祭りの裏の騒乱 4

 思わず声の主を捜す。抜かれていく刃から意識が逸れる。

 それはすぐに見つかった。


 廊下の奥。踊り場の影。

 そこに、頭に大きなネジを付けた少女が立っていた。


「やあ。こんにちは。あれ、初めまして。かな? まあ、どっちでもいいんだけどさ」

 彼女はにこやかに手を振る。

 ハナ、とヤミが呟いたのが聞こえた。

「あ……」

 思わぬ所で出会った。

 あの少女は夜の廊下で怯えていた、一度逃して諦めた獲物だ。

 今なら。あの距離なら。この姿なら。――もう一度、捕らえられる。そうすれば、反撃の手段が手に入るかもしれない。

 好機だ。そう思ったドッペルゲンガーの口元が僅かに吊り上がる。

 が。

「おっと。こっくりさんの途中で十円玉から離れちゃいけないってのは常識だよ?」

 そうでなくても離さないけどね。と、彼女は日の光が届かない場所に立ったまま、にこりと笑う。

「貴女……廊下ではあんなに。怯えてたのに、強気ね」

 その言葉の意味を考えるように、一瞬だけハナの口元が小さく動き。「ああ」と、納得したように頷く。

「あの夜の声も君だったのか」

「あそこで逃げなければ貴女も手に入ったのに――とんだ邪魔が入ったわ」

 残念。とドッペルゲンガーは吐き捨てる。

 いやいや、とハナは小さく肩をすくめる。

「あれは本当に怖かったよ。実はボク、かなりの怖がりでね。そんなボクをあそこまで怖がらせるなんて大したもんだよ。いやホント――」

「ハナ、お前何をしてる?」

「おっと。これ以上お喋りするとご覧の通りだ。彼に怒られてしまう。なので質問は最低限としよう。ねえ、ドッペルさん。どうして君は、女子ばかりを狙ったんだい?」

「おい!」

 ヤミの声は完全に無視され、ハナは笑顔で問う。

「さあ。答えておくれよ」

「そんなの……」

「隙だらけで、弱くて、利用しやすいとでも思ったかい?」

 ドッペルゲンガーは答えない。ただ、傷の回復を待ちながら、彼女の隙を窺う。

「ま、答えなくても分かるよ。君は能力が弱い子から順番に取り込んでいったんだろうな。ま、ボクが君でもそうすると思う」

「――」


 スイバ。彼女は理解しがたいが、それ故に相手の混乱を誘うには良かった。

 シャロン。新しい噂話だったが、情報というものを糧とする彼女は力が溢れていた。

 ミサギ。水、プールに関わる彼女は、水の扱いに長けていた。

 彼女達だけではない。ここに住む者は例外なく何かしらの能力を持っている。使い様はいくらでもあった。上手く使えば攻撃や防御に有効だ。ずっと見ていたから、知っている。

 その中から、誰もがひとりで過ごすことが多く、隙が多い者を選んだ。特に女子だ。姿を得れば接触は容易い。同性が相手なら警戒心だって薄れる。


 そう。彼女達は。

 隙だらけで、利用しやすくて、扱いやすい。

 彼女の言うとおりだった。


 だが。ハナはふふっと笑っ指を振った。

「しかし君。それは人選ミスというヤツだ。シャロンちゃんも、みーちゃんも、スイバちゃんも。その力を手にして分かっただろう?」

 にこり、とハナは楽しそうにその考えを否定する。

「誰を選んだって、まねごとしかできない君には使いこなせない。彼女達の本領には、遠く及ばないのさ」

 ぎり、とドッペルゲンガーの歯が鳴る。身体の自由は利かない。

「さて。そろそろお仕舞いにしようか――。ボクはね」

 ハナはため息をつくように語る。

「ヤミちゃん程手加減というのが上手くないんだよ。武芸のたしなみもない。だから武器なんて持たせてもらえないし、……まあ、持たせてもらったとしても扱いは褒められた物じゃないという自覚はある」

