第5話 青い髪 3.再会

「ここね」


デュナが立ち止まったのは、小さな小さな剣術道場の前だった。

古びた建物に、不釣合いなほど大きく掲げられた看板。

「すみませーん」

相変わらず物怖じしないデュナが、遠慮なくその扉を叩く。

しかし、反応はまったく返ってこなかった。

まだ午前中だというのに、周囲は気味が悪いほどに静まり返っている。

「誰も居ないのかしら……」と呟いて、ほんの数秒デュナが動きを止める。

どうしたのかと問おうとした途端、デュナの右肩に、小さな風の精霊が浅緑色の髪を揺らしながら姿を現す。

その子が、デュナの指示に従って、肩口から指先へ滑るように移動すると、スイッと扉を通り抜けて建物の中へと入って行った。


そういえば、昨日もどこかで、こんな風に働く精霊の姿を見た気が……。


一、二、三秒程だろうか。

フッと扉の向こうから戻ってきた先ほどの精霊が、デュナの指先に軽く触れると、精神を少し齧って向こうの世界へと姿を消す。

じっと目を閉じていたデュナが、眼鏡の奥の瞳をゆっくり開くと、がくりとうなだれた。

「ダメだわ。留守みたいね……」

どうやら、デュナの財布は、昨日のお買い物で相当軽くなっているようだ。

私も、少なからず今日の収入を期待していただけにガッカリはしたものの、デュナの凹みっぷりを見ていると、自分の事はあまり気にならなくなってきた。

「お留守なの? お部屋に帰るの?」

今まで黙って私達を見守っていたフォルテが、疑問を口にする。

「そうね。出直しましょうか……」

しょんぼりとデュナがその背を扉に向けた時、道場の窓が小さく開いた。

「お客さんかい?」

バッと、信じられないものを見るような目で振り返るデュナ。

それはそうだろう。

なんせ今、精霊に人が居るかどうかを調べさせたところなのだから。

デュナの表情が、声の主を視界に入れた途端、嬉しさの入り混じった驚きの顔へと変わる。

「レクト!? 久しぶりじゃない!」

「やあ、デュナか。懐かしいな」

淡く、どこか儚げな印象を受ける笑顔で、レクトさんは昔のように微笑んだ。

「リディアは元気? あなた達、ランタナに住んでるの?」

五年ぶりの再会に喜びを露わにするデュナとは対照的に、レクトさんはその笑顔にうっすらと影を落とした。


「リディアは死んだよ」



「………………え?」



まるで凍りついたかのように、デュナがピタリと動きを止める。

「立ち話も何だな……。よければ寄って行ってくれ。時間はあるかい?」

先程と変わらない調子で優しく話しかけてくるレクトさんに、デュナはゆっくりと頷いた。

「ええ……」

その慎重な姿は、込み上げてくる疑問をひとまず飲み込もうと必死なようにも見える。


そっか……リディアさん、亡くなっていたんだ……。


つい数日前に、生きていたのだと聞かされたばかりだった……のに……な。


不意にキュッと手を握られて、見下ろすと、フォルテが心配そうにこちらを見上げていた。

うるんだラズベリー色の瞳を見つめながら、もう片方の手でそのふわふわのプラチナブロンドを撫でる。

「大丈夫だよ」

なるべく、ぎこちなくならないようにそう伝える。

まだ心配そうにしているフォルテの手を、そうっと握り直して、私達はレクトさんの開けてくれた扉をくぐり、剣道場へと足を踏み入れた。

「その辺に座っていてくれるかい? お茶を入れてくるよ」

道場のすぐ脇にある、机と椅子だけが置かれた部屋に通される。

窓越しに、そう広くない石造りの道場がよく見えた。

スカイの話だと、リディアさん子供が居たんだよね……?

子供はどうなったのかな。

それとも、子供が生まれる前に亡くなってしまったんだろうか……。

そんなことを考えていると、デュナが机の上に一冊の本を取り出す。

「それは……?」

「依頼された届け物の本よ」

デュナの簡潔な説明に「そっか」と返事を返す。

お届け相手はレクトさんなのだろうか。

デュナはこの道場に届けるよう言われたと言っていたが……。


デュナもやはり、私と同じように何かしらを考え込んでいるようだった。

やたらと分厚いその本の背には『魂の起源~始まりの記憶~』と横文字で書かれている。


始まりの記憶……?

