怪談話をしようか ドッペルゲンガー編
水無月龍那
日常編
入学式にて
常和第三学園にはひとつ、噂話があった。
「この学校、七不思議があるんだって」
「あ。聞いたことある。あれでしょ?」
そうして生徒達は、知ってる話を口々に列挙していく。
呼べば答えるハナコさん。空き教室で蠢く影。動く人体模型。
幽霊部員。存在しない柱時計の音。学校の座敷童――他諸々。
そして、誰もが同じ結論に達する。
「七つどころじゃないね」
「うん、ちょっと……いや、かなり多いね」
曰く。
怪談話がとても多い。
□ ■ □
そんな常和第三学園は、創立百年を迎えた。
旧・常和第三高校は、郡部にある学校だった。
市内にあった旧制常和中学が、遠方の生徒を受け入れるために設立した第三校舎が前身だと校史にある。本校・分校と呼ばれた各校舎は、それぞれの歴史を重ねながら、独自の文化を持つ高校へと成長した。
先に百年目を迎えた常和第一、第二高校は、その節目を機に校名を変更し、中高一貫校となった。常和第三高校も同様に「常和第三学園」と校名を改め、中等部を設立した。
緑と住宅地に囲まれた校舎は、生徒をのびのびと育てるのに良い環境だった。裏の高台は城跡であり、校内にも歴史の名残が点在する。地域に根ざし、地元に愛される学校だが、校風や生徒の雰囲気は、他の二校とは随分と異なっていた。
一番の差は遊ぶ場所の少なさだろう。県内有数の繁華街に近い常和第一、市街地にある常和第二と比べ、常和第三の近くにあるのは小さなショッピングモールや本屋程度。学業を重視する方針から、アルバイトは原則禁止。そのため、放課後は部活動や自主学習など、校内での活動に重点を置く生徒が多い。
だがそれは、別の視点で言えば「退屈な環境」だ。
育ち盛り、遊びたい盛りの少年少女にとっては、時に息苦しい空間だったかもしれない。
だからこそ、校内で数多の噂話が広がったのではないか、と誰かは語る。
それもまた、噂話だけれども。
□ ■ □
季節は春。
今日は、真新しい制服に身を包んだ新入生がやってくる日。入学式。
女子のセーラー服に男子の学ランという昔ながらの制服は、中等部にも一部を変更して採用された。胸のリボンにボタンの図柄という違いは、遠目には分かりにくい。しかし、生徒達が新しい季節の陽気に染まっているのは変わりないようで、体育館に集まるざわめきには、新生活への期待と不安が入り交じっている。
そんな生徒達を眺める影が、屋上にあった。
「やー、賑やか賑やか。これはいよいよ楽しくなりそうだね」
楽しげに声を上げたのはセーラー服の少女。
サイズの大きい紺のカーディガンからは、襟とスカーフをしっかり出して整えてある。襟を過ぎたあたりまで流れる、焦げ茶のストレート。ぱつんと揃った前髪は顔の半分を覆っていて、目を伺うことはできない。表情が唯一読める口元は、彼女自身も新入生であるかのように楽しそうだ。
「毎年気楽だな」
呆れ気味の声で相槌を打ったのは、学ランの少年。
中等部の新入生に混ざっても小柄な背丈だが、制服はサイズを合わせてきちんと着込んでいる。両側に大きく跳ねた髪は黒く、深くかぶった学生帽の影になっている目は金色の三白眼。憂うというより不機嫌そうに、頬杖をついて口を曲げている。
少女はそんな少年を見て「おやおや」と小さな息をついた。
「ヤミちゃんはなんだか憂鬱そうだな」
「おかげさまでな?」
「いやいや、ボクはそんな褒められるようなことはしてないさ」
飄々とした声で彼女は笑い、少年――ヤミへ向けて「そんなことよりもさ」と続ける。
「そんなことよりもだよヤミちゃん。相も変わらずそのように睨み付けるような眼をしていては、幸せも怖がって逃げてしまうぞ?」
