第5話 青い髪 5.姉弟
「う……」
小さな呻き声。
宿のベッドでデュナが目を覚ましたのは、とっくに日も暮れた頃だった。
四人分の食事を支度していた手を止めて、ベッドに駆け寄る。
「デュナ! 大丈夫!?」
「……うう……う……」
地を這う様な低い呻き声とともに、ぎしりと体を軋ませながら、デュナが半身を起こす。
強打していた左肩や、擦り切れていた足など、目に付いたところはなるべく治癒しておいたのだが……。
「どこか痛いところある?」
「ありがと……大丈夫よ」
デュナが眼鏡を探しながら答える。
枕元を探る手に、小さくヒビの入った眼鏡を手渡すと、デュナはそれを掛けながら呟くように尋ねた。
「……ラズ一人なのね?」
部屋には、デュナの他に私しか居なかった。
スカイとフォルテが居ないだけで、そう広くないはずの部屋にとてつもない虚無感を感じる。
「うん……」
頷いた途端に涙が溢れそうになる。
それをぐっと堪えた私の頭に、ポンとデュナの手が乗せられる。
その僅かな衝撃で、堪えた涙はあっけなく零れ落ちてしまった。
「そう……こんな時間になっても、スカイすら戻ってこないのね……」
顔を上げると、デュナはどこか遠くを見つめていた。
そのラベンダー色の瞳が一瞬だけ揺れて、眼鏡の向こうに隠れてしまう。
「あ、これ、盗賊ギルドの人が、デュナが起きたら飲ませてあげてって」
言いながら、精神回復剤の中瓶を手渡す。
「盗賊にも気が利く人がいるのね」と意外そうに呟くと、デュナはそれを一気に飲み干した。
「あのローブの男はどうなったの?」
空き瓶をベッドサイドに置こうとするデュナから、それを受け取って答える。
「それが……わからなくて……。私が顔を上げたときにはもう居なかったから……」
「なるほどね。あの男が残ってるとなると、スカイ一人じゃ厳しいわ……」
厳しい表情でそう呟いてから、はた。とこちらを振り返るデュナ。
「宿へは、どうやって戻ったの?」
そこで、これまでの事をかいつまんで説明する。
あの後、盗賊ギルドに保護された私達だが、デュナがその……私のせいでびしょ濡れになっていて、このままでは風邪を引きそうだったので、ロイドさん……ええと、
「ロイドベルクさんって言う、ギルドの管理責任者で、真面目な感じの男の人なんだけど、その人がここまで運んで来てくれたの」
「ふーん」
この国では、生まれた子供に五〜六音ほどの長い名前を付けるのが普通だった。
そのため、ある程度親しくなると自然と略称を呼ぶ。
依頼人などの場合、そこまで仲良くなる事もないので長い名前を呼び続けることが多いのだが、ロイドさんは自らをロイドだと名乗ってくれた。
胸に光るギルドバッジに「ロイドベルク・カーシュダイン」と書かれていたので、それが略称だと分かったのだが、略称を名乗ってくれたという事は、気軽にその名で呼んでいいという事だった。
スカイの事も、ギルドの皆さんは略で呼んでいるようだったので、私も自分の名前をラズだと名乗っておいた。
もっとも、今までも依頼人には、気軽に呼べるようにと皆略称を名乗っていたので、いつもの事といえばそれまでだったが。
「精神回復剤をくれたのもその人なんだよ」と付け足すと
「今度お礼を言っておくわ」と返事が返ってきた。
「で、そのギルドに捕まった覆面男達は今どうしてるの?」
「うん……。ギルドの人達が、アジトの場所を吐かせるって言ってた」
「じゃあ、私達もすぐ行きましょう」
「今から!?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
だってもう、外は真っ暗で、私もデュナも今日はくたくたのはずだった。
「スカイが危ないわ」
デュナのその言葉には、どこか切羽詰ったような響きがあった。
「で、でも、ギルドの人達の話だと、あの盗賊団……じゃなくて窃盗団は、人殺しはひとつもやってないって言ってたよ」
盗賊ギルドの人達は、彼らを盗賊団とは呼ばなかった。
窃盗団が……と近くで会話が繰り返されるのを聞きながら、そう呼ぶのが、盗賊ギルドの人達へのせめてもの敬意かも知れないと思った。
……盗賊という言葉に、彼らはプライドを持っているようだったので。
「だから、スカイも死んだりする事はないだろうって言ってたけど……」
そこまで言って、デュナの表情がとても険しい事に気付く。
眼鏡の向こうに見えるデュナの目は、じっと宙を睨みつけていた。
「……それは希望的観測だわ」
ぽつりと言い返された言葉に、怒気は篭っていなかった。
むしろ、私を追い詰めないように、言葉を選んでくれたような配慮すら感じられた。
「以前、スカイが攫われた時は、こちらに切り札となる石があったでしょう。
取引の材料として使えたから、スカイは無事だったのよ」
淡々と説明をするデュナが、小さく息を飲む。
「……今回は違うわ」
囁くようなその声に、急激に蘇ってきた不安が胸を締め付ける。
「フォルテは……傷が付かないよう扱われていたところを見ても、身体は無事でしょうけれど……」
身体は。という言葉が嫌に耳に残る。
じゃあ……心は……?