私の、一番最初の記憶って何だろう……。


……辺り一面、真っ白な雪景色。

空も白くて、息も白くて、私は大きな犬の背中に乗せられて、沢山毛布が掛けられていて

ちっとも寒くはなくて、父も母も楽しそうに笑い合っていて……。


うん。きっとこの記憶が私の中で一番古いものだろう。

ふと隣を見れば、フォルテも同じようにその背表紙を見つめていた。

「フォルテの、最初の記憶ってどんなの?」

フォルテの記憶が戻ってから、時々フォルテは住んでいた場所や両親の事などをぽつぽつと話してくれていた。

それでも、こちらから聞くのはこれが初めてだった。

「えーとね……お花を見てた……。黄色いお花を、お父さんとお母さんと、お兄ちゃんと、皆で一緒に」

え?

「フォルテ、お兄ちゃんがいたんだ?」

「うん。いた、よ」

過去形で返事をして

ニコッと笑ってみせたフォルテの顔に、さっきのレクトさんの表情が重なって見える。

ちら、とデュナを見ると、彼女はまだじっと机の上に置いた本を注視していた。


「おまたせしたね。皆、紅茶でよかったかな?」

優しい声とともに、奥の小さな扉からレクトさんが顔を出す。

「あ、はい」

返事をしてから、ふと思う。

レクトさんは私の事を覚えているのかな?