 だから。ボクが使えるのはこれだけだ。

 そう言う彼女の手には、たった一枚の赤銅色の銅貨――十円玉があった。

「いつもはヤミちゃんに頼りきりだが、たまにはボクにも格好つけさせてもらうよ。ヤミちゃん同様、ボクも「華狐」なんて狐に縁ある文字を持つ身。さて――その由来、久しぶりに喚んでみよう」

 彼女の口元が、吊り上がる。

「ハナ、お前何を、いや、それは……!」

 ヤミが声を上げる。ハナが何をするのか察したのか、その声は必死だ。

「何をって。見ての通りだし、今言ったじゃないか」

「分かるから言ってんだよこの馬鹿が!」

「さあ、ここからがボクの見せ場さ」

 ヤミの声を無視して、ハナは得意げに笑う。

「なあに、心配なんて要らないよ。きっとお腹が空いている頃に違いないからね。丁度良いだろう?」

「待て! 馬鹿! やめ――」


 ぱちり。


 ヤミの言葉は、廊下の影に置かれた十円玉の音で止められた。

 しゃがみ込んで人差し指を添え、ハナは楽しそうに声を上げる。

「この声が聞こえるかい? そして――今お暇ですか?」

 少しの静寂。

 かくん、とハナが糸が切れた人形のように膝をつく。が、指だけは十円玉から離れない。

 ヤミの顔が青ざめ、駆け寄ろうとした――途端。


 廊下中の影が重量を増した。


 ハナの足元にあった影が一際色を濃くして、何かを形作る。

 まるで獣のようなそれは、音もなく周囲の影を引きずり、床に縫い付けられたまま廊下を駆け、あっという間に廊下に置かれた紙の下へと潜り込む。

 そして一瞬だけ間を置いて、ドッペルゲンガーの足元から、生暖かく、生臭い吐息が纏わり付くように背中まで這い上がった。

「――ぁ」

 紙に足を置いたまま。

 断末魔も、残す言葉もなく。


 ばくん。


 影は、足元から一口でそこにあった全てを飲み込んだ。

 そして影は何事もなかったかのように元の――人の形を取り戻し、廊下にもいつもの静けさが戻ってくる。

 ドッペルゲンガーが立っていたその場所にはもう、紙も十円玉も残っていなかった。


「ハナ!」

 影が元に戻ると同時に倒れ伏したハナの元へ、ヤミが駆け寄る。抱え上げて、口元に手を翳す。呼吸はある。ほっと表情を緩めたヤミはもう一度名前を呼ぶ。

「ハナ」

 ふ、と吐息が零れた。口元が僅かに上がり、笑った。

 彼女はのんびりとした寝起きのような動きで、拾い上げた十円玉を掲げて見せた。

「ふ。ふふ……どうだいヤミちゃん。ボクだってたまには役に立つだろう?」

 飄々とした口調で答えるハナに、ヤミは「この、馬鹿が……」と、盛大に溜息をついた。

「ちょっと賭けではあったけれども、うまくいったのだからいいじゃないか」

「……そうだな。褒められた方法じゃないが……助かった。あとで説教だ」

「頑張ったのに説教とは。まったくヤミちゃんは相変わらずお堅いなあ……」

「いや、当然の結果だろ」

 それでもヤミからの労いには変わりない。

 彼の言葉に、ハナは満足そうに頷いた。


  □ ■ □


 一息ついてハナブサのもとへ戻ろうか、という話になった時。

 階段に腰掛けていたハナの足元から、からんからん、と小さな音がした。


「ん?」

 影から吐き出されたように転がるそれは、栞のようなサイズの鏡だった。その内一つは他の物に比べて二回り程小さい。ハナは拾い上げたそれをカードのように広げて見る。

「なんだそれ」

「何だろうな。こういうのはきっとカガミなら分かるんじゃないかな。カガミー。カガミはいるかい?」

「はいはいなーに?」

「うんうん居るよ」

 少し上の踊り場から、カボチャの帽子がひょこりと姿を現した。

 そのままぴょーんと階段を身軽に飛び降りてハナの元へとやってくると、彼女は二人にその鏡を渡しながら問う。

