上下に振り回した。


「え、えーと……」


「やめろって。青葉さん困ってるだろ」


 顔を上げると、オタクは泣き出しそうな顔をしている。人形にここまで悪し様に言われるのはショックだろう。自業自得だけどさ。


「君はこの子、どうするの?」


 青葉さんがとても心配そうな声で俺に尋ねた。クルミに少なからず同情したらしい。俺でも辛いんだから、同じサイズになっている今の青葉さんからすれば、誘拐された子供を見捨てていくかのように思えても不思議はない。


「それは……」


 俺は言葉に詰まった。オタクがすんなりと返してくれない以上、現状では取れる手段がないからだ。


 青葉さんは自分の左腕に縋りつくクルミに目を向けた。その顔からは憐憫の情が読み取れる。背丈は同じぐらいだが、クルミは大きな瞳を持つ童顔フェイスに加えて、声が高く立ち居振る舞いが幼いため、二人並ぶと一段と子供っぽく見えた。


「停止してるのつまんないですー。ライブしたいですう」


 クルミの懇願に対し、青葉さんは口を一文字に結び、両目を強く閉じて天井を仰いだ。何か葛藤している風だ。そのまま十数秒の時が流れ、


「……あーもう! わかった! やってあげる!」


 青葉さんが投げやり気味な口調で叫んだ。……えっ、今何て!?


「えっ、でも、その、申し訳ないです、そんな」


「ほら、あー、ここ何日か面倒みてもらったから、そのお礼ってことで」


 うっすらと顔を赤らめながら、青葉さんが言った。


「今回だけよ。これっきりね」


「わーい!」


 クルミが青葉さんに抱き着いた。


「こら、離れなさい」


「えっへへー」


 その締まりのない笑顔は、とても嬉しそうで、見ているだけでほっこりする。……しかし、いいのか。このまま厚意に甘えて……。


「子供は大人の言うこと聞くもんよ」


 土田さんが俺に囁いた。鼻息が荒い。


「ほら早く、先輩の気が変わらないうちに」


「あ、はい……」


 圧に押され、俺はタブレットを叩いた。アンティルール、奴はクルミのマスター権限を賭けるが、こっちはナシだ。オーケー、決定。オオハタはあからさまに不機嫌なオーラを醸し「納得できない」って顔をしていたが、何も言わなかった。お前から言い出したんだからな。ふん。


「ライブバトル!」


 その音声と同時に、ステージはAR観客で一杯になった。クルミが中央に立ち、構える。


「シューティング☆シュガースター!」


 クルミが踊り出す。俺は驚いた。前より動きが滑らかだ。可愛らしい仕草も増えている。間違いない、以前よりパワーアップしている。何でだ? だがクルミが歌いだした瞬間、そんな疑問は吹っ飛んでしまった。


「私大好き 甘いの大好き もっとも~っと食べたいな」


 ポップな曲によく合った幼い歌声も、以前より滑舌がいい。人間みたいだ。情を感じる。……でも「ホントに甘い物が好きなんだなぁ」とまでは感じさせない。


「色んなお菓子 たくさんのお菓子 空から降ったらいいのにね」


 丁寧な歌と振り付けを維持しながら、ランウェイを歩き出した。まるで黄木さんみたいな……あぁ。


「いつか見たいな 砂糖の星から 甘くて美味しい流れ星」


 可愛いなあクルミ。流石は俺の……今は俺の子じゃないのか。悔しい。ただひたすらに悔しい。俺がクルミをここまで導きたかった。


「それはシューティング・シュガースター 私が夢見る夜空なの」


 サビに入るとAR観客が一際大きく盛り上がった。俺も盛り上がりたかったが、立場上堪えた。青葉さんが純な瞳でステージを見ている。


 クルミが歌い終えた。ワーッと歓声が上がり、クルミの点数が表示された。五八八三点。前より伸びてる。だろうなあ。いいステージだった。俺は拍手してクルミを称えた。


「良かった! よかっ……」


 だが、青葉さんが複雑そうな目でこっちを睨んでいたので、取りやめた。次は青葉さんの番になるのだが、青葉さんは袖の裏で腕を組んだままだ。やっぱり恥ずかしいんだろうか。でももし一定時間経過してもステージで踊らなければ、不戦敗ということになる。観客席へ降りていくクルミを尻目に、俺は声をかけた。