デュナのパーティーの人達が家に遊びに来た事自体がそう多くなかったので、さすがに私の事は覚えていないだろうな……。

ほっとするような、ちょっと残念なような気持ちでそう判断したところへ、レクトさんがお茶を目の前に差し出してくれる。

「君はえっと……ラズちゃんだっけ? 大きくなったね」

ふんわりと微笑みかけられて、

「へ? は、ありがとうございますっ」

なんだか動揺してしまったのが思い切り声に出てしまった気がする。

うう、恥ずかしいなぁ……。

私が赤くなって俯いている間に、お茶は隣のフォルテにも出される。

半分ほど、私の後ろに隠れていたフォルテが、

「君は、はじめましてかな?」

と声を掛けられてカチンと固まる。

「あっ、ごめんなさい、この子ちょっと人見知りが激しくて……」

慌ててフォローを入れる。

フォルテの人見知りは、記憶が戻った今も健在だった。

「ははは、このくらいの歳の子はそうなのかも知れないね」

レクトさんはそう言って、私達と反対側の椅子に腰を掛ける。

「道場に来る子達でも、女の子は、話しかけると赤くなって黙っちゃう子が多いよ」

……。

それはどうにも、人見知りだけではない気がするのだけれど……。


レクトさんは相変わらずふんわりとした雰囲気を纏って微笑んでいる。

そんな彼だったが、剣の腕は超一流で、その技は鋭く冴えているのだと、昔デュナが教えてくれた。

「あの……この道場はレクトさんが……」

「お一人で?」と続けそうになって言葉を呑む。

「僕はボランティアのようなものだよ。昔、こちらの道場の先生にはお世話になった事があるんだ。その恩返しかな」

無償でお手伝い……をしているのだとしたら、レクトさんは今どうやって生活をしているんだろう。

ふと、レクトさんの服装が冒険者然としているのに気付く。

さすがに甲冑こそ着ていないものの、簡単な防具にマント。

この町にずっと住んでいて、ここで師範をするだけなら、そんなものは必要ないだろう。

彼は、また冒険者に戻っているのか……。


黙って紅茶をかき混ぜていたデュナが、顔を上げてレクトさんを見る。

「それで、リディアはどうして死んだの?」

責めるでもなく、悲しむでもなく、ただ質問として問いかける声。

それを、デュナがどんな気持ちで口にしたのかは私達には分からなかった。

「リディアは、風邪をこじらせてね。お腹の子と一緒に……。僕は、生涯守ると誓った彼女を、こんなにあっけなく失ってしまった。……情けない話だよ」

答えるレクトさんの口調も、今までと変わらない淡々としたものに聞こえる。

ただ、苦笑を交えて話すレクトさんのその瞳には、強い後悔と自責の念が見え隠れしていた。

「そう……」

デュナがぽつりと返事をする。

砂糖もミルクも入れていない紅茶を混ぜていたスプーンを静かに置くと、両手の指を組んで口元に当てて軽く俯く。

前髪と眼鏡で目元が、組んだ手で口元が隠れたデュナの表情は完全に読み取れなくなった。

「あのリディアが、手紙のひとつも寄越さないなんて、おかしいとは思っていたのよ。今まで、気付かなくてごめんなさいね……」

あの頃、デュナとリディアさんはとても仲が良かった。

パーティーに二人だけの女の子だったこともあったが、それ以上に二人はとても気の合う親友のようだった。

そのままの姿勢で話すデュナに、

「いや、僕こそ、皆に知らせなきゃいけなかったのに……すまないね」

とレクトさんが悲しい瞳で苦笑した。


あの本は、道場の持ち主が私達の村の村長から借りる本だそうで、報酬は、それを預かっていたらしいレクトさんから貰い受けることが出来た。


「三千ピースねぇ……」

デュナが明らかに不服そうな顔をして通りを歩いている。

レクトさんが道場の主から預かっていたという封筒にはそれだけしか入っていなかった。

「一人きりの冒険者ならともかく、四人で三千は厳しいわよ……」

まあ、正確にはフォルテはただの付き添いで、冒険者自体は三人なわけだが。

「やっぱり明日出直して、直接道場経営者に交渉すればよかったかしらね」

三千ピースを受け取った今、言ってもしょうがない事を、いまだに納得できないデュナがブツブツと呟きながら歩く。

その後ろをいつものように私とフォルテが手を繋いで歩いていた。


やはりデュナのお財布は相当ピンチだったようで、結局は目の前の現金に負けてしまったようだ。

レクトさんはそんなデュナを見て「変わらないなぁ」と笑っていた。

時間はお昼に近付いている。


お昼と夜と、明日の朝ご飯の材料を買って、ついでにりんご飴屋さんにもちょこっと顔を出して……。

屋台には、昨日は居なかった親父さんも居て、深々と感謝されてしまう。

今日もまた、たっぷり貰ってしまったりんご飴に、珍しくフォルテが、私のマントの後ろからではあったけれど、飴がとっても美味しかったとお姉さんにお礼を言っていた。


それにしても、二日連続でりんご飴はきついなぁ。

飴をはがして、中身だけ朝のデザートにでもしようかな?

買うつもりだったさくらんぼは、また明日にすることにして、私達は宿へと戻った。


----------


「た……ただいまぁ……」

スカイが宿に戻ってきたのは日の暮れる頃だった。

「おかえりー」と何の気なしに返事をして、あちこちにカギ裂きを作った傷だらけの姿に驚く。

「どうしたの!? それ」

私の声に、フォルテとデュナも何事かと部屋から廊下を覗き込みに来る。

「や、その、技の練習でさ……」

力なく苦笑するスカイに、フォルテは「大丈夫?」と駆け寄り、デュナは呆れた顔をして部屋に引っ込んだ。

「シャワー浴びてくる」

「その傷で?」

「ああ、まあ大きな怪我は向こうで塞いでもらったし」

じゃあ、さっきから体を引きずるようにしているのは、傷というより疲労なのか。

「小さな傷も塞ぐよ。シャワーが沁みるでしょ」

「そだな、じゃあ頼む」

私の申し出に、嬉しそうに目を細めて、ずるずると壁に背を預けたまま廊下に座りこむスカイを見ながら、今日の出来事……リディアさんが亡くなっていたという話をどこから切り出すべきか思案した。

