怪談話をしようか ドッペルゲンガー編

おまつりのまえに 2

　サクラの言葉に、カガミの表情が歪んだ。

　でも、その感情が何か分からないらしい。

　二人はしばらく黙って、首を傾げて。懸命に答えを出そうとする。

「「……えっと」」

「何も、覚えてないの」

「全部、忘れちゃってるの」

　しょんぼり、という擬音が見えそうなくらい、二人の表情が暗くなった。

「「でも」」

「その、何か怖いのは分かる」

「最初の、何か悲しいのは感じる」

「死の恐怖……か」

　ヤミが隣でぽつりとつぶやいたのが聞こえた。声はとても苦々しかったが、そこに触れはしない。今話題にすべき事ではない。だから、サクラはカガミに向かって穏やかに笑いかける。

「そう。きっとそれが、ドッペルさんの存在を感じてる要因――君達が根っこに持っている恐怖なんじゃないかって」

「ふむ……話は通るな。カガミが何に怯えているのかも、それなら分かる。が……」

　ハナが難しい顔をする。

「彼らの根底にある恐怖だというのならば。取り除けるものなのだろうか……？　答えは否に近くないかい？」

「そうだな。時間が解決してくれるのが一番だけど……今この状況だとそう悠長な事は言ってられないだろうな」

　ヤミは難しそう、というより不機嫌そうな顔で頬杖をつく。

「手っ取り早いのは、さっきハナの言ったとおり、ドッペルゲンガーを消し去る事じゃないか？　……俺達が勝手に手を出していい話かは分かんないが」

　ちら、と向いたヤミの視線を受けて、サクラは「ああ、それなら」と頷く。

「さっきその辺も話してきたよ。大鏡は過去に生徒を殺害しているような話だから。もしもの時はウツロさんとヤミくんに判断は任せるって」

「……そうか。じゃあ、そこは、まあいいか。いいのか？」

　首を傾げ、納得していいのかどうか決めかねているヤミに、ハナはうんうんと頷く。。

「ハナブサさんが任せると言ったんだ。決定権は二人に預けるとして。ボクにはいくつか気になる事があるんだが、いいかい？」

　そう言いながらも答えを待たず、ハナは黒板の前へと移動してチョークをとる。

　かつかつかつ、と軽い音を響かせ、いくつかの名前を綴っていく。

　一番最後は「ドッペルさん＝鏡」と結ばれた。

　ハナは空いた手の人差し指を立て、チョークで名前をつつく。

「さて。これが今分かっているドッペルさんの一覧な訳だが。まずひとつ。シャロンちゃんやミサギちゃんが偽物だとしたら。本物はどこに居るんだい？」

「それは、確かに心配な所だよね」

「うむ。もう居ない……というのは考えたくないが。ドッペルさんを消し去って、本物も居なくなりました、では悲しすぎる」

　できればみんなの安全が確保されてから動きたい、とハナは言う。

　だが、ヤミもサクラもそれを確認する術など持っていない。

　早速詰まってしまった議題にぽつりと答えたのは、カガミだった。

「それは、分かるかも」

「多分、知ってるかも」

「本当かい？」

　ハナの声に、二人はこくりと頷く。

「多分だけど。気になってる所があるの」

「きっとそこに、何かありそうな気がするの」

　カガミが言うには、見つけた扉があるという。

　どこかの部屋なんだろうけれど、よく分からない。

　その先は真っ暗で、何かがみっしりと詰まってるようで、空気が重くて。気持ち悪くなったから急いで離れてしまったのだけれど。

　そんな場所がある、という。

「ん……ちょっと待ってて」

　そう言って、カガミはよいしょと立ち上がり、ぎゅっと手を繋ぐ。

　頷きあって、窓にこつんと額を当てる。

　じっと目を閉じて、しばらく。

「カガミ、数。わかる？」

「うん……分かる」

　小さな声で。頷きあった。

　窓から離れたカガミに、ハナがこてんと首を傾げる。

「一体何の数が分かったんだい？」

　机の陰にまた座り込む。二人の顔色は酷く悪い。ぎゅっと手を繋いだまま、離そうとしないで、ぽつぽつと話す。