「あの、出番……」


 けど、強くいうことができず、黙ってタブレットでアイドルフォームに変えることしかできなかった。青と白のアイドル衣装、十六歳の体、水色の長髪。青葉さんは一瞬で婦警さんからアイドルに様変わりした。でも中身は同じだ。


 覚悟はしていたはずだが、やはり恥ずかしいのか、顔を赤く染めて俯いてしまった。直後、土田さんが俺の首を腕で抱きしめてきた。そして得意気に鞄からiドールのタブレットを取り出し、高く掲げた。いつ買ったんだ!?


「!?」


 青葉さんが固まった。俺もだ。


「先輩先輩。実はアンティルール、私に対して設定してるんですよ」


 いや違いますよ。んなアホな……と言おうとした瞬間、首の圧迫が強まり、俺は声が出せなかった。


「つまり、このままだと先輩は私の所有物に……」


 青葉さんは口を真一文字に結び、目を大きく見開いたまま。それからツカツカとステージ中央に進み出た。土田さん、タチ悪いな。


「青葉メグミ、『ジェムストーン』いっきまーす!」


 こめかみに青筋を浮かべてはいたが、概ね笑顔で舞台の幕が上がった。観客が沸き、加点された。クルミはいきなり歌い出したので、この加点はなかった。


「ストーン ジェム プレシャス Hi!」


 青葉さんが笑顔で歌い出すと、土田さんが決壊した。


「ぶふぉっ、うくくきき、あひゃひゃひゃ、ははは」


 嘘ついたのバレますよ……っていうか酷い。影響でないといいけど。


「地味で真面目な どんよりストーン 一昨日のあたし」


 青葉さんは口元がやや引き攣っていたが、練習の成果を遺憾なく発揮していた。透き通った歌声に可愛らしい振り付けでAR観客たちは大いに盛り上がっている。クルッとターンし、僅かに照れを残してはにかむと、一層の大声援が上がった。


「あなたが教えてくれたのよ あたしは原石 ジェムストーン」


 クルミとランウェイを挟んで反対側の観客にウィンクを飛ばした。目線の先にいるAR観客が数人、一際大きな歓声を上げ、目立ったリアクションを返した。よしよし。加点だ。


「ねーねー、私にもちょうだーい」


 土田さんが上からヤジを飛ばしたが、青葉さんは無視して歌い続けた。おお……度胸つきましたね。


「昨日始めてわかったの あたしがこんなに可愛いなんて」


 青葉さんは手を振りながらランウェイをスキップした。とても可愛らしい仕草で、衣装と相まり、もっともっと幼く見える。


「今日からあたしはプレシャスストーン 男も女も鳥も木も あたしの光が照らしちゃう」


 サビに入ると点数が加速度的に伸びていった。クルミと比べると、歌も踊りも恐ろしいほどに滑らかだ。感情が込められているのがはっきりわかる。


「お洒落の魔法 ガールズカット♪」


 少し腰を落として前のめり。左手でマイクを持ち、右手の指先をクルクル回してあざとい仕草を添えながら、最後の歌詞を口から出すと、観客席からクルミが叫んだ。


「きゃーっ! 可愛いですーっ!」


「みんなありがとー!」


 やや怒気のこもったやけくそ気味の声で青葉さんがシャウトし、ステージの幕が下りた。最終点数は六五二四点。青葉さんの勝ちだ。


「ライブバトル終了。勝者、青葉メグミ!」


 iステージのアナウンスが試合終了を告げると、青葉さんは熟れたトマトより真っ赤に顔を染めて、ステージから袖へ引っ込んだ。


「ぶっ殺すぞてめー!」


 マイクを土田さんに向かって全力でぶん投げたが、iステージのARゾーンを抜けるとマイクは消滅した。iステージが付与した装備に過ぎないからだ。土田さんはニヤニヤして上から見下すだけで、一言も発さなかった。業を煮やした青葉さんは、今度はこっちに向き直った。


「君も! わかってたなら嘘だって言いなさい!」


「ごっ、ごめんなさい! でも……」


 思わずタブレットで顔を隠した。ん? 登録個体が一体増えてる。「花咲クルミ」……。戻ってきた。取り戻したんだ!