デュナにまかせておけば、ちゃんとスカイにも説明してくれると思うんだけど、彼女にとってこれは、口にしたくない話だろう。私よりも、ずっと。


スカイの前に屈んだまま、黙ってしまった私にスカイが声を掛ける。

「夕飯作ってたのか?」

「あ、うん。もう出来たよ。スカイがシャワー出たら皆でご飯にしようね」

「おう」

にこっと人懐こい笑顔を見せたスカイが一瞬真剣な顔になって、私の耳元に顔を寄せた。

「何かあったのか?」

「え?」

「いや、こんなボロボロで帰ったら、絶対ねーちゃんに指差して笑われるって思ってたんだけどさ」

小声でそう言いながら、服を軽くつまんでみせる。

ああ、そういえば、デュナはほとんど反応しないで部屋に戻っちゃったんだっけ。

私はおかしいとは思わなかったけど、そっか。

いつものデュナならスカイを弄る機会を逃したりしないのか……。

「うん……、あのね――……」

スカイに今日の出来事を手短に話す。

「そっか、リディアさんが……」

「うん……」

しょんぼりとうなだれた私と、そのすぐ隣にちょこんと座って私達のやり取りを聞いていたフォルテの頭に、スカイの手が軽くポンと触れた。

「しかし、いいなぁ剣術」

スカイが心底羨ましそうに呟く。

「俺今日さ、ギルドの人に鞭使う方が向いてるとか言われたよ……」

「鞭?」

フォルテが聞き返す。

「ああ、鞭……。便利なんだろうけどさー……なんか、鞭使うのって悪者っぽくないか?」

真剣に問われて言葉に詰まる。

「う、うーん……」

フォルテも困った顔で首を傾げていた。

そもそも、スカイが今使っている短剣も、正義の味方っぽくはないと思うけど……。

「せめて学生の頃、ちょっとでも剣術やってりゃ良かったなー……」

学校には当然ながら、剣術部もあった。

確かに、そこに入っていたなら今頃スカイにも長剣の一本扱えただろう。

しかし、スカイは学生時代、ずっと家庭科部に所属していた。

フローラさんのあまりの不器用さに、家事をやらざるを得なかったのだ。

一方デュナはずっと科学研究部だったらしい。

もしデュナがもう少し家事に興味を示していたなら、また違う結果になったのかも知れないけれど……。


確か、私があの家でお世話になるようになって数ヶ月経った頃だっけ。

週に何度か、お世話になっているお礼の気持ちを込めて料理をするようになった。

初めて私の料理を食べたときのみんなの顔は、いまだに忘れられない。

まあ、フローラさんに限っては今でも……というより、いつでも、同じ顔をして、美味しい美味しいと食べてくれるわけだが。

スカイとデュナの驚いた顔は、思い出すだけで笑いがこみ上げそうな程だった。

それからすぐに、スカイも料理をやるようになる。

小さな頃は私とスカイとフローラさんで、食事の当番を決めていた。

いつだったか、卵の割り方を教えていると「料理って面白いな。母さんが作るより俺が作る方が美味いって、もっと早く気付けばよかった」と、小さなスカイが悔しそうに呟いていたっけ。


クスクスと思い出し笑いをしていたら、目の前のスカイとフォルテが首を傾げている事に気付いた。

「あ、ごめん、すぐ治癒するね!」

慌てて、スカイが差し出していた腕に手をかざすと、唱え慣れた祝詞を口にする。

フォルテが、あちこち裂けたスカイの服をつついている。

裁縫道具もあるし、この程度ならスカイが自身で直すだろう。

裁縫の腕に関しては、私よりスカイの方がずっと上だった。

「ねぇ、スカイはどんな技覚えようとしてるの?」

今度は足に手をかざして、二度目の詠唱に入った頃、フォルテがくりっと小さく首を傾げる。

「んー……と、そうだな、瞬間移動みたいなやつだよ」

スカイがしばし考えて返事をする。


……なんだそれ。


「ほぇー、すごいねー」

スカイのよく分からない説明に、フォルテがよく分からないながらも感嘆する。

フォルテが、「ほー」と「へー」の混ざったような声を上げるのは、決まって「なんだかわからないけどまあいいや」と思っているときだった。

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