第1話 赤い宝石 4.一夜明けて

翌朝、カーテンの隙間から差し込む朝日に照らされて目を覚ますと、フォルテとデュナはまだ寝ていた。


サイドボードに置かれた時計を見る。

ずっしりと重そうな台に、細かな彫り細工がされていて、その真ん中に、懐中時計ほどの大きさの時計が埋め込まれた形になっているそれは、今が朝の七時少し前だという事を教えていた。


えーと、昨日、ご飯を食べ終えて、部屋に通されたのが九時頃で……。


昨夜、この部屋に通され、この時計を初めて目にしたときの時間がそのくらいだった。

デュナは気付けばバタンと寝ちゃってて、フォルテもうとうとしてて、私はひとまずみんなの下着を洗濯したんだよね。

思い出しつつ、部屋の隅に干していた洗濯物を回収する。

明日が野宿にならないとも限らない生活をする上で、洗濯できるチャンスを逃さないことは大事だった。

手早く畳んで、振り返る。

いつも、長期の旅になるとスカイが背負わされている大きな縦長のリュックを視線で探すが……。


……あれ? 無い……?


ひとまず洗濯物をベッドに置くと、立ったりしゃがんだり、部屋の隅から隅まで確認する。

移動中は、スカイの背中が定位置のリュックだが、宿ではいつも私達の部屋にあるものだったし、現に昨日そこから全員分の洗濯物を取り出したのだ。

無いはずが無い。


デュナに聞こうにも、まだぐっすり寝ているし……。

脳裏にデュナの台詞が過ぎる

『寝すぎは時間の無駄よ無駄! 7時間も寝れば十分よ!!』

いつもそう言ってスカイを叩き起こしているデュナが、疲れていたとはいえ、こんなにいつまでも寝るものだろうか。


デュナは、まったくもって昨日のまま、寝返りすら打っていないのではないかと思うほどに、昨夜と同じ姿勢で、靴を履いたままベッドにうつ伏せている。


何かがおかしいという事に、私は、やっと気付いた。


「うーん……」


後ろで小さな声が上がる。

窓側のベッドで寝ていたフォルテが、眠そうに目をこすりながらやってくる。


デュナが息をしているか、確認しなくてはいけない。

その考えがどんな結果を可能性として想定したのか、気付いた瞬間、背筋が凍った。


「おはよぅ……ラズ」


ふにゃふにゃと、まだ回らない口から発された挨拶に返事が出来ないまま、私はデュナをじっと見つめていた。

立ち竦む私を不審に思ったフォルテが、私の視線の先にあるデュナを見る。


「デュナ、まだ寝てるの?」


おぼつかない足取りでデュナに近寄ろうとしたフォルテの目前に、昨日見かけた大気の精霊、あのパチパチした奴が姿を現す。


あの表情は、攻撃を仕掛けようとしている!!


力いっぱいフォルテの肩を引く。


フォルテはそのまま背中から私にぶつかり、ゴロンと2人で後ろに倒れた。


運悪く、ベッドの脚に背中が打ち付けられる。

が、フォルテは無傷のようだった。

よかった……。

ほっと胸を撫で下ろす。


「ど、どうしたの?」

驚いて目が覚めたのか、フォルテが大きなラズベリー色の瞳で私を覗き込んだ。

「うん、ちょっとね……いたたた……」

痛む背中を庇いながら、寄りかかる形になっていたベッドに座る。


大丈夫? とフォルテが心配そうにしている。

摩ろうかどうしようか迷っているようだったが、摩られると間違いなく痛い。

とりあえず、隣に座るように言って、何をどう説明しようかと考える。



「う゛……う゛う゛う゛……」


唸り声のような呻きとともに、デュナが上半身をゆっくりと起して頭を振った。


「メガネ……」


それがデュナの第一声だった。


顔の少し前に落ちていたらしいメガネを拾って一通り点検すると

「よかった……無事ね……」

両手でそっと、それをかけた。


この状況について、なんと問えばいいんだろう。

ああ、まずは行方不明のリュックのことを……。


「やられたわ」


デュナの低い声。

この声は、そうとう機嫌の悪いときにしか出さない声だ。

気付いた途端、背中を冷たい汗が伝う。


「とにかく、あなた達が無事でよかった。きっとスープだったのね」

ため息をついた後、デュナは私達に、ほんの少し微笑んだ。


……よくわからないが、私達は危機的状況にあったらしい……?


