002  『お兄ちゃん』 は最強呪文


ガタンッ、ガタガタ……ドンっ!


深く眠りについていた夜中、突然階下から大きな物音がして目を覚ました。

何かが落ちた音にしては、大きすぎる。


ベッドから身を起こし、耳を澄まして階下の様子を窺っていると、わたしの部屋のドアがすっと音も無く開いた。


ほのかな常夜灯の明かりの中に四つ年上の兄の姿を認めて、張りつめていた緊張がすこしだけ緩む。


「――優奈ゆうな、起きてるな?」


兄のひそめた声に、わたしはこくりと頷く。


「爺さまの御刀を狙って入ってきた泥棒かもしれない。

俺が見てくるから、お前はここを動くなよ」


「…わたしも行く」


「だめだ。

危ないから、このまま部屋の中に隠れているんだ」


兄は厳しい表情でわたしに命じた。

なまじ綺麗な顔をしているだけに、こういう表情をするとものすごい迫力がある。


美形が怒ると怖いよね~…なんて心の中でのんきに呟きながら、わたしは日頃は使わない呼び名で兄の動揺を誘うことに決めた。


「一人で隠れてるなんてやだ。

わたしも『お兄ちゃん』と一緒に行く」


「…。」


この場面を漫画化するとしたら、擬音は「がびーん!」あたりが適当かもしれない。

そんなことを考えてしまうほど、兄はわたしの言葉に表情を一変させていた。


目が潤んで、頬は薄紅色に染まり、鼻息がやけに荒い。

兄の通常バージョンを『チート』いう言葉で表すなら、今は『変態』もしくは『変質者』が最適だと思う。


自分で狙ってやったこととはいえ、妹のわたしに『お兄ちゃん』と呼ばれただけで、こんな風に豹変してしまうのは、どう考えても普通じゃない。


「――優奈、そんなにお兄ちゃんのことが心配なのか…?」


わたしは兄の言葉を無視してベッドから降り、ヤツの膝に蹴りを入れて転ばせると、横をすり抜けて部屋の外へと飛び出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る