日本一の美少女に惚れられている僕はそう簡単に高校生活を送れないらしい。

横糸圭

プロローグ

 その日、俺はにやってきていた。


「成瀬君。わざわざご足労をかけて、すまなかったね」


 目の前におわす方をどなたと心得る。

 恐れ多くも初めての女性総理大臣にしてスーパーカリスマ総理大臣の、松江京子きょうこさまにおわするぞ!


 その総理が、俺にすまなかったねという言葉をかけてくれる。いや、全然恐縮です、そんなことないですむしろここまで歩いてこれて本望でした!


 ――などと、さすがにこの俺でさえもコメディ調で済ませられる話ではなかった。


「えっと、あの……」


 ちょうどいい言葉が口をつくことはなく、俺は緊張で言葉が出なかった。


 後ろをちらと見ると、黒服でサングラスをかけたごっつい男の人が二人、扉をふさぐようにして立っている。

 もしかしてここ、ヤクザの本拠地かな? 


「私は忙しいのでね。早速だが本題に移らせてもらう」


 これほど「忙しい」という言葉が強烈な意味を持っている人もそうはいない。


 そのまま総理は俺に用件を隠すことなく話した。


「君に来てもらったのはほかでもない。――君に、嘉瀬かせ真理まりを口説き落としてもらいたい」

「……………………は?」


 だが、さすがにその言葉が俺の耳を素通りするということはなかった。


「な、なにを?」

「だから、君に嘉瀬真理を恋に落としてほしいと、そう言っているのだ」

「は、はあ………………?」


 どうやら何か悪い冗談に引っかかったらしい。

 ここは首相官邸ではないし、どうやら目の前にいる人は松江総理ではなかったみたいだ。


「あの、失礼しまぁ……す……」


 だが、後ろに引き返そうとしても黒ずくめの二人は通そうとしてくれない。

 ただただ無言で俺の前に立ちはだかる。


「まあ、驚く気持ちは分かる。詳しい話を聞いてくれ」


 そして、その強面二人に見下ろされていたからか、首相の声はすごく柔らかく聞こえた。


「えっと、僕が、嘉瀬先輩を、落とす?」

「そうだ」


 得られた断片的な情報をぽつぽつと口に出すと、総理は肯定する。

 だが、やはり実感などなかった。


 嘉瀬真理。俺の高校にいる1つ上の先輩。

 学校でも名前を知らない人がいないほどの有名人で、有名な理由はその美貌。

 圧倒的に均整の取れた顔、プロポーション。人が手を加えないとありえないだろというほどの整った顔に対し、こんなのダイアモンドの生まれ変わりだろとしか言いようのないほどの輝き。

 人工的なものと、自然的なものが組み合わさった、矛盾を抱えるほどの美少女。それが、嘉瀬真理だった。


「君しかいない、君が彼女を落としてくれ」

「えっと、その、話が全く見えないんですが……」


 言葉は一応理解できる。

 だが、わからないのはその目的だ。


「なぜ、日本のトップである総理が、そんなプライベートなことを?」


 内輪の中で「お前先輩にアタックして来いよ~」だったら分かる。その友達は絶対に俺のことが嫌いだということが分かる。


 だが、そのことを頼んでいるのはまさかの総理。日本の行政のトップ。日本で一番の有名人。

 そんな人が俺にそんなことを頼んでくることが、まったく理解できなかった。


 だが総理は俺の質問が想定内のものだったのか。用意していたであろう回答を出す。


「君は、ツイッター、というものを知っているだろうか」

「え?」


 いきなり出てきた関係ない言葉に思わず素っ頓狂な声が漏れた。


「もちろん、知ってますけど……」

「ちなみに私もやっている。フォロワーは500万人だ」


 しかもなぜかさらっと自慢された。いや、一高校生とフォロワーの数を争わなくても。

 ちなみに僕のフォロワーの数はその100万分の1……ってその情報もいらないか。


「それで、そのツイッターが何か?」

「ああ、そう、話を戻すんだが」


 かなり緊張がほぐれてきた俺に対し、総理は姿勢を正して。

 それから、きりっとした目を向けてきた。


「――1億人。これが何の数字かわかるかい?」

「1億人? 日本の人口ですか?」

「惜しい。嘉瀬真理のツイッターのフォロワー数だ」

「――え?」


 ツイッターの、フォロワーの、数?

 1億人が、フォロワー?


