第3話 そして家族

「お義母さんと一緒に暮らすってこと?」


 母と周が一緒に風呂に入っている間、私は妻に以前から考えていたことを話した。私が東京の政府系研究所への就職の為に大阪の家を出て、父親の転勤に伴って先に神奈川に移り住んでいた妻と結婚して以来、母は一人で暮らしている。


 老婆あるいは若い娘が一人暮らしをしているというのは、どちらにしても不用心だ。それに、母の言うとおり、見た目は若くても寿命が伴うかはわからない。八十歳近くの高齢者を一人で生活させて、何かあったら大変だ。


「ああ、大阪の家を売れば結構値段がつくだろう。万博跡地の再開発で、地価が上がっているそうだ。それとここを売った金で、もう少し広い家を買えばいいんじゃないか」

「わたしは構わないわよ。むしろ、娘が二人になったみたいで華やかになりそう。でも、お義母さんが承知するかしら。お義父さんの想い出が、あの家にはあるでしょう?」


「わては別に構へんで。お父ちゃんはいつもここにおるからなぁ」


 振り向くと、知らない間に風呂から出てきていた母が、胸に手を当てしんみりと言った。下着も着けていないその姿は、幼い頃、風呂に入れてもらったときと変わらない。


「おばあちゃん、そんな姿でそっち行かないでよ! 私と同じ体なんだから、私が見られているのと一緒でしょ! お父さん見ないでよ、この変態!!」

「おんなじ体ちゃうやんか、わての方がおっぱい大きいでぇ」

「!!」


 母にバスタオルを巻き付けて脱衣所に引き戻す周は、相当頭に血が上っているらしく、自分もまた全裸であることに気付いていないようだった。私はその騒動を横目に、いつもの不安に駆られる。女性としてこの上なく魅力的な、私の母と娘が――もちろん愛しい妻もだが――、欲望にまみれた変態どもの毒牙にかかりはしないかと。変態? さっき娘が私のことをそう呼んだことに気がつき、少しばかりショックを受けた。





 母は娘の部屋で寝るらしい。布団と菓子類を抱えて、クスクスと笑い合いながら部屋に入っていく二人の姿は、まるで仲の良い双子のように見えた。


 母は、大阪の家を売却して東京で暮らすことには、何ら抵抗がないそうだ。母自身も、私が東京に移ったあと、そう考えていた時期があったらしい。だが、我々夫婦の生活に水を差したくないとの思いから、口には出さなかったという。親しい大阪の友人には、父の墓参りの際に会えればいい。早く家族皆で一緒に暮らしたいと言ってくれた。


「お袋が来ると、騒がしくなるな」

「楽しくていいじゃない。周も喜んでいたでしょ。実家の父の介護も手伝ってくださるそうだし、わたしも母も随分楽になるわ」


 一般的な嫁姑とは違う彼女たちの関係に、多くの同輩が抱えるストレスを感じなくていいことに、私は感謝した。


 和歌山の串本で生まれた母。一八九〇年の「エルトゥールル号海難事故」で救助されたオスマン人乗組員の血を引いていると、以前母に聞いたことがある。だが、その乗組員の遺伝子に、エルフのそれが紛れ込んでいたのかは、今では知りようのないことだ。


 戦時中、グラマン機の機銃掃射を受け、母が赤ん坊の頃に亡くなったという祖母の白黒写真を、田舎で一度だけ見たことがあるが、母と瓜二つだった。西洋人の風貌であるにもかかわらず、憲兵隊に連行されることがなかったのは、盟邦ドイツの人間だと思われていたからだけなのだろうか。


 小学生の頃は、周りの母親と異なる姿が嫌だった。その耳の形から「お前の母ちゃん吸血鬼」と、よくからかわれたものだ。中学に上がると反対に羨ましがられ始め、高校では入学式の出来事もあり、母は本人の知らぬまま、影のアイドルとして学園に君臨することとなった。

 

 歳をとらぬ母。しかし、常識では考えられないその件について、誰も特に気にしない。行政機関も医者も、マスコミでさえも。年齢を知られても、一瞬驚かれはするものの、「お若いですねえ」で済まされる。運転免許証の更新も毎回何事もなく、高齢者講習もきっちり受講しているらしい。もしや、これがエルフの魔法というものなのだろうか。


 灯りを消した夫婦の寝室。壁の向こうから若い娘たちの楽しげな声が響いてくる。


 明日は日曜日だ。同居に向けた具体的な計画でも話し合うことにしようか。


 そして週明けからは、プロジェクトも第二段階に入って忙しくなる。泊まり込みも多くなるだろう。そうか、同居すると、仕事中心の生活に、度々母の小言を聞くことになるかもしれない。それはそれで大変だなあと思いながら、私は眠りに落ちていった。

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