白衣の内ポケットから、ステータスチェックを取り出して、自身を見るデュナ。

あの深緑色をしたカード型のマジックアイテムだ。

傍からは分からないが、デュナの白衣には実に無数の隠しポケットが存在している。

それらは、どれもスカイが縫い足したものだった。デュナに強制されて、だが。


「相当減るとは思ってたけど……残り十七とはね……」


先ほどの大気の精霊が、嬉しそうにデュナの周りをくるくると飛んで消えていった。

お腹が膨れて大満足といった顔だ。


どうやら、デュナは眠る直前から今までずっと結界を張り続けていたようだった。

大気の精霊を側に置き続けるためには、拘束料として、何分毎にいくつ自分の精神力を渡すという契約を成立させなくてはならない。

最大の状態で三百以上はあるデュナの精神力が

十七しか残っていないというのは滅多に無い状況だった。

「十時間も寝かされ続けてたのね」

私の肩越しに時計を見ているデュナ。

寝かされた。という彼女の言葉に、隣でフォルテが首をかしげている。

「薬を飲ませるのは好きだけれど、飲むのは遠慮したいわ」

なんだか理不尽な響きがする言葉だったが、つまるところ、昨日の夕食のスープに、眠り薬が入れられていたと言う事か……。

それを私達が飲まずに済んだのは、スカイのおかげだったわけだが。

では、三人分も飲み干してしまった彼はどうなったのだろう。

「ラズ、回復剤出してくれる? 精神力の」

ベッドに座りなおして背中を曲げ伸ばしているデュナ。

ずっとうつ伏せた状態で、腰にきてしまったのだろうか、痛そうだ。

「それが、荷物が無くなってて……」

「確かに、鞄の中をちまちま探すより、鞄ごと持って行く方が正しいわ」

そこで納得されても困るんだけど……。

「スカイも無くなってる可能性が高いわね」

「え?」

「とにかく下の部屋に行きましょう」

サッとベッドから立ち上がるデュナ。

私とフォルテもつられて立ち上がる。

もう、この部屋には戻ってこないかも知れない。

とりあえず洗濯物を、マントの背にある大きな内ポケットに無理矢理詰め込む。

このポケットもスカイのお手製だった。


三人で長い廊下を進む。


デュナは早足ではあったが、走る事はしなかった。

まあ、デュナの早足について行くために、フォルテは若干小走りになっているが。

急ぐ必要がないというのを、私はこの時どう受け止めたらいいのかわからなかった。

とにかく、出来る限り悪いほうへ考えないようにと心がける。


時折、腰をさすっているデュナに、回復をかけようかと声をかけると、精神力を取っておくように言われる。

今、まともに魔法が使えるのが自分だけなんだと気付いた途端、緊張してきた。

へまをするわけにはいかない。

短いマジックロッドを握る右手に力が入る。

杖は、普段からマントにしまっていたため無事だった。

二階への階段を下りきり、廊下を見渡す。

スカイが寝ているはずの部屋の扉は開け放たれていた。



デュナが真っ先に飛び込む。

その右手は白衣の中に差し込まれている。

魔法が使えずとも、他にいくつもの攻撃手段を持っているデュナは、やはり私達にとって頼れる存在だった。


私達が部屋に入ると、デュナが部屋の中央で、手紙のような物を握り立ち尽くしていた。

「読んでみて」

手紙を私に渡すと、デュナは慎重に辺りを見回し始める。

言われたとおりに手紙を開くと、そこにはあまり綺麗でない文字で走り書きが残されていた。

少なくともスカイの文字ではない。

彼は私達のうちで一番字を綺麗に書ける人だった。

「なんて書いてある?」

床から目を離さずに、デュナが問う。

フォルテはじっとこちらを見つめている。

手紙の内容は単純で明快だった。

「スカイを返してほしくば、石を持ってココまで来い。って地図が添えてある……」

つまり、スカイを攫った人の狙いは、あの赤い石だという事だ。

石を奪う為に私達に眠り薬を盛って、眠ったところをこっそり持ち出すつもりだったのだろう。

昨夜のバタバタという足音がそうだったのだとしたら、三、四人はいただろうか。


しかし、デュナの周囲には電撃結界が張られていたし、私とフォルテに至っては、不在だったわけだ。

昨日の様子では、全員がスープをすべて飲んだように見えただろうし、相手は驚いたに違いない。


昨夜のドスンという物音は、誰かがデュナの結界に弾き飛ばされた音だったのか……。


床に屈みこんでいたデュナが、立ち上がりこちらを向く。

立ち上がった拍子に、やはり腰が痛むのか手を当てていたが。

「とりあえず争った形跡も無いし、人質にされてる以上、スカイはまあ、無事でしょうね」

横からデュナが、手紙に書かれている地図を覗き込む。

とても簡易的な地図だったが、分からない事はなさそうだ。

「むしろ、あいつはまだ寝てる可能性の方が高いわ。三杯も飲んでたもの」

呆れたように言うデュナの言葉に、ホッと肩の力が抜けるのを感じる。

量的に、飲みすぎは危険ではないかという考えも一瞬浮かんだが、スカイなら大丈夫な気がする。根拠はないが。

いや、小さい頃からデュナの実験につき合わされ続け、何度も倒れ、何度も吹き飛ばされ、その度に立ち上がってきた彼だ。

その事実こそが、何よりの根拠になるのではないかと思えた。


「時間の指定はないわね」

デュナが確認する。

「そうだね」

「それなら、ショップで回復アイテムを買ってから行きましょう」

「うん……けどお店が開くまでまだ時間あるよ?」

「そうねー……」

デュナが顎に手を当てて視線を上のほうへ投げる。

と、なんだか申し訳無さそうにフォルテが声をかけてきた。

「ラズ、スカイは大丈夫なんだよね?」

「うん、多分ね」

それを聞いても、まだフォルテは何か言いたそうだった。

「どうかした?」

「あのね……お腹、減らない?」

もじもじと恥ずかしそうなフォルテは、たまらなく可愛らしく、抱きしめて頬擦りをしたい衝動を堪えるのに苦労をしてしまったが、私の胃は、まだ昨日の豪華な食事が若干もたれている感じで、素直に同意できない。

「うーん……」

私が返事に困っていると、デュナがきっぱり言い切った。

「減ったわね。 朝ご飯も食べて行きましょう」

食べ終わって即寝だったにもかかわらず、

彼女の体はもう食べたものをすべてエネルギーに変えてしまったのか……。

なんとなく、この違いがプロポーションに影響しているのかも知れないと思わされた。

一人、拘束されているであろうスカイをおいて、のんびりご飯を食べてもいいものなのか、とも思うが、ショップは十時まで開かないだろうし、デュナの現状を考えると回復なしでは向かえない。