「相手にとって、スカイを生かしておく必要はないでしょうね」
デュナはそこまで言うと、静かに立ち上がった。
「……それにしても臭うわね」
デュナが、うんざりとした表情で自分の体を眺めて言う。
「ああ、うん。ピコリーまみれになってたからね」
「ガーリックの香りもオリーブの香りも好きだけれど、こう強制的に嗅がされ続けるのは勘弁してほしいわね」
身動きをする度に漂ってくるその臭いから、逃れるすべのないデュナがちょっと可哀想に思えてくる。
「一応、全部拭き取ったんだけどね」
「ええ、ありがと」
苦笑する私の頭をぽんと撫でて、デュナが荷物の中を漁る。
ボロボロになった白衣の代わりに、ピシッとノリの効いた白衣を引っ張り出して、
そこへ精神回復剤をありったけ詰め込むデュナ。
私達の荷物は四人分を一袋に詰めているため、普段から白衣のスペアを入れているわけではないのだが、今回の旅は長かったので、替えを持って来ていた。
体の傷は治癒術で治せても、精神は回復剤で回復できても、蓄積された疲労は、まだ色濃くデュナの横顔に影を落としていた。
「まだこの時間なら、ギルドには誰かしらいるでしょうね」
「うん……」
デュナの言葉に、小さく頷く。
くるり、とこちらを振り返ったデュナが私を真っ直ぐに見つめる。
「……フォルテの紋様、ザラッカで調べてきたのよ」
ふいに変わった話題に一瞬戸惑う。
私としては、デュナ達がザラッカから戻って以降、何も言われなかったので、てっきり何も分からなかったものだと思っていたのだけれど……。
「フォルテは運がいいでしょう?」
ここで「うん」と返事をして、微妙な空気が漂っても困るので、大きく頷いて返す。
「赤い石騒動の時、覚えてる? フォルテがお手洗いに行ったおかげで、ラズ達は無事だったのよね。まあ、その前に、そもそもフォルテはスープを飲まなかったんだけど……。
敵のアジトでも、転んだフォルテにしがみ付かれて、ラズが光球で天井を撃ち抜いたわよね。
あれがなかったら、建物が倒壊するときスカイ達は脱出できずに潰れてたわ」
言われてみればその通りだと思うけれど、それと紋様の関係は……?
「フィーメリアさんの捜索クエでも、フィーメリアさんを見つけたのも、ブラックブルーを見つけてきたのもフォルテだったわね」
「う、うん……」
「湖に落ちたときには、タイミングよく浮上した大亀に助けられたわけよね?」
そうやって並べられると、凄い幸運の連続に思えるけれど……。
「どこまでがそうかは分からないけど、これらはただの偶然じゃなかったのよ。フォルテに授けられた幸運の女神の加護だったの」
と、そこまで話して、私に手帳の一ページを開いて見せる。
「ラズが見た紋様って、これだったんでしょう?」
デュナが指した部分には、文献から書き写したのであろう紋様があった。
幾重にも重なる円の中に、羽と歯車の組み合わさったような図。
それは確かにあの日私が水の中でフォルテの額に目撃したものだった。
「うん、これ……この紋様だった……」
「それは、幸運の女神の紋なんですって」
「へぇー、そうなんだ」
まじまじとその図を眺める。
一風変わったその紋様は、やはり今までの生活では目にした事が無かった図のように思う。
「……それが、なんでフォルテの額に……?」
顔を上げると、デュナが片眉をあげて苦笑する。
「そこまではわからないわ。ただ、幸運の女神がこうやって特定の人物に加護を与えるというのは、今までにも時々あったようなの」
「へぇー、そうなんだ」
うっかりさっきと同じリアクションを返してしまうも、デュナは気を悪くする様子もなく続ける。
「理由は様々に推測されていたけれど、私は幸運の女神の気まぐれだという説が正しいように感じたわ」
え、ええと?