「……その部屋に繋がってる鏡とか」

「……その部屋に詰まってる物とか」

「もしかしたら、みんなここに居るかもしれない」

「かもしれない、だけど。居るかもしれない」

「ふむ……」

「ちゃんと聞いてみないと分からないだろうけど、希望はありそうだね」

　サクラの安堵が混じった声に、ハナもうむと頷く。

「もう少し、詳しく知る事はできるかい？」

　二人はうーん、と考えて。こくりと頷いた。

「少しだけなら」

「ちょっとずつなら」

「うん。無理はしないでいい。できる限りで頼むよ。じゃあ、そこはそれで、次だ」

　そう言って、最後のひとりを除いた名前をくるりと囲む。

「そのドッペルさんの標的に共通点はあるのか、だ」

「まず、女子だな」

　ヤミが答える。ハナは満足げに頷いた。

「そうだね。あとは？」

「さあ……」

「ええと。ひとりで居る人が多いよね。普段から誰かと一緒に居ない人、とか？」

　サクラが代わりに小さく手を上げる。

「なるほど？　偶然もいくつか揃えば、ってやつだな。サクラ君、君は探偵に向いているんじゃないかい？」

「いや……そんな事、ないよ」

　ハナの賞賛にサクラは苦笑いで答える。

　実際、自身で考えた事なんてほとんどなくて。獏からのヒントと誘導で辿り着いたような物だ。あまりいい気はしないけど、自分の手柄と言う訳にもいかない。

　そんなサクラの感情に、誰も気付く様子はない。彼の発言について、真面目に頷いている。

「残ってる人は大体誰かが一緒に居る、か。確かにサラシナにはレイシーが居るし」

「ボクの場合はヤミちゃんか」

「不本意だが、そうだな」

「まあまあ。良いじゃないか腐れても落ちない縁だ」

「そーですね」

　ヤミは溜息をついて、話を戻す。

「最近は文化祭前だし、元から食事時の時間が合わない奴は居たけど。人数が少ないのは気にかけておくべきだったな……」

「うん。時間帯とか時期っていうのもあるけど。そうだね」

　サクラはヤミの言葉に頷きながら思い返す。

「シャロンちゃんは朝と夜だし、そもそも居ない日もあったけど……スイバちゃんとミサギちゃんは、基本的に食事の時間は重なるはずなのに姿を見ない日もあった。スイバちゃんは文化祭の準備で遅いんだと思っていたけど……」

「うん。ドッペルゲンガーには同時に存在できる数が限られているのかもな。と、言う事は複数人の姿を使い分けてる、って可能性もあるのか……」

　厄介だな、とヤミが首の後ろを掻く。

　いつ、どの姿で現れるのか分からない。

　隣にいる誰かが、敵になっているのかもしれない。

　カガミがはっきりと警戒している誰かを、捕まえてしまえば済むのかもしれない。

　だが。

「人が集まる所に現れたとして。その場で問い詰めて正直に話すか？」

　ヤミの零した疑問に答えたのはハナだった。

「もしボクだったら答えないね。全力でしらばっくれてみせるとも。もっとも、人通りの少ない場所で狙った人物が相手なら兎も角、だ」

　ハナの言葉にヤミは「だろうな」と小さなため息を返す。

「確実に叩くなら。向こうから接触されるのを待って、そこを狙うべき……だけど」

「どうすればそんな状況を作れるか、が問題だね」

　条件はなんとなくだが見えてきた。

　狙われるのは、ひとりで行動していても不思議に思われない女性。

　絶好のチャンスは、人通りの少ない場所。

　ならば、その条件に合う状況を作ってやればいい。

　だが。

「条件に合うやつ……居るか？　あらかたやられてる気がする。……シグレさん、は難しいか……」

　ヤミがううん、と頭を傾ける。

「うむ。話せば協力はしてくれそうだが……今はまだ寝てるだろうしな。無理に起こすのも忍びない。そもそも、シグレさんはひとりで居るイメージが強いが、あれは……いや、今はそこを論点にしてる場合じゃないな――ボクはどうだい？」