少女の言葉に、ヤミはげんなりとした様子で肩を落とす。
「ハナ。お前さ」
「うん」
「この眼は元からだって何度聞けば気が済む? 大体、目付き程度で逃げる幸せってなんだよ」
ヤミは口を尖らせる。ハナと呼ばれた少女はそんな彼にすすっと近寄り、頬をつついてにんまりと笑った。
「それこそ何度聞けばいいんだい? ボクらの幸せは、この学校でのびのびと過ごすことだよ。ハナブサさんとの約束を忘れたのかい?」
「忘れちゃないけど……」
春はなんか憂鬱なんだよ、とヤミは小さく吐いた。
「そうかそうか憂鬱か。ああ、知ってるとも。だがボクは敢えて聞く!」
「いや、知ってるなら聞くなよ」
ヤミの声は、さらりと揺れた髪に阻まれて届かなかった。
「それは新入生が来るからかい? 中等部ができて人数が増えたからかい? まあまあ、言わなくたって分かってるよもー、心配性だなヤミちゃんは。友達ならすぐできるさ」
「そうじゃねえよ。在校生に友人増やしたってどうしようもないし。……ったく、ハナは気楽すぎる」
「ボクの取り柄だからね。それに、これまでだってなんともなかっただろう?」
「俺達のピンチの数も数えられなくなったか」
ヤミは大きく溜息をつく。彼らの視線の下で、多くの生徒がぞろぞろと体育館へ吸い込まれていく。時折空を見上げる生徒は居るが、誰も二人に気付かない。
それもそのはず。二人は在校生ではない。
この学校の噂話を体現し、校内で暮らす何かだ。
「俺達は生徒に存在を示さなきゃならないし、呼ばれたら応えなくちゃならない。けどさ、面白半分で呼んだり語ったりするにはリスクが伴う」
「リスク? ボクは別にそうでもないはずだが?」
「お前は行動次第だから。方向によってはあり得るだろ」
「まあ。そうかもな?」
大体さ、とヤミは愚痴るように呟く。
「怪異に対する危機感が薄いんだよ。春は新入生歓迎で怪談話。夏は納涼で肝試し」
「秋は残暑で怪談会、冬は……んー。特にないな。ほら、まったりしてるじゃないか」
「冬だけな?」
話を切り上げるようにヤミはフェンスから離れ、仰向けに寝転がった。
天気が良い。風にはまだ冷たさが残っているが、日差しは穏やかだ。視界を埋める空色は淡く、校内で咲いている桜はきっと、この空色によく映えるに違いない。ヤミはなんとなく、そんなことを思った。
目を伏せると、生徒達の声は静まっていき、年を刻んだ男性の声が響き始めた。
「いやしかし入学式かあ。なんだか懐かしい気もするね」
「……俺は忘れた」
「そうかそうか。なに、君が忘れてもボクが覚えているよ。あの頃の君は、今よりずっと背が高くて」
「ハナ」
ヤミの声がワントーン下がったのを察知して、ハナの声がぴたりと止まった。
「――全く」
ハナはくすりと笑う。
「君はいつまでも過去を引きずるね」
「お前が前を向きすぎなんだ」
溜息のようにヤミは答える。
「まあ、そうとも言うけどね。ボクはこれで君との釣り合いを取ってるのさ」
「嘘つけ。昔からそうだった」
「あっははは! そうかもしれないね!」
からっと笑ったハナは「しかし、しかしだよヤミちゃん」と、金網に背中を預けて空を仰ぐ。
「折角手に入れた第二の人生……ん? 人生? まあ、この学校での生活だ。楽しまないと損だよ」
「……楽しまないと損、ねえ」
繰り返された言葉に、ハナはうんうんと頷く。
ヤミはなんとも言えずに目を開けて、ぼんやりと空を眺める。
温かい日差しと爽やかな空気が眠気を誘う。このまま眠ったら気持ちいいに違いない。そう思うと、このまま身を委ねるのも良い気がしてきた。
そうしよう、と目を伏せたその時。