じゃあ、フォルテが幸運に守られてるのは、神様の気まぐれ……なんだ……?
それこそがまさに、幸運な事な気がする。
「問題なのは、強制的に幸運が発生する事によって引き起こされる、運のバランス作用ね」
「バランス作用……?」
「ええ、この世にある幸運と不運は、常に同量でないといけないんですって。だから……」
「あっ!!」
私のために説明をするその言葉を遮って、思わず声をあげてしまう。
デュナの背後。
窓をすり抜けて、そっと部屋に入ってきたのは、今日追いかけた風の精霊の少女だった。
キョロキョロと室内を見回すと、私達を確認して近寄ってくる風の精霊。
フォルテよりほんの少し大人びて見える顔立ちに、浅緑色をした腰までのサラサラストレートと、シンプルなワンピースのように見える服の裾を揺らすその姿は、間違いなく、あのローブの男が使役していた精霊だった。
精霊の少女は、こちらの会話を聞き取ろうと懸命に耳を傾けている。
おそらく、部屋の様子を見て、中での話を聞いて来いと言われているんだ。
「ラズ……?」
今この場で精霊が……と口には出せなかった。
あのローブの男は、まだ私が精霊を見ることができるのに気付いていない。
そうでなければ、不用意にこの子を送り出すこともなかっただろうし……。
「デュナ、手帳貸して」
白衣のポケットへとしまい込まれたばかりの手帳をもう一度手渡される。
どこでもすぐにメモが取れるようにと、デュナの手帳の背にはいつもペンが差されていた。
それを手に取ると、白紙のページにペンを走らせる。
【ローブの男が使ってた精霊が偵察に来てる】
私の手元を覗き込んでいたデュナの顔色が変わる。
筆談をしてきた私を見て、会話を聞かれていることも理解したのだろう。
パッと手帳とペンを取り上げると、すぐにこう書いて寄越した。
【後を追うわ。支度をして】
もし尾行に気付かれた時、デュナに、あの男ともう一度戦闘をするだけの体力があるのかが気になるところだったが、フォルテとスカイの居場所を知るこのチャンスをみすみす逃すわけにもいかない。
外していたマントと帽子を手早く身につける。
振り返れば、デュナも準備完了のようで、ウィンクをひとつ投げかけられた。
精霊はというと、私達の周囲をふわふわと飛び回っている。
どうやら、会話がされるのを待っているようだった。
自身が覚えられる程度の会話を聞き取るまで帰るつもりが無いのだろうか。
もちろん、相手が寝ていた場合は帰って来ていいだとか、何分待っても会話がなかったら帰ってくるだとか、そういう指示は受けているのだろうけど……。
「デュナ、ご飯食べよう」
「え?」
私の言葉に一瞬驚きを返すも。
「そうね、喉が渇いたわ」
と返事をしてくれた。
この後は、しばらく走る事になるだろうから、あまり沢山飲んだり食べたりはできないけれど、少しでもお腹に入れておこう。
今夜は長くなるかも知れない……。
作りかけていた四人分の食事から
二人分だけを注ぎ分けてテーブルに並べる。
もうほとんど冷めてしまっているスープを、温め直そうかほんの少し迷ったけれど、精霊がいつ外へ向かうか分からない以上、なるべく時間はかけないほうがいいだろう。
冷たい食事を並べても、デュナは嫌な顔をすることはなかった。
私達の周りをくるくる飛びながら、いつ会話が聞けるだろうかと真剣な面持ちで耳を傾けている浅緑色の精霊を、視界の端に常に入れつつ食事をする。
くたくたのデュナと、やはりくたくたで帰ってくるであろうスカイの事を考えて、今夜のメニューは、体に優しいスープリゾットを用意していた。
サイドメニューがまだ未完成だったが、それはこの際置いておこう。
食事を取りつつ、筆談をする。
