うちのおかんがエルフやった件について
乃木重獏久
第1話 母が来る
「明日、お義母さん、うちに来られるんですって」
数か月ぶりに残業もなく、いつもより早めに帰宅した私に、開口一番、妻が言った。
「ご近所の婦人会で東京観光ですって。もう都内のホテルに入っていらして、明日いっぱい名所巡りをしたあと、夕方うちに来られるそうよ」
ネクタイを緩めながら私は驚いた。婦人会というが、敬老会の間違いではないのか。母の近所の友人といえば、皆七、八十歳代だろう。新幹線で上京してきたのだろうが、体力が持つのだろうか。それに、持病を抱えながらの旅行は大変だ。
「そんな老人ばかりの旅行で、大丈夫なのか」
「お義母さんが一緒じゃない、問題ないわよ。帰りはよく知らないけど、大丈夫でしょ?」
夕食の配膳をしながら答える、四十代にしては若々しい、いつも楽観的な妻は、特に気にすることもなく、ご機嫌な様子だ。世間一般的には姑が訪ねてくることなど、嫌なはずなのだが。
「お義母さんにお会いするの、久しぶりよね。前にお目にかかったのは
そうだったかなと呟きながら食卓につく。ならば、もう十年か。それまでは毎年盆と正月には帰省していたが、妻の実家の父親が要介護状態になってからというもの、なかなか家族で東京を離れることができなかった。仕事の忙しさにかまけて、私が大学生の頃に他界した父の法要にも顔を出さず、娘の周だけが毎年夏休みに一人で遊びに行くだけだった。
「そういえば周はどうした。いつもこの時間にはいないのか」
本日をもって第一段階が終了した、私が責任者を務める、官民共同の大型プロジェクトのため、ここ数か月の間、帰宅時間は深夜になっていた。しばらく娘の顔を見ていなかった私は、午後八時という、高校生にとっては外出していてもおかしくない時間にもかかわらず、器量の良い一人娘が不在であることに不安を覚えた。
「今夜は、お友達のお家で勉強会だそうよ。みんな女の子だから大丈夫。うちに来てもらったこともある、いいお嬢さんたちだし、心配ないわよ」
「その友達と口裏を合わせた嘘じゃないだろうな」
「そんなことを言ってたら、あの子に嫌われるわよ。本当は明日、そのまま千葉の遊園地へ遊びに行く予定だったみたいだけど、おばあちゃんが来るって連絡したら、遊園地には行かないで、お昼には帰ってくるそうよ。ほんと、あの子、お義母さんが大好きなのね」
「おまえは大層理解のある母親なんだな。俺は女子高生が夜に外出していると思うと、不安で仕方がないぞ」
「あら、あなたがそんなこと言うなんて。高校時代は夜遅くまで遊びに連れて行ってくれたくせに」
「だから、不安なんだよ」
自分のことは棚に上げながら、変な男に惑わされないかと心配でならないのは、ただの父親のエゴだと言われても仕方がない。
夕食後の風呂から上がり、軽い晩酌のあと寝床に入る。こんなにゆったりとした気分になるのは、いつ以来だろうか。明日は土曜日だ。数か月ぶりの休日。とはいえ母が遊びに来るということで、騒がしくなりそうだと、小さな寝息を立てる妻の横で、一抹の不安を覚えていた。
久しぶりに自宅で過ごす土曜日の午後。五月下旬だというのに非常に暑い。そういえば朝の予報でも、今日は夏日だと言っていた。
インターホンが鳴ったとき、ちょうど玄関脇の手洗いから出てきたところだったので、すぐにそのままドアを開けた。
「アンタ、
マンションの廊下に響く、若く軽やかな声が私を叱責する。その声の主は、一人の少女だった。
歳の頃は十七、八。大きな碧眼と透けるような白い肌。頭の後ろで下げ髪にしたブロンドの髪。長い
母である。そしてその隣には、耳の形こそ普通ではあるものの、母によく似た容姿をした、娘の周が普段着姿で並んでいた。
「あ、お父さん、久しぶりー。さっきそこで、おばあちゃんと会ったから、一緒に帰ってきたよ」
「久しぶりってどういうことやのん、アンタ。また仕事ばっかりしとって、家帰ってへんのとちゃうか? あかんでホンマ、そんなことばっかりしとったら」
電話で年に数回話しているとはいえ、久しぶりに聞く母の小言は懐かしくもあり、鬱陶しくもあった。
「お袋、来るのは夕方だったんじゃ……」
「なに東京弁喋っとんのや、この子は。
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