「そんな、アメリカの大統領じゃあるまいし」

「あっはっは。アメリカの大統領も、さすがに1億人は超えないよ」

「じゃ、じゃあ……」


 嘉瀬真理は、1億人を従えてるっていうのか?

 そんなのもはや。


「そう。彼女の言動が、国を変えてしまうんだ」


 鼻で笑い飛ばしたかった。笑える話だったら、どれだけ楽だっただろう。

 そんなのは総理の杞憂だと、軽い冗談だと言えたらそれでよかったのだが。


 だが、そんなことを言わせないという威圧感が、総理自身から湧き上がっていた。


「信じられないとは思うが、だが私がここにいるというのが、何よりの証左にほかならない」


 その圧倒的なカリスマ性で総理大臣になった松江総理が、そんなことを言い始めた。


「最初は私が総理になるだなんて、ほかでもない私が思っていなかった」

「……」

「だが、突然党の幹部によって持ち上げられ、いつの間にか総理大臣になっていた」

「そんな、ばかな……」


 俺が知っているころには、もう彼女は党のトップになって総理大臣になることが決定されていたようなものだった。

 大多数の人も同じ理解だろう。


 だが、その当人ですらわけがわからなかったというのだ。


「突然世論が傾いた。新しい総理大臣には女性がなるべきだと、そういう風潮がいきなり日本を支配した」

「それが……」

「そう、それをしでかしたのが嘉瀬真理だというわけだ」


 なんでも彼女がポツリとつぶやいた一言。『総理大臣って、女性がなってもいいと思うんだけどなぁ〜』

 その言葉が、世論を変えてしまったのだと、そんなことを口にした。


「ほ、ほんとうに……?」


 どうやら事実らしい。

 目の前で心労を表すかのようにこめかみを抑えている松江総理は、確かに実在しているわけだし。


「つまり何を言いたいかと言えば、彼女は芸能人以上に、著名人以上に、そして総理大臣以上に、日本国民に影響を与えている」


 正直に言えばまだ実感はわかない。いきなり日本国民だといわれても、大きくて俺のような小市民にはいまいちそのスケールが測りかねる。

 だが、どうやら総理の言うことには真実らしい。


「じゃあ、どうしてそれで僕が選ばれたんですか……?」

「無論。君が『彼女をフッた初めての男』、だからだ」

「……………………」


 そして今度、頭痛がしているのは俺のほうだった。


「えっと、一つお尋ねしますが、どうしてそのことを?」

「彼女がツイッターにそうつぶやいたからだ」


 あの、嘉瀬先輩? そういったプライベートなことを1億人が見てる前で平然とつぶやかないでいただけますか?

 あとそろそろ俺もこの人たちみたいな強そうなSPを雇わないと……身が危ない。先輩のファンに殺される。


「ああ、もちろん安心してくれたまえ。振った人間が君だということを知っているのは彼女と私くらいなものだ」

「それをどうやって調べたのかは聞きませんが……。ひとまず命の危機ではないことは分かりました」

「もちろん、君の返事次第ではこの情報を世間にバラすのもやぶさかではない」

「日本政府の情報機密への姿勢はいったいどうなってるんですか⁉」


 色恋沙汰の話を総理自ら言いふらすとか聞いたことねえぞ……。

 というか、そもそもこの松江さんもかなりやばい人なのでは……。


「まあもちろん冗談だけど」

「冗談、本当にシャレにならないので勘弁してください」

「まあ、それはともかく、だな」


 脱線していた話を元に戻す総理。


「どうだい? 手伝ってくれる気は、ないかい?」


 総理は決して脅迫などせず、優しい声音で聞いてくる。

 こればっかりはちゃんと個人を尊重してくれるらしい。


 だからこそ、俺は熟考を挟み、それからきちんと結論を出した。


「すみませんが……お断りさせていただきます」

「ほう。一応、理由を聞いてもいいかい?」

「理由、ですか」


 このままただ断るといっても、それは総理の誠意へと反する。


 だからちゃんと口にしなくてはならないと思った。


「まず彼女を恋に落としてまで支配下に置こうとする意味が分かりません。彼女を自分の支配下に置いて世論操作をしようなんて思っているのかもしれませんが、もってのほかだと思います」