テーブルの上には手帳から切り取られた紙が一枚乗せてあった。
あの精霊はいつも窓のあたりから出入りしていた。
それを追うのに、もたもた玄関まで回っていたら見失ってしまうだろう。
そう伝えると、デュナが【じゃあ私達も窓から出ましょう】と書いて、部屋の窓を開けに行った。
続けて、肩に風の精霊を二人呼ぶ。
飛び降りるときのクッション用だろう。
この部屋は二階にあった。
精霊達は、私達の住むこちらの世界の物質にほとんど影響を受けることなく動く事が出来る。
彼らに、私達の扉や壁といったものは意味が無かった。
【あの精霊、この町に来たときから度々私達の様子を見に来てたみたい】
戻ってきたデュナに紙を差し出す。
すると、こんな文字が返ってきた。
【そういえば、スカイも初日におかしな視線を感じたって言ってたのよね……】
宿に着いた時の事を思い出す。
そういえば、あの時確かにスカイは宿の斜め前の路地を見つめてそんな事を言っていた。
デュナに報告していたという事は、よっぽど気になる視線だったのか……。
考えながら、手元の皿にスプーンを下ろす。
カツンと皿の底に当たった音に視線を下ろすと、いつの間にかリゾットは空になっていた。
デュナも半分ほどを食べ終えている。水分はコップ三杯目になっていたが。
ふいに、精霊の少女がくるりと背を向けた。
慌ててそちらに顔を上げる。
私の仕草で気付いたのか、デュナがガタンと椅子を鳴らして席を立った。
その音に、こちらを見て小さく首を傾げた風の精霊が、もう一度反対側へ首を傾げ直して、そのままふわふわと外へ出て行く。開け放たれた窓から。
「行くわね!?」
「うんっ」
デュナの声に答えて、私達も窓へと駆け出す。
いつの間にか高く昇っていた明るい月が、小さな瓦が積み重なった家々を照らしている。
二階から一瞬だけ地面を見下ろす。
う……思ったより高い……。
精霊を見失わないように、もう一度視線で確認すると、やはり加速こそしないでくれるものの、その後姿は確実に遠ざかっていた。
バサッと白衣の裾を翻してデュナが華麗に飛び降りる。
そのまま、ふわりと地面に風の波紋を残して音もなく着地する。
迷っている余裕は無い。
私も、デュナに続いて2階の窓から外へと飛び出した。
光沢のある屋根瓦がキラキラと月の光を反射して、町のあちこちにともる灯とともに揺らめいている。
ほんの一瞬。まるで夜の海に飛び込んだかのような錯覚を受ける。
精霊の少女とは違って、そのまま平行には進めなかったが、重力の干渉を受けた私の足は、デュナの起こした風の助けを得て無事地面に降り立った。
「こっち!!」
浅緑色の長い髪を風になびかせながら、気持ち良さそうに夜空を飛ぶ精霊の少女。
その姿から、なるべく目を離さないようにして駆け出す。
私がここで見失ったらおしまいだ。緊張感にほんの少し息苦しくなる。
ぐねぐねとした細い通りを精霊を見上げながら走る。
途中で何度も柱や物陰にぶつかりそうになる。
もうちょっと降りてきてくれたらいいのに……!
精霊は、私達の事などまるでお構いなしに、部屋を出た高さのままで飛び続けていた。
3段ほどの階段を飛び降りて、小さな公園を突っ切る。
デュナには見えていないのだから、私がデュナより前に行くしかないと分かってはいても、曲がり角を曲がる度、曲がった先にあの男が待ち構えていたら……という恐怖心が繰り返し私の足を止めようとする。
そんな自分の弱さと必死で戦っていると、デュナが後ろからぽんと帽子を叩いた。
「大丈夫よ」
何が、とは言われなかったが、それだけで一気に視界が広がったような気になる。
うん、大丈夫。スカイとフォルテがきっと私達を待ってる!!
