座敷童子

いっき

第1話 帰郷

 結婚後、妻と共に初めて実家へ帰った。

 道中の山道では、桜前線の順調な北上をうかがわせるかのようにソメイヨシノが美しい花を咲かせている。

 まるで子供のように純真な妻の明日香(あすか)は、その花を見ながら、心を躍らせてはしゃいでいた。

「ねぇ。お義母さん、元気かなぁ? お会いするの結婚式以来だから、ずいぶん久しぶりだけど……」

「あぁ、元気、元気。この間、電話をかけたら、愛娘が来るって喜んでたぞ」

「あら、愛娘だなんて……。照れちゃうわ」

 明日香は頬を桜色にして笑った。

 それは、ソメイヨシノの花のように可愛らしく純粋な笑顔で……そんな無邪気な彼女を見て、僕の顔も自然に綻んだ。

 それと同時に、僕の胸を締め付ける一つの想いがあった。

 母が明日香を『愛娘』と呼ぶのは、決して戯れなんかではない。ずっと胸に住み続けている、かけがえのない一人の娘がいるのだ。

 

「あらぁ、明日香ちゃん。いらっしゃい」

 母は明日香を見て、満面の笑みを浮かべた。

「お義母さん、お久しぶりです。相変わらず、お元気そうで嬉しいです」

「あら、ありがとう。明日香ちゃんも、いつ見ても可愛くて。うちの和志(かずし)には、勿体ないくらいだわ」

 母は、僕の方を見て悪戯そうに笑った。

 久しぶりに会う息子よりも明日香との再会を喜ばれるのは複雑な想いがするが、妻と母の仲が良いのは、僕としても嬉しいことだ。

 本当の母娘のように仲良く話す二人を見ていると、心がポカポカと温かくなった。


「ほら、こんなのしかないけど。どうぞ、召し上がれ」

「わぁ、ありがとうございます。私、このおかき、大好きなんです!」

 居間に通された明日香は母と和やかに話す。

 

 しかし、仲が良すぎる二人は、直に僕の子供の頃の写真を引っ張り出して談笑し始めた。

「……でね。和志ったら、運動会のリレーで転んだの。ほら、見て。一人、泥まみれで泣いているでしょ」

「あ、本当だ! 可哀想……可哀想だけど、可愛い!」

「おい、お母さん。何も、そんな写真を引っ張り出さなくても……」

「いいじゃない。明日香ちゃんには、和志の可愛いところも、恥ずかしいところも全部知ってもらわないと」

「もう!」

「あ、逃げた~」

 二人にからかわれて気恥ずかしくなった僕は、庭へ出た。


 僕は、久しぶりにじっくりと実家の庭を見た。故郷の春の風景を見ていると、感慨深くなる。

 この庭の春は、昔から何も変わらない。

 穏やかな陽射しを浴びたタンポポに、春の大地に真っ直ぐに生えるツクシ。

 雪に負けずに芽を出したフキノトウは、今は春の陽気を浴びて鮮やかに輝いている。

 都会ではお目にかかれない風景。

 僕は、子供の頃ずっと共に過ごしてきたこの風景に沢山の思い出がある。楽しいことも、嬉しいことも、そして、つらくて悲しいことも……。

 そんな、故郷の風景がたまらなく懐かしくなった。

 しかし、懐かしむとともに、何か歯痒い想いを感じた。何かが、心に引っ掛かっているような、歯痒い想い。

(忘れないでね……)

 そんな声が、心の奥から聞こえるような気がした。

 僕は、何となくしゃがんでぼんやりとツクシを見つめていた。


「ねぇ」

 ぼんやりとツクシを眺める僕の後ろから、不意に声が掛けられた。

(あれ、さっきまで、誰もいなかったはずなのに)

 そう思って立ち上がり、振り返った。

 僕の後ろには、桜色の着物を来た少女が立っていた。春の陽射しを浴びた少女は、眩しくて顔がよく分からず、でも、微笑んでいる、ということは分かった。

(僕、この娘……知っている)

 そう思った。

 とても懐かしく、それと同時に切なくて……とても悲しくなる、この気持ち。

 すごく久しぶりに感じる想いだった。

 少女は、その小さな口を開いた。

「かっちゃんだよね?」

 僕は、和志。昔、確かにかっちゃんと呼ばれていた。

 僕は、ごく自然に頷いた。

「そっか」

 少女は顔は見えないが、微笑みを浮かべながらじっと僕を見ている様子だった。

「こんなに大きくなったんだ」

 そう言うと、少女はしゃがみ込んだ。

(こんなに大きくなった……どういうことだろう?)

 僕は少し不思議な想いがしたが……少女の言葉が妙に自然なようにも感じられた。

 しゃがんだ少女は、ツクシを摘み始めた。摘みながら、僕に尋ねる。

「ねぇ、かっちゃん。大きくなったかっちゃんは、幸せ? 恋人とか、いる?」

 この娘、ごく自然に僕に話し掛けてくる。そして、何故か僕も自然に答える。

「うん、幸せだよ。もう結婚して、お嫁さんもいる」

 すると、少女は、やはり眩しくてよく顔が見えなかったが、少し寂しそうに言った。

「そっか……。本当は、私がかっちゃんのお嫁さんになりたかったんだけどね」

「えっ?」

 しかし、また微笑んだ。

「でも、よかった。だって、かっちゃんの幸せが、私の幸せなんだから」

 そして、僕に手を差し出して、摘んだツクシを渡してくれた。

「はい。『あの時』の、お返し」

(やっぱり……)

 ツクシを見て……僕は、彼女が誰なのか、確信を持った。

 僕は『あの時』、春の大地に真っ直ぐ生えるツクシを彼女にプレゼントしたんだ。早く元気になるように……。

「さっちゃ……」

「私は、座敷童子。かっちゃんにずっと幸せを運んであげるし、かっちゃんの幸せを、ずっと見守ってる。かっちゃんには見えなくなったとしても……ずっとそばにいる。だから、ずっと、忘れないでね」

 少女は純真無垢な微笑みを浮かべて、春の陽射しのように柔らかな金色の光に包まれて消えていった。

 僕が初めて恋した、あの微笑みを浮かべて……。


 僕は、すぐに居間へ戻った。

 明日香は、台所で料理をしていて……居間では母が、まだ僕の小さい頃のアルバムを見ていた。母が開いているページには、病室で写された『二人の写真』があった。

「いい娘だったわよねぇ」

 母の瞳には、じんわりと涙が浮んでいた。

「いい娘だったからこそ、神様が近くに置きたいと思って、早くに天国へ連れて行ってしまったんだろうねぇ」

 僕も、抑え切れない涙を堪えて頷いた。

「でも、あんたが選んだ明日香ちゃん。沙知(さち)に本当によく似てる。可愛くて、純粋で、思いやりがあって。本当に、いい娘を選んだねぇ」

 母のその言葉が、僕の心を温かく濡らした。

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