それまで待つなら、確かに何をしていても同じだろう。


大きな町では、冒険者が多いこともあってか、朝から外食をする人が多く、大衆食堂や軽食屋さんは朝早くから開いている。

「このお屋敷、もう誰も居ないの?」

フォルテの疑問は、私も思っていた事だった。

七時を過ぎても、屋敷には人の気配がまったくない。

大方、本当の使用人達は揃って暇を出されたか、犯人に強制的に追い出されたか……。

後者では、追い出された使用人達に通告されて罠にならないだろうし、前者なのだろう。

だとしたら、使用人達に暇を出した、この屋敷の主は今どこに居るのか。

本当に出張だったのなら良いが、最悪、スカイのように敵に捕まっている事も考えられる。

「そうね……使用人達は敵の変装だったみたいだけれど、コックさんは居るかもしれないわね」

デュナがいい事に気付いたとばかりに、ニヤリと微笑んだ。

「昨日の料理の味はそれなりだったもの。この屋敷のどこかにふん縛られて転がされてるんじゃないかしら」

コックを探し出すつもりなのか、デュナがきびすを返して部屋を出る。

話を聞いたフォルテも、瞳を輝かせて後を追う。

どうやら、かくれんぼか、宝探しのつもりらしい。

もし万が一、口封じのために殺されていた場合を考えると、

フォルテには探してほしくないのだが、可能性としては、極めて低いだろう。

死人が出れば、治安管理局が動く。

そもそも、殺してでも石を奪おうとする相手なら、こんなまどろっこしいことはしてこないだろうし……。


二人の後をついて屋敷を歩く。

フォルテは、そのふわふわのプラチナブロンドをなびかせて、キョロキョロと辺りを見回している。

この子が、もし昨夜トイレに行こうと誘い出してくれなかったら、私達はあの時、犯人と対面することになっていた。

殺されなくても、怖い目に遭っていただろうし、攫われていたのは私達だったかも知れない。

私達が難を逃れられたのは、本当に、運がよかったとしか言えなかった。


フォルテの幸運に救われたのはこれが初めてではない。

今までにも、転んだフォルテに駆け寄ったら落石を逃れたりだとか、そういった経験をしている。

境遇こそ幸せとは言い難い子だったが、不思議と運には恵まれていた。


「ラズ?」

フォルテがこちらを振り返る。

十分に幅のある廊下にもかかわらず、私がいつまでも後ろにいたのが気になったのだろう。

「うん」

慌てて隣に並ぶ。

そんな私を見上げて、フォルテは可愛い笑顔で言う。

「コックさん見つけて、お料理作ってもらおうねっ」

……二人の張り切る理由が、とてもよく分かった。



コックさんは難無く見つかった。

調理場の隅に、デュナの予想通りにふん縛られて、猿ぐつわがかけてあった。

助け出すと、彼は知る限りの状況を説明してくれた。

正規の使用人達は強制的に休暇を出されてしまった事、屋敷の主であるマーキュオリーさんも捕まっているであろう事、犯人グループの人数が四人以上であり、その人達は服装から察するに召喚術師ではないかという事……。


召喚術師……。

そういえば、マーキュオリーさんの妹さん、私達に赤い石を託した彼女もそんな服装だったけれど……。


コックさんはこの屋敷に勤めて長いらしく、マーキュオリーさんの妹さん、クーウィリーさんの事も、小さい頃から知っているらしい。

話によるとクーウィリーさんは三年ほど前に封印術師である父親に反発して家を出て、それきり戻っていないんだとか。