そう思うと、足まで軽くなったような気がした。
フォルテの後を追ったときと同じ程度の距離をとった場所に、彼は居た。
おそらく、このくらいの距離が彼にとって精霊を派遣しやすいのだろう。
あまり離れて報告の時間が遅れても、逆にあまり近くて居所がバレるようでもいけないからか……。
と、理解しつつ後ろに下がる。
私達の足には今日と同じく風の精霊が付いていて、足音が無い。
そのおかげか、まだ彼は、私達に気付いていないようだった。
後退った私に気付いたデュナが、軽く指先を振る。
それを合図に、デュナの発注を受けていた大気の精霊が、ぐるりと私達を薄い空気の膜で覆った。
……なんだろう。この魔法は……。
確か、以前にも一度見た事があったんだけど……。
ええと……あれは、スカイが大熊の群れに突っ込んでしまった時だっけ?
まあ、スカイが頭から危険地帯へ突っ込む羽目になったのは、デュナが飲ませた怪しげな薬品が原因だったわけだけど……。
記憶を辿っていると、デュナが隣でウィンクして、微かな声で説明する。
「向こうに振動を伝えないようにして、私達の気配を隠したのよ。あの男は鼻が利きそうだから、ね」
ああ、それで結局あの時スカイは、そろりそろりと大熊の間をかいくぐって逃げてきたんだっけ。
姿勢を低くして、物陰に隠れているデュナを見る限り、姿が消せるわけではないようだし、私も倣って身をかがめた。
といっても、この夜闇の中では、真っ白な白衣のデュナと、全身濃紺の私とでは目立ち方がまったく違うわけだが。
私達に気付かないまま、少女の報告を聞いたローブの男は、精霊を小瓶にしまうと、俯くようにして元来たと思われる道を引き返し始めた。
ローブ越しにも、男には背丈も肩幅もあるのが分かる。それなのに、その背中はどこかしょんぼりと力なく歩いているような気がした。
その後ろを息を潜めてつけて行く。
精霊を回収した地点から、五分ほど進んだだろうか。
町の外周を取り囲んでいる石壁が間近に近づいていた。小さなあばら家。
なんだか屋根が斜めに歪んでいて、扉は壊れているのか閉まりそうにもなかった。
人が住んでいるとは到底思えない部屋に、ローブの男が音もなく溶け込んだ。
開け放たれたままの扉から中を覗き込むものの、真っ暗で様子は分からない。
街灯の明かりも町の外れであるここまでは届いていなかった。
あの暗闇に包まれた中に、フォルテもスカイも居るのだろうか。
じりじりとそのボロ家に近付いてゆくと、その奥からガチャリと重そうな扉の音がした。
ぽわっと、ほんの微かな魔法の光が部屋の地面からもれたと思ったら、また扉の閉まる音ともに完全な暗闇へと戻る。
地下室か!!
私達は顔を見合わせた。
ロッドの先に小さな光球を宿して、そうっとあばら家に侵入する。
やはり、この家は地下室の入り口になっているだけのようで、吹きさらしに近い室内には誰も居なかった。
それでも、ロッドを掲げて室内を見回す作業には相当の恐怖と緊張が伴った。
地面にめり込むように取り付けられた扉に手を当てて中の様子を探っていたデュナが、その手をそっと離す。
精霊の報告を聞いて……周囲に人影がなかったのだろう。重そうな鉄製の取っ手に手をかけた。
「ええと……デュナ……? やっぱりその、行くんだよね?」
「ええ」
中が敵のアジトになっているのだとしたら、閉鎖された空間に、大勢の盗賊崩れ達が居るという事ではないだろうか。
少なくとも、一番の強敵だったあのローブの男が居るのは確かで、それだけでも十分に突入は躊躇われた。
「とにかく、あの子達の無事を確かめないといけないわ。
明日まで安全だと思える状況なら、今夜は引き返すという選択もあるけれど」
うろたえる私に静かに答えると、デュナはその重い扉を引き上げた。
僅かな光球の光が、デュナの手元を照らす。
扉を開け放つ為に伸ばされたデュナの細い腕。
その向こうに見えたラベンダー色の双眸は、驚くほどに思い詰めた色をしていた。
途端、私の胸へ急激に込み上げてきた焦りに息が出来なくなる。
いつだって余裕のあるデュナが、こんなに切羽詰っているのは見たことがなかった。
「デュナっ」
思わず上げてしまった声に、デュナが人差し指を立てて唇へ当ててみせる。
悪戯っぽい笑みを見せた後、
「気配は消せても、姿が隠れるわけじゃないし、音だってそこまで防げるわけじゃないのよ。