「俺が付いてると思われているなら、警戒対象だろ」

「むむ……じゃあ、ルイちゃんとか？」

　ハナが人差し指を立てて提案すると、サクラが苦笑いで答える。

「レイシーは許しそうだけど、あの二人は基本的に離れられないし、ちょっと難しいかな」

　シグレはよく部屋で眠っているので、ひとりで居ることが多い、という事実には変わりない。しかし、外に出てきたとしても、少年がひとり一緒に居る姿をしょっちゅう目撃されている。

　レイシーはルイと。ルイはレイシーと一緒に居る。お互いが寄り添うように居ることでバランスを保っている。もし、離れた隙に片方に何か起きたら……それこそ後が怖い。

「他に……誰か居るだろうか」

　沈黙が落ちる。

　思い付かない。

　このまま何も手を打てないまま終わってしまうのかという空気が流れ始めたその時。

「――あ、あのっ」

　沈黙を破ったのはサカキだった。

　全員の視線が一気に集まり、サカキの頬がほんのり赤くなる。視線はテーブルに置いた手をじっと見つめている。緊張しているのだろう。

「どうしたんだいさっちゃん」

「えっと。……確認、なんですけど」

　声も固い。けれども、サカキは言葉を止めない。

「人通りの少ない所で、ひとりで行動してても不思議じゃない、女子なら、いいんですよね」

　ひとつひとつ確かめるように条件を挙げていく。

　サクラが何か気付いたかのように肩を揺らし、視線をサカキへと向ける。が、サカキの視線はじっとテーブルの上に落とされていて、交わることはない。

「僕、ひとつ考えが……あります」

「ほう？　どんな考えだい？」

　サカキは顔上げた。学ランの胸元をぎゅっと握りしめて、何かを決意したように口を開いた。

「あの。僕……僕が、おと――」

「サカキくん！」

　それはサクラの声と、がたん！　と倒れた椅子の音で中断された。

「サクラ？」

「……サクラ君？」

　ヤミとハナの声が不思議そうに重なる。

「あ……」

　それは思わずとってしまった行動だったらしく、サクラは気まずそうに視線を机に落とす。

「えっと。ごめん」

　でも、と彼は言葉を止めなかった。

「サカキくん。だってそれは……」

　何かを言おうとして、「いや」と首を横に振る。それから心配そうに視線を上げて。

「いいの？」

　確認するかのように、それだけ呟いた。

　その声はどこか苦しそうだ。

　だが、サカキの返事はとても穏やかだった。

「はい。僕だから、多分。できます。やらせてください」

「だって……！」

「大丈夫、です」

　サカキはにこりと笑った。その表情にサクラの言葉がぐっと詰まる。

「僕、力はありませんし、身体も小さくて弱くて。恐がりで。泣き虫で。でも、目標だから、って……無理なお願いしてましたね」

「……」

「これがずっと隠せるなんて、思ってませんでしたし。使えるなら――使う時だと思うんです。ありがとうございます、サクラさん」

　サカキの言葉に、サクラは小さく笑って首を横に振った。

「ううん。俺こそごめん。君が決めたことだ。俺がここで口を挟む事じゃなかった」

「……サクラ君。さっちゃん。君達は」

　一体何を言っているんだい？　とハナが首を傾げた。

　サカキはそれに答えるように、力強く答えた。

「僕ができる事、です。僕が、囮になります」

「サカキが？」

「まあ、さっちゃんなら相応の格好をすれば何とかなるかもしれないが……」

　そんな二人の感想に、サカキは笑いながら「だって」と言葉をひとつ置いた。

　とても清々しく、柔らかで。穏やかなのに、強い笑顔だった。

「僕も、女子ですから」