「ほう」

「それに……僕が先輩を振ったのは、先輩が嫌いとかだからじゃない。……先輩のことが好きだからこそ、振ったんです」

「ほーう」

「だから……断らせていただきます」


 きちんとお辞儀をして、それで終わり。


 そう思った。


 だが。


「君はいくつか勘違いしていることがある」

「――?」


 断定口調でそう言われ、思わず反応してしまった。

 踵を返して振り返ると、総理の顔が威厳ある総理大臣の顔になっていた。


「まず一つに、私は世論操作をしたいわけじゃないんだ。そんなことをしてまでこの要職に就いていたいという気持ちは、これっぽっちもない。そんなことするくらいなら、議員なんてやめてやるさ」


 堂々と言い放った総理の顔に嘘の色は見えなかった。


「じゃあ、どうして?」

「それは、彼女には危うさがあるからだ」

「危うさ……?」


 そう、と総理は淡々という。


「例えば彼女が軽い気持ちで『死にたい』とつぶやいたら。一体国民の何割が心中するだろうか」

「それ、は……」

「例えば彼女が大の動物愛好家で。『動物のお肉を食べるのはよくない』とでも口にしたら、一体この国の畜産業はどうなってしまうだろうか」

「~~っ!」

「もちろん彼女の人格を疑っているわけではないし、彼女自身も自分の発言に影響力があることは自覚してると思うからこんなことが起こるとは思わない」


 だけど、と総理はつづける。


「彼女の精神がいつ不調をきたすともわからない。彼女の状態をよく保とうとするのは、国を守るうえで大事なことなんだ」

「…………」

「そして今まで、彼女が一番安定していた時こそ『君に恋をしていた時』で、一番不安定な時こそ『君に振られた時』だったんだ」


 私の総理大臣が決まったのも君が振った後だったかな、と総理は独り言ちた。


「そしてもう一つ」


 総理はそのまま立て板に水で話を続ける。


 そして今度は、冷たい目を持っていた。


「君が彼女を振ったのは、彼女が好きだったから、じゃない」


 総理はなおも断定する。まるで俺の心はすべてわかっているのだと、をう言わんばかりに。

 そして、その言葉はさすがに看過できなかった。


「じゃあ……なんだっていうんですか」


 総理が相手にもかかわらず、思わずとげのある口調で言い返してしまう。

 それは俺が先輩のことを好きだから……ではなかったのだろう。


 むしろ、言い当てられたからだったのだ。


「君は、逃げただけさ」

「逃げ、た……?」

「『嘉瀬真理にあいつは釣り合わない』『あんなやつが嘉瀬真理の隣にいる資格なんてない』。おおむね、そういった言葉から、そういった世論から逃げたんだ」

「……………………」


 何かを言い返そうとして、結局返したのは沈黙だった。


 どうしようもなく、自分の感情を当てられてしまっていた。


「でも、君は逃げるべきじゃない」


 そして総理は、言い当てるだけではなかった。

 総理がしたいのは批判ではなく、前に進むことだった。


「だって君が逃げたら、君のことを好きになった『嘉瀬真理』を否定してしまうことに他ならないのだから」

「――!」

「いいかい、あれだけのものをもった嘉瀬真理が君に恋をするということは、君に、君にしかない魅力があるからなんだ」

「そんな、もの……」


 ない、と言ってしまいたかった。

 でもそれは謙虚からくるものではなく、自己保身のために来るものだ。


 だからこそ、俺はその言葉を口にできなかった。

 口にすることは自分の好きな先輩を傷つけることだと、言われたばかりだったから。


「君は魅力的な人間だ。少なくとも、彼女の目からはそう見えている」


 ――最後に少しだけ突き放されたようなことを言われた。


「総理は、僕に魅力がないって思ってますよね……」

「当たり前だ。というか、こんな会って数分の高校生の魅力なんて気づけるわけなかろう」

「あはは、そうですよねェ……」


 総理に言われて思わず笑ってしまう。自分でも不思議だった。

 なぜなら、ネガティブな気持ちが、いつの間にか正の方向を向いていたから。


 総理は俺の冗談を笑い飛ばす。

 それから最後に格言めいたことを口にした。


「そもそも、恋愛なんてそんなものだろう。自分が相手の魅力を知っていて、相手が自分の魅力を知ってくれているなら、それでいいんじゃないか?」


 どうもこの総理のキャラがつかめなかった。真面目でもあり、少し変な人でもあり、そしてきざな人だった。


「――まあ、私は恋愛経験が皆無だけどな!」

「最後にその言葉さえ言わなかったら、いい話で終わってたんですけどね‼」


 これは、スケールはでかくともただの等身大のラブコメだ。


 だって、主人公が俺――成瀬千太なるせせんたなのだから。





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