此処から先は、声や音を立てないようにお願いね」
と、真っ直ぐ私の目を見て諭した。
「う、うん……」
じっと見つめられたラベンダーの瞳は、いつもと変わらない落ち着きを浮かべているように見える。
それでも、微かに感じた違和感に、私の不安は拭いきれず残ってしまう。
扉を開けてすぐの階段を降りると、地下にはそれなりに幅のある通路が続いていた。
大人が横に三人は並んで走れるくらいの広さだろうか。
天井はそう高くなかったけれど、よほど背の高い人以外は屈まず歩ける高さがあった。
石畳状の通路を、風の精霊の力を借りて足音を立てずに進む。
デュナは、既に一本目の精神回復剤を口にしていた。
少し進んだ通路の正面は行き止まりになっていて、左右に扉が一つずつと、さらに地下へ続くであろう階段があった。
左右の部屋に誰もいないのを確認して、私達はさらに地下へと進む。
偵察に出した精霊の話によると、次の部屋には
座っている子と倒れている人が一人ずつに、立っている人が三人いるらしかった。
座っている子、というのが少し小さい子供を指すようなニュアンスだったので、それがフォルテだとすると、倒れているのはスカイだろうか。
それよりも、さらに二つ程奥の部屋に、人がたくさんいるという報告の方が気になるのだが……。
デュナは、障壁の準備を済ませた上で、水の精霊を肩口に携えていた。
こう地下に潜ってくると、風の精霊は呼び出しが難しくなってくる。そのせいだろう。
部屋に近付くにつれ、男性の話し声が聞こえてくる。
扉の無いその部屋へ、私達は物陰に隠れつつ這うようにして侵入した。
案外広さのあるその部屋は、生活用品なんだか盗品なんだかわからないような
ボロボロの家具にその三分の一ほどを埋め尽くされている。
おかげで身を隠す場所には不自由しなかったが、盗賊崩れ達は一体どんな生活をしているのだろうか。
一番奥、部屋の隅にある古びたソファー。
所々綿がはみ出している、一人掛けのそれに、フォルテは座らされていた。
足と手を括られてはいたものの、布を巻いた上を括られる丁寧ぶりで、怪我をしている様子も無い。
相変わらず意識は失ったままのようだが……。薬で眠らさせているのだろうか。
「こいつ、どうするんスか」
フォルテの少し前に立っている三人の男が揃って下を見ている。
おそらくそこに、倒れた男というのが横たわっているのだろう。
「アジトの場所までバレちまったからには、生かしてはおけねぇな……」
頭に紺のバンダナを巻いている男が、両脇の男達より少し責任のある立場のようで、その男の発言に、両脇の男達がごくりと唾を飲んだ。
「殺しはやらないんじゃなかったんスかお頭!!」
片方の男が縋るように声を上げる。
「半殺しにしたところで治癒されてしまえば同じだしな、殺っちまうしかねぇよ」
もう片方の男が小さく呟く。
「う……」
三人の足元で、倒れている男のものと思える呻き声がする。
「お前等……フォルテを……どうするつもりだ」
それは間違いなくスカイの声だった。
中央の男がふいに屈むと、スカイの頭を鷲掴みにして引き上げる。
真っ青な空みたいなスカイの髪は、赤黒く染まっていた。
痛みに顔をしかめて声を漏らすスカイを覗き込むようにして男が告げる。
「冥土の土産に教えてやろう。お前等が隠しもせずに連れ歩いてたあれはな
コレクター達が喉から手が出るほど欲しがる希少種なんだよ」
男は、乱暴な口調で吐き捨てるように続ける。
「世の中にはおかしな趣味を持った金持ちってのが大勢居てな、金をいくら積んでもいいだなんて言われちゃ、やるっきゃねぇだろ?」
「じゃあ、フォルテは……」
ボロボロになったバンダナに遮られて、スカイの表情は見えなかった。
怒っているのか、それとも……。
「まあ、死ぬ事はねぇだろ。少なくとも、飼い主が飽きるまではな」
デュナよりも濃いラベンダーの瞳が、ギッと音がしそうなほどに男を睨み上げる。
その視線を受け止めて、男がスカイを見下して嘲る。
「お前も運のねぇ男だな。俺達は人殺しはしない主義だってのによ」
「ハッ。そんな事、人攫いに言われてもな」
強い口調で返すスカイの腹に、男の拳が突き刺さる。
一瞬、海老のように背を丸めてから、激しく咳き込むスカイ。
その口からは赤い雫が滴り落ちている。
スカイ!!!