「ハナさん、ヤミさん」
二人の名前を呼ぶ声が飛び込んできた。
「おや、さっちゃんどうしたんだい?」
さっちゃん、と呼ばれたのは淡い橙のマフラーを巻いた生徒だった。
小柄な体躯に制服のサイズが合っておらず、中等部の新入生のようだ。袖から覗く指でマフラーを軽く押さえると、ぱらぱらとした真っ直ぐな黒髪を揺らして二人へ声を投げる。
「あの、ハナブサさんが。お茶にしましょうって言ってたので。呼びに来ました」
「お。もうそんな時間か」
ハナはその言葉に飛びつくようにヤミを飛び越え、ぱたぱたと駆け寄っていく。
「今日のお菓子は何だい?」
「今日はパウンドケーキでしたよ」
「やったあ!」
両手をあげてひとしきり喜んだハナは、そのままくるりと振り返っててヤミを急かす。
「ほらほらヤミちゃん! さっさと行くよ起きたまえよ。そうしないとボクが君の分も食べちゃうぞ? 食べても構わないと言うのなら、そのまま寝てるといい」
春の陽気に当てられて眠ってしまいそうだったヤミに向け、まだ起きてるかという挑発を惜しげもなく投げつけてくる。
「……はいはい。食べる。食べるから」
ヤミが眠気を訴え始めていた身体をよいしょと起こす。その拍子に帽子がずれる。
位置を直そうとツバを指で押さえたその時。
「――ねえ。ヤミコ」
ハナが名を呼んだ。
視線だけ向けると、彼女はこっちを見て微笑んでいた。
懐かしい物を見るような、何かを羨ましがるような。前髪に隠されてちっとも見えないけど、そんな。なんとも言いようのない目をしていると分かる口元で、彼女は言う。
「ボクはね。君のそのスタイル嫌いではないんだよ」
「……そう」
「ねえねえ。ボクの役割は何だっけ?」
「突然何を」
「いいから。何だっけ?」
「……ハナコさん。トイレで呼ばれたら返事をすること」
「うん、正解。それじゃ、君の役割は?」
「ヤミコ。こっくりさん。生徒の呼び出しに応え、助けること」
「うんうん、正解だ。しっかり覚えておいてくれたまえよ」
「なんで俺がお前の分まで」
「では次」
「人の話聞けよ!?」
「ボク達は、どうしてここに存在している?」
一瞬、ヤミの言葉が詰まる。
彼女の問いを、少しだけ考えて。意図するところを拾い上げる。
自分達は、学校の怪談を体現した存在だ。
そんなものが、どうしてこの学校に居るのか。
どうして存在できているのか。
それは一体、どういう仕組みで成り立っているのか。
「この学校に、生かされてるから」
「それから?」
「……〝
「そう」
ハナは満足げに頷いた。
「ボク達は校内で語られる噂話に生かされている。噂なんていう形ない物に、存在や能力を左右される。それ程までにボク達は弱くて、曖昧で、儚い存在だ――だから!」
彼女は空へ向けて大きく両手を広げた。
「ボクはこの状況を歓迎するね。噂の語り部が増える事を喜ぶべきだと思うな!」
「はいはい。そーですね」
ヤミは彼女の満足そうな笑顔に呆れた声を返す。
「納得したかい?」
納得したか、と言われると微妙なところだ。そんな分かりきった事に憂鬱さを感じていた訳じゃない。だが、これ以上何か言ってもきっとハナは聞かないに違いない。
「納得したなら早々に戻ろう。お茶とケーキを待たせちゃあいけない」
今だってもう、彼女の関心は理科室で待ってるお茶とケーキに移ってるんだし。
だからヤミは帽子の位置を直して、一言だけ頷く。
「ん」
そして彼らは校舎の中へと消えていく。
校歌の響く屋上には穏やかな春の風と、影ひとつない日差しが残っていた。
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