「これ、何か分かるかい?」

「んー?」

 二人で鏡をまじまじと覗き込み、こくん、と頷く。

「これはシャロンちゃんかな?」

「こっちがスイバちゃん?」

「この小さいのはサカキくんっぽい」

「「ここに小さく詰め込んであるかんじ?」」

「……どういう仕組みだよ」

 壁に寄りかかっていたヤミが、ハナの後ろから覗き込む。

「うーん。よく分かんないけど」

「多分ね、この中は小さい部屋みたいになってるみたい」

「ぎゅってみんなが詰まってるみたい」

「ここから引っ張りだせたら、きっと大丈夫」

「多分だけど、帰ってこれる」

「なるほど……?」

 仕組みはやっぱりよく分からないらしく、ヤミの声は不思議そうだ。

「ヤミちゃん。ボク達こそが不思議な存在なのに、この程度の不思議に首を傾げてたら苦労するぞ?」

「それよりもお前達の行動の方が普段から苦労かけてるの忘れるなよ?」

「あはははは、その通りだな!」

「少しは否定しろ。自覚があるなら改めろ」

 ヤミの言葉は、ハナのにっこりとした笑みひとつで無視された。

「カガミ、そこからみんなをこっち側に戻せるかい?」

「うん。ちょっとかかるかもしれないけど」

「うん。たぶんできると思う」

「それじゃあ、その鏡は二人に頼もう」

「うん。やってみる」

「わかった。任せて」

 そう言って二人は渡された小さな鏡を手に階段を駆け上がり、鏡の中へと飛び込んでいった。


「――さて。ヤミちゃんもお疲れさまだったね」

「ウツロさんが居なかったらどうだったかな……」

 二人の視線が窓辺でタバコを吹かしているウツロへと向く。彼は紫煙を吐きながら、面倒くさそうに目を伏せた。

「俺はそんなに大した仕事はしてねえよ。こういうのは若いもんに任せるに限るからな」

「いやいや、ウツロさん大活躍だったよ。まだまだ現役でも十分行けるさ」

 しかし、とハナの言葉が続く。

「二人とも傷だらけじゃないか。ほらほら。ハナブサさんのところに戻るより先に保健室に行きたまえよ。先に行ったサクラ君も待ってるぞ?」

 言われて二人はお互いの姿をまじまじと見る。

 切り傷と擦り傷。服は穴が空いていて血やら何か黒い物やらが滲んでいる。

「この程度ツバつけときゃ治る……と言うにはちと深いな」

「うん。……ついでにヤツヅリからお菓子でももらうか。それと、ハナ」

「うん?」

 ヤミは首を傾げたハナを、抱え上げるように立たせる。

「お前もだ。行くぞ」

「うん? ボクはケガなんて一つもしてないが」

 ハナの言葉にヤミは「馬鹿言え」と指摘する。

「こういう時真っ先に戻って文化祭だハロウィンだと騒ぎそうなのに、さっきから座り込んだままで。影の底からアレを引っ張り出してくるとか……どんだけ消耗してるかバレてないとでも思ってるのか?」

「おっと。バレていたか」

「当たり前だ。……あーもう、足元もふらついてるじゃねえか。ほら、肩くらいなら貸してやる」

「背負ってくれてもいいんだよ?」


「体格差、ってのを考えた事があるか?」

「身長差、っていうのもあるんだよ?」


 ぐ。とヤミの言葉が詰まる。

 ハナはからからと笑いながらも、おとなしくヤミの肩に寄りかかる。

「俺が抱えていってもいいんだが……まあ、ヤミに任せるか」

「うん。ボクもこれで問題なしさ」

 そうかと頷いて、ウツロは二人の後ろに続いて歩き出す。

「しっかし、この怪我……なんて言い訳するかね」

「ちょっとはしゃいだらこうなった、とかでいいんじゃないかな……」


 そんな事を言いながら向かった先で、ヤツヅリに「君達どうはしゃいだらそんなに怪我できるの!?」と驚かれたのは、別の話。

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