叫びそうになるのをぐっと堪える。
ギリッと何かが軋む音が近くで聞こえた。
隣を振り返ろうとして、止める。
私が見ればきっとデュナはなんでもない顔を装おうとするだろう。
耳に入った音は、デュナの歯軋りだ。
声が上げられなくても、せめて悔しい顔ぐらいしていいと思う。
デュナの大事な、たった一人の弟が目の前で殴られているんだから。
「最後に言っておくことはあるか?」
男の問いに、スカイは大きく息を吸い込むと、ありったけの声で叫んだ。
「ねーちゃんっっ!!!!」
地下の一室に、スカイの悲痛な叫びが反響する。
その声に反射的に立ち上がるデュナを、私には止められなかった。
「何大声出してるのよ、恥ずかしいわね!!」
いつものように胸を張り、スカイを指差して怒鳴るデュナに、盗賊崩れ達の視線が集まる。
「こんなトコで呼んだって、外に居たら聞こえるはずないでしょ!?」
……そんな事、これだけ間近に潜んでた人が言うのもどうかと思うけれど。
突然の事態に動きを止めた三人の男達の間で
まだ頭を掴まれたままのスカイが、傷だらけの顔をふにゃっと崩す。
「……ねーちゃんなら、呼んだら来てくれると思った」
「それ、本気で……」
心底安心しきった表情で真っ直ぐ姉を見つめるスカイに、デュナが溜息をついた。
「…………言ってるわね」
「実際来てくれたし」
満足そうに答えた後、どこか遠くを見るように目を細めるスカイ。
「……あの時も、来てくれたし」
あの時……?
ああ、もしかして、スカイの基地が崩れた時の事かな。
私が気を失った後、雨の中私達を探しに近くまで来ていたデュナが
スカイの声を聞きつけて、私達を発見したって聞いてたけど。
つまりその時もスカイは、デュナを呼んでいたという事か。
「女! どこから現れた!!」
それまで固まっていた男が、ようやく声を上げる。
「アニキ、あいつは魔法使いなんスよ」
「何!? じゃあ魔法でココに……」
時々、魔法使いは何でもできると勘違いしている人に出会うのだけれど、彼らはどうやらそういうタイプの人間らしい。
デュナも説明が面倒だったのか、そこは完全に無視したようだ。
「よくも、私のモルモット(実験動物)に傷を付けてくれたわね」
……そこは、せめて弟って言ってあげた方が良いんじゃないだろうか。
やっと反応を示した男達へ、水の精霊が宿った腕を向けるデュナ。
次の瞬間、男達は大量の水に押し流されるようにして壁に叩きつけられていた。
頭を掴まれていた手を途中で離されて、ボトっとスカイが石の床に落下する。
受け身もろくに取れずに、小さな呻きを上げる弟の姿を見て、こちらまで自力で移動させるのは無理だと判断したのか、デュナが私に指示をする。
「治癒お願い!」
「うん」
返事をして、部屋の隅から家具を避けつつ真ん中まで駆け寄る。
私の後ろを歩きながら、デュナが何か唱えている。
私がスカイの傍に膝を付くと、周囲を障壁が取り囲んだ。
吹っ飛んだ男達が叩きつけられた奥側の壁と、私達を包んだ障壁との間にデュナが立つ。
真っ白でシワひとつ無い白衣に包まれたその背中をちらりと見上げて、
私は祝詞の詠唱に取り掛かった。
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