「マスター! ただいまですー」


 AR映像が切れたステージ上から、クルミが俺に手を振った。よかったぁ……。


「本当にありがとうございました! 青葉さんが恥を忍んでライブしてくれたお陰です! 本っ当にありがとうございます!」


 俺は誠心誠意お礼を述べたつもりだったが、


「あー、もー、ヤダ! みんな嫌い……」


 青葉さんは体育座りしてしくしくと泣き出してしまった。これはまずい。


「クルミ、お前もお礼言わないと」


「はーい。恵美ちゃん、ありがとうございますぅー」


 クルミはステージに上がり、青葉さんの目の前にペタンと座って頭を下げた。それでも青葉さんは膝に顔を埋めたままだ。


「えーと……よかったですよ、青葉さん! すごく可愛かったです!」


 そう言うと、青葉さんの耳が赤くなった。


「マスターマスター、私はー?」


「ん? ああ、クルミも前より良くなってたな。偉いぞ」


「えへへ」


「ひょっとして、黄木さんに教わった?」


「はい!」


 クルミは嬉しそうに微笑んだ。やっぱり黄木さんか。てことは、盗られた日からずっと停止させられていたわけではないんだな。オタク……オオハタさんも、四六時中二人に酷い扱いを強いていたわけではなかったのか。クルミと黄木さんが仲睦まじく会話しているところを想像すると、そういう時間もあったという事実だけで、幾分気持ちが軽くなった。


 当のオオハタさんは、布団をかぶって一言も発さなかった。気づけば彼のタブレットが床に落ち、画面が割れていた。


「いやー、いいもん見せてもらったわー。ありがとね」


 土田さんはスマホで自分が撮ったライブ映像を確認しながら、俺に囁きかけた。まったくこの人は……。






 病院の廊下は人通りが少なく、静かだった。これ幸いと、俺は気になっていた事柄に関して土田さんに質問した。


「あの、オオハタさんって、捕まったりとかは……」


「今は無理だけど、捜査が進んで人間のドール化を立証できるようになったら未成年者誘拐で逮捕ね」


 あちゃ……。当然のこととは言え、なんだか可哀想になってきた。


「ところで、さっきのタブレットは?」


 青葉さんを舞台へ上がらせるために見せたアレ。土田さんがiドールを買っていたのなら、別に青葉さんを躍らせる必要はなかったんじゃ?


「ああ、タブレットだけ買ったの」


「えっ、何でですか?」


「ほら、やっぱ私が先輩引き取ろうかと思って」


 ああ、そうか。まあ、それが筋だよなあ。黄木さんが行方不明になった今、もう青葉さんには特訓する理由もないし。そもそも出会って一週間の高校生に預けていたのがおかしな話だ。


 でも、土田さんのモノになるかも、と思った瞬間にステージに上がった青葉さんのことだ。土田さんを自分のマスターにすることを承知するだろうか。


 ロビーまで来ると、土田さんが言った。


「あ、私トイレ寄ってくから。先行ってていいよ」


「わかりました」


 俺はお言葉に甘えて、さっさと駐車場へ行くことにした。ロビーで待ってて風邪でもうつされたら敵わない。






 駐車場に降りると、異様に張り詰めた空気が俺を緊張させた。その出所はすぐに分かった。出入口の両脇に、フードを深く被った大柄の男性が寄りかかっていたのだ。


 危険な空気を感じ取り、俺は引き返すべきか、何も気にしていない風を装って土田さんの車に向かうか、悩んだ。だが結論を出すより早く、片方の男が俺の肩に手をかけた。


「一緒に来い。騒ぐなよ。黄木里奈の命が惜しければな」

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