どうやら、代々続く封印術師になりたくなくて、家を出た結果が召喚術師だったようだ。

分かりやすいというか、なんというか……。

結局は法術師という枠から出られなかったようだが、きっと彼女なりの精一杯の反抗なのだろう。


しかし、封印術師に石を渡そうとしているのも召喚術師なら、それを奪おうとしているのもまた召喚術師で……。

一体、その赤い石は何だと言うのだろうか。

ふと、三日前、トランドへ向けて旅立った日に、宿でデュナが覗き込んでいたのを思い出す。


「デュナ、赤い石って、結局何なの?」

私の問いに、デュナはオムレツを口に運んでいた手を止めると、メガネを微かに光らせた。


私とフォルテとデュナの3人は、昨夜、夕食を出された広い食堂で朝食をとっていた。


コックさんが、昨日のパンの残りにサラダと卵料理を添えて、簡単なワンプレートの朝食を用意してくれたので、そのご厚意に甘えているところである。

まあ、半ば強制的にサービスさせた感が無くもなかったが。

その辺のデュナの行動については、もう何も言うまい。


フォルテのオムレツにはお砂糖がたっぷり入っているらしく、ふんわり黄色く焼きあがったそれを幸せそうに食べるフォルテを見ていると、なんだかこちらまで幸せになってくる。


「召喚術士にとっての賢者の石とでも言えばいいかしらね。

 とにかく、召喚術の効果を著しく上げることが出来るアイテムだと思ってもらえればいいわ」

「ふーん……?」

そのパワーアップアイテムを召喚術士が欲しがる理由は分かるとして、なぜ同じ召喚術士であるクーウィリーさんが、それを封印術士である姉に渡そうとしたのだろうか。


それとも、元々クーウィリーさんは、スカイを攫った人達の仲間で……。

いや、それは考えにくいか……。


どうにもまとまらない頭を抱えつつ、サラダの中のプチトマトを拾い上げる。

私のフォークに刺さったトマトを見て、デュナが補足をしてくれた。

「普通のパワーアップアイテムがそのプチトマトくらいの威力だとしたら、

 この石の威力は……そうね、大きいトマト三つ分くらいかしら」


……それは、数倍どころの話じゃない気がする。


私には、そもそも普通のパワーアップアイテムを使うことによって、どのくらい召喚のレベルが上がるのかが分からないのだが、赤い石がちょっととんでもない代物だと言う事だけは分かった。


どおりで、デュナが石を寝るときも手放さない訳か……。


クエスト中のいざこざに関して、治安局は一切対応をしない事になっている。

報酬や、依頼品のちょっとしたトラブルなどはよくある事だったし、治安局も、そんな小さな事にいちいち対応していては、仕事にならないだろう。


これが、冒険者共同組合クエスト管理局……私達が管理局と呼んでいるそれの、掲示板に貼ってあったクエストであったなら、管理局に助力を求めることも出来たのだけど。

「ええと……スカイを助けに行くのって、私達だけで大丈夫なのかな……」

ちなみに、今回の食事には食事前に毒消しの魔法をかけてある。

デュナの、いつにも増しての慎重さに、なんだか思ったよりも規模の大きな話なのではないのかと、不安になってきた。


「まあ、この石が相手に渡らない限り大丈夫でしょう」

トントンとデュナが自分の胸を指し……おそらくそこにあの石が入っているのだろう。

彼女はメガネを僅かに光らせると、軽く